シェイクスピアの庭のレビュー・感想・評価
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父、帰る
シェイクスピアについては学校で習ったり、代表作の一部を読んだ程度の知識。でも、肖像画とそっくりなケネス・ブラナー≒シェイクスピアにびっくり。
シェイクスピア劇で名を上げたケネス・ブラナーだからこその作品。
説明パート以外の会話、独白シーンには舞台劇のようなライティングとセリフに集中できるようにかぶる音を極力少なくしている。背景もあまり入らないようにしているのではないだろうか。一方、ストラトフォード・アポン・エイヴォンの村の風景や屋敷、庭を描くには映画ならではの美しい陽の光や季節の空の色を取り込んでいる。
1600年代初頭の人物ではあるが、作品の数ほどは彼個人の情報はあまり残っていなかったように思う。別人説や複数説が出るほどだ。
原題「All Is True」とあるようにシェイクスピア研究で「現在わかってきたこと」を軸に設定は組まれている。
物語はまさに「父、帰る」である。
ここからは稀代の名劇作家であるシェイクスピアですらコントロールができない家族ドラマが始まる。人権もへったくれもない時代なので、それぞれが抱く価値観も今のものとは違う。しかし、本当にそうだろうか?
価値観という外枠は現代とは違えども、その枠の中で渦巻く感情は不変ではなかろうか。
シェイクスピアの作品の多くが今もなお愛されているのは、観客が渦巻く感情や溢れ出す感情に共感できるからではないだろうか。
そんな感情を舞台劇よろしく長台詞で魅せて来る。シェイクスピアは作中の人物の心中を理解し物語に組み込んでいったが、生身の家族を理解するのは苦戦したのではないだろうか。(ブラナーの解釈だと)
ささやかで、分相応の人生が最後に待っていた。「父、塵に帰る」。余韻がいい。
面白いか面白くないかでいうと、そんなに面白くないと思う。でも、好きか嫌いかでいうと好きな作品だ。
フィクションを交えつつ、ありえたかもしれない文豪の「心の内側」を雑味なく描ききった名作
ロンドンのグローヴ座消失後、故郷のストラットフォード・アポン・エイヴォンへと帰ってその後は一本も戯曲を書かなかったシェイクスピアの余生を描いた物語。謎に包まれた彼の人生ゆえ当然ながらフィクションも混ざっているが、他でもない英国を代表するシェイクスピア表現者であるケネス・ブラナーが主演、監督を務めているので、この「フィクション」にもある種の説得力というか、ありえたかもしれない文豪の心の内側をよくぞこれほど雑味なく描いたなという旨さがある。とりわけ興味深いのは、これまでありったけの情熱と創造性を「筆と紙」にぶつけてきた主人公が、故郷では「庭づくり」へと情熱を移行させる様だ。そこには内面世界がこれまでの戯曲とは全く違う形で投影され、表現者を突き動かす原動力の正体を静かに浮かび上がらせていく。静かだが、力強い。従来の人物像から一歩踏み出した人間性を描こうとする作り手の心意気を感じさせられる一本だ。
シェイクスピアのことはよく知らないので少し知りたくて観てみた。
最初、とっつきが悪かったのだが、この家族が抱えている悩みが想像以上に深刻だとわかり、観る側も段々とシリアスになっていった。
一家は、時を経て、やっと苦痛とわだかまりを精算する。そして柔らかさと優しさが家庭に満ちる。とても清々しいステキな光景だ。
この家族は、思わぬ出来事のせいで、そして芸術家の家族という意識も作用しバランスを失ったが、本質的には良い家族なのだろう。
大作家は人生の最後に家族にやすらぎを見出したようだ。パターンとして平凡だが、シェイクスピアのような名声も財産もある人の話、となるとおもしろく、親しみが持てる。作品は素晴らしいが私生活はガタガタ…、でなくてよかった。
全体としては、セリフや間の取り方などがややわかりにくかった。雰囲気作りが先走っているような?印象を受けた。
そのかわり雰囲気はよく、映像も綺麗だと思った。昔の素朴な家やインテリア、生活スタイルが楽しい。
ところで、妻役のジュディ・デンチの演技には吸い込まれたし、イアン・マッケランはもちろん、娘たちも彼女たちの夫もよかったが、肝心の主役ブラナーが私にはイマイチに感じたのは、なぜだろう…。
【”知られざるシェエクスピアが筆を折った晩年を描いた作品。”サー・ケネス・ブラナー、ジュディ・レンチを観るとあー、英国映画だなあと思う趣深き作品。】
■1613年、「ヘンリー八世」の上演中に大火災が起こり断筆したシェイクスピアは故郷へと戻る。
20余年もの間、滅多に会うことのなかった主人の帰還に、妻や娘たちは驚きを隠せない。そんな家族をよそに、シェイクスピアは愛する息子ハムネットを悼む庭を造り始める。
◆感想
・私は、シェイクスピアの全作品を読んでいない。
ー と言うか、”全作品俺は読んだぜ!”という方が敬服したいが、ハッキリ言って近年のエンタメ要素に満ちた作品を読んでいると、あんまり面白くない。-
■今作は、自身の戯曲が掛かった劇場で起こった火災を切っ掛けに筆を折ったシェイクスピアの晩年を描いているが、彼が帰って来たことで戸惑う家族の姿が、面白くも哀しい。
シェイクスピアは愛する亡き息子ハムネットを偲ぶ庭を作り始めるし、それに反発する家族たち。
<今作が見応えがあるのは、サー・ケネス・ブラナーが演じる晩年のウィリアム・シェイクスピアを人間として描いた姿である。
英国映画の抑制したトーンが好きなんです。>
ケネス・ブラナーが頑張っていること
もう何年も、ケネス・ブラナーは映画人としてイギリスに関係する作品に率先して出演したり制作したりしているように見える。
自身の出身地である「ベルファスト」を撮ったり、イギリス人作家アガサ・クリスティのポワロシリーズを撮ったり、自身のルーツ、そして出身国イギリスのルーツを、表に出していこうと頑張っているように見える。
本作「シェイクスピアの庭」も、その系譜なのだろうと思うのだ。
シェイクスピアの戯曲はイギリスで舞台をやっているだろうからそれはせず、シェイクスピア本人を描く。
しかもシェイクスピアの黎明期ではなく、最期を描くというのは、ケネス・ブラナーが最期にしっかりとイギリスの痕跡を残してやろうという意気込みのように思えた。
まあ、まだそこまで年寄りではないのでケネス・ブラナー自身が死期を感じてはいないだろうが、映画人としていつまで活動できるかと考えれば、そんなに長い時間が残されているわけではないだろうから。
作品はそんなに面白いものではなかったけど、イアン・マッケランとジュディ・デンチは久しぶりに見た気がして、そこは良かった。
イギリス映画なので当たり前だが、ハリウッド映画にもうあまり出なくなったイギリス俳優が見られたのはいい。
イギリス人キャストだって、ケネス・ブラナーが残したいものの一つなのかもしれない。
筆を折ったシェイクスピア、良き家庭人になる!
シェイクスピアの晩年を描いた映画です。
昼間と夜間ではまるで別の顔を見せる映画でした。
夜間は暖炉や蝋燭の灯りで人物がスポットライトで浮かび上がり、まるで舞台の会話劇。
昼間のストラスフォードの風景は、美しい田園や肥沃な平野がひろがり、
四季には紅葉や枯れ草の庭、
ひっそりとした森そして小川は静物画。
雲のグラデイエーションにもため息をつきました。
そして庭造りに没頭するシェイクスピアは耕す農夫。
その《昼と夜のコントラスト》が絶妙に仕組まれています。
1613年。シェイクスピアの作品を上演するグローブ座が全焼した。
失意のシェイクスピアは生まれ故郷のストラトフォード=アポン=エイヴォンに戻ります。
『シェイクスピアの庭』2019年。監督・主演ケネス・ブラナー。
原題は『All Is True 』これは『ヘンリー五世』の題名と同じとか。
断筆して帰郷したシェイクスピアは、17年前に亡くした長男ハムネットのために『庭』を造ることを思い立つのでした。
20年以上の間、疎遠だった妻や娘2人が、揉め事や、告白をして晩年の3年間は、
思いかげずに現実的なものになります。
不倫の裁判だの、次女ジュディスの告白だの。
最愛のハムネットの死・・・その真相は以外なものでした。
さて庭のことですが、
実際にシェイクスピアの戯曲には170種類の植物が登場して重要な役割を果たすそうです。
しかしこの映画で素晴らしい庭園を期待して見ると肩透かしです。
庭造りに素人のシェイクスピアは苦戦するばかりです。
『シェイクスピアの庭』とはシェイクスピアの「家庭」の暗喩として付けたのなら、
中々気の利いた題名です。
20年近い妻アン・ハサウェイとの別居(あれれ、誰かさんと同姓同名!!)
家族とまったく顔を合わせなかったシェイクスピアは、いかにして20年間の不在を埋め合わせていくか?
ほとんど「父帰る」の世界ですが、湿めっぽくはならない。
妻アンはジュディ・デンチが扮しています。
字が読めない設定ながら、知的な皮肉で夫シェイクスピアと互角で論戦を張ります。
次女のジュディスの弟ハムネットへの対抗心。
彼女は詩心のある詩人。
この時代、女の詩人なんてあり得ないとは?!
そうです、この時代(エリザベス一世の統治する時代からジェームズ国王時代・ルネッサンス真っ只中)
女性の識字率は日本に遠く及ばず、男子を産まぬ女になんの価値も無し・・・
とは、まったくの男尊女卑。女は跡取りにはなれない。
女王陛下の国が実は、なんて・・・・驚きです。
監督・主演のケネス・ブラナーは「英国一のシェイクスピア俳優」と呼ばれる。
初監督作が『ヘンリー五世』でした。
満を辞しての本作品です。
付け鼻が立派。額は禿げ上がり肖像画と似た面持ち。
ケネス・ブラナーが原型を留めていないのも見所です。
ラストは、アレレ!!の、愛らしさ!
重厚なコスチューム・プレイをご堪能下さい。
後半からが興味深い
一言「天才も、家に帰れば夫&父」。
前半は「疫病で死んだ息子」を偲びすぎて、ウツウツしてるし。
華やかなりし作家生活のなりの果てが、侘しくて。
正直「みるのやめようかな」と思ったのですが。
後半息子の死の真相を探り始める箇所から、ちょっと上昇してきました。
その真相から、妻(ジュディ・ディンチ!)や娘達の話が出てきて。
この時代女性は「文字の読み書きを学ぶ機会がなかった」というのが。
文豪の夫・娘たちでも、そうだったというのも少し哀しい。
それをシェークスピアは知らず、いかに家庭を放置していたか。
反省したでしょう。
シェークスピアの作品等を知っている人なら。
作中のいろんな詩や実際の人々(イアン・マッケラン!)の話が興味深かったでしょう。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「我が友よ、分相応の人生だ」
タイトルなし
William Shakespeare [1564-1616]
幾多の名作を世に送り出した
偉大な劇作家ウィリアム・シェイクスピア
49歳で執筆活動を引退しロンドンを離れ
故郷で過ごした人生最期の日々が
描かれた作品
ロイヤルシェイクスピアカンパニー出身の
ケネスブラナーが監督·脚本
自らシェイクスピア本人を演じた
ケネス・ブラナーが製作、監督、主演
シェイクスピア(ケネス・ブラナー)は芝居小屋が焼失し、失意の中で断筆、故郷に帰る。
妻(ジュディ・デンチ)や娘たちとはギクシャク、11歳で亡くなった息子に取り憑かれ、突然、庭を作り始める。
残念なことにシェイクスピアのDNAは残らなかった。
シェイクスピアが身近な存在となる良作
シェイクスピアといえばローレンス・オリヴィエ、そしてポランスキーの『マクベス』を思うが、現在ではケネス・ブラナーだろう。彼が監督・主演し、シェイクスピアの人生最後の3年間(1613年〜16年)を描いた。
筆を折りロンドンから故郷のストラットフォード・アポン・エイボンへ帰ったウィリアムは家族とゆったりとした時間を過ごし、初めて家族のことを知る。
僅か20年の間に人類が生存する限り語り継がれるであろう多くの傑作を残した孤高の天才ウィリアム・シェイクスピア。彼とて我々と同じ人間だった。
妻役のジュディ・デンチはさすがに『歳とりすぎだろう』と突っ込みたくなったが、重厚な演技は流石だ。
わかる人にはわかる映画
この映画を家庭劇とみるか、文学の歴史の一片とみるか、で感想が違うでしょう。
シェイクスピアの生涯をちょっとでも学んだ人なら、引退したシェイクスピアを訪ねてくる人との会話が何を意味するか察して興味深いだろうけど、知らない人はキモイと感じるかも。私的に詩の字幕はこれで良かったのか?と一寸疑念が・・・
やはり当時のイギリスの文学、風俗、環境、シェイクスピアの業績(戯曲と詩)と晩年を知っている方が理解が深まるのは間違いないです。
映画では綺麗にまとめているけど、実際はどうなんだろう。
それは誰も知らないわけだから、こうした映画が作られるのでしょうね。
大学ではシェイクスピア演劇のゼミ生だったので、モヤッとするけどイギリスの秋の風景が美しかったので、☆+0.5。
にしても、今年はまだ3月だというのに、イアン・マッケランを3度、ジュディ・デンチを2度観てしまったわ。
他に居ないのか?と感じるほどだけど、イアン・マッケランは役を演じ分けられていて、素晴らしい役者だと思う。
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