空き巣に入った男が児童虐待の行われている家庭を救う。そう聞いただけだと、ちょっとしたファンタジーだと思う。現実には、そこまで踏み込んだ善行をする空き巣などいないだろうし、そんな干渉を受け入れる家庭も多分ない。
こんな一見突飛な設定の物語だが、皮肉にも私たちが報道で目にする児童虐待の残酷な帰結が、少女鞠の存在や、凛や金田の生い立ちにこの上ないリアリティをもたらしている。
確かに金田は常識に照らせば悪人だし、そんな彼が少女を救うという行動はファンタジックで、手段も非合法かも知れない。だが、現実で虐待を受けている子供の元には金田のような大人など現れず、合法的な救済の網の目からこぼれ落ちて亡くなる子が後を絶たない。ある意味そんな現実の方が狂っているとも言えないか?
監督・脚本・主演を務めた上西雄大のそんな声が、映像の狭間から聞こえてくるような気がした。上西自身、3歳まで無戸籍で、虐待を受けて育ったという。彼は児童相談所の嘱託医から現在の児童虐待の現状、親から子への虐待の連鎖について聞いたことをきっかけに、本作を作り上げた。
観に行く前は、テーマからしてただただ重たい一方の、見続けるのが辛くなるような内容ではないかという不安があった。確かに虐待が描写される場面は辛いが、合間合間で想定外にほっこりさせられたり、金田の言動がユーモラスに見えたりするシーンもあって、くじけずに物語を追っていくことが出来た。
映画の作りとしては、自主制作映画のような荒削りな印象を受ける箇所が散見される。暗い場面で細部が潰れがちな荒い映像、時折台詞の聞き取りづらさが気になる音響。
だが作品の世界に入ってしまえば、そういった演出がドキュメンタリーのような雰囲気を醸すのに一役買っているようにも見えてくる。エモーショナルな場面でちょっと大げさな劇伴が流れたり、所轄の刑事が人情派に傾きすぎていたのは演出が古く見えて少し違和感を覚えたが、作品が打ち出すメッセージの強さを毀損するほどのものではない。
万が一虐待の影を身近に見聞きしたら、その影の向こうには鞠のような仕打ちを受けている子供がいるかも知れない。その仕打ちはもしかしたら悲しい連鎖をしてゆくかも知れない。そんな、予兆を他人事で終わらせず想像力を持つためのヒントを、この作品は提示している。
このヒントに助けられて動き出した想像力が通報を始めとした勇気ある救いの手を生み、金田というアンチヒーローのいないこの現実世界の一隅で虐げられる子供たちが少しでも救われることを、私自身の無関心への自戒と共に願う。