「これだけを見ると一見いい話なのだが、なぜか「ジョゼと恒夫の話」では...」ジョゼと虎と魚たち(2020・アニメ版) ミナミAさんの映画レビュー(感想・評価)
これだけを見ると一見いい話なのだが、なぜか「ジョゼと恒夫の話」では...
これだけを見ると一見いい話なのだが、なぜか「ジョゼと恒夫の話」ではなく「恒夫という僕が、障害者の女の子に出会って成長できました」という男子の話、に感じられた。
どうも男性目線ロマンスだなという感じ。
また恋愛感情の描き方は各キャラともテンプレだし、どちらにも感情移入がしにくい。
違和感は、原作にはあった女性障害者への性加害の話がばっさり切り取られているという記事を読んで合点がいった。
もしアニメにも少しでもそういうシーンがあれば、ジョゼのツンケンした意地を張った態度は、そういう危険や不安や裏切りにたくさん出会ってきたことによる防御というところがかなりあるだろうと、女性ならすぐわかる。
それによりジョゼがいじらしく、もっと親近感あるキャラになっただろう。
しかしそれが全部消されたことによりジョゼは生来意固地で横柄な態度なだけの女子になってしまった。
恒夫にしてもそういうシーンを目撃して、障害者の女性に特有の危険を悟って、危ないと思うからジョゼの世話をやめられないという経緯があったら、恒夫というキャラがさらに優しく責任感ある人格としてたってきて、好きになれたと思う。
現状では、はっきりした目的意識と強い意志がある恒夫が、ずるずるジョゼの世話を続けるのは、恋愛感情もはっきり書かれてもいないしなんだか違和感がある。
恋愛感情も女性キャラほどはっきりとは描写されないからただきれいな好青年モデルお人形みたいな感じで、全体的にしっかりした子なのに状況に流されているように見えるし。
顔がいいだけという印象ではっきりしない。
また、ばあちゃんがジョゼを外に出したがらないのも他者の介入を嫌がるのも、性加害というリスクや経験があったからということなら、気持ちが理解ができ、ばあちゃんの情を感じられるが、それがないので、ただ意固地な変わったばあさんのようになってしまい、死んだときもあっさり逝ってしまった感。そのシーンがあれば視聴者としても悼む気持ちももっと湧いたのに。
エンタメなので嫌なひっかかるところはあえてばっさり切るという判断はときにはありだろう。
しかしつまりは健常人のさわやかさ消費のためにリアルの障害者女性の苦しみはネタにされただけで切り捨てられたわけだ。
原作はそれ込みでジョゼというキャラクターを書きたかったはずだ。
性被害が除去されていることを指摘した記事でもあったが、それならなぜこの原作を使ったのか?
原作のネームバリューだけとって、自分たちのしたいさわやかキレイキレイラブをやりたかったというか、結果、そうなった。
完成された物語というのはすべての要素が必要な部品としてそこにあるので、ひとつが気に入らないからといってそこをぶっこ抜いてきれいにまとめても、どこかに破綻が残る。
結果、絵や演出や音楽のおかげでキレイキレイな成長者にまとめたように見えるが、健常者と障害者の交流者としても、男女のロマンスとしても成長者としても、お手軽お涙ちょうだい二時間ドラマのようなキレイキレイなだけのままごと映画になった。
あと二次元も、それに関わる男たちも、いい加減男の性加害の透明化という逃げをやめたほうが自分たちのためだと思う。
まあ、ジョゼをエロく描かなかったことだけでもいいかもしれないが、女性向けでもあるだろうから当然か。
絵はきれいです。