三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のレビュー・感想・評価
全207件中、141~160件目を表示
三島の事がよく分かりました
どんな?内容かと不安でしたが、
東大の学生との討論会
言葉と意見の
交換。学生が、三島のファンみたいになって
いくところが、面白かった。
戦後の、東大教授は、クズばかりだから
あの様な、学生運動になるのも仕方ないと思う。
三島は、彼らに後を託したんだと思う。
50年経っても何も変わらない。。。。。
わずか数年の世代差で理解ができなくなるが、ファッションだと思えば納得はできる。
この討論会が行われた時は私は中学生、この映画に出てくる芥正彦さんは高校の8~9年先輩だったと思います。私が大学(東大ではありません)に入学したころは学生による革命運動は再末期になっており、内ゲバに終始しておりました。私が大学に入学したときに最初に話しかけてきたKくんは殺されました(内ゲバ・死者・Kで検索するとある程度は特定できます)。
今に思うに、一種の流行で若者のファッションだったと思います。難解な言葉を羅列して「俺はこんなに難しい言葉を知っているのだ」と自慢し合うようなものです。
この映画の中で繰り広げられている論争の中身は、私にはほとんど理解できませんでしたが、理解する必要はないと思いました。
全共闘も三島さんも世界を変えることはできませんでした。三島さんも世界を変えられないと理解したので、あのような結末になったのだと思います。
結局のところ、世界を変えたのは、革命論争に明け暮れる学生を横目で見て、パンチカードに穴を開けていたような学生であって、三島さんの言う「言霊」は何の力も持たないと、私は思っています。
いずれにしても、よく今の時代にこの映画を作った(編集した)と思います。これだけは敬意を表します。よって星4つです。ただし、一度見れば十分。
死にたがりの軍国少年と口の達者な飽き性の坊やたちのおしゃべり
ちょうど三島を読み始めた頃、三島が死んだ。
その後もかなり三島作品は読んだのだが、彼の行動は理解できなかった。
あのころ安田講堂の事件があり、あの闘争の意味すら分からなかった。
それから三島と学生運動について考え続けたが結局自分のなかではもやもやしたまま時は過ぎた。
もちろんこの三島vs全共闘の話もしっている。
今回この映画を見て霧が晴れたことがある。
結局三島も全共闘も途中で投げ出したということ。
今の自分が観た彼らの言葉の空虚さよ。
今言えることは一つだけ。
彼らは投げ出すべきじゃなかった。
三島は盾の会を作りながら、自らの死で活動を終わらせてしまった。
彼は戦中の亡霊に取り付けれて死んだように見える。
自らが死ぬために楯の会をつくったとさえ思える。
三島は生きて自らの寿命が途絶えるまで活動すべきだった。
三島死後の楯の会は三島を供養する会でしかなかったのではないか。
全共闘の諸氏は結局言葉遊びの中で瓦解してしまったように見える。
あそこに集まった千人の革命戦士はほとんどが一小市民に成り下がった。
彼らは自らの失敗を超えて一生活動すべきだった。
その精神を後輩に伝えていけば、こんな時代にはならなかったと
思う。今の学生の気力の無さはどうだ。
こんな時代にしたのは彼らである。
そして今の彼らは自己反省もなにもできない単なる頑固ジジイでしかない。
これは映画として評価すべきではない。
故に1とする。0では無評価となるので。
いいね!
肯定と否定が交錯する三島の言葉
三島由紀夫の小説には敬意を持ちつつ、極端な政治的言動や天皇観についていけず、10数年以上三島の作品を読んでいない。三島と東大全共闘の討論会もずいぶん前にYou Tubeで見た記憶がある。
やがて他の作家に関心が移り、しばらく三島を忘れていたところ、このような映画が公開されると聞き、久しぶりに三島に関心を抱いた。ネットでは一部しか視聴できなかった三島の肉声をこの映画では存分に聞く(見る)ことができる。
これまで気が付かなかった三島のユーモアや上品さを知ることができた。もっと政治的な議論が中心かと予想したが、哲学的な議論が多かった。全共闘側で印象的だったのは、幼児を抱っこしながら三島に挑んだ芥氏。両者の議論は「毒」と「毒」の対決のように見えた。
三島没後50年の今年、彼の言葉には思想的立場にかかわらず一度は聞くべきだ。聞いたうえで、肯定すべき部分と否定すべき部分を選別し、自分の言葉にしたいと思う。
熱い人たちのその後。
その昔、三島が切腹したと同級生の女の子が教室に飛び込んできた。それに反応する同級生は少なかった。朝日ジャーナル読者だった私も三島のことは常に気になってたので反応した。そんなことを思い出す。
結構上の世代が主役なので当事者の語りよりも平野氏の感想がすっと入ってくる。さすが第二の三島。瀬戸内さんの乙女目線の語りが面白いというか可愛い。
最後、当事者の総括は私の世代にとっては一番期待してたところ。それだけで一本ドキュメンタリーを作る価値があるんじゃないか。
しらけ世代はそう思う。
討論をまとめたドキュメンタリーに留まらず、題材の良さにも全く名前負...
討論をまとめたドキュメンタリーに留まらず、題材の良さにも全く名前負けしない素晴らしい出来。それは運動以降から現在までの日本もしっかりと視野に入れているからに違いない。総括として完璧。それをやったのが映画というのは誇らしい。
まさかの
三島由紀夫が何ともチャーミングだった。
いくつかの作品とギラギラした肉体へのこだわりと天皇観を通してしか知らなかった三島と伝説の芥正彦の対決観られるとは!この二人を立体的にみることができたの収穫だった。芥は思っていたより青かったけどね。
時代の熱情
兄貴分としての三島が後輩たちに対して、真摯に語りかけるとても知的な討論会。不穏な空気の中に三島のユーモア溢れる知的で優しい言葉が花吹雪のように会場に降り注ぐ。彼の言葉を聴いていると近代日本を代表するとても優れた芸術家であるという事実がひしひしと伝わって来る。御多分に漏れず学生たちも本邦を代表する知の最高峰に位置する東大生なだけに、質問の一つ一つが鋭く興味深い。なかでも、取り分け狂言回しのように思える役者の「芥」という人物は最初はとても攻撃的なスタイルで三島に接するが、彼を認めた上でよく聞き、答える大人の態度にいつの間にか引き込まれて共に同志よろしくタバコを吸う場面に三島由紀夫の人間的な魅力がよく解る。三島由紀夫はまさに一つの時代の決定的なアイコンである。瀬戸内寂聴がただのファンとして三島を語っているのには思わず笑ってしまった。
東大紛争が革命に発展せずに、どうして収束してしまったのか、解った気がした。 前年に安田講堂に居なかった=居残り・残党組み?の”悪あがき連中(点)の中に指導者(線)は残っていなかった。
50年前の講演に至るまでの経緯を判りやすくドキュメントした映画だが
「すごい討論会が50年前にあった」という前提のもとに編集された何も学べない不毛映画
ドキュメントは最初の筋書きどおり、うまく切り貼りされて、それらしく魅せているが、
会場は一部の登壇者以外は整然とした1000人が興味本位のみで同じ空間に居ただけで、
単なる傍観者に過ぎず、壇上では雄々しくやってはいるが文化祭の特別講演会の質疑応答のようで
全学連達からは共産主義革命思想もマルクス社会主義思想もまるで伝わってこない。
三島由紀夫さんは後輩である学生達には哲学はあっても、思想なき革命にシンボル・旗印が必要な事を教えるが、通じない。
目の前に居る全学連学生が一連の大学闘争とは一線が引かれ、連続していない点である事も「解放区」というキーワードを使って
教えようとした言葉の意味が理解できていなかったようだ。
いくら東大でも、20歳前後の若さはあっても、学生にはしょせん無理な事変なのか?
芥と言う名の演出家学生が赤子を抱いて登場した時は おっ来た! と僕は思った。
なぜなら、あの場に不似合いな赤子を抱いているという事は、
「自分は肉体的な暴力は振るわないし、暴力を受ける事も歓迎しないが
言論を持って、決闘するぞ! 」という強い意気込みの表れだからだと僕は期待したからだ。
三島由紀夫さんもそう判断したと思う。
しかし、それも期待外れで、彼は単なる哲学好きな演劇少年で
永遠と三島由紀夫さんと哲学的な話をするばかりで両極対立の核心には至らず
耳障りのよい抒情的な言葉を連ねるだけで、
三島由紀夫さんの口元は緩んでいた。
壇上ではみな雄々しくしゃべっているので、それっぽく見えるがみな中身はない。
お陰で三島由紀夫さんのサルトルのエロスからの話を聞けたことは僕的には儲けものだった。
会場の傍観学生は大学授業を聞くようにお行儀よく
たまに数人による罵声が飛んできたりするが、1000人が討論している殺伐とした空間ではなく
みな”お利口”に壇上の話を好奇心的興味だけで傍聴している。
その場で戦っていたのは10余人。
殺気立たない会場では赤子も泣かない。
哲学少年だけ、三島由紀夫さんの諸本を読んでいたようだが
もし本当に意義のある論争がしたいなら、事前に論点整理をしておき
(この映画で論点と、なりうる議題は「解放区の意義」「反米革命と改革」「天皇という御旗」だろう)
その論点の相異について、論議すべきを
当日いきなり話を始めたので、話がかみ合ってこないのは必然だろう。
論争を企画した中の誰かが事前に気が付いて、少しでも段取りをしていれば、こんな場当たり的な不毛論議にはならなかっただろう。
三島由紀さんは事前に何を話すか、何通りか用意して準備していたようだ。
その辺を後日に誰かに伝えていたと思うのだが、その取材をしてほしかった。
この映画の中に僕がどこにいるのか探しながらも、観ていました。
99%の学生=”白けた傍観者”の中にいるのか?
30年前の僕も、現代の僕もそこにはいない。
2部の終わりに、業を煮やして「殴ってやる!」と会場からヤジを飛ばしながら、登壇してきたベージュのジャンバーを着た青年
彼が僕だと思った。
その後、彼はマイクを持って、話し始めたのだが、新劇青年に邪魔されもしたが
ドキュメントでも尻切れトンボにで編集され、内容がきちんと伝えられなかったのは残念だった。
3部になり、ようやくまともな方向に向かうかと思われたが、出だしのオレンジの服を着た青年の主張の肝心な前半部がカットされており
中身ナシの激論討論ぽい”雰囲気”だけドキュメントされていたのは
今回の映画での最大の失敗部分だ。
三島由紀夫さんは「安田講堂で、天皇と言ってくれれば、駆け付けた!」と言った意味を全学連側では理解できていない。
始めの頃にも三島由紀夫さんは前振りをしていたが、学生たちはスルー
三島由紀夫さんは東大生達が「天皇」と言う言葉の意味を理解していない事に気がついて、「言霊」という言葉を挟んでみたが
登壇している学生はにはこの意味も通じず、三島由紀夫さんが望んだものは何ひとつ討論会では得られなかった。
自分たちが何者で、何を目指すのかも理解できていない20歳の学生達に40男の主張を理解するには荷が重かったようだ。
三島さんには全共闘が見えていたが、全共闘から三島由紀夫さんがまったく見えていなかったのが歪めない。
映画の中では 白兵戦のような緊迫した論戦が両極の間で”さも”有ったように映画が編集されているが
全学連側は面白そうだから呼んで話をしただけで
記念にはなっただろが、何も残らず
いい思い出を作れただけだった。
三島由紀夫さんはOBだけあって、全学連2軍の白け具合を見て、革命を断念したであろう。
映画なので、映画的な部分を書くが
劇中「TBSのライトが明るすぎた!」という証言もあったが
冒頭の司会者も三島由紀夫さんも 絶えず正面ではなく、会場の斜め右を向いて話をしていたが、
カメラの設置場所のせいで、会場の傍観者にはより舞台との隔たりを作ってしまったのではないかと思った。
また、ライトに不満を持った週刊誌カメラマンは三島由紀夫さんの真後ろを何度も行き来して
撮影の邪魔をわざとくり返していた子供じみた仕返しには思わず笑えてしまった。
そんな戦いもドキュメントの面白いところだ。
そして最後に別セクトの行く末である「あさま山荘事件」等で強引に結ぶ
この映画は何を言いたかったのか?
他大学での、三島由紀夫さんの講演を内容と雰囲気を観比べてみたいと思った。
*最後に三島由紀夫さんの「天皇」とは個人・人物や役職を示すのではなく
日本そのもの(伝統・文化・歴史)の象徴なのです。
そして医学生の居ない全学連居残り2軍が行っていたのは革命ではなく、紛争と不満の薄っぺらい爆発だけでした。
*50年前のフィルムは白黒なので、僕が服の色を言っているのはあくまで、イメージです。
豊島圭介。
TBSがこの映画を送り出すこと、それ自体を前向きに捉えたい。以前NHKで同じような番組をやっていたが、この映画には、お互いの意見を交わすことへの重要性が訴えられていて、監督の意思が感じられた。
昨今アホな日本映画が多くて、辟易としていたが、久しぶりに意思のある映画とかんじられて高評価。
三島由紀夫氏の色気に圧倒された!
討論会の前半の理論をこねくり回している部分は聞いてるだけで脳みそがカーッと熱くなってきたところに、良きタイミングで挟まれる平野さんや内田先生の解説、絶妙に助かります。
後半はもうダンディズム全開の三島由紀夫氏に惚れ惚れするばかり。学生の幼稚だったり無配慮だったりする言論にも、穏やかな低い声で時々ユーモアを交えながら誠実に回答する姿が本当にステキでした。あと、ちょいちょいカメラ目線でタバコ吸うトコとか、ナルシストでステキ。ステキと思えるナルシストってなかなかいないと思うんですよね。
途中、学生同士の議論が熱を帯びてほったらかされた三島由紀夫氏がニヤニヤ見守るシーンがあって、その顔を見てたら、だいぶ昔に見た、美輪明宏さんの舞台「黒蜥蜴」のパンフレットに載ってた俳優・三島由紀夫を思い出した。
あとあと、この大討論会に出席していたり、楯の会一期生として活動していた(している?今も?)方々の現在のお姿を見れてキャリアも垣間見えるのがなんだかワクワクして、言葉は今も若々しくてトキメキました。
私が見た回もその前の回もかなり人が入っていて、今日も違うの見に行ったんだけどロビーの人がずずぃぃーっと三島由紀夫のお部屋へ吸い込まれていった。すごい求心力。だいたいこの頃を経験している世代の方々。私の席の後ろはその世代のご夫婦で、上映中時々思い出話的なことをコショコショ話しててなんだか可愛く思ってしまった。
あるべき姿の「言葉」の交換
3章からなる本作。
各々のシーン事に丁寧な解説が施され、細やかに当時の状況や人物像を物語ってくれる。
個人としては三島由紀夫先生の話す映像を見るのが初めてで軽い期待と軽率な気持ちで見に行ったが、あまりの内容の濃密さに我を忘れて見入ってしまった。
討論では個人個人が相手の主張をしかと理解するまで聞き入れ、理解した後に言葉を返すのだが、その理解の迅速さと返す刃の織り込まれ具合に、あたかも自分がその場にいるかのような錯覚を受ける。
芥正彦氏の立ち振る舞いは正に自分の写鏡のようで(実際歳も近く)、若い自分の世界を強固に保っている人間として尊敬の念を覚えた。
また、それに相対している三島由紀夫先生の態度が陳腐な表現になってしまうが、最高に素晴らしい。言葉を使う者として最高の尊敬と、また、ユーモアを交えつつ論じる姿はその時代の文学を代表する芸術人として完璧だった。
概念的な内容が多く、難解であったことは確かだが、自分の世界を言葉という世界共通単位で表現し一つ一つ積み上げていく様は正に感動であった。言葉も無い。途中両者の世界を理解するためにトイレに休憩をしに行った自分を正解だと褒めてやりたい。
これこそ言葉の、言葉の重みと言葉によって作られる世界を伝えてくれる最高の映像だったと私は思う。どうか、常にこのような言葉の重みを持って喋れとは言わないが、ごく稀にであればこのような討論をしたいと思うばかりである。
あの時代の熱量
今の若い人には彼らの言葉は日本語なのに「何言ってるのか意味不明?」って思うのではないかしら。
三島の嫌いなサルトルやハイデッカーを高校時代読んでいた私でも、世代が違う人の当時のやりとりを聞いていると、こうも言葉が違うのか!外国語並みに分からない、という場面が沢山ありました。
もちろん私の頭が足りてないからだとは思うのですが、あの時代には学生は真剣に毎日あのような話をしていたのでしょう。
本当に言葉に力があって、顔を合わせて言葉をやり取りする意味が感じられる時代だったのですね。
その熱量はものすごく伝わってきました。
平野さんの解説等とても分かりやすくて、ナレーションの東出昌大さんの優しい語り口もとても好感がもてました。
みんなが言葉に力を込め、熱量を最大にしていた時代の空気をたっぷりと感じる事ができました。
それにしても煙草吸いすぎです!
この映画に真実があるとするなら。
私には討論の内容がさっぱり理解できなかった。それは彼らの使う言葉の意味や内容について、私が共有できなかったからだと思う。しかし三島は学生たちの言葉を理解しようと努力していたし、正対しようと努めていた。
編集してカットされていたのかもしれないが、あのころの学生たちに特有の、嫌味で空疎なヤジはほとんどなく、むしろ両者が対話での緊張感を楽しんでいたように感じた。
途中から赤子を抱いた男子学生が登場して攻撃的に話し始めるのだが、それが私には異様な光景に見えた。今なら紫煙うずまく中に子供を連れて来るなど考えられない行動だが、それ以上に、子供を自分の盾にしているような卑怯なものを感じたからだ。社会的に自立していない学生という弱い立場を、子供を連れてくることで生活感をことさら強調しているように見えたのだ。この場をおぜん立てした全共闘の闘志達は、その後社会にうまく同化していったようだが、この人は古希を過ぎた今でもその反骨精神のようなものを捨てられないようで、私は何かしら無残なものを感じた。東大一の論客といわれたこの人は途中で「つまらない」と退場したが、これは彼自身の敗北であり、それこそ青臭く、失礼でお粗末な態度だなと思うのだ。
私は1988年に新潮社から発売された三島由紀夫の「学生との対話」というカセット・テープを持っている。その中での三島は、今回の映画と同じようにとても紳士的で、やはり学生とのやりとりを楽しんでいたように思う。四十を超えた三島に対して「夭折の美学を説かれた三島さんも長生きされて」と嫌味を言っても笑って応えるところに、三島の包容力と動じない強さとを感じたものだ。テープは昭和43年、早稲田大学でのもの。
今回の映画でも学生たちは虚勢を張って精一杯大きく見せようとしていたが、三島はあくまで正直だったし、堂々としていたし、学生たちの言葉に真摯に耳を傾けていたし、理解しようとしていた。
私は三島由紀夫の作品を読んだことがないのだが、映画やテープでの彼の態度はとても好ましく、もしこの映画に「真実」があるとするなら、ライトアップされた三島のこの誠実な姿勢にあるのではないかと思った。
思想の違う学生の話を聞き
罵る訳でもなく、自分の意見ははっきり言う
濃厚な一生だったのだろうなぁ
取り上げられていたご本自宅にあるので。もう一度読み返してみようと思う
インテリジェンスのディベートは一言一句聞き落としできない108分
観たかったこの映画。「無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るだろう!」初めてこの遺言を聞いた時の衝撃。大古の時代からの価値観も完膚なきまでに叩きのめされて思想を模索の戦後。共産主義の台頭によってイデオロギーの対立の時代に現れた言論の天才。インテリジェンスのディベートは一言一句聞き落としできない108分、お薦めです。
今まで三島由紀夫には過激なイメージしか持っていなかったが、終始落ち...
今まで三島由紀夫には過激なイメージしか持っていなかったが、終始落ち着いて討論する姿に驚かされました。
相手の主張もよく聞いて、自分の意見を述べる。
本来有るべき討論の姿を現政権に見せてやりたい。
芥正彦氏の訳の分からない主張も受け止める、男三島由紀夫に感服します。
もっと上手く緊迫感のある映画に出来たのではないかと惜しまれます。
難しく観るな。
って自分に言い聞かせた。
頭の良い人同士のやり合いだから、途中置いてかれそうになるも必死に耐えた。
討論ってのは、エンターテインメントなんだ。
って思った。
一線を越えるか越えないかのギリギリでヒリヒリするあたりが、まさにロックンロールだった。
三島由紀夫が言いたいことはなんとなくわかるような気がしたけど、 芥...
三島由紀夫が言いたいことはなんとなくわかるような気がしたけど、
芥正彦って人の言うことは言葉だけがひらひら飛んでるようでよくわからなかった。
それにこの人、途中で逃げたしね。。。
全207件中、141~160件目を表示