「原作を知らない人に向けた、原作を徹底破壊した上で、原作に忠実という奇跡の映画」モータルコンバット えむやんさんの映画レビュー(感想・評価)
原作を知らない人に向けた、原作を徹底破壊した上で、原作に忠実という奇跡の映画
原作ゲームをずっと追いかけているヘビーユーザーです。
皆さん、パンフは買いましたか?
原作ファンとして絶対に読んで頂きたい出来でした。
そして、これを読んで頂きたい理由がもう一つ、この映画が「原作を知らない人の為に作られた映画である」ということを理解できる内容のだからです。
ここがとても重要です。
まず、この映画、キャスト発表時、予告編公開時と、原作ファンを騙しに騙し続けました。
モータル1に出て来ないキャラがいっぱい出て来るんです。続編を見越した真面目な映画を想像してしまいます。公開直前の真田広之祭7分間動画が発表されたら、もう原作の忠実な映画化と疑うこともなくなります。
ところが、劇場で鑑賞を始めると、いきなりオリジナル主人公が出て来て、ゲーム2で自分でサイバーアームを装備するはずのジャックスが両腕をもがれます。あっるぅえ~?となったところに、原作1のラスボス、シャンツンが「魔界は負ける! やられる前にやる! トーナメントしったこっちゃない!!」とか言い出して、全ての原作ファンは、空の心へと悟りを開きます。もう、受け入れ態勢は万全です。
そもそも、モータルコンバットとは、ドラゴンクエスト+アベンジャーズのような作品です。選ばれし者:リュウカンが仲間を集めて魔界の侵略を防ぐ物語です。95年版のリブート前作品は、これを監督が読み取った上で上手く使いこなせず、リュウカンを「500年前の偉大なる初代クンラオの子孫」に改変してしまいました。今作は、原作ゲームでも裏主人公を張っているスコーピオンの子孫にこの立ち位置を譲りました。原作を知らない人への入り口としたわけです。
ここからのキャラクター改変があまりにも見事で、完璧な計算ずくなのだと思われます。改変のひとつひとつが、原作を調べ尽くして完璧な改変を行っていて、「改変されたのに原作に忠実」という異常事態になっています。
ジャックスは家族思いのキャラです。最新作で娘の為に敵に寝返る人です。ソニヤの為に能力に目覚めるシーンは泣きそうになりました。
ソニヤは最新作の、別のタイムラインから来たギャルソニヤ、もしくは娘のキャシーのような人格で、主人公のコール以上に感情移入しちゃいました。彼女も世界観への入り口になっているのだと感じました。
カノウは、「うん、これぞカノウだね」って感じでした。これくらいバカな奴なんですよ。見た目のせいで、知能あるように見える原作や前作映画のイメージを見事に吹き晴らしてくれました。原作3で、人間界に攻めて来てる魔界に、現代兵器売ったりする奴ですよ、これくらいでねぇとです。
クンラオ、なんというか、リュウカンが自立してないと、こうだろうなァって感じです。多分、映画の世界では、リュウカンは弟弟子として凄まじく彼を慕っているんでしょうね。グレートクンラオの子孫だと自分で誇るシーンも無かったです(リュウカンが代わりに言ったし)。自分で言う必要もないほど、大事にされているんでしょうね。
リュウカン…。本当にリュウカンのキャラクターが凄い。原作どおりなら彼が選ばれし者なわけです。しかし、彼は孤児で紋章は悪人を殺して奪ったと言っています。究極神拳に目覚めるのも、クンラオを失って仇討ちとしてです。原作の彼からは、とても考えられない状況です。でも、原作どおりボーライチョーからも指導を受けているようです。場合によっては、ボーライチョーからしか指導を受けていないのかもしれませんね。闇属性のリュウカンとでも言ったところでしょうか。映画版の彼にとって、クンラオを失ったら「勝てない」とまで言うのは、原作の彼が備えているものの半分は映画世界では兄弟子が担ってくれていた、ということでしょう。凄く、クるシーンでした。
光の寺院。前作映画のこの設定を引っ張ったのは、少林寺にせず、主人公たちを「アメリカの多種多様な人々」と比喩する為でしょう。BDを個人輸入してヒアリングしたのですが、リュウカンは、クンラオを「師兄」と武侠モノの兄弟子呼びしています。ここで、しつこく光の寺院設定を使うには、なにか理由があるはずです。彼らは、映画の世界では「ショーリンモンクス」ではなく「いとこ組」なんだと思いました。
オリジナル主人公、コール。原作リュウカンの善性を何倍にもしたような子が、自分をアメリカの孤児と表現します。基本の力に目覚めるのは、痛みにより家族を護る為。やっぱり比喩が込められているでしょう。鑑賞者によっては、最後まで強くならなかったダメな奴に見えるでしょう。ですが、彼は間違いなく新映画版モータルコンバット世界の選ばれし者です。オリジナル主人公なのに原作ファンを黙らせるほどの存在です。負け続けて来た彼の「不屈」に、他の戦士は次々に影響されて目覚め、勝ち残っていくわけです。対ゴロー戦では究極神拳に目覚めたようには見えませんので、続編でスコーピオンの忍術を身に着けて行く姿を想像してしまいます。胸が熱くなってしまいます。
スコーピオン。真田広之さん、凄すぎます。スコーピオンは、原作ゲームでも後半から裏主人公化していったキャラです。全プレイヤーがマスターハンゾウを愛しております。そんな、もっとも良いキャラであった頃のスコーピオンを、さらに何倍も素敵に演じてくださいました。アクションも演技も、本当に最高でした。400年前に改編したのは、グレートクンラオの500年前の代わりで、ちゃんと時代考証したんじゃないでしょうか。
サブゼロ。原作でも悪堕ちする前の兄サブゼロのファンは本当に多いです。かくいう私も、外伝サブゼロは5,6回クリアした程のファンです。そんなサブゼロを敵役として確立させる為に、原作ゲームでも1行程度しか出て来ない「スコーピオンは抜け忍」という設定を前面に押し出して来ました。「リンクェイの為に」というセリフの意味が、原作ゲームよりずっと重いと感じました。俳優さんも、それを自分で勉強して演技に生かしたと言っているんです。この映画は、俳優ひとりひとりが本当に凄い方ばかりです。
ライデン。浅野忠信ファンの皆様、申し訳ありません、目、光りっぱなしです。実はアメリカには、目が光っているとか白目に、神秘の力を持っているという画一的な表現があるんです(X-MENのストームが天候操作時だけ目が光るなどが例です)。ライデンの目が光らなくなる時は、死にかけてるとか、力を誰かに譲ったという時になります。浅野さん、我らが人間界の守護神を完全に演じ切ってくださいました。最初に悪口言われて、相手に一つ技かけてドヤるのは前作映画からの伝統です。ここも、選ばれし者が違う故の必然の展開で素敵でした。実は裏で助けてるとことかも、完璧にライデン神らしかったです。
この映画の唯一の問題点は、シャンツンを魔界の帝王だと読み違えさせてしまうこと、そこだけだと思います。
シャンツンは、魔界の尖兵、ただの妖術師です。但し、原作中盤の三部作で主人公も魔界の皇帝も殺したことがあります。最新作のバットエンド担当だったりもする、究極の愛され悪役です。「魔界の帝王が攻めて来る」という別のシーンの字幕を、なぜか多くの人が彼に当てはめて誤読しました。映画評論家的な方達ほど逆にこれをやらかしました。そういった方たちが、スジを読み違えてぼろくそに低評価を頂いています、勿体ないです。ここは、もう少しなにかの表現が必要だったのかもしれません。ですがこれ、カットされたミリーナのシーンのせいかもしれません。あのシーンを削ったことは、映画の完成度を上げましたが、魔界の皇帝シャオカーンについての言及が消えてしまったのです。
裏テーマ?
あらゆる場所から来た全てのアメリカ人が、人種の分け隔てなく力を合わせて、危機を未然に防ぐ。
原作にはない裏テーマかと思います。
中国を比喩する立ち位置のサブゼロが倒されることでヌーブサイボットとしてまた蘇る。アメリカ人以外を敵と見なすことが、新しい敵を作る。ここまで表現されているかもしれません。
視聴環境
映画館では、IMAXGTレーザー、4DXの2回見ました。
2回とも、裏テーマに気づいても、考えるのを即止めて、全力で楽しみました。考えちゃ損、というほど爽快な体験でした。
特に、4DXの「水演出が9割返り血」を経験しておけた方は、一生の宝物だとおもいます。
成績が良かったら、関連作品4作が作られるとのことで、サブゼロのジョータスリムさんは、4作分の契約を上映前に締結していると発表しています。とりあえず、サブゼロミソロジーや弟サブゼロとの邂逅は、既に約束されているのかと思うと、胸が燃え滾ります。
続編、本当に楽しみにしております。
原作を知らない人です。パンフもちろん買いました。最高のレビューありがとうございます!
何がハマったのか自分でも正直よくわからなかったんですが、素晴らしいレビューのおかげで何か掴めたような気がします。続編大期待ですね!