三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のレビュー・感想・評価
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今世紀生まれの若い人も見てみる価値のあるドキュメンタリー映画
当方、40代のオヤジ。高校2年生の息子と観に行ったが、新型コロナ禍の影響か、我ら父子を含めて場内の観客は僅か3人。所謂「三島事件」については、文学少女(笑)だった私の母(70代。芥氏とほぼ同年齢か)から何度も聞かされていたが、私にとっては日本文学史における重大事件の一つに過ぎないし、まして私の息子は本作の冒頭から「日本で、しかも東大でこんなことがあったのか!」と衝撃の連続であった。鑑賞後、彼からブランキズムやトロツキズム等について用語解説を求められ、知っている範囲で答えてみたものの、これらの言葉は私の学生時代においてもほぼ死語であったように思われる。まして、息子らの世代にとって東西冷戦は生まれるずっと前に消滅し、社会主義や共産主義も過去の亡霊に過ぎなくなっているのであろう。しかし、リーマンショック以降の就職難に喘ぐ若者の有様からマルクスの造語「産業予備軍」が蘇り、共産主義を封じ込めるために結成されたはずのASEANでベトナム社会主義共和国が今や有力メンバーの位置を占め、中華人民共和国が我が国を差し置いて世界第2位の経済大国となってしまった。20世紀に比して随分変容したにせよ、共産主義・社会主義は滅びたどころか、資本主義陣営にとってより大きな脅威に成長したとも言えよう。若い人々も今更知って損はしない知識と考えるが、どうであろうか。
本題に戻る。強烈な印象を受けた要素を3つ挙げるとすれば、芥氏の女装パフォーマンス、全員過剰喫煙(しかも無フィルターニコチンダイレクトのショートピース。芥氏の幼い娘さん、受動喫煙しまくり)、そして三島氏のユーモアと優しさ。全共闘手製の「近代ゴリラ」ポスターの卑猥なイラストを見ても少しも怒らず、「こんな所にのこのこやって来て、全共闘の諸君にカンパすることになってしまった」と初っ端から笑いを取る。楯の会の元隊士たち(彼らが自分たちでどう呼び合っていたのか私は知らないが、彼らへの敬意を込めてこのように呼称する)の思い出話からも、「先生」がいかに気配りが細かく思いやりのある人物かが窺われ、三島由紀夫と言えば「筆を置けば頑迷な右翼で血気にはやる怖い人」という人物像しか持っていなかった私にとって甚だ新鮮であった。咥え煙草に手ずから火を貰う行為は、煙草吸いでも余程気心が知れていないとできないコミュニケーションであり、「言葉と言葉の殴り合い」という割には随分和やかな雰囲気に見えた。三島氏が最後に「諸君の熱情は理解した」と締め括り、晴れ晴れとした表情で会場を後にするシーンも、左右の方向性は違えど過激派同士通じるものがあったことを示すのか、或いは劇作家として予め設定した構成の一部だったのか、ドキュメンタリーの間の絶妙さとも相まって不思議な余韻があった。
ドキュメンタリー映画の編集は資料映像という大きな元ネタがあるからやり易い、などと思う向きがあるかもしれないが、存外難しいのではなかろうか。近年上映された「ニューヨーク公共図書館」のフレデリック・ワイズマン監督のように、海外でも巨匠級の映画人の手に成ることが多いのがドキュメンタリー映画である。インタビュー挿入のタイミングも、一歩間違えれば作品全体が冗長なものと化してしまうし、ナレーションも強い口調で感情を込めればいいというものではなさそうだ。本作が玄人目にはどう映ったのか知る由もないが、豊島監督も、ナレーターの東出昌大氏も巧みであると、私は思う。
最後に、本作鑑賞を機に息子が東大受験志望の決意を新たにした。闘う男たちのせめぎ合いを見て最高学府に入りたがるとはクレージーにも程があるが、まぁ、頑張れ。念願叶ったらサークルの勧誘もあるだろう。「君、いい体をしているな。楯の会に入らないか?」
行動を伴った言葉の応酬
画面から、三島も、全共闘の論客たちも、その発言の内容から、膨大な知識と情報を自ら咀嚼して、教養としている事が伝わってくる。
何より、デモや楯の会など、行動に裏打ちされた言葉には、陳腐な反論を許さない強固さがあった。そして、三島が全共闘の行動の一部を、支持すると発言しているように、互いに認め合う寛容さが、逆に言葉の応酬を先鋭化させているように思えた。やはり、活字や音だけでは分からない、映像でしか伝わらないものを、改めて感じさせてくれた、良質のドキュメント映画。
それに比べ、匿名に隠れて、他人の発言を受け売りして、平気で相手を誹謗中傷する、昨今のネトウヨなどの、愚劣な連中の言葉が、本当に何の意味も価値も無いという事が良く分かる。
戦争を知らない子供達を知らない子供達
今年に入ってひと月に約10本のレビューを上げてきました。全て劇場鑑賞です。
そして・・・このご時世です。都内、近県の映画館は全て休館になりました。茨城県まで行こうかなと、少し思ったんですよ。
しかし興行のスケジュールが遅れてるんで今
公開中の映画はほぼ観ている!それに茨城の方の声が聞こえました。
東京もんが!こっちまでくんじゃねえっぺよ!このごじゃっぺ(馬鹿の意味)が❗️
確かにそうだ。私が愛する茨城がクソ東京もんから汚染するのは我慢ならない。だから我慢する。行かない。・・・と言ってる間に茨城の劇場も休館だよ!
それにコロナ禍の最前線で命掛けで戦っている
医療従事者の方に比べれば外出が出来ないだけで嘆いているのは甘えている。ふざけるんじゃねえよ❗️さしずめ・・・
あまえんぼう将軍だ❗️
私は映画が好きだ。しかし気づいてしまったのだ。映画と同じくらい映画館も好きなのだ。どこへ連れて行ってくれるのか?どんな時代なのか?どこを刺激してくれるのか?
しかし、しかしだ。今、この時である。会社からは自宅待機を命じられている。映画館は休館。私が良く行っていた喫茶店、居酒屋、水族館、動物園、美術館、神社仏閣。猫カフェ。フクロウカフェ。ハリネズミカフェ。全て休業だ。心が風邪をひいたようだ。
私は我が家の愛猫に慰めて貰う事にした。方法はこうである。まず愛猫の脇を掴む。その後、私の頭上にそのまま掲げる。そして・・・
♩しんぱーい ないさーー♩
ライオンキングかよ❗️いい迷惑だよ❗️
愛猫と一緒にいられる時間が増えたんでよしとするか。
と言うわけで枕が終わりです。ドキュメンタリーなんでネタバレとか関係ないんですがこの先は読まないでいいです。それから中身は薄いです。
私は映画を観終わったあと気づいてしまったのだった。三島由紀夫の事は何も知らなかった。
動いている三島、話をしている三島。初めてだった。本も一冊しか読んでいない。しかも内容は覚えていない。(午後の曳航)
そこで本屋に行った。一冊くらいは読まないと何も言えない。「憂国」を読んだ。内容は226
事件の外伝である。短編で若い軍人の夫婦の話である。同僚が226事件を決行したが新婚なので忖度され呼ばれなかった。
同僚の軍人はクーデターに参加した咎(とが)で死刑。若い軍人夫婦は仲間に殉じる事にした。つまり切腹をする。その描写も絶妙に主観と客観を混ぜているので、とにかく生々しい。
三島由紀夫は解説も書いている。軍人として大義を果たした夫婦に自らの創作ながら羨望を感じている。短編映画も作っている。私は三島由紀夫の最期を知っているので複雑な気持ちになった。
映画の中の三島由紀夫はジェントルマンで本当のインテリだった。相手の抽象的な質問にもしっかり答えている。
対する東大全共闘の芥正彦は失礼な人だ。のっけから「あなたは敗北者だ」とレッテルを貼る。時代背景からチェーンスモーカーなのはいいが(三島由紀夫もだが)赤ん坊を連れて来るな。
赤ん坊が可哀想だよ。少しだけほっこりしたけどね。
どうもインテリらしいが芥正彦の最大の能力は
人の話を聞かない力だ。テレビ朝日の玉川徹以上の力。しかもじじい(失礼)になっても、その力は健在である。もし会ったら言ってやりたい言葉がある。
じじい、いい加減大人になれよ❗️赤ん坊の方がちゃんとしてたよ。
私は正直、抽象的な話が続くと飽きてしまう。
基本的に馬鹿だからね。ビーフ? オア チキン?くらいわかりやすく、スッと言ってくれよ。
インテリ野郎め!
例えば私が抽象的な質問を受けたとする。
「人はなんの為に生きているか?」
こう答えるだろう。
えっ?なに?お前難しい事を聞くね。あのさ〜
長く生きていると、あー生きてて良かったな〜
って思う事があるよね。そういう時の為生きてるんじゃないかな?
それ寅さんですから❗️
ま、まずい・・・最近、毎週土曜の夜にBSで男はつらいよを観てるんで影響されてる。
と、言う事で映画館で観た映画はしばらくは有りません。考えたのですがDVD視聴もレビューを書かせて頂きます。
こんな駄文を読んで頂きありがとうございます。
言霊とはを教えられました…
三島由紀夫…名前を読むだけで、
何とも上品で、知的で、かつ、
魅惑の響きがあります。
東大生千人の熱気湧き立つ
若き活動家達を目の前に、
三島さんは一人向き合います。
頭の良い方々の言葉の応酬なので、
少し気を抜くとポカンと置いてきぼりに
なるので、集中力が必要でした笑
右とか左とか、
難しい事は私にはわかりませんが、
学生さん達も三島さんも
矛盾だらけの今の世の中を良くしたい、
今のままではいけないんだ
という、熱い思いだけは共通して
いたのだと思います。
方向は違えども、1番大切な思いは
同じだからこそリスペクトし合い、
暴力ではなく、言葉によって戦う?
という高貴な形が成り立ったのではないかと。
それは、今の世の中に1番足りていない
事であると感じました。
今の若い学生さん達が見たら、
どう感じるだろう?ふと聞いてみたく
なりました。
三島氏が、君達の熱情だけは信じます。
という言葉通り、多くの学生達は
その後公務員等の安泰の道に落ち着き、
三島氏は自決。熱情だけではなく、
覚悟をしていたのは、三島氏の方
だったかもしれません。
それに比べ、今の国会などは、
お互い中傷し合い、下品なヤジが飛び交い、
まるで学級会レベルだと感じます。
いや、まだ小学生の子供達の方が
立派な論戦を交わしているでしょう。
言葉には魂があるから言霊。
発する言葉に気をつけなければと感じました。
言葉で人に話すこと、思いを伝えることの大切さ、
また相手の思いも言葉によって、
受け止め、咀嚼し、そこから
生まれる相互理解の大切さを
改めて教えられた作品でした。
夢想
鑑賞後、ピースを買って吸った。
芥氏と三島氏があの時感じていた味というものを知りたかったが、あの様々な煙草が燻る空間ではないと無理だと知った。
いや、もし仮に映画館の中で様々な煙草を観客が火をつけて見ていたとしても、あの世界に溶け込むことは難しいだろう。
それ程までにあの時代の主義・思想は色濃く、今の時代をのんべんだらりと生きる私には届かないほどの『個』があった。
政治を語ればすぐに右だ左だと言われるこの時代で、どんなイデオロギーを持つか。
きちんと知識をつけてもう一度見たい。そう決意した一本でありました。
この映画の“全共闘”って何だ?
あらかじめ「三島由紀夫全集 40」のテキストで読んで、“観念的で退屈な討論会”という印象だったので、それをどう料理するのか興味があった。
ところがこの映画では、学生側の発言は大幅にカットされ、また、三島と学生との話は“かみ合ってなかった”のに、“かみ合っていた”かのように編集している。
自分は、小熊英二「1968」や山本義隆「私の1960年代」を、斜め読みした程度の知識しかない。
そのせいか、「東大安田講堂事件」から3ヶ月以上経った中で、この「奇跡的な中立地帯」900番教室に詰めかけた“全共闘”たちは、「一体、何者なのか?」がよく分からないのだ。
様々な組織やセクトがあった中での、“全共闘”という大きな連合体ないし一つの組織のはず。その点の解説なしに、「vs東大全共闘」もへったくれもないのである。
例えばこの映画では、「随一の論客」で「芸術至上主義者」の芥正彦を、あたかも“東大全共闘”の代表であるかのようにフィーチャーしているが、適切なのか?
橋爪大三郎が「“政治”はもはやNGだから“文化”。古くさい知性を燃やす」ために三島を呼んだと語っているから、芥が出てきても良いのだろう。
しかし、芥はしょせん、まとまりのない討論会を面白く見せるために選ばれた、キャラの立ったキャストだ。彼の「解放区」は、おそらく彼の演劇の中にしか存在しない。
映画の中で論じられたテーマは、天皇論を除けば、「言葉の有効性」、「非合法の決闘」、「他者の存在」、「生産の場としての自然」、「解放区」、「行動の無効性」などと記憶する。
これらの哲学的談義は、いくらか“全共闘”の活動理念と関わり、また、いくらか“三島”的であっても、少なくとも当時、“東大全共闘”が掲げた現実的要求との関連性は乏しいはずだ。
さらに言えば、すでにこの時期には、“東大全共闘”そのものが矮小な存在ではなかったか。
いろいろな解説や証言が出てきて、いささか冗長ではあるがバラエティ豊かで、背景も含めて分かりやすいところは良かった。
瀬戸内寂聴が出てくる意味は疑問だが(笑)。
人選にも、おそらく問題があるはずだが、自分にはその是非は判断できない。
ただ、平野啓一郎の解説には、私見が入っているはずだ。
また内田樹は、60年安保からの流れに言及して、「三島と全共闘は、反米愛国運動で共闘できる」と見るが、見当違いだと思う。
この作品の見どころは、単純に“実際の状況が分かる”ということに尽きると思う。
「三島全集」では、“全共闘A”(木村修)とか“全共闘C”(芥正彦)などとしか書かれていない。
三島は不敵な笑みとタバコで、体面を取り繕っているが、とても自然体で、もはや迷いなどないように見える。
しかし、こんな恣意的な編集映像からは「圧倒的な<熱量>」など感じられなかったし、「50年目の真実」というほどの新事実もないはずだ。
三島の発言は多く収録されており、面白かったことは間違いないが、“東大全共闘”側の実態が乏しいことを考えれば、映画の題名は誇大な宣伝である。
よかった
三島由紀夫が単身、敵だらけの東大生がいる教室に乗り込んで講演をする。東大生の卑怯な感じがひどい。芥という学生が赤ん坊を抱いて三島と対峙して、セルフプロデュース感がすごいのだけど、後からご本人登場で、すっかりお爺さんの彼が未だに負け惜しみのような事を言っていて残念だ。
それにしても討論内容がどうしようもなくつまらない。どうでもいいような観念的な内容で、よく会話のキャッチボールが成立していたものだ。頭がよすぎるのも問題がある。
筋肉ゴリラってジャイアンのこと?
熱量がビシビシ伝わってきた900番教室。序盤には楯の会が潜入していて、何か起こったときの場合を想定していたという裏話や三島の覚悟が伝えられる。たしかに右翼と左翼との直接対決。壮絶なる討論、ヤジ、罵倒があるのかと思っていたのに、こんなに平和的に進んでいたということに驚きました。暴力否定は訴えてない。双方、暴力革命や反革命という命題があったはずで、暴力を禁止していないのだ・・・
前半は“机”をモチーフにして哲学的思想を論ずるという、まるで政治とはかけ離れた討論が続くが、“解放区”、空間、持続といった三島の作品にも切り込んだような内容が面白い。そして学生側の赤ん坊を連れた芥氏の登場によって、芸術至上主義の彼から発せられる言葉が難解ながらも脳内を刺激してくれる(つまり完全理解は不可能)。
自分が小学校低学年の頃、三島について親に質問したことがあった。「立派で正しいことを言っていても、自殺で死んでしまったら何にもならない」という答えを記憶しているのですが、持続と相対する瞬間を重んずる三島だったからこそ、こうした行動に出たのであろう。つまり、認識と行動のうち、ようやく行動に出たのだと。
今の世でここまで熱弁を交わすというのは朝生とかあるのだろうけど、単なるアベ擁護派と反対派の議論でしかなく、田原の恫喝によって結局はうやむやになる番組だ。東大駒場キャンパスでは人間の本質にまで迫る激論でもあり、“反米愛国主義”というお互いの共通項があるからこそ成り立っていたのだ。「共闘しましょう」「拒否する」という、相互に尊敬の念があるからこそ出てくる会話。天皇論に至ってはさすがに違いは見せるが、同じ壇上で討論できたことは歴史に残る出来事だった。さらに進行役を務めた木村修の後日談がなんとも人間愛に満ちていて微笑ましく感じられた。
語り口が優しかった
・三島由紀夫に対して割腹自殺した印象しかなかったので、ああいう語り掛ける話し方なのかと特に意外性とかもなく普通に誰かに語り掛ける口調として当たり前に見えた。当時の空気感っていうのが冒頭で色々と説明していたけど、全員ちゃんと着席してちゃんと話を聞こうとしてたし、そんなに大げさに対立してたのかなと思った。後々の説明で命の危険もあったというのが想像できなかった。
・他者とは?についてサルトルを引き合いに最もエロスを抱くものは縛られた女性の裸体(だったはず)でそこには主体を抱いていないからで…というような事だったと思うのだけど、AVをエロいと感じるけど、いざ自分がって時はAVを観ているときに感じるエロさはなくなってて一体エロいって何だろうって疑問に一つ答えをもらえた気がした。でも、あの話と通じているのかはわからない。(エロスの対象はただエロくてどこどこの誰々という事はないっていう意味であってたのかな?)
・途中から横についた芥氏が人間が決めた事を全否定して根源的な人間であるべき(あってるのかわからないけど、そういうような事を言っていた気がする)に対して、三島由紀夫は日本人である事を外すことはできないと断言した辺りから芥氏の言動が続き、印象に強く残った。
・話の内容が難しくて聞いている間はそういう事なのかなと理解できた気でいたけど、振り返ると三島由紀夫がちょいちょい挟むジョークが面白いなぁっていうのと東大生が猥褻になるのを嫌っているのと話し方が論理的にしゃべる人が一番強いような感じで言葉の選択に緊張感が凄くあった。反面、三島由紀夫はスラスラと理路整然と自分の考えを述べていて演説慣れしてるなぁと思った。
・反知性主義や非合法の暴力に出るしかない時もあるなど聞きなれない言葉を知られて良かった。
・楯の会っていうのを知らなかったのでああいうことしてたんだと驚いた。
・今の元全共闘や元楯の会の人たちが語ったり、三島由紀夫の映像を観ていて当たり前だけど、やっぱり生きてたんだなと思った。
・言葉の力が一番強かった時代っていう話になり、三島由紀夫はその力がなくなったことを諦めて割腹したのかなと思った。
・戦争の時に天皇と一体感が三島由紀夫のそこへ懐古しようとしているのではというのが興味深かった。
圧倒的熱量
今たかが18歳しか生きてない私にとってここまで政治に熱く語れる人がいたなんて信じられませんでした。
今現代、酔っ払って政治家に文句を散らす人などは見かけますが正々堂々と相手に敬意を表して語り合う姿は現在では見られないものだと素直に思ってしまいした。
今現代、私たちの中にも政治へ無関心、放棄した人は多くいたと思います。私も国民としてやっぱり政治への関心や理解を深め、一意見を出せるものになれるようにならねばと焦る作品でもありました。私は三島先生を尊敬しています。政治思想とかそうゆう話ではなく一人の作家として一人の表現者として尊敬しております。私もこれからを生きて表現することを選んだ人間なのでこの熱量を今!受け取れたことに感謝と敬意を示します。
芥正彦は負けたのか?
私が生まれた頃、世の中ではこんな大きな論争が起きていたなんて。
歴史の教科書で(サラッと)学んだものとは違う。パワフル&バイオレンス。
知と知がぶつかり合う現場の雰囲気が伝わってくるのは、ドキュメンタリーならでは。
浅学のため非常に難解で、わからない単語、概念がたくさん登場。
大学闘争後、ほとんどのものが無難な進路に進んだが、芥は1人だけ我が道を行く。
どっちの選択が正しかったのか?
少なくとも芥には同感できない。
当時三島は44歳であった…
もう50年以上前、正確にいうなら1969年5月にあった「イベント」の記録ですよ。
ビデオで撮影していたら、とっくに消えていたかもしれない映像資料をよくぞTBSは映画にしたものだ。
本編を見る分には、三島はメモの類を一切見ないで東大生と討論しているのだ。
アタマよすぎ!! 旧制学習院高等科で恩賜の銀時計をもらい、東京帝大法学部を出て大蔵省に入った頭脳的優秀性が理解できます。
それはともかく、今こんな芸当ができる44歳の人っているだろうか?
自分以外すべて敵という中で、討論できる人。
お笑い芸人なんかだといるだろうけど、彼らに形而上学的言辞を操りながら、相手を説き伏せるようなことはできんでしょう。
かといって、学者や文学者にもそんなことはできまい。京大出の本作にも出ている平野啓一郎あたりなら可能だろうけど、彼にマッチョ的な道化の仮面をかぶったうえで、そんなことはできない。
かつて、日本にこんな人間がいた。
かつて、日本でこんな議論を仕掛ける若者がいた。
その事実の記録が存在することを知るだけでも、この映画を見る価値がある。
鑑賞した劇場は、中高年から老人がほとんどだったが、若い人ほど見てほしいね、。
「知らないからいいや」とスルーするには勿体ない!!
三島由紀夫?東大全共闘?「知らないからいいや」とスルーされそうなドキュメンタリー映画ではあるが、その考えでスルーしてしまっては絶対に勿体ない作品である。
仮に知識が全くなくても「言葉」のもつ圧倒的な力、熱量というものを感じずにはいられない作品となっている。
左翼思想と右翼思想が対立してるだけという次元のレベルではなくて、人間の持つ思想の根源や存在する意味、自と他の関係性を1960年代後半をリアルタイムに生きている若い世代と、戦争というものが当時の日本国民の脳裏に植え付けた国の運命と自分の運命が共同体であるという思想が敗戦によって「無」とされてしまった日本人との決して交わらないジェネレーションギャップによる物の考え方は理解し合えるかというと難しいし、人によっては自分の思想・主張こそが「正しいもの」と部分のフィルターを通してでしか考えられないために、制圧や暴力という良からぬ方向に傾いていまい、その様な意見のぶつけ合いは、平行線でしかない。
今回の討論会が互いが自分の意見ばかりを主張して、相手の発言を全く受け付けないようなものだったとすれば、暴力事件に発展していたのかもしれない。
しかし、三島も東大全共闘の面々も互いの意見を受け入れて、その中で分解していくスタイルは物事の考えた方が違う者も理解し合えるという希望をもったものではあるが、討論会から50年経った今、残念ながら希望は希望のままに現実には近づいていない。
この討論会は全部理解するのは、正直難しい部分もある。数々の芸術的文学作品を生み出してきた男と東京大学の天才達の発する言葉の数々や引用元は実際にこのドキュメンタリーに登場する人物たちもすべてを理解できている人は少なく、ある程度の憶測をするしかない部分も含まれている。
確実に言えることは、令和の今を生きている人たちにとっても、突き刺さるほどの刺激を与えてくれる討論会であると言えるだろう。
ドキュメンタリーの枠では全然収まっていない、ある種のエンターテイメントとも言える作品であろう。個人的に、こんなに刺激を受けた討論会というのは初めて観た。
当時、この討論会の様子を映像として残していたのは、TBSのみで長い間行方不明状態とされていたために、この討論会を映像で観るというのは、不可能に近かったのだが、TBSが2019年にフィルムを発掘!!
ウェブ上やニュース番組等で3,4分のものを小出しにしてきてはいたが、ここまでの長い映像を観られるということ自体も非常に貴重な体験ができる映画と言ってもいいだろう
セレモニーとしての物足りなさも⁉️
これ以前ドキュメント等で知ってたのでこんなもんと分かってたがやはり観る側としては一触即発的なものの方が面白い 双方ともバカじゃ無いのでその点は事前にある程度は打ち合わせてたのか?ただ終始ジョークも交え和やかな雰囲気 議論としては理想論を述べるたけでテレビタックルや朝まで生テレビ 国会答弁の様な現実的な激しいやり取りも見たかったが❗
潔く圧倒する姿勢。
素直にただ圧倒された。三島由紀夫のカリスマ性に。
ユーモアを交えた発言と学生との対話を愉しむ姿勢に。
観ておいて良かった、知っておいて良かった、こんなご時世にこそ観ておいて
篤になるドキュメンタリー映画だった。私は三島由紀夫が生きた世代ではない
ので、彼のことは作品と自決したこと以外はほとんど知らなかった。とにかく
その発言の言葉遣いの美しさが心に残った。自分を論破しようと息巻く学生を
相手に、きちんと礼節を以て話を聞き、応える。時に笑いが起こり、まさかの
和んだ風景が幾度も映し出される。内容はかなり難解な言葉の応酬で、なんで
そこまで事物に拘る必要があるんだ?と思うくらい、しつこく繰り返されるの
だが、全共闘の論客・芥正彦氏とのやりとりが筆舌もの。ご存命の三人が当時
を振り返り解説をしてくれるが、この芥氏だけは今でも目力が強くかなり怖い。
議論の内容よりも、討論とはこういうもの。こう来たらこう返す。相手の顔を
見て、真直ぐに、自分の言葉で。という姿勢が潔く心地よい。三島を論破する
ことが目的の学生たちは時に侮蔑を交えた発言もするが、三島は平静にかわす。
この繰り返し。どんな高度な知性もやはり彼には叶わないよと思わせてくれる。
遺されたフィルムによるドキュメンタリーを、元東大全共闘、元楯の会、現場
にいた人、親交のあった人、そして三人の文化人が解説していく構成が非常に
観やすく纏まっているので、観た人それぞれに想いを張り巡らすことができる。
私はこの三島由紀夫の言葉をもっと聞いていたかった。今彼が生きていたなら、
顔を見せない誹謗中傷や罵詈雑言に、どんなユーモアで返してくれただろうか。
三島由紀夫は知らない
28本目
著書を1冊も読んでない状態で鑑賞
結論から言えば、三島由紀夫という存在は、この映画だけでは恐らく語り尽くせないくらいの人外なんだろうな、ということ
劇中でもあったけど、天才でもありスーパースターという表現が、あながち間違いではないというのが、討論のスタイルから滲み出てた
言い負かすわけでも、話の腰を折るわけでも、ましてや揚げ足を取る訳でもなく、相手の言い分を全て飲み込んだ上で最後は三島由紀夫の世界になる
そんな映画というかドキュメンタリー
ただ、当時のエネルギーかもしれないが、思想がガチガチな印象を受けた
(東大にも三島にも)
それに比べると今の世の中は平和だね
全204件中、101~120件目を表示