星の子のレビュー・感想・評価
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【”大人に近づくと、分からなくなることが沢山ある・・”両親が信じるコトを、想いを寄せる人から否定され心の葛藤を抱える少女の姿が切ない・・。そんな時は信じあう家族で美しい星を見よう・・。】
ー中学3年のちひろは病弱な未熟児として、誕生する。ちひろの皮膚の湿疹の悩まされていた優しき母(原田知世)はある時、父(永瀬正敏)の同僚に紹介してもらった不思議な水 ”金星のめぐみ”に出会い、ちひろの肌を丁寧に拭うと・・、症状は回復。
と共に、ちひろは風一つ引かない元気な女の子として育っていく。喜ぶ母と父(永瀬正敏)。そして、両親は”金星のめぐみ”を”配る”ある団体の活動に専念していく・・。-
■印象的な事
1.今作が、新興宗教を扱いながら、その是非を問うのではなく、ちひろ及び、ちひろ一家の結びつきの変容に焦点を絞っている所。
そして、ちひろが当たり前だと思っていた両親の行動 ―頭に白い布をかけ、”金星のめぐみ”を少しづつ垂らしながら祈る姿。- が世間的に見て、オカシイと気付いていく過程をじっくりと描いている。
1)ちひろの姉まさみ(蒔田彩珠:素敵な女優さんである)は、そんな両親に反発している。内緒で台所の目立たないところで珈琲を飲む二人の姿と会話。
ちひろ一家を心配して、時折訪れるゆうぞうおじさん(大友康平)の描き方。
又、父の同僚で信者である男の息子は喋れないはずだったが、喋れる事にちひろが気付くシーン。そして、ある日、まさみは家を出る・・。
ーこの流れで行くと、新興宗教を糾弾する流れかなあ・・・、と思いきや・・・。-
2)想いを寄せる先生(岡田将生)がちひろたちを車で自宅に送る際、ちひろの両親の ー頭に白い布をかけ、”金星のめぐみ”を少しづつ垂らしながら祈る姿ー を偶々見てしまったときに漏らした言葉。”何やってんだ‥。完全に狂っているな・・。”車を飛び出すちひろ・・。
-それは、ショックだよなあ・・。愛する両親を想いを寄せる人からあんな言われ方をしてしまっては・・。ー
3)だが、ちひろは両親及び教団を前面否定せずに、集会にも足を運ぶ。数少ないが友人(新音:「まく子」以来だなあ・・。大きくなったね 親戚のおじさん状態・・)もいる。
■ちひろの周りの人々を、ちひろ一家を否定するのではなく、ちひろを心配するトーンで描いているところが、この作品の風合を優しくしていると思う。
2.新興宗教の主要な人物を高良健吾、黒木華の二人の実力派俳優が気品よく、演じている点。
-この要素も大きいと思う。演技が余り宜しくない俳優が演じると、怪しさ満点の団体になってしまう・・。-
3.まさみからも”子供が出来た”と連絡が入る点。
-完全に両親と縁を切った訳ではないのだな・・-
<そして、雪が少しだけ積もっている中、親子三人で肩を寄せ合って、仲良く星空を眺めるシーン。
何となく、この親子なら、大丈夫なのではないかな・・と思ってしまったよ・・。
芦田愛菜さんも、子役から女優への移行期で、大変なプレッシャーを抱えているのであろうが、”頑張り過ぎない程度に” 頑張って欲しいな・・と親戚の叔父さんの様な気持ちで、思った作品。>
(諸般の事情で)視聴者に考えさせる良作。
※ 内容的にセンシティブな映画です。
本レビューでも、思想良心の自由や信教の自由を否定するものでない点は断っておきます。
今年36本目。
tohoシネマズのマイレージサービスってどう使うんでしょう…(3,000ポイント以上たまってる…)。
さて、こちらの作品。
主人公が幼いころに皮膚疾患(おそらく、アトピー?)で、宗教に傾斜していくところから始まります。
どうしても内容が「扱いにくい」ところであり、映画内でもできるだけ肯定も否定もせず描写している分、鑑賞者に自分で考えてね、という点を強く感じました。
本来であれば、「新興宗教で病気が治る」とか「特定の飲料水で病気にならない」といった両親の意見を真っ向から(映画作成者側が)否定するのが筋なのでしょうが、時代が時代だけに、あまりにも度がすぎると、実世界にもそういう業者がいるだけに問題になりかねず、その点はあえて回避した(自分で考えてね)という、一見「逃げ」に見えるものの、やむなしかな…と思います。
鑑賞後に考えたことがら。
・ 両親の信仰する宗教は、その子にまで強制できるか?
(作品でも、主人公の子が好きで信仰しているか、親から強制されていやいや信仰しているかは、微妙な描写になってます)
・ これだけ現代医療が発達している現在、宗教で医療を超えられる、という考え方を持つのは妥当か?
(実世界でも、生命的に危篤な状況で、親が宗教信仰を盾に医療を受けさせることを拒否するのなら、行政は親権停止等で強制的に介入するでしょうね)
・ 新興宗教であること(=古典的宗教でない、という意味)「のみ」を持って、存在を否定したり、新興宗教であることのみを持って偏見を持つことが妥当なのかどうか
(⇔新しい宗教が生まれなくなってしまう)
短い映画(100分ほど)ではありましたが、色々考えさせるところがあります。
評価は下記の0.5で4.5にしました。
0.3 … どうしても上記の点(ただし、映画内で積極的に触れたくない点は理解しうる)をすべて回避してしまったため、視聴者(鑑賞者)の感想に任せるところがかなりあり、こう、「何を伝えたいか」が「なさすぎ」という点でしょうか…
0.2 … エンディング前。唐突に終わってしまうのですが(「タイトル名から」ある程度推測はできるが…(ヒント?))、「それも含めて」視聴者(鑑賞者)に考えさせる点が多すぎで、特にこちらは「終わり方が唐突に過ぎる」ように思えました。
ただ、宗教観や思想良心について考える良い機会ではあると思います。
まぁ何とか
芦田愛菜が自然
そう言えば、家が宗教やってて寝る前お祈りしてるんやって話聞いいたことある。その時は、フーンって。しかし親は、怒ってたなあ!借金してまで献金してはって
夜逃げした家族もあったな。
しかし、芦田愛菜ちゃん、自然な中学生を演じてたね。
いい映画です。説教なんてないし
少女の成長していく話。
自分の意思ばかりでは成り立たない
宗教作品らしい
深くて静かな優しさに包まれます
観賞後に引きずる余韻が静かで深くて暖かい。
とても心地よい作品です。
怪しげな新興宗教が出てきます。
確かに宗教への熱心さが高じると、それを信じていない人にとっては、ある種の偏狭さや奇異さ、非寛容に繋がることは否定できません。
でも、永瀬さんと原田さんが演じるご両親は奇異ではあるけれど、さほど非寛容ではありません。帰ってこない長女のことについても、許すとか許さないという〝裁き〟の観点では見ていないのです。ただ寂しい状況を受け入れて自然体で待ち続けています。
ちひろの学校での交友関係にも、あの子に近寄ってはいけない、みたいな干渉はしません。ただ、金星の水を通して神秘の力を授かりながら順調に育っていく姿を見守り続けているだけです。
ちひろの素直で穏やかな感受性もその賜物なのだと思います。
疑いはしても、短絡的に自分が宗教の被害者だったんだ、と反抗的になることもないし、南先生(表面的には〝良識ある〟人たちの側にいる人)の胡散臭さも直感的に見抜き、恋愛対象として、というよりひとりの人格として失望を覚えます。
『魂の救済』みたいなものには、宗教とか、神秘の水などなくてもいい。
代わりに結婚してあげようか、と言える友達。
今晩一緒に星が見たい、と声をかけてくれる人。
そんなさりげない優しさが、実は身近にある。
そんなことに気がつくことができれば人生も捨てたものじゃない。
もし、台風一過で晴れてくれるのであれば、今宵は空を見上げて、流れ星でも探してみるか。
と、気取ってみたけれど、天気予報ではしばらく晴れそうにないですね。
信じるとは
素晴らしいキャスト陣です。
芦田愛菜ちゃんの演技を久しぶりに見ましたが、本当に素晴らしい演技。
宗教を信じるも信じないもあなた次第。
信じる者は救われる。
ちーちゃんは成長にするにつれ、疑問を抱くも、怪しい水を堂々と口にする。
両親を変質者扱いをさらて涙を貯める。
でも、両親の事が好きな、ちーちゃん。
ちーちゃんは、この件でひと回り、精神的に成長した。
やっぱり、信じる者は救われるのだ。
【好きって何? その3】
家族の形は様々だ。
様々な困難を経て、他と違う家族の形になってしまうこともあるだろう。
大森作品としては、「タロウのバカ」と「マザー」に続いて、「好き」とは何なのか考えさせられる。
自分を救ってくれた両親への愛情。
それを少し冷めた目で見ていて、息抜きを提供してくれる姉への憧れのような気持ち。
叔父家族への感謝。
友情。
美しい顔立ちの教師への恋愛ともいえない気持ち。
きっと「好き」は多様なのだ。
そして葛藤を伴うのだ。
あなたがここにいるのはあなたの意思じゃない。
確かに、僕達は親を選んで生まれてきたわけではない。
だが、葛藤しながら選択することは可能なはずだ。
動き回ってたら一生会えないかもしれない。
だが、じっとしていたら手に入らないものもきっとある。
だから、人はその時々で選択をして前進するのだ。
同じ場所にいても、見える風景は人によって異なるかもしれない。
同じ場所にいても、同じ流れ星を見ることが出来ないように。
でも、離れて暮らす姉が、もしかしたら同じ流れ星を見ている可能性だってある。
この3人は、きっと、それに気がついたのだ。
※ 僕は禅宗のお寺の血筋で、お経を唱和する会や座禅、写経に何度となく参加してこともあるし、神道の神職のペーパー資格も持っていて、一番古いと言われる祝詞を諳んじることもできる。
でも、新興宗教も宗教だと思う。
変に何かを売りつけたり、過度に組織的な勧誘などしないのであれば、偏見は必要ないと思う。
昔、浄土真宗の(相当)高位なお坊さんに京都を案内してもらったことがある。
その際、青蓮院さんに立ち寄って、浄土真宗は、この隣で蓮如が始めた200人規模の新興宗教だったんだと教えてもらった。
近代化や人口減少で宗教も変化を避けられなくなってきている。
意義を見出す人もいれば、そうでない人もいる。
でも、害を及ぼすのでなければ、毛嫌いなどせず、そっとしてあげれば良いと思う。
同じ流れ星を見ることのない家族
封切り日なので何か観よう的な軽い感じで観賞
芦田愛菜は別に作品を意識してみたことはありませんでしたが
大きくなったもんだなと…
そういえばパシフィック・リムも出てましたね
感想としては
宗教にハマる親という斬新なテーマ
間で表現する映画らしさ
絶妙な配役
ドキュメント風のリアリティ
ちょっとワンパターンな宗教ハマり描写
なんか投げっぱなし感のあるオチ
などマズマズ面白かったです
林家の次女ちひろは未熟児で生まれ悲観する両親は
宇宙パワーの水みたいのにすがりつき
それで回復した(と思い込んだ)両親はその宗教に
のめり込んでいきながら15年後に舞台が移ります
ちひろは生まれたときから両親がそんなだったので
何も疑問に感じていませんが姉はこんな両親に
愛想を尽かして家を出て行ったり
小学校や中学校では宗教にハマっている事を
馬鹿にされたりするようになってきます
それでもちひろはハンサムな男性に憧れを持ち
中学でも数学教師南に恋心を抱きノートに似顔絵を描く日々
そんな生活が徐々に壊れていきます
宗教にハマる家庭の描写はなかなか面白く
ちひろが赤ん坊だった頃は中流的な家に住んでいて
長女まーちゃんも家にいたのですが
15年後にはボロい平屋に家の奥には宗教の祭壇があり
両親はジャージとわかりやすく吸い上げられている描写が印象的
中学校にも同級生に同じように入信している友人
していない友人もいますがちひろとは普通に接しています
「無関心に勝る寛容なし」ってやつでしょうか
憧れの南先生も理想に燃える若い教師って感じですが
噂を立てられたり言うことを聞かない生徒にいつしか
怒りが爆発してちひろに当たったりしてしまいます
ちひろはたびたび世間と自分の家庭のギャップに
押しつぶされ泣き出しますが原理主義的に結局元の感覚に
戻ってきてしまいます
でもそれは宗教を大事にしたいというより両親を
大事にしたいという気持ちが勝っていたのでしょう
そんな感じでちひろが変化を見せつつ結局変わらない
という展開でこれどうやってオチつけるのかなと
中盤には気になってきます
何かとんでもない事件が起こるとか
警察が踏み込んできて宗教団体が崩壊するとか
でそんなことは一切起こらず家族で星空を見上げて
映画は終わってしまいます
つまり中盤当たりでもう話は終わっちゃってる感じで
なんか拍子抜けな感じはありました
配役は絶妙で立場ごとに明確な演技がなされており
そのあたりのシーンは非常に見応えがあったし
蒔田彩珠は若い頃の伊藤かずえ思い出しました
南先生をエドワード・ファーロング(T2主演の少年)
と言ってましたが君いくつやねんという気もしました
テーマも切り込んでて斬新さを感じましたが
もう少し掘り下げを期待したい部分もありました
でも全然悪くは無いです
幸せの定義
信者一家のドキュメンタリー。やるせない気持ちになった。シンミリしてしまった。ただ、ただ、幸せになってケロヨーー!と。祈りたくなる、ドキュメンタリーの様な映画でした。
新興宗教を真っ向から批判するでもなく。肯定もせず。忌み嫌い馬鹿にする人を、寧ろ醜く描き。信仰と人格を分けて考える親友には、共感しか無いし。
信じて救われてるのなら、それで良いんじゃ無い?と思わされたりする瞬間もある。だってですよ。林さん一家は、「極めて不幸」なんかにゃ見えないんですもん。
ただ。宗教でハコが建ってるのを見ると、何だかなぁ…騙されてますよ、あなた方!って言いたくなる。
いずれにしても、幸せかどうかを決めるのは自分自身。
だからこそ。
恋心を抱く人に、両親を「狂ってる」とまで言われた哀しさから逃れる様に、夜の街を走るちひろが切ない。
何が「特別な星空」なのか分からない夜空を、身を寄せ合って眺める姿が、一家の全てを象徴してる。お風呂の時間=世間のルール常識を気にするちひろ。特別な場所で見る夜空=神秘的な力の存在を信じて疑わない両親。三人で見なければ意味が無いと言う父と、うなずく母。2人に挟まれて、一緒に星空を見上げるちひろ。
私達は幸せです。
あなたの尺度で測らないで下さい。
狂ってるなんて言わないで下さい。
私達の幸せを定義するのは私達であって、
あなたでは無い。
的な。
大森監督としては、Motherとの対比ってのも意識したんでしょうかね。俺は、こっちの方が好きです。流れ星を探す三人の、小劇場みたいな地味な演出が、ものすごく好き。
良かった、とっても。
優しい映画
見えないものを見ようとして 流れ星を探したお話
セリフではっきりと説明されないからこそ、噂レベルだからこそ、気持ち悪い。否応なしにも考えさせられる、余白の多い作品でした。
結局主人公は、怪しげな団体についてどのようなスタンスなのかすらも解釈が様々ありそう。未熟児で産まれ、身体が弱かったが、神聖な水を使用するとみるみる元気になっていったという事実だけははっきりと日記で示されている。 実際にそれから主人公も主人公の両親も風邪を引いていない(らしい)という事実もはっきりとある。
でも果たして効果はあるの?と、盲目的に信じるのではなく懐疑的になっていく。先に懐疑的になった姉は、実質「家族と縁を切る」という選択をしていて…果たして主人公はどうするのか、友達との関わり、叔父との関わり、恋する男教師との関わりから揺さぶられていくという、"思春期映画"とはまた一線を画す内容でした。
最後の主人公と家族が流れ星を見るというシーンで、自分は、家族と一緒に怪しい団体に今後も巻き込まれていくということを主人公が受け入れるというバッドエンド(個人的な捉え方では)と解釈しました。
このシーンは、怪しげな団体のセミナー?交流会?で同じ施設に宿泊しています。主人公は今までとは違い両親と別の部屋に宿泊することになっています。セリフでは「両親と乗るバスが違ったから」と言ってましたが、その前に叔父夫婦から『高校から今の家族と離れて過ごそう』と提案するシーンがあり、きっと叔父夫婦は主人公の両親にも同様の提案をしているので、ある意味「家族と離れて暮らすお試し期間」だったんでしょう(修学旅行の代金もお金がないことを名目に叔父夫婦に払わせているが、お金は怪しげな団体につっこんでるだけっぽい)。
同じ施設内にいて「両親が主人公を探している」のに探しても会えなかったり、主人公には見えている流れ星が両親には見えていなかったり(見えないふりをしたのかもしれません)、結局両親と主人公はすれ違い続けます。団体に対するスタンスも明確に違います。
それでも主人公にとっては「家族」が優先なんだなと思わされるのが、同じ施設内でなかなか会えないときの酷い動揺と、劇中主人公が拘るかのように使う『婚約』『結婚』という言葉に現れてるのかなと思いました。家族の定義すらも目では見えないんですけども。周りからどんな目で見られようが、あの姿こそが私の父親であり母親であると、これからも彼女は事あるごとに伝えていくんでしょう。何と悲しく恐ろしいことかと第三者的には思いますが、当事者からしたら至極どうでも良いこと。ただ、盲目→懐疑的になったことが主人公の成長だと思いました。
正直、見終わったあと『全くわからなかった』というのが1番の感想だったけれど、『あの噂ってどこまでが本当だったんだろうか』とか『結局主人公はこの後どうなるんだろうか』とか、語られないことが多く、でも語られない噂レベルの事こそが怖いなっていう気持ち悪さが、この映画の本質であり、魅力だと、これからも余韻が楽しめそうな作品でした。
芦田さんの教師に「嘘だけど」という前に置く一呼吸だけでも入場料金のもとが取れる素晴らしい作品です。
正直、良く分かりません
前半は面白かったです。小さい時のちーちゃんも可愛らしく演じられていたし、現在の芦田愛菜の演じるちーちゃんも良かった。新興宗教を背景にこれからどう展開していくのか興味深く見ていたけど、あまり展開に幅がなく、ラストも、あっ終わっちゃった!って感じでした。うーん、主人公は宗教自体はそこまで信じていないけど、その宗教を心から信仰している父と母は他人にバカにされてもやはり愛しているってことなんですかね。しかし、ラストはもう一捻り展開が欲しかったかな。
追記
皆様、沢山の共感ありがとうございます。
最後はこうなるのかなーって自分が予想してたのは、ラストシーンで親子三人で星を見ていた時に、父(永瀬)がちーちゃん(芦田)に「おじさん(大友)の所に行きなさい」と言うのだけど、ちーちゃんはやはり最後は親子での生活を選択する。、、、なんてベタな展開ですが、その方がラストが締まると思いました。ま、原作は変えられませんけどね。
考えさせられる作品
いい映画です
宗教をテーマにした映画というより親を信じることを周囲に否定された少女の迷いを描いた映画だと思いました。
当たり前のように怪しい水を学校の机に置き授業を受ける主人公ちひろの姿に周囲が頭ごなしに否定できない宗教の厄介さが見て取れます。
目の前にどんな証拠を突きつけても怪しい宗教を信じ続ける両親にちひろは疑問を抱くものの自分の中で親を恥ずかしい存在にしたくないという葛藤に悩み苦しみます。そしてその姿は観ている我々をちひろだけでも何とか救えないかと居ても立っても居られない親戚家族の気持ちにさせます。この映画は予想できないラストを迎えますが終盤の宗教団体集会でのちひろの心の動きは一切説明されず観ている我々に考えさせる作りになっています。
私も見終わった後はしばらく呆然としてしまいました。
盲目的に信じることからの目覚め
この作品は明かされない謎が多い。
みなみ先生は【良い】先生なのか、【悪い】先生なのか。
ちひろ一家が信じる宗教は【いい】宗教なのか【悪どい】宗教なのか。
今までちひろは幼い頃から家族が信じてきたものを疑うということを知らずに「ただただ」信じてきた。
しかし、みなみ先生の一言がきっかけで揺らがなかった信じる心【信心】がわからなくなってくる。
だからこそちひろは言うのだ。
「わからない」
と。
我々観客もわからない。
みなみ先生が生徒に手を出している直接的な描写はないし、宗教団体が監禁して水晶を買わせたシーンは出てこない。
一体何が真実なのか。
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