三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のレビュー・感想・評価
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三島の本が読みたくなった
2020年映画館鑑賞35作品目
プロの役者の芝居を観たい方針なのでドキュメンタリー映画を映画館で観るの生まれて初めて
三島由紀夫もある意味役者かもしれない
10代の頃読んだが当時彼の作品にはハマらなかった
TBSだから嫌な予感はしたがそこまで腐っていなくて良かった
ナビゲーター東出昌大のナレーションは全然気にならなかった
むしろ良かった
僕は女じゃないので不倫をしたからといって人間として役者として全否定する思想は全く持ち合わせていない
僕は子供の頃から学生運動や過激なテロや浅間山荘事件などをVTRでさんざん観てきた
その後はソ連崩壊天安門事件そしてポルポト政権の虐殺も詳しく知ることになる
だから僕は左翼が大嫌いだ
心底憎んでいる
反戦を叫びながら革命だのほざいて暴力を振るう矛盾したインテリが今でも許せない
そういう狂気な連中のほとんどが公務員や大企業就職や大学の先生になっている
馬鹿げている
負けを認めず美化している
極右も極左も同じじゃないか
三島のキチガイ発言が面白かった
三島はこんなにもユーモアがありセクシーだったんだなあ
同じ名前の鳩山由紀夫が憎らしい
百田とはスケールが全然違う
村上春樹だって政治の話となるとただだだ長いだけで全くつまらない
リベラルな作家やジャーナリストが極右の連中と討論するだろうか
TBSやテレ朝とかでよく見かける老いぼれどもは仲間同士で日向ぼっこする老人たちの如く愚痴や説教をほざくだけ
ある程度は覚悟していたが東大生の言っていることはほとんどがチンプンカンプンだった
それゆえにしかたがないが三島も発言も難解な面が多かった
DaiGoの弟や鈴木光は馬鹿でも理解できる言葉で話すので本当の意味で賢いと思う
東大生でずば抜けて光る存在が芥正彦だった
なぜ赤ちゃんを連れてきたのか意味不明
抱っこしながらタバコ吸っていたのでなんかちょっとイライラした
彼は他の学生とまるで違っていた
今現在の姿は衰えることもなくますますすごいことになっている
三島といい勝負なのは芥だけだった
彼の発言には全く共感できないがだとしても彼には人間としての魅力がある
難解だが彼の発言のほうがパヨク知識人やパヨク芸能人より面白い
大嫌いだが今と違い右も左もインテリは日本のことを真剣に考えていたんだなと強く感じた
それは褒めたい
今の左なんて安倍総理を批判していれば仕事したことになるお気楽な商売だからな
三島は非合法の暴力を否定しないから誠実だ
現在の左翼の多く(パヨク)は欺瞞に満ちている
黒人の暴動に対する主義主張からして誠実さのかけらもない
あと必勝って名前すごい
煙草におおらかな時代
20042.本作に映る三島由紀夫氏自身の肉声や表情、立ち居振る舞い、そして Mishima:A Life in Four Chapters に登場する三島由紀夫自邸。拘りと強い意志を感じる。誰がなん言おうと我道を貫いた三島由紀夫氏が主役
言葉に力があった時代
赤ん坊を抱き抱えモヘアのセーターにチェックパンツ、三島由紀夫も苦笑いする異様な存在感を醸し出し、老いてもまだ目をギラつかせて、つまらなくなりその場を後にする"芥正彦"に惹かれてしまう。
後々調べなければ理解しづらい言葉を並べ立てる中、三島の発言に想い、感情的にはならずその場を論破する為の勝ち負けもなく、静かにメラメラと格闘技を観戦するよりも興奮する刺激的な雰囲気。
当時を振り返る当事者のインタビューに気持ちも伝わり、有識者の解説めいた言葉に本作を分かりやすくしてくれている部分も。
あの時、闘った人々は今の日本をどう見ているのか?三島が生きていたらどう思うのか?
今も生きていたら三島は三島のままなのか?
この国には熱量が足りない、烈しさが足らない、闘った者たちの思い出話にされたら、残された者は虚しい。
日本には三島由紀夫が足りない。
日本人として観てよかったと思う作品
自分は三島の主張にも全共闘の主張にも
納得できる部分と出来ない部分があります。
日本人が日本を変えたいと思い
自分たちの主義主張を持ち行動に移していた時代。この映画は日本人として観ておくべき作品だと思います。
こんな人だったんだ三島由紀夫
あまり三島由紀夫のことは知りませんでした
やっぱり危ない人だったんですね
しかし、その信念は凄かった!
自分で軍隊を作ろうと思うとは
東大共闘との討論だが、あれで討論になっているのか?
合いませんねで終わるだけ?
あまりにも抽象的で理解不能だった・・・・
69年の「熱と敬意と言葉」に思う
昔と今、そこを比べ悲観することに慣れては駄目だろう。しかし、あの年代特有な語りの熱量、言葉の緊張感、タバコの煙で曇る講堂… 確かに“この時代が最後だった”と自覚するに足りる、尖った思考の渦で発せられる主張と同調に、やはり憧れを禁じ得ない自分がいた。TBSが保存する、この貴重な映像資料を観たことは何度もあった。しかし、改めて「新しきを知る」真相に満ちた本作は、当事者達の証言が単なる回想に非ず、眼の奥に鋭さも保った声の主が、未だ「三島の思想と言葉」に対し「反論・尊敬・格闘」を繰り返していただろう事を感じさせた。多感な時期に「国運と自身の運命は同様」な死生観を抱いた若者が、あの8.15を境に分離した感覚を、取り戻さんとする思想の納得も禁じ得ない。そして、あの場において高圧的な態度や、語気を荒げる事なく、“まぁ先ずよく聞いてやろう”な理解への心構えが、双方にあった点が見過ごせない。やはり、何処かで“共通の敵”を見出していた、それ故教壇での一服も微笑ましく映っていたのかもしれない。正に愉快な一時を観た。
頭良すぎてよく解らん
映画館の自粛しながらの営業でやっと鑑賞!
ありがとうTOHOシネマズ!お疲れ様でしたTOHOシネマズ!
個人的にドキュメンタリーは物の事象を淡々と流す資料という認識で、起承転結はあって無い物だと思ってるのだけど、これは試合。
言葉と言葉の殴り合い。
ただ、申し訳ないことに、最終学歴デザイン系専門学校の私にゃ言葉の意味が半分も解らなかった。
飲み屋でサラリーマンが専門用語だらけの仕事の話しを「こういうこと言ったらカッコイイと思ってるんだろうな」と冷めた目で見てるんだけど、三島さんと東大全共闘の人達は言葉の一つ一つ、取り入れ、咀嚼し、自分なりの視点と経験で元の意味以上の意味を付加して吐き出すので、ぜーんぜん理解できない。
そんな状態で鑑賞して面白いのか?と聞かれれば、そういう次元でなくお互いの熱量にやられる。
冒頭でも書いたように、これは言葉の切った張ったの試合。
途中、そんな熱を冷ますように挟まれる盾の会会員や学生、TBSカメラマン、当時を知る人達の証言。
どなたも此方もいいお歳なのだけど頭も言葉もしっかりしてる。
出来ることなら、覚えてないだろうけど芥さんの娘さんの証言も聞きたかった。
討論が終わってみると、右も左も無く、主義ややり方は違うけど、お互いの本質は「日本を良くしたい」それだけ。
でも、おかしいなぁ~。
この熱い人達、その人達を見てきたのが、今、日本の一番偉い立場にいて、当時、勢いだけではどうにも出来なかった力を持ったのに、なーんで日本良くならないんだろうね?
ネットで泡唾飛ばしてる人達も20~30年後好き勝手出来る歳になるまでその言葉忘れるなよ。
赤ちゃんが可愛い
天皇復興を推進する左派の三島由紀夫と大学改革を訴える右派の東大全共闘が東大の900番号室で討論会を開いた映像。
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正直この人達が全く何を言ってるか分からなかった(途中の解説でなんとなくは分かる)けど、討論してる映像を見てるだけで楽しい。
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特に、途中で赤ちゃんを肩車して急に議論に入ってきた男の人の強烈なインパクトと言ったら。正直三島由紀夫よりこの人の方がオーラがすごかった。
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この人だけじゃなくて、東大全共闘の人達のファッション、キャラ、仕草全部にユーモアがあって良かった。見ながらついこれがドキュメンタリーだということを忘れて普通に物語として楽しんでた。
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三島由紀夫がパツパツのポロシャツでムキムキなのに対して、東大全共闘の人はゆるっとしたニットを着てすらっとした草食系。身なりだけでその人がどんな思想を持ってるか分かるからすごい。
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よくもまぁあんな難解な討論をつまらずにスラスラ喋れるもんだな。きっとこれを見たら、誰かと熱い議論を交わしたくなるのは間違いない。
5点をつけたのは初めて。異次元だからだと思う。 感心したのは、誰か...
5点をつけたのは初めて。異次元だからだと思う。
感心したのは、誰かが言ってたけど
「三島は一つも論破しようとしていなかった。誰の発言一つを聞いても論破しようとしていなかった。
自分の論理を話していた。憤りもせず話していた。」ということ。
あの状況のなか、知識もあり行動も伴っていた三島が感情を出さずに冷静に数時間を過ごした。
すごいと思う。
今、それができる知識人がいるだろうか?
俺は太宰に人間を見ました。
三島は太宰を、芥川を、夏目漱石をどう見ていたのか。聞いてみたい。
生きていてほしかったと思います。
意外と和やか
芥秀夫との討論は、観念論に終始して実りのないものでしたね。芥さんは、完全に出落ちです。
年齢を重ねた本人が登場しますが、喋り方とか本当に誰の真似もしてないですか?
どっかでみたような演劇がかった話し方と表情は、ありきたりな感じでした。
演劇とか模倣から始まると思うし、過去の偉業、つまり歴史を認めなかったら演劇は成り立たないと思うんですが。
若気の至りゆえに、賢さを引け散らかして、早く勝ち誇りたいのは分かりますが、全く敗退してないのに「三島さんは、敗退した」ってのはやっぱり青いな!と思いました。
途中で、「面白くないから帰るわ」(笑)。
ほんとに子持ちの東大生?
あの会場でも泣かない赤ちゃんよりも子供な態度(笑)。
赤ちゃん、お父さんの煙草で火傷しないかなとハラハラしました。
この辺りの幼さが、メジャーの三島と、マイナーの芥の差なのでしょうね。
三島は、確かに相手の言葉尻を捉えたり、矛盾を指摘したりはしません。「三島をぶん殴れ」とか、仲間割れしてる点では東大共闘の俺が俺が感、若気の至りが目立ちました。
映画「Mishima」で再現されたような侃侃諤諤な雰囲気ではなく、ユーモアも交えて、意外と和やかに討論は進みます。ちょっと拍子抜けなぐらい。
東大生だから、三島への尊敬がやはりあるのでしょうね。
共闘してて、社会のシステムにしっかりと組み込まれた人達は、今の若者をどう見てるんでしょうか。
切腹までした三島と比べると、共闘してた人たちはみんな惨めに生き残ってて、情けなさすぎます。
三島の与えた現在に至る社会的影響の10000分の1も共闘組は産み出してもいない、過去の産物に過ぎない。
三島に圧倒的に軍杯が上がります。
三島が好きなら、これだけ動き、心を語る映像は応えられないものだと思います。
解放区とは?
この時代の出来事は幼心で微かに見聞きした記憶がある、安田講堂もテレビで見た事がある、三島が自決した事も大阪万博も、日本中が活気に溢れ若者が息巻いて論破しようとするなかなか良い時代だった気がする中での日本社会の歴史そのもの。
自分は幼いなりにも親たちの時の流れのなかで戸惑いながら生きていた激しい時代だった事を意識していた
この全共闘との話は衝撃であったし三島という作家をもう一度知る事が出来た自分にとっては貴重な内容だった
芥という男が子連れで壇上で自論を展開する場面 今はないその時代の解放区だから出来たんだろうな、本気で世を変えようとするの平和な今の社会では誰も思わないんだろう、思ったとしても口には出さないな。
あの頃と違う右と左と、外国の思惑にに左右される人々がいるだけ
知的バトル
暴動シーンとかあったらやだなーと
及び腰で観に行った映画でしたが、
意外にも穏やかでユーモラスで、
知性と知性のまともな討論を見ることができて
とてもワクワクした。
50年前の若者はあんな観念的な言葉で
討論してたのでしょうか?
何言ってるかほとんど分からなかった。
でも、途中で挿入されるコメントで
理解を助けられる仕組みになっています。
そして、言葉は分からなくても、
仕草や雰囲気で、
思想の違いを超えて、
知的バトルを楽しむ両者の様子が
イキイキしてるんですよ。
なんかかっこいいんすよね。
左翼でも右翼でも芯があって
フェアに考え抜かれたものなら、
どちらでもいいように思いました。
その後、三島は自害し、
運動は過激で利己的なものになっていき、
この熱気が今の時代になくなってしまったのも
仕方ないと思います。
別のやり方で思想の違いを乗り越えて、
共存の道を平和的に歩みたいです。
平野啓一郎が言葉しかないと言っていたのが、
印象的でした。
大人の三島がかっこいい
三島のかっこよさが伝わる。冷静さ、ユーモア、真剣さも。
それだけになぜあの最期なのか?がやはり残される。
後に引けなくなったのか。でも三島なら堂々と後に引けたのではないか。そう思わせる懐の深さがあるのに。
本当にもったいない人物を亡くしたという思いが強くなった。
(最後に三島を見てから)2ヶ月映画館に行かなかったのは、私にとっては35年ぶりではなかろうか。
映画劇場内では喋らないから、前後の空間以外は安全であろう。待合時に密にならないように時間ぴったりに行くようにすれば感染リスクは十分に低い。
映画館で映画を見ることのできないストレスによる免疫力低下の方がよほど高リスクのようだ。自分の場合。
自宅はプロジェクターでドルビーの音響も整っている。でも自分は映画館が好きだ。映画館で映画を観たいのだ。
周辺のインタビュー人数が多すぎる!
本日ほぼ2ヶ月ぶりに映画館で観たのがこの映画。
「討論」というのだが、それがとことん虚しいのだ。途中「今日は三島をぶん殴る会だと聞いて来たのに、この不毛な討論は何だ」とヤジを飛ばして割って入って来る某氏がこの映画を救っている。
観るべきは芥正彦氏に抱かれている0歳の女の子。なぜ泣かないのだろう?なんて毅然とした面持ちで三島の言葉を聞いていることか!
論争というのは言葉の「お遊び」であって、「殴り合い」こそが「他者」を認める行為である、ということ。
豊島圭介という監督を私はあまりよく知らないが、ロクなものでは無い。10人近くにインタビューしているのだが、都合の良いフレーズだけを「切り貼り」するという悪しきTV的ドキュメンタリー手法で、せっかくの貴重なドキュメントを台無しにしているのだ。少なくとも楯の会の眼鏡をかけた余計な一人と瀬戸内寂聴はこの映画に必要なかった。
芥氏の6箱のショートピースのエピソードと木村修氏が討論会の後に電話で三島と話したエピソード。そういった興味深いインタビューのみでこの映画を構成すべきであった。へんな裏どり説明証拠集め的編集コメントはいらないのだよ。
言葉と概念と場所と時間
時の文豪達に穿った嫌悪感を抱いていた、拗らせ青年だった頃、やはりどうにも三島という人間が受け付けなかった。
それから大分の時を重ねて、自分の中の拗らせた部分とも折り合いがついてきた、そんな時に掘り出され現出されるこの一本。もうそこには興味しかなく、震える気持ちをなんとかかんとか宥めていたらばコロナショック。半ば諦めていたのだが、劇場再開とともに継続上映して頂けた事に、今はただただ感謝であります。
作品自体は、時代という一言で片付けられないシンクロニシティを見せつつ、圧倒的な熱量で魂を掴んでくる稀有な報道記録であり、やはり三島由紀夫は時代の傑物である、という印象でした。言葉が人をヒトたらしめている本質、みたいなものが垣間見える、体感必至な時間でございました。
言霊の解放区
出張先で鑑賞。
討論会記録本は未読です。
片や右翼、片や左翼。主義主張が正反対の両者が、知力の限りを尽くして、真っ正面から議論する…。その熱量は、現代人に欠けている何かを問い掛けて来ているようでした。
言霊は世界を変えるのかもしれない…
センセーショナルな時節にも関わらず、暴発的な感情が入ることを許さない、徹底した理論の応酬…。暴力が介在していないにも関わらず、まさに死闘そのもののテンションで、言葉の刃を交える両者の攻防が、スリリングで堪りませんでした。
1969年、東京大学駒場キャンパス900番教室―。安田講堂が陥落した直後に開かれたこの討論会の内容を、全て理解出来た自信は無いけれど、自分の中に確固たる思想を持って、それに従って行動することの重要さと意義を思い知らされました。
三島由紀夫について―
没後50年、今も唯一無二の輝きを放つスーパースター…
読書好きとしては、世界的文豪と云う一面が、いちばん身近でした。著作は「潮騒」と「愛の渇き」、「命売ります」の3冊しか読んだことはありませんが、かなり艶かしい文章と描写で惹きつけられるものを感じていました。
それ以外だと、民兵組織・盾の会を結成して軍事訓練にいそしんだり、俳優として映画に出演したり、江戸川乱歩「黒蜥蜴」を戯曲化したり…と多彩な才能を発揮した後、陸上自衛隊方面総監を人質に立て籠って、自衛隊員たちに決起を促し、切腹して果てたことを知っていたくらいで、その人間性まではこれまで知る機会がありませんでした。
討論の最中、始めから終わりまで、真摯な姿勢で学生たちと対等に接し、ユーモアを忘れず、彼らの主張を否定せず、まるで説得するかのように語る…。なんとか言い負かしてやろうと息巻く学生たちの若さ故の勢いに微笑しながら、決して声を荒げず議論しようとしたその姿は知性に満ち、自身を明確に確立した人間そのものに見えました。
カッコいいなと思いました。憧れてしまいました…
[余談]
新型コロナウイルス感染拡大を受けて発令されていた緊急事態宣言が解除されたことで、映画館もどんどん営業を再開。これを機に、2ヶ月ぶりに映画館へ…。危機が完全に去ったわけではないけれど、体がうずいて仕方が無かったです。
映画ファンにとって、映画館と云う場所はとても大切だし、大きなスクリーンで映画を楽しめることの喜びは、やはり何ものにも替えがたいものであることを、改めて実感しました。
私が観た回は貸切状態でした。ほぼ全てがそうだと思われます。得したような気分でもあったし、なんだか寂しいような気もしたし…。日常というものの尊さを噛み締めながら、少しでも状況が好転していくことを祈るばかりですが、矛盾した行動を取ってしまっていることは、充分自覚しています…
言い訳めいたことを書いてしまいましたが、自分なりの感染対策をして、誰もいない回を狙って観たいと思います。
※修正(2022/04/08)
存在は空間か時間か、去勢された日本人に問う。
私にとって、三島由紀夫といえばやはりその最期の場面、1970年11月25日に陸自市ヶ谷駐屯地に立てこもり、自衛隊員にクーデターを呼びかけた後、割腹自殺を果たした人物として記憶に刻まれている。
当時私は小学5年だったが、テレビの映像を鮮明に覚えている。この度、このドキュメント映画を観て改めて三島由紀夫という人の持つ魅力、全身から放たれるオーラがすごいと思った。人を動かす源はやはり、ハートなんだと思う。
その思想性においては賛否両論あると思うけど、あのときの三島は少なくとも現在とは違って、おかれた立場がマイノリティ側だった。彼は楯の会を作り、若者と夢を共有しようとしてたけど孤独だったはずだ。そこが私は好きだ。彼の愛国や天皇観は国家権力と直接的に結びついていないところに惹かれる。
気になったのは、三島の目だ。私には目力というよりは、子供だけに許されているある種の快活さや素直さ、透明感のある澄んだ瞳に見えた。
東大生も三島も当然だけどエリートで、三島自身は嫌がるだろうけど、いくら肉体を鍛えたとしても、当時の炭鉱労働者や水俣で生きた人々に取っては両者とも、お坊ちゃまのママゴトに見えたのではないかと思う。三島は頭でっかち足し算を自覚しつつも、玉ねぎの引き算をやった末に、その存在を時間軸に据え付け、こうして私たちの前に蘇る、そういう自己完結の仕方をとった人だと思った。
この映画に触発されて、人々が1960年代を懐かしんだり、憧れるのではなく、自分の頭で現在の個人と国家との関係を考えてみる、そういう機会になる映画だと思う。
言葉の大切さ
色々な方の思想の発言があるが映画は自体は公平にとらまえて良かった。
現在はでSNS等でコミュニケーションをとったり自己主張する方が多いがやはり相手に伝える大切さは「思い」と「言葉」だと思う。
今の若い方にももっと見て頂き大事な事は直接、お話をする事を勧めます。
大人も若い方の意見を直接聞く環境作りに配慮しないといけないと思う。
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