パピチャ 未来へのランウェイのレビュー・感想・評価
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伝統を否定せず作り変える
アルジェリアの90年代の内戦時代の物語だ。女性は自由な服装が許されない、主人公は伝統布のハイクを使ったドレスを作り、ファッションショーを開催しようと奔走する。ハイクを着ている主人公の祖母は、その昔フランスの植民地支配に抵抗するために戦った経験を語る。ハイクの下に銃を隠して男と並んで戦って、独立を勝ち取ったのだと誇らしげに語る。しかし、内戦時代には、テロリストがハイクの下に銃を隠して、ジャーナリストを殺している。主人公は、さらに銃を隠すことのできないドレスに仕立て直すことで、伝統を重んじ、なおかつ自由の大切さを訴える。
祖国がどんなにひどくても愛はある。国を出ようと持ち掛けられても主人公は動かない。国を愛しているからこそ、良い方向に変えるために戦うのだ。本当の愛国者は国の恥部に目を向ける勇気を持った人のことだ。作り手の祖国に対する愛をひしひしと感じる傑作だ。
90年代アルジェリアの圧倒的状況と対峙するヒロインの姿に胸が張り裂けそうになる
この不思議な語感のタイトルは何を意味するのだろうか。そんな微かな疑問を胸にしながら、本作を観た。見始める前の私の印象としては、躍動感に満ちたガールズムービーといったところだったかもしれない。確かに、大学の女子寮を飛び出してナイトクラブへ向かう冒頭の描写には、何かが始まりそうなワクワクがほとばしる。だが、次の瞬間訪れるのは、検問での手厳しいやりとり。90年代のアルジェリアが置かれていた現実を突きつけられる場面だ。イスラム原理主義者による締め付けも至るところに。この物語には、かくも一人の少女がもたらす目覚ましい躍動感と、それを叩き潰そうとする圧力とが痛いほどスパークしている。「ファッションデザイナーになりたい!」という一途な思いが、単なる勇気や情熱を超えて、命がけの行動と化していく様に胸が張り裂けそうな思いがした。アルジェリア出身の監督と主演女優との共振関係が実を結んだ、力強い一作と言えよう。
鬱屈した生活を虐げられているイスラム教国の女性達
を観て大きなカルチャーギャップを感じるが、命まで脅かされる女性達の生き方は正直日本人の私には信じられない。
文化の違いと一言で片付けられるものではなく、形式的なフェミニズムや日本のハリボテのような男女平等の声を発するのではなく、身近な生活の中で周りの人達に接する時の姿勢(男女関係なく)を考え直す事が必要だと、真面目に考えさせられた。
相手に対するリスペクトって心掛けても場面や相手との関係性で続けるのは難しく感じる。電車の中とか、会社の上司部下とか、身近な家族とか、。。。
メッセージがある映画
自由は、バカとエロを増長させたかもしれない。
それでも、中国よりましだ。
すきなことができるし、言いたいことを言える。
そして、金のことに媚びるハリウッドより100倍メッセージのある映画だと思う。
それでも祖国は捨てない
同じ大学生でも日本の学生とは随分違うんだな、と先ずは主人公がデッサンするノートの紙質で感じた。やっぱり日本は何でも手に入るし豊かだな。
でもそんなものじゃない、着たい服を着て、行きたい所に行って、心のままに生きる背中には常に銃口が向けられているのだ。
限られた状況下で青春を謳歌しようとするどこにでもいる若者の雰囲気を楽しむ間もなく猥雑な街の描写や男達の執拗な視線がそこかしこにあり、ここはイスラムの国なんだ、と思わせる。
しかしながら、主人公の生き方に嫌悪感を抱くのは男性だけではない。
イスラム教の戒律を忠実に守って生きることに幸せを求めている女性達も少なからず存在する訳で、互いに寛容でないこともより複雑にしていると感じた。
男性の力を借りてこの国を脱出し自由を手に入れるチャンスもあったのだが、やはりそれも違うのだろう。
主人公達にとって命がけでファッションショーをするために作ったドレスなのだから、邪魔されても引き裂かれても意思を貫くためにドレスを再生させることは、この映画にとって最も重要な要素であったのだから、その場面にもっと時間を割いて映像にして欲しかったかな。
実話を元にしているのでハッピーな結末とはならず何とも無惨な形で終わってしまうのは…ただただ胸が痛かった。
自分の生き方
この映画は『目を開けて最初にみえたものÀ peine j'ouvre les yeux/As I Open My Eyes(2015年製作の映画)』のチュジニアが舞台の映画と似ているので驚いた。
チュニジアの映画の発端は2010年の12月17日だった。でも、アルジェルアのこの映画の方は1990年だというので比べると二十年も前の話になる。チュニジアの映画は『アラブの春』の発端地で、政府は思想を規制統制をし始めているところだった。大学生ファラーFarahはバンドのボーカルでJoujma - 'Ala Hallet 'Aini (As I Open My Eyes/A peine j'ouvre les yeux) - Studio Version (これをコピペして聞いてください)を歌う。それは、『My Country』『自分の国は国を閉じている、この混乱のなか、私は目を閉じる。。。国に問題がある時は、人々も人間の心を失う。。。』と自分の国を愛しているから自由を失い始めている国に警告をといったらいいか?素直な気持ちを歌にしている。
しかし原理主義の煽りにアーチストの表現の自由の思想が奪わて思想弾圧警察に捉えられる。
アルジェリアの『パピチャ』はアルジェリア内戦の始まりで、原理主義の統制が入り始めている時代に生きる大学生たち。ファッションデザイナーという表現の自由を夢みる大学生のネジャマはこの原理主義の餌食になり、自由に表現したり生きることに危険を伴い、ファッションーは修羅場になってしまう。
両方の映画は、大学生の女性が主人公で、計り知れない困難にあっても、自国を離れて、以前の植民地として抑圧したフランスに亡命しようとはしない。両方の大学生は青春である大学時代を奪われてしまう。そこで、ファラーFarahのほうはボーイフレンドが裏切り、友達もさり、その中から、最終的に、支えてくれるのは母親だけで、その愛があるからやり直していけるように思えた。
イラン、アルジェルア、チュニジアなどイスラム原理主義の台頭時代。でも、ユダヤ教でも、キリスト教でも原理主義とは言わないが、経典の『タナハ』『聖書』を文字通り信じていて、正統的な宗派がある。でも、正統的な宗派は現代社会において、生きにくくなってしまって孤立化していると思う。でも、イスラム原理主義はどうなっていくんだろう。
この映画は『死を覚悟で自由に生きることを勝ち取る』自由とは戦い抜いて自分のやりたいことができること?そこには、大声で批判しあっても、戻れる親友ワシラやサミラなどがいる。友のこころの中を理解してあげることのできる親友、そして、理解してくれる親友。そして、自由の精神の母親と姉リンダ。ジャーナリストの姉を失ったネジャマの家族に新しい家族ができる(妊娠したら家族から殺されたり、おいだされたりするからネジャマのところにきた)て、新しい生命が芽生える。私には想像できないこれからの苦難の中でも、自分を失わないだろうと思える姿に明るい将来が見えた。私も!
蛇足:
私の知り合いはイランからである。イランではシャーを倒し、イスラム原理主義のホメイニが党首のたっと時期がある。この端境期に私の知り合いはイランで生きてきて、夫婦共々米国に亡命した。この時代は、イランの映画でよく取り入れられている。
“失われた10年”に蔓延する不寛容を真正面から描いた凄惨な青春映画
舞台は90年代のアルジェ。ファッションデザイナーになることを夢見る女子大生のネジェマは深夜に女子寮を抜け出してナイトクラブに繰り出しては自作のドレスを友人達に売っていた。束の間の自由を謳歌する彼女達の周りに蔓延し始めるのが急進的なイスラム原理主義。ヒジャブの着用を強要し、フランス語を排斥しようとする風潮は彼女達の通う大学や女子寮にも押し寄せてくる。そんな不穏な空気の中で響いた一発の銃弾をきっかけにネジュマは女子寮のカフェテリアでファッションショーを開催、アルジェリア伝統の布地ハイクを使ったドレスを発表することを決意するが、その試みは自分達の生命を脅かす危険との戦いでもあった。
“パピチャ”とはアルジェリアのスラングのようで“そこのキレイなお姉さん“的な意味。ヒジャブを纏わず自由な服装で街を歩くネジュマを執拗にナンパする男が何度も何度もこう呼び掛ける様は、イスラム教の教義を女性を支配するために恣意的に解釈する原理主義者達の偽善を端的に表現するもの。本作に登場する男性は全員クズですがヒジャブ強要のビラが張り巡らされた街やキャンパスで拳を振りかざし喚き散らすのは男性とは限らないところが絶望的で、女子寮の周りに有刺鉄線が張り巡らされ、食事に公然と薬物が混入される世界はとても現実にあったこととは思えないほどに異常。凡庸な終幕を拒絶した展開は辛辣で鉛のように重いですが、本作が問いかけるテーマは今まさに我々が住む世界で問われているもの、広く知られるべき作品だと思います。
どうすれば彼女たちを救えると思いますか?
アルジェリアの1990年代は「暗黒の10年」と呼ばれています。武装したイスラム原理主義グループによるテロや大量殺戮事件が相次ぎ、内戦へ発展。2002年に政府勝利で終結するものの、イスラム主義武装勢力側の兵士には大赦が与えられています。
「暗黒の10年」が始まる前夜の女子大の寮が物語の舞台。ムスリム社会における抑圧と、イスラム原理主義者からの「生命の危機」に曝される中、自分らしく生きようとした女学生達の姿。
皮肉なことに、アルジェリア国内では、イスラム原理主義へのシンパシーは、衰退とは逆の道を辿っており、2013年には日本人の記憶にも新しい、天然ガス精製プラントのテロなども発生しています。
女性解放のためには、原理主義の狂信的な預言者を排除して行かなければならない。「テロとの戦い」と言う言葉に表される「戦争」は、イスラム武装集団の弱体化させることに他なりません。切り離せないんですけどね、これって。
宗教の戒律は時代と共に弛んで行くもの。キリスト教もしかり。イスラム原理主義も過激なファトワーを出す預言者を排除すれば、異教徒へのテロも根絶でき、ムスリム社会の女性への弾圧も弛緩して行く。
大学寮を襲ったテロから生き延びた「パピチャ」達は、父親のいない子を育てながら、自分たちだけで生活して行く事を誓い合い、映画は終わります。どんな時代にあっても、どんな境遇に置かれようとも、命をはぐくんで行くのは女性たちであると言う、動かしようの無い事実。ゆえに、彼女たちを守って行かなければならないんだと、男は思うんですよ。
これが、今の日本のフェミ視点じゃ、しゃべつになるってのがw
やな世の中になったもんだよ。
映画の方は、良かったです。とっても。
主役のリナ・クードリはSpecialsの心理療養師役の女の子ですよね。今、思い出しました!
期待の新人ですね。
イスラム社会の男尊女卑
1990年頃のアフリカ北部アルジェリアでデザイナーを目指す女子学生がイスラム原理主義の弾圧の中、寮内でファッションショーを行おうとする話。
女性は髪や体を隠すヒジャブを着るべきで、ファッションなんてとんでもない、というイスラム原理主義が強い時代のアルジェリアが舞台だが、現在もこうなんだろうか?
髪の毛を隠す服装じゃないという理由だけで家の前で撃ち殺されたり、女子寮に銃を持って入ってきた男達に銃殺されたりしてた。ちゃんとした裁判も無さそうだし、有っても、イスラムの教えを守らない奴が悪い、って事になるのかも。
アメリカの友人もイスラム教徒だが、女性はもっと自由だった。地域によって厳格度合いが違うのだろう、と感じた。
女性が不自由な社会って、よその国の事だけのように思うのではなく、男尊女卑なのはまだまだ日本でも残ってるのだから、自分の周りでも女性の自由について常に考えることが大切だと感じた。
良い作品です。
女の子が戦う理由。
パピチャ(PAPICHA)とは、アルジェリアのスラングで、「愉快で魅力的で常識にとらわれない自由な女性」という意味をもつそうです。映画HPより。
90年代にアルジェリアで内戦があったことは、知りませんでした。
アルジェリアと言えば、フランスの元植民地で、その後独立して、アフリカの北のほうの国だから、多分イスラム圏で、地中海に面しているんじゃなかったけ?くらいのしょぼい知識しかありません。
それでも十分わかります。力作だと思います。
90年代のある時点で、大学生である女の子たちが、寮内でのファッションショーをやろうとするけれども、原理主義者が女の正しい服装をしろとのプロパガンダをうってくるし、もともと女性の地位は低いし、女子の寮生はなんか差別されてるっぽいし、前途多難…というお話です。
女の子があつまってきゃっきゃうふふと楽しむ描写がたくさんあって楽しくて軽やか、なんですが、突然人が殺されたり、原理主義グループによる検問とかもあってスリリングです。
主人公のネジュマは、父親がいなくて母親がやさしいので、割と自由に育った様子です。
洋服を作るのが好きで、その年の子らしく楽しいことが好き。
寮を抜け出して、クラブへ行ってトイレで自作のドレスを売ってます。
お姉さんのリンダはジャーナリストなのですが、なんか思惑ありげな表情をしてると思ったら、お亡くなりフラグだったようで、ネジュマとともに訪れた実家にて、突然リンダを訪ねてきた女に銃殺されます。
お姉さんが殺されて落ち込むネジュマですが、お姉さんが最後にキレイと言っていた布でファッションショーをやろう!と決めます。
大学のお友達と協力して、準備を始めますが、今まで協力的だった門衛さんはいきなり体で払えやと脅してきたり、壁の穴がふさがれて外出できなくなったり、友達の一人が妊娠(相手は恋人)しますが、兄に別の男と結婚させられる予定で、どうしていいかわからない。
また、ネジュマは別の友達とグループ交際を始めますが、友達の彼氏が男尊女卑野郎で、女は「正しい」服装をして家にいればいいとかゆうので、友達の彼氏とけんかになります。
ネジュマの彼氏のほうは、原理主義がはびこるこの国にはいられないということで、国外へ出ていくのでネジュマについてこいと言います(かなり上から偉そうに)。
ネジュマは彼氏の誘いには乗らず、怒って帰宅しますが、寮の部屋が荒らされて準備してきたドレスがめちゃくちゃ…
学内でもこの状態なので、ファッションショーはやらせられないと寮母さんに言われますが、何とか開催をもぎ取る。
で、何とかファッションショーは実施されたのですが、原理主義者たちに踏み込まれ銃撃され・・・
多分生き残った学生は、退学させられたか退学したかで大学を後にします。
ネジュマは母の住む実家へ帰りますが、妊娠した友達が兄に殴られて、家を追い出されてネジュマの家に来ます。
じゃ、一緒にくらそっかという感じになり、中庭できゃっきゃうふふと楽しんで、多分映画は終わったと思います。
全部事実ってわけではないのでしょうが、90年代のアルジェリアの女の子の現実とは、押しなべてこのような感じだったのだと思います。
ネジュマをはじめとする女の子たちが悪い点はひとつもありません。
楽しんで、恋して、夢を見て、勉強して、、、、、、、人権として保障されるべきことをやっていただけ。
なんだけど、それが許されなかったんですね。
そんななかでも女たちの連帯があり、なんとか希望は残ったという印象です。
イスラム原理主義による弾圧は、ちょっと横へ置いておいて、出てきた男性たちを見ていて思ったことがあります。
それは、原理主義者がいう「正しい」女性像を、周囲の女たちに強いることで、自分の鬱憤を晴らしているように見えたということです。門衛さんとかね。
彼らは「正しい」女性像なんて別に信じてないし、自由に商売もできないし、うれしくないけど、きな臭い世界で自分がうけるとばっちりを女をいじめて発散しようとする男、に思えました。
現代にもいるぞ、と思いました。わたしも知っている情景だと思いました。加害者は男に限りません、女だってやっています。
のびのびできない苦しい社会・生活の中では、人をいじめる気持ちよさが選び取られてしまう。ということなんだと思います。
女性への抑圧が大きい国で上映してほしい
宗教的、かつ複雑な国家事情の中でも夢を追う
サクセスストーリー的な作品かと勝手に思い、
見終わったらスカッとできるかなー?なんて、、、
甘かった。。。。いや間違ってました。ナメてました。
グリバリの社会派ドラマでした。
映画ポスターのイメージからなぜ本国で上映を
拒まれているか?わからなかったのですが、
観て合点がいきました。
1990年台の内戦時代のお話ではありますが、きっと女性の
生き辛さは継続しているのではないでしょうか?
狂信的な人々の暴走や、男性の暴力や都合が彼女らの行手を阻むでしょう。
習慣や風潮に抗って自由を求める彼女達は、きっとなんども打ちのめされ、
おきあがり、また打ちのめされるのでしょう。
何度も泣いて何度も傷ついて、何度も立ち上がって欲しいと思います。
この作品を観ている中、僕も何度か打ちのめされました。
「どうして!」
「なんで!」と。
言葉にならない叫び声をあげたくなるほどでした。
人間としての悦びや自由に生きることを得ることがこんなに大変だとは。
国やそこで生きる民、文化、宗教を否定はしません。
しかし、価値観の多様化には対応できないものか?
と、この映画をみて辛い思いになりました。
続く抑圧、しかし逞しく、しなやかに生きて欲しいと願います。
ラストシーンに女性の尊さと強さが詰まっています。
ぜひ、この作品は世界中の方々に届くことを祈ります。
日本は幸せ
159本目。
神だ、宗教だ、戒律だと思考がショートカット出来る便利さと、不自由さの葛藤。
90年代とは言え、今も差程変わりないんだろう。
日本に生まれて良かったと思う。
凄く意義のある作品だと思うけど、主人公の女性がいちいち感情的になるのが、観ていて
ストレスかな。
知ることからはじめたい
90年代のアルジェリアを舞台に、女子大に通う女性たちが、命懸けでファッションショーを開くまでの物語。
冒頭にクレジットが入るように、実話をもとに作られた作品のようです。
真夜中に寮を抜け出しクラブに向かうところからはじまり、
タクシーの中でワンピースに着替え、化粧をして、ノリノリの音楽をかけて、煙草を吸う主人公と友人。
その楽しそうな様子にこっちまで笑顔になりますが、
タクシーが検問所を通るときに、一気に雰囲気が変わります。
銃を持った覆面の男たちが車を止め、運転手やトランクを徹底的に調べ、少女達にも「どこへ行く、女は家にいろ」と威圧する。
その時、青春を謳歌する少女たちの物語であると同時に、90年代アルジェリアの実情、空気、息苦しさが伝わってきました。
主人公のネジュマは服を作ることが好きで、将来はファッションデザイナーになることを夢見る、芯の強い女性。
作中、お洒落を楽しみ、友人との時間を楽しみ、恋をして、夢を見て、ファッションショー開催を目指してドレスを作る描写と、
「女は家で家事をしていろ」「ヒジャブを身につけなければならない」「肌を露出するな、正しい格好をしろ」「外国語を勉強するな」「煙草を吸うな」「外国の歌を歌うな」などを強制させられ、従わない者はただそれだけで殺されるという、息苦しい以上の、神の代弁だと力を振りかざされる残酷な様子が描かれる。
どんな場面でも恐怖が付き纏う。命が簡単に奪われる。それが恐ろしかった。
そんな状況でも、主人公は負けず、恐れずに立ち向かっていきます。
この作品はすごくアップや寄りのカットが多く、多過ぎるくらいで途中からちょっと疲れてしまうのですが…
でも、その撮り方だからこそ彼女たちの情熱や強さが、表情から指先から視線から伝わってくるような気もしました。
(でもそれにしても多過ぎて、集中できなかったのがな…)
様々なことがありながらも寮内で開かれたファッションショーは、本当に美しくて、素晴らしくて、キャストの表情も胸にくるものがあって、涙が出ました。
ただ好きな服を着る、ただそれだけで命を奪われるなんてことがあってはならない、許されてはならない、その歴史があったことを忘れてはならない。
不公平で残酷な現実と立ち向かい、夢を叶えた女性たちの姿は、本当に本当に素敵でした。
だからこそ、その後の展開は、何となく悪い予感がしていたものの、涙が止まらなかった。
一方的な悲しみ。
何でこんなことが起こるんだ、許されるんだ、何の権限があって彼女たちの人生を、夢を奪うのか。
辛くて辛くて仕方がなかった。
恥ずかしながら私は、アルジェリア内戦の歴史や、女性が受けていた差別や、宗教についてを全く知らなかったです。
20年ほど前にこんなことが起きていたのかと、衝撃を受けたし、怒りが湧いた。
昨今、フェミニズムがブームとなり、定着しつつありますが、一部の人はフェミニストを馬鹿にしたり、やり過ぎだと毛嫌いしたりしますが、そんなの知るか!と思いました。
確かに、男性を落として女性を上げる的な、間違った論を叫んでしまう人もいますが、元々は女性の立場や権利を男性と同等にするべきというもの。
この映画で見たような、女性というだけで様々なルールを課せられ命を奪われた歴史があるということ、それは今後絶対に無くさなければならないこと、そういう一つの背景もあっての今のフェミニズムという形があると思うので、
やはりこれはしっかりと全女性、全男性が改めて考えるべきだと思った。
映画としての出来栄えとかストーリーだとか云々は一旦置いて、こんなにも心動かされ、映画を観て自分の思いが溢れたのは久々でした。
それだけで私にとっては素晴らしい映画だと思っています。
タイトルにも書きましたが、まずは歴史や出来事を知ることからはじめたいです。
どんなことも、人が知ることから議論され、問題視され、変わっていくはず。
変わるためには、変えるためには、知らなければならないと思った。
運命って決まっているのかもしれないけど…
生まれる国も自分で決められるものではないけれど生まれた場所は愛すべき故郷。運命と言うには苛酷すぎるなー。本国では上映禁止になったらしいしまだまだ自由な国ばかりではないんだと。女性弾圧のならわしが当の女性からもうけるんて…やってるほうはそれが正義だと考えているんだろうし…難しい…。
宗教上、そういう習慣があるのは知ってた
でも、何の予備知識も無く本作を観ると邦題とのギャップに???となる。主演の女の子の神がかった演技は絶賛に値する。
何度でも立ち上がって
凄く良かった
女性強し!
人類に平和は訪れない
日本にも戦前には特高(特別高等警察)という組織があって、天皇制政治に反対する人々を取り締まっていた。「蟹工船」で有名な小林多喜二は特高に捕えられ、拷問を受けて獄死した。太平洋戦争が行き詰まるにつれて国粋主義が国中に蔓延して、派手な格好をした女性を愛国婦人会が注意するような場面もあったようだ。酷い時代だった。
しかし本作品のアルジェリアの状況は、悲惨さの点で日本の戦前の状況を遥かに上回る。それは日常に武器を携えたイスラム原理主義のゲリラがいるということだ。イスラム原理主義者は男女の別なく存在し、暴力的、攻撃的である。時として重装備だ。安全な場所などどこにもない。
主人公ネジュマの服飾デザインに対する情熱は並ではない。服飾と言えばパリコレクションに代表されるようにフランスのパリが究極の発信源である。アルジェリアは帝国主義時代のフランスのアフリカ横断政策によって19世紀のはじめ頃からフランスの植民地になっていて、フランス語が広く行き渡った。現代では公用語はアラビア語だが、一般で使われるのはフランス語だ。本作品のネジュマもフランス語を話す。服飾デザインをやりたくてフランス語が話せるなら、パリに出て勝負してみると考えるのが当然のような気がするが、ネジュマはそうしない。そして武装ゲリラがあふれるアルジェリアで無謀な行動に出る。
イスラム原理主義の恐ろしいところは、その不寛容さにある。一般に人間が腹をたてるのは、主に被害意識である。物理的、金銭的に損をしたとき、自分や家族を身体的に傷つけられたとき、人格を蔑ろにされて自尊心を傷つけられたときなどだ。しかしイスラム原理主義者の怒りは自分の被害にとどまらない。他人が反イスラム的であったりハラムであったりすることが我慢ならない。そして彼らは武器を持っている。ネジュマのように、愚かな人たちが信仰をたてに暴走しているだけと割り切るにはあまりにも危険である。
弱い人は自分の価値観を信じきれない。だから自由を恐れる。生きる拠り所がないからだ。だから自由を投げ出して宗教に価値観を委ねてしまう。教えられたとおりに生きるならそれほど楽なことはない。しかし自由への未練は残る。だから自分が捨ててしまった自由を謳歌する人が許せない。街でヘイトスピーチをする人々と同じ不寛容な精神性である。
イスラム原理主義者に限らず本作品のような精神性が世界に蔓延していて、更に増え続けているとすれば、人類から戦争は永久になくならない気がしてくる。現実主義者はだから武器が必要なのだとせっせと兵器開発に勤しむかもしれないが、武器があるから原理主義者が過激になるという見方もできる。日本で武器の売買が自由だったら、重大犯罪の発生数は現在の比ではないだろう。武器を取り締まることが犯罪を重大化させないことでもある。ナイフや包丁で人を殺すのは大変だが、大型の拳銃なら非力な人間でも人を殺せる。
人間が臆病なのは臆病であることが生き延びるのに必要だからだ。武器は人間から臆病さをなくし、変な勇気を与えてしまう。寛容と言葉による話し合いを放棄して暴力で他人の自由を封じ込めるのが武器だ。ヘミングウェイが「武器よさらば」を発表したのが100年近く前の1929年。何年経っても人間は弱くて武器に頼る。人類に平和は訪れない。
自由とは
90年代のアルジェリアで起きた内戦を背景に女子大生たちがイスラム原理主義者からの暴力に屈することなく新しい女性像を切り開こうと奮闘する姿を描いたヒューマンドラマ。授業中に黒いヒジャブを来たイスラム原理主義者の女性たちが教室に乱入し外国語教育の廃止を求めるシーンが登場したが、逆らう者には暴力で服従させようとする姿勢は恐怖でしかない。
にしても主人公は、この様な状況に置いて自由奔放過ぎやしないかと疑問に思った。命が懸かってる社会状況と言うのにファッションショーを開いたりとか。
体制に対する反抗なのだろうが、それにしてもだ。一度やなく何度ともなく危険な事であると助言を受けているのに。
ただラストは微かな希望を抱かせるものとなってるところに救いがあった。
ちなみにパピチャとは「常識にとらわれない自由な女性」という意味らしい。
女性のエネルギーを感じた
イスラムの社会で女性はかくあるべしとの規範にがんじがらめになっていることが分かる。その一方で主人公たちが日々それと闘い、傷つきながらも、国に留まって進んでいこうとする姿に、女性の強さを感じる。画面の作り方などには、時々?と感じた。
普通の青春物語もままならない
90年代の内戦中のアルジェリアで、イスラム原理主義と戦いながらファッションショーを開催しようとする女子大生達の物語。
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イスラム教の女性はビジャブっていうベールを被って髪の毛を隠さないといけなくて、厳しいと目以外全部隠してたり、未婚既婚でかぶり方が違ったりするらしい。
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そもそもこのビジャブを被る理由は男性は女性の魅力に弱いから女性は美しい部分を隠せってコーランに書いてあるらしい。この理屈が完全に性被害にあった女性に服装が悪いとか色目使ったんだろっていうクズと同じなんだよな〜こんなこと宗教に書いてあるのがびっくり。今は時代が違うから緩くなってるところもあるのかもしれないけど。
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普通の国なら、色々あったけどファッションショーを成功させたっていう青春物語になるけど、そんな普通の物語すらアルジェリアでは叶わない。
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女性の権利が低い国ほど女vs女になる気がして、ハリウッドだと男vs女だけど、この映画、ビジャブを被った女性と主人公達の対立がある。まずは女性の意識を変化させること、男性に理解してもらうのはまだまだ先。
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私は日本だって、まだ女vs女だと思ってる。日本はアルジェリアと違って目に見えないところでそういうのがあるから余計タチが悪い。
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