「全ての「国民」に見て欲しい」オフィシャル・シークレット きのぴよさんの映画レビュー(感想・評価)
全ての「国民」に見て欲しい
私は日本で生まれ育ち、思春期以降の11年を米国で過ごした。
人生の殆どをこの両国で育ったので、もしも同じことが日本や米国で起こればどうなるか、そんな想像をしながらこの映画を鑑賞した。
日本の場合、そもそも米国がこのようなトップシークレットを持ちかけることはないだろう。
米国はイギリスという兄弟分だからこのような国家機密を共有したのだ。
文字通り「血を分けた」兄弟で、それは米国独立から何世紀と経ったいまでもアメリカ人とイギリス人のDNAには刻まれている。
残念ながら日本がこのポジションにのし上がることは永遠にないだろう。
しょせん日本は米国の「便利なポチ」でしかない。
日本人であるがゆえに、そんな悲しい壁も感じた。
逆にいえば、英国の歴史的ポジションと政治力は、やはりいまでも強大であることを実感できる。
この映画を観て気づくこと、その2
イギリスは民主国家だということ。
確かに日本もアメリカもそうなのだが、似たようなアメリカ映画とこの映画を見比べると随所に微妙な違いが見られると思う。
GHCQというイギリスの諜報機関においても、主人公のキャサリンはじめそこで働く人々の姿勢は、アメリカのそれと比べると一種の「リラックス感」すら漂う。
軍事力や予算規模の違いだといえばそれまでだけど、ヨーロッパとアメリカの中間的な、イギリス人が置かれている微妙な立ち位置。
アホなブッシュ政権に対する、冷めた目線。
ヨーロッパ的な観点も残しつつ、しかし兄弟国ゆえに付き従わざるをえない矛盾。
そんな空気が伝わってくる。
国家の機密を漏らしてからの、キャサリンと夫への扱いは確かにひどいものではあったけれど、これがアメリカだったら、もっとずっと悲惨なことになっていたことは想像に難くない。
キャサリンのの行動を支持し助ける人々がイギリスにはたくさんいる。
それに救われたし、スカッとした。
メディア(オブザーバー紙)の活躍も素晴らしかった。
日本のメディアにこれができるだろうか?
はなはだ疑問である。
3番目(これが最後です)
正義を貫いても良いのだということ、最後には報われるのだということ。
日本人には、「お上の命令は絶対」のようなところがある。
自分の信条を殺してでも従わなければいけない、というような。
私がいたアメリカでも、特にこのような「お役所」ではそういう思考の人間がたくさんいる。いや、そんな人間ばかりだ。
しかし、民主主義国家に生きる我々は、国民を救うことに繋がるならば、国家(=その時にたまたま政権を握ってるだけの人間たち)をも裏切っても良いのだ。
本来の民主主義とはそういうものであるべきと思う。
しかし人生を棒に振る覚悟をもってしてそれを実行するのは、やはりものすごい勇気のいることだ。
久しぶりに胸の熱くなる映画を観た。
最後に、映画を観終えてから私は、チャップリンの「独裁者」のスピーチを思い出した。
「諸君は機械ではない、人間だ」
国家機密を暴露する決断をした主人公キャサリン、
社運を賭して公表したオブザーバー紙と弁護士たち。
そしてこれを映画化した関係者たちに拍手を送りたい。