パピチャ 未来へのランウェイのレビュー・感想・評価
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伝統を否定せず作り変える
アルジェリアの90年代の内戦時代の物語だ。女性は自由な服装が許されない、主人公は伝統布のハイクを使ったドレスを作り、ファッションショーを開催しようと奔走する。ハイクを着ている主人公の祖母は、その昔フランスの植民地支配に抵抗するために戦った経験を語る。ハイクの下に銃を隠して男と並んで戦って、独立を勝ち取ったのだと誇らしげに語る。しかし、内戦時代には、テロリストがハイクの下に銃を隠して、ジャーナリストを殺している。主人公は、さらに銃を隠すことのできないドレスに仕立て直すことで、伝統を重んじ、なおかつ自由の大切さを訴える。
祖国がどんなにひどくても愛はある。国を出ようと持ち掛けられても主人公は動かない。国を愛しているからこそ、良い方向に変えるために戦うのだ。本当の愛国者は国の恥部に目を向ける勇気を持った人のことだ。作り手の祖国に対する愛をひしひしと感じる傑作だ。
90年代アルジェリアの圧倒的状況と対峙するヒロインの姿に胸が張り裂けそうになる
この不思議な語感のタイトルは何を意味するのだろうか。そんな微かな疑問を胸にしながら、本作を観た。見始める前の私の印象としては、躍動感に満ちたガールズムービーといったところだったかもしれない。確かに、大学の女子寮を飛び出してナイトクラブへ向かう冒頭の描写には、何かが始まりそうなワクワクがほとばしる。だが、次の瞬間訪れるのは、検問での手厳しいやりとり。90年代のアルジェリアが置かれていた現実を突きつけられる場面だ。イスラム原理主義者による締め付けも至るところに。この物語には、かくも一人の少女がもたらす目覚ましい躍動感と、それを叩き潰そうとする圧力とが痛いほどスパークしている。「ファッションデザイナーになりたい!」という一途な思いが、単なる勇気や情熱を超えて、命がけの行動と化していく様に胸が張り裂けそうな思いがした。アルジェリア出身の監督と主演女優との共振関係が実を結んだ、力強い一作と言えよう。
女性の意思を縛り付ける拘束衣
ファッションは人にとって自己主張そのもの。どんな服を着て、どんな髪形をして。それを自分の思うままにできることが当たり前ではない世界がある。
それを黒い布で覆い隠そうとするヒジャブはまさに女性の自己主張を封じ込めようとする拘束衣に他ならない。
古代から人間社会は男性優位社会。人類最古の差別は女性差別であり、それは今も続いている。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは女性は男性に劣るものと公言していた。そしてそのような考えは世界宗教の誕生でその教義を曲解することでより強固なものとなっていった。
イスラム教には女性はきれいな部分を隠すようにとの教えがある。なんとでも解釈できる文言だ。心がきれいであれば普段はそれをひけらかさずに内心にとどめていなさいとも解釈できる。
しかし、この教えを男社会は自分たちの都合のいいように解釈し、女性を都合よく支配したいがために女性は髪や肌をむやみに露出してはならないとしてヒジャブの着用が古くから風習として残った。ただ、このような風習はほとんどの世俗化したイスラム教圏の国では任意であり強制されることはない。
そもそも何を着てどのような髪形をするかは自己決定権として保障されるべき人権の最たるものだ。これを制限するようなしきたりなどあってはならない。
この作品が公開された後、イランではヒジャブの着用をめぐって逮捕された女性が亡くなるという事件が起き、国内は反政府デモで揺れ動いた。
イラン革命後イラン政府は西側諸国の影響を断ち切るためにより堅固なイスラム社会建設を目指し、イスラム教の戒律を厳格に守らせるため取り締まりを強化していた。
ちなみに取り締まる道徳警察の言い分には苦笑してしまう。我々は女性が肌を露出することで男性から襲われるのを防いでいる。女性を守るために取り締まりをしているというのだ。しかし、拘束された女性のレイプ被害は後を絶たないという。それに男性が女性を襲うのは肌を露出しているせいだというのはお得意のすり替えでしかない。日本でも女性DJがファンに触られる被害があったが巷では同じような言動であふれていた。
当たり前のことだが悪いのは襲った方だ。ただ、イスラムの国ではいまだにレイプされた女性の方が加害男性より厳しく罰せられる悪しき慣習が残っている。
多くのイスラム教圏の国々では西洋化はもはや止めることはできない。それは自由平等を意味するものだし、人々は一度味わった自由平等を手放すことはできないだろう。
今でもアメリカを敵視するイラン政府はヒジャブ着用を間接的に強制する新たな法律を制定しているがイランの女性たちはそんなイラン政府のジェンダーアパルトヘイトに対して今も命がけで戦っている。
本作の舞台アルジェリアもイスラム教の国ではあるが、過去には女性の人権に理解ある統治者によって西洋化が進められてきた。しかしフランスから独立後、内戦ぼっ発で過激なイスラム原理主義者たちによって混沌とした時代に突入する。
テロによる市民やジャーナリストへの無差別殺戮が絶えないそんな時代、デザイナーを志す主人公ネジュマはジャーナリストだった愛する姉の命を奪われる。そんな悲しみの中、彼女は学内でのファッションショー開催を計画する。
彼女の住む街は徐々に過激派の手が伸びてきてヒジャブ着用を強制するポスターが次々と貼られて、ついには学内にまでそれは侵蝕してくる。
街中の壁面には戒律を破って罰せられた女性が書かされたであろう「生きててごめんなさい」の文字が。
洋服に使う装飾品店はいつの間にかヒジャブ専門店に様変わり、学食のジュースには性衝動を抑える臭化カリウムが混入される始末。
まるで世界が宇宙人に侵略されるSF映画を見ているよう。まさに彼女の住む町は監獄のような様相を呈するようになる。
そして同じ学生の男子たちも過激派たちと同じような偏見で女性を見ていた。ファッションショー開催はそんなこの国の現状に対する彼女なりの必死の抵抗だった。
そして仲間たちの協力でファッションショーは無事開催されるが、その時衝撃的な事態が起きる。
この物語自体はあくまでフィクション。でも実際にこのような無差別テロで多くの市民が犠牲になった。本作の監督は安全のために家族とともにフランスに移住したが何か後ろ髪を引かれる思いがあったんだろう。ネジュマは移住のチャンスがありながら母国に残り戦うことを誓う。それはまさに監督が自分の思いを主人公に託したんだろう。
彼女の挑戦は悲劇的な結末を迎え、救いのないラストかと思ったが、生き延びた友人のおなかの子供は無事だった。新しい命の誕生を思わせる場面で本作は幕を閉じる。この生まれてくる子供のためにもこの国の未来のために戦っていこうという監督の思いが伝わってきた。とても見ごたえのあるいい作品だった。
ところで日本の女性差別はここまでひどくないにしても、やはりジェンダーギャップ指数は世界で125位。アルジェリアは144位だという。
最近母子家庭の家の子供は三食食べれないという募金の広告を目にする。父子家庭ではあまり聞かない。これは明らかに女性に対する職業差別を続けてきたことの結果だろう。女性への差別の結果、国の未来を担うであろう子供たちが貧困に苦しめられている。女性差別が国の未来を危うくしているのだ。
過去のアルジェリアでは女性の労働力も国を支える貴重なものとして女性の社会進出を推進していた時期があった。その点ではアルジェリアは日本より進んだ国といえるだろう。
【アルジェリアを舞台に命懸けでファッションショーを行った女性を描いた作品。アルジェリア出身女優リナ・クードリが常識に捕らわれない自由な女性の存在を演じ、彼女の存在を世に知らしめた作品でもある。】
■1990年代、アルジェリア。
世界中の女性の服を作るデザイナーを目指す大学生のネジュマ(リナ・クードリ)は、ナイトクラブで自作のドレスを販売している。
だが、イスラム過激派の台頭によりテロが頻発するアルジェでは、ヒジャブ着用を強制するポスターが貼られるようになる。
◆感想
・今作は自身があるジェリア主身であるリナ・クードリの魅力満載作品である。
・ヒジャブを被らない女性に対する、日本の第二次世界大戦中の”華美を諫める夫人たちの姿が被る。
- 今でも行わている“名誉殺人とアラブ地域で行なわている言う行為”ー
<今作は、アルジェリア“暗黒の10年”を舞台に、命懸けでファッションショーを行った女性達を描いた作品である。
更に言えば、アルジェリア出身の新進女優、リナ・クードリの存在を世に知らしめた作品でもある。>
観出したら止まらなくなった。国と宗教が違えばこんな現実世界があるのです
冒頭から若さ弾ける女の子たちのエネルギー。
仕事上がり、タクシー車内で着替え、おめかしして、いざ夜の街へ!
何が始まるのか?と、こちらも心浮き立つのは束の間で、銃を備えた兵たちの検問に凍りつく。
ここはアルジェリア。90年代の。
イスラム原理主義に支配され、女の服装にまで厳しい目や規制がある中、勝気な女子大生の主人公ネジャマは、持ち前のファッションセンスと裁縫の技術を駆使して素晴らしく素敵な服を作り出す。ナイトクラブの女子トイレでこっそりと注文を取り、生地を決め採寸をし、小さなビジネスを行っていた。
この子はもってるな〜 いい美的センスしてるし、何より意志が強い。まっすぐで澄んだ瞳がそう語ってる。
「人の言いなりになんてならないよ」と。
それが、ある悲劇に見舞われ、悲しみのどん底へ。
これには泣いた。酷すぎる。
悲しみ抜いた後に彼女が行動したこと、それは女子寮での禁断のファッションショー。
仲間の女の子たちもいい味出してるんですよね。
みんな辛い目にも遭ってるんだけど、慰め合い、共に闘う決意をする。
さまざまな苦難の中、ようやく迎えたその日・・・
軽い気持ちで観だしたら止まらなくなってしまいました。
「簡単に屈しない強さ」
「本当に大切なものを守る信念」
自分の国を愛するからこそ、逃げずに闘う。
今のコロナ禍の中の日本人、目立たないように国の言うことを聞いているだけ。
非難されたくない、人と違うことをしたくない、嵐が過ぎ去るまで大人しくしていれば大丈夫。そんな大人ばかりだから・・・
この映画を観てなんだか勇気づけられた気がします。
バピチャとは、アルジェリアのスラングで「愉快で魅力的な、常識にとらわれない自由な女性」という意味だそうです。
実話を元にしているらしく、彼女たちのその後が知りたい。
男尊女卑。
自由で魅力的な未来を願います
90年代のアルジェリア内戦下で生きる普通の若い女性達の姿が切なくて、切なくて…
息が詰まりそうな重さを感じながらも
ファッションデザイナーを夢見る主人公の女子大生を通して自由への解放や女性蔑視…
女性監督ムニア・メドゥールの冷静かつ力強い造りは実に見事でした
ファッションショーのシーンは魅力に溢れた女性達の生き生きとした笑顔が自由へのランウェイに重なったが…悲劇へと…
が、結末の彼女達の穏やかかつ希望に溢れる微笑みに常識にとらわれない未来が見えた気がしたのが救いであった…
ゆっくり、ゆっくり進んで欲しいと祈りを込めて…
哀しい事に今でも世界のどこかで起こる悲劇を
改めて知り見つめ、考える事が自由過ぎる国に生きる私達の役目だろう
未来へ向かって解放と自由を魅力的に演じた
リナ・クリード!彼女の女優としての未来も楽しみだ!
イスラム原理主義
女子大の中は不自由さは感じられなかったが、いざ外出してみると恐怖がいっぱい。バスの中ではかつての人種差別のように扱われてたし、冒頭の白タク検問も怖かった。行きつけの洋裁材料店でも「女性は・・・」と自立女性を蔑視するかのようだった。
パピチャという言葉は初めて知ったけど、アルジェリアのスラングで「愉快で魅力的で常識にとらわれない自由な女性」ということらしい。主人公ネジュマの家庭は男がいないため、女性は自立しなければならないということもあって、大学で勉強しながらファッションデザイナーを夢見ていた。そしてある事件をきっかけに寮内で「ハイク」だけのファッションショーを開く決意をするのだった。
テロの怖さも伝わってくる中、それが原理主義の男尊女卑の思想によるものだけじゃないことが辛辣だった。伝統的なヒジャブを纏った女性たちによる乱入なんかがあったり、門番ポパイによるセクハラがあったりで、もう頼る者がいない。極めつけは恋人になりそうだった男に「嫁にしてやる」みたいな高圧的なプロポーズ。そしてファッションショーがこじんまりと成功するかと思っていたら・・・
イスラム国の、しかも過去の話だからといって、他人事のように思ってはいけない。今の日本、特にオリンピックに関しては女性蔑視やジェンダー差別の問題が浮き彫りになってしまった。根強く残っている日本の家父長制度と差別。どこに「多様性と調和」があったのだろう?復興五輪ってどこにあったのだろう?利権がらみのオリンピックを強行したためコロナまで蔓延してしまった。アルジェリアの宗教による分断に近いものがあったのではなかろうか・・・と、いつの時代にも息苦しさがあるものなんだと妙に共感してしまった。
息苦しさは私も同じ
本作の舞台である90年代のアルジェリアよりは、命を取られないだけマシですが、女性の息苦しさは日本も似たようなもんだと思い、ネジュマ達に共感しました。
彼女達が自分の意思を持って好きなことをしたいと思うのは、今となっては当たり前の考え方です。でも、まだまだ女性の意思決定を許さない家父長制も沢山残ってますよね。いやー、お爺さん天国恐ろしい。我が祖国ニッポン。
文化や環境が違う国に育っても、女性が感じる生きにくさが時代と共にどんどん表に出てきて、例えば女性監督がこういったテーマを扱う作品も沢山制作されてきて、もういい加減色々と変わる時期なんですよね。本作に出てくる女性達も含めて、沢山の犠牲を払いながら少しずつ少しずつ前進していると思います。この際だから、日本の権力を持ってるお爺さん、引退して優秀な女性に席を譲って下さい。
私はテクノロジーの進歩で、力仕事が少なくなってきたから、女性の社会進出がしやすくなったと感じています。今後、生理、妊娠、出産から解放されれば、女性はもっと活躍できると思うので、そんな未来が楽しみですし、そんな未来を作りたいです。
鬱屈した生活を虐げられているイスラム教国の女性達
“失われた10年”に蔓延する不寛容を真正面から描いた凄惨な青春映画
舞台は90年代のアルジェ。ファッションデザイナーになることを夢見る女子大生のネジェマは深夜に女子寮を抜け出してナイトクラブに繰り出しては自作のドレスを友人達に売っていた。束の間の自由を謳歌する彼女達の周りに蔓延し始めるのが急進的なイスラム原理主義。ヒジャブの着用を強要し、フランス語を排斥しようとする風潮は彼女達の通う大学や女子寮にも押し寄せてくる。そんな不穏な空気の中で響いた一発の銃弾をきっかけにネジュマは女子寮のカフェテリアでファッションショーを開催、アルジェリア伝統の布地ハイクを使ったドレスを発表することを決意するが、その試みは自分達の生命を脅かす危険との戦いでもあった。
“パピチャ”とはアルジェリアのスラングのようで“そこのキレイなお姉さん“的な意味。ヒジャブを纏わず自由な服装で街を歩くネジュマを執拗にナンパする男が何度も何度もこう呼び掛ける様は、イスラム教の教義を女性を支配するために恣意的に解釈する原理主義者達の偽善を端的に表現するもの。本作に登場する男性は全員クズですがヒジャブ強要のビラが張り巡らされた街やキャンパスで拳を振りかざし喚き散らすのは男性とは限らないところが絶望的で、女子寮の周りに有刺鉄線が張り巡らされ、食事に公然と薬物が混入される世界はとても現実にあったこととは思えないほどに異常。凡庸な終幕を拒絶した展開は辛辣で鉛のように重いですが、本作が問いかけるテーマは今まさに我々が住む世界で問われているもの、広く知られるべき作品だと思います。
イスラム社会の男尊女卑
1990年頃のアフリカ北部アルジェリアでデザイナーを目指す女子学生がイスラム原理主義の弾圧の中、寮内でファッションショーを行おうとする話。
女性は髪や体を隠すヒジャブを着るべきで、ファッションなんてとんでもない、というイスラム原理主義が強い時代のアルジェリアが舞台だが、現在もこうなんだろうか?
髪の毛を隠す服装じゃないという理由だけで家の前で撃ち殺されたり、女子寮に銃を持って入ってきた男達に銃殺されたりしてた。ちゃんとした裁判も無さそうだし、有っても、イスラムの教えを守らない奴が悪い、って事になるのかも。
アメリカの友人もイスラム教徒だが、女性はもっと自由だった。地域によって厳格度合いが違うのだろう、と感じた。
女性が不自由な社会って、よその国の事だけのように思うのではなく、男尊女卑なのはまだまだ日本でも残ってるのだから、自分の周りでも女性の自由について常に考えることが大切だと感じた。
良い作品です。
女性への抑圧が大きい国で上映してほしい
宗教的、かつ複雑な国家事情の中でも夢を追う
サクセスストーリー的な作品かと勝手に思い、
見終わったらスカッとできるかなー?なんて、、、
甘かった。。。。いや間違ってました。ナメてました。
グリバリの社会派ドラマでした。
映画ポスターのイメージからなぜ本国で上映を
拒まれているか?わからなかったのですが、
観て合点がいきました。
1990年台の内戦時代のお話ではありますが、きっと女性の
生き辛さは継続しているのではないでしょうか?
狂信的な人々の暴走や、男性の暴力や都合が彼女らの行手を阻むでしょう。
習慣や風潮に抗って自由を求める彼女達は、きっとなんども打ちのめされ、
おきあがり、また打ちのめされるのでしょう。
何度も泣いて何度も傷ついて、何度も立ち上がって欲しいと思います。
この作品を観ている中、僕も何度か打ちのめされました。
「どうして!」
「なんで!」と。
言葉にならない叫び声をあげたくなるほどでした。
人間としての悦びや自由に生きることを得ることがこんなに大変だとは。
国やそこで生きる民、文化、宗教を否定はしません。
しかし、価値観の多様化には対応できないものか?
と、この映画をみて辛い思いになりました。
続く抑圧、しかし逞しく、しなやかに生きて欲しいと願います。
ラストシーンに女性の尊さと強さが詰まっています。
ぜひ、この作品は世界中の方々に届くことを祈ります。
日本は幸せ
運命って決まっているのかもしれないけど…
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