子どもたちをよろしくのレビュー・感想・評価
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何度も言う。ギャンブルのために借金したら絶対負けるって!
『MOTHER』や『許された子どもたち』という衝撃作を観た後では、ちょっと見劣りがする。ましてや『ステップ』という前向きに生きる作品を観た後だ。DVやイジメ、ギャンブル依存といったインパクトのある問題提起は感じるものの、ストーリー的には終盤の展開に集約されすぎたように思います。TVドラマ「フルーツ宅配便」のようにデリヘルという風俗に限定しても良かったかな~と思う。もしくは市会議員候補の夫が優樹菜にハマったとかのドロドロ展開・・・商工会会長だと弱すぎかな。
優樹菜、稔の家庭が、室内を見渡す限りはかなり裕福そうでしたが、やっぱり夫が親から受け継いだ家だったのでしょうか。飲んだくれ親父にしては稼ぎが良すぎる気もします。ダメ親がなぜ再婚したのかは想像できるだけに、その背景も知りたいところでした。
デリヘリの送迎車はタクシードライバーから見ると“邪魔”でしょうがない。何人もの女の子を抱えてる店にすれば送迎も大変だと思うのですが、それでも稼ぎは少なそう。「これしか仕事がなかったんだよ」との言い訳は通用しない。多分、トラック運転手の人手不足を考えれば、まだまだ仕事はありそうな気がします。逆にデリヘル送迎なんて求人は見たことないぞ!(笑)
などと言ってみても、このコロナ禍じゃほんとに仕事はなさそうです。洋一くんちみたいな崩壊家庭が増えないことを祈るばかりです。ちなみに最後の優樹菜の行動は謎です・・・
子どもがいじめを受ける原因は親にもある
この作品で考えないといけないことが何点かある。
子がいじめを受けるてる原因が親にある場合もあること。この作品の場合、親の仕事、風呂が無く臭い、給食費など学校の費用を払わない、など、生まれてきた環境が原因だった。
自分がいじめを受けそうになって初めていじめていた同級生の気持ちがわかること。
いじめた側はどうきが自殺しても、知らない、とか、いじめは無かった、とか事実じゃない事を言う場合もあること。
子どもに対して、いなけりゃいい、と言ってた父親が、子どもが死んだら、いじめだ、とかどの口が言うんだ、って思う。親も世間体の良いことだけしか言わない、つまり、世の中嘘つきだらけ、ってことが日常的に起きてる事を知っておく事が必要なんだと思う。
考えさせられる良い作品だった。
【一升瓶とパチンコにのめり込んだ愚親達が引き起こした事。】
-子どもに、親は選べない。-
ミノルとヨウイチの関係性が、哀しい。
親に"実質的に"捨てられた、似た者同士でありながら、苛める側と苛められる側になる。
-が、最後に苛めを認めるのは、ミノルのみ-
■一番腹が立ったシーン
・ヨウイチの自死の理由をを学校の苛めであるとし、パチンコ依存性の父親が、会見をするシーン。
-お前の愚かしき行為が全ての原因だろう!-
■製作者の想いを世に伝えるために、もう少し、脚本を練りこんで欲しかった作品でもある。
〈親になるのであれば、命懸けで魂を込めて育て上げる覚悟をしろ!〉
映画の重要な問題提起を感じて欲しい
私はとある映画合評会のメンバーサークルに所属していますが、そこの3月の課題映画がこの作品でした。
課題映画でなくても見るつもりでしたが、課題とあればより一層心して見よう、と思って鑑賞しました。
「映画的に成功していない」「ストーリーに無理がある」という意見も合評会の中ではありましたが、この映画が提起する問題こそ本当は議論が必要で、タイトルの子どもではなく「大人への考えるきっかけ」があればと思い、あらためて書きました。長文ご容赦ください。
子どもが育つのに大人の存在が必要であるのは当たり前のこと。
ですが、この映画は、子どもに寄り添えない大人、そういう弱い大人に寄り添えない他の大人、そして社会がいかに問題であるかを最初から最後まで投げかけてきます。
片親家庭、貧困、そこから発生するいじめ、家族崩壊、DV、性的虐待など、子どもたちを今とりまく問題が映画の中にこれでもか、と盛り込まれた作品です。親にも誰にも守られなかった子どもは孤立を深め、最後は絶望が待っています。
私たち大人には子どもを守り、育てる(それは直接的にも間接的にも)責任があります。これは絶対的で、その責任を持つことが「大人であること」だと考えています。
この、責任を持たないで生きられる、「見ないふり」や「無関心」でいられる世の中に対する問題提起を映画はしているのです。
(本当は子どもの問題だけではない、根深い問題です)
子どもと言うと思春期に差し掛かる前のイメージを連想しがちですが、それは違うと思います。
映画の中で描かれる中学生も、大人と子どもの狭間で揺れ動く最も不安定な年代の子どもたちです。
自分のことも、生活するための家事全般もある程度頑張ればできてしまう。でも、やっぱり彼らはまだ子どもなのです。
むしろ、保育園や学童保育などの学校と家庭以外の受け皿もなく、SOSが見えにくい彼らを大人が何とかしなければいけないのです。
もう、見て見ぬふりはもうやめましょう。そして、何ができるのか考えて欲しいのです。
この『子どもたちをよろしく』の隅田靖監督は、今もJRの駅で障害者の手助けをする警備員の仕事を続けているそうです。
私自身、学童保育の理事という役割をする中で、子どもたちを取り巻く環境や問題を知り得る機会をもらっています。
(ここ数年は名ばかりですが)
子どもの頃「なんか大人って全然違うな」と思った記憶があります。それは「大人社会」が子どもを守ってくれてたからなんじゃないかと思っています。
自分が大人になった今、そうなってるかよくわからない。それでも、「責任を持つ」大人でいようと思うことがとても重要だと。
そんなことを強く思い起こさせる素晴らしい映画でした。
今、外出自粛の厳しい状況下ですが、チャンスがあれば一人でも多くの「大人」に見てもらいたいです。
封切で見られなかったとしても、レンタルや配信、また上映会(映画祭など)などで出会う機会があれば、スルーせず引っかかって欲しいのです。
私はこの映画を絶対に応援したい、まずはできることから。
そこに少しでも共感してもらえたら嬉しいです。
現実的な又は象徴的なストーリー
小学校の教員だけど…
ストーリーには、リアル感がある。
虐待されてる子どもは、普通の感覚ではないから、映画のような反応になりそう。不自然というレビューもあるが、現実にはああなると思う。
いじめで人が死んでも、嘘をつき通す子ども。何処かであったな。マットにぐるぐるにしたやつだったか?滋賀だったか?今でもあるんだろう?虐め殺して知らん顔する加害子ども、親。告発したかったのじゃないかな?寺脇さんたち。誰も責任取らないから。
バクチや酒の依存症で壊れて行く過程も多いだろうね。映画みたいに。家庭内のことに、警察は構わないから。私が感じるのは、発達障害が疑われる親の家庭が、結構やばいことになっているのではないかなということ。かなりの割合で、発達障害と貧困と、DV.過程崩壊が起きていると思う。映画に出てくる親たちはそんな人かもしれない。
学校で子どもを叱ってばかりの先生たちに、ぜひみてほしい映画。
つらいとわかっていても観ました
皆さんのレビューやサイトをみて、観ることがつらいとわかっているのに、ましてこのような時期に映画館に足を運ぶことにもためらいながらも観に行きました 寺脇さんの企画だからかもしれないし、散々批判されながらも物を言う前川さんの名前があったからかもしれない 大阪市内で1館の公開で、私が行ったところは1週目一日2回、平日日中ながらも30人くらいの実年層がマスクをつけて観られていました 家の経済状況、親の職業、ひとり親など子どもの力ではどうしようもない原因でのいじめと、子育てに向き合わない、関心のない親に育てられるネグレクト 学校の先生は学校での子どもたちの成長に専念して欲しいのに、給食費の支払いやネグレクトの気づきまで役割をもたらされている現場の実状があるのでしょう 同じ服を着ていても、汚れていても気にならない お金がないことよりも、女・酒・ギャンブルと自分の趣味が優先している父親 貧困な家庭から貧困な家庭が作られていくように、子育てに興味のないネグレクトの家庭からは愛された経験のない子が親になってネグレクトの家庭を作る、その連鎖に「地域の大人の役割」って何だろうと思います 各地の児童相談所の激務が伝えられ福祉職の大量採用がされている一方で、最近神戸市の児童相談所が深夜訪ねてきた子どもが委託していた職員に追い返された事件もありました 子どもが少なくなっているのに問題は重層化複雑化していることを思います
あの中学生、昨年の「長いお別れ」の男の子なんですね そして出演されていた大阪の俳優の上西雄大さん、近く児童虐待を描いた「ひとくず」、監督主演で近く公開です 豊かになっているはずなのに、貧困が今後拡大し、子どもがみえにくくなっていく心配が募って劇場を出ました(3月17日 テアトル梅田にて鑑賞)
クズな大人、苦しむ子どもたち
クズな大人しか出てこない作品である。
その下で苦しむ子ども、そして、同級生をイジメる子どもがいる。
さらに、家庭内では表には出ない、性的暴力を含むDVがある。
元文部官僚の寺脇研が、「デリヘルの運転手の息子」を基本構想に、隅田靖に声をかけ、4年前から練り上げて“社会派”劇映画として制作した作品だ。
寺脇によれば、最近の子どもは“自己肯定感”が乏しいという。また、イジメる側も問題を抱えているはずで、そこを解決しないとダメだという。
本当の“現実”は様々であろう。
この映画では、企画の寺脇と監督の隅田が考えた“現実”が、象徴的に提示されたということだと思う。
ドラマとしては実直な感じで、テーマの重さを考慮しても、良い意味での“外連味”がないのが欠点かも。
登場人物は少ないが、「必要なのかな?」と思うシーンがある一方で、あるべき描写が乏しかったりと、偏った印象を受ける。
また、子どもの苦悩を「ああ~!」という叫びで表現したのは意図的であろうが、賛否両論あると思う。
ただ、デリヘル嬢・優樹菜の迎えるラストは、「ええっ?!」というような展開で、そこは見てのお楽しみである。
ある種の“飽和点”に達してしまった女の選択。寺脇によれば、十分意図したストーリーだという。
事前に知らされてなかったが、自分の観た回は、ゲストに原一男監督が登場というか、“乱入”して(笑)、「聞きにくいこと」をバシバシ聞いてくれたので参考になった。
ここでバラしても良いと思うので、あえて書くが、たった一千万円で制作された映画だという。撮影は11日。
いかに、スタッフや俳優が“意気に感じて”、工夫して制作した映画かということだ。
コロナウイルスで観客動員数の減少が懸念されるが、一斉休校が大きなニュースになったことで、「給食が大切な栄養源となっている子どもがいるという現実に、目を向ける良い機会だ」と寺脇は言う。
それにしても、自分は最近、川瀬陽太をよく観るなあ・・・。
共同体の歪んだパラダイム
大変に重い映画である。救いようのない現実を突きつけられる。覚悟して観たほうがいい。
ふたつの家庭が描かれる。それぞれに問題を抱えた家庭だ。問題の本質を簡単に言ってしまえば、育児能力の欠如である。欠如のありようは人それぞれであり、子を育てる経済力のない親、愛情が薄く子供に無関心な親、自己中心的で依存心が強い親など、本来は子供を持つべきではない人が子供を生む。そして苦しむ。
ときとしてそういう親たちは「お前さえいなければ」や「お前なんか生まなければよかった」などの暴言を吐く。言われた子供は存在そのものを否定され、深く傷ついてしまう。傷ついた子供はどうすればいいのか。心根が優しく生まれついた子供は他人を傷つけられないから、自分自身を傷つけることになる。自傷行為を繰り返し、やがて自殺に至る。
それ以外の子供たちは他人や動物を傷つけてウサを晴らす。自分を否定している人間は自分のための努力をしないから、世の中を生きていくためのスキルを身に着けられない。頼るものは暴力だけという原始的な生き方になる。暴力と威嚇で世の中を生きていく人間になったりする。そして自分の子供時代を顧みることなく、子供を作る。繰り返しである。
子供たちを救えと言うのは簡単だ。一体誰から救うのか? 育児能力の欠如した親からか? しかしその親たちも、かつては子供だった。親たち自身が救われないから子供たちも救われない。救われない子供たちが救われない親となり、救われない子供たちを生産する。負の連鎖はどこまでも続くのだ。それが人類の歴史であった。
ノーベル賞を受賞したマララさんは教育を訴えたが、教育程度が高い筈の先進国でも子供たちはいじめられ、虐待されている。マララさんが理想とする教育と現在の世界の教育は別物なのかもしれないが、マララさんの理想とする教育が行なわれれば子供たちが救われるのかというと、それは多分違うだろう。
人類は共同体の価値観に弱い。そして生き延びるためなら信念も信条も投げ出してしまう。パンのためなら自由も権利も放り出す。共同体の価値観を決めるのはパンを施す人々であり、パンをもらう人々はその価値観に無条件に従わざるを得ない。そもそもそういった共同体の構造自体が、人間の存在を救いようのないものにしているのだ。
「子どもたちをよろしく」というタイトルは、共同体の我々ひとりひとりに向けられたものだ。個人の価値観が共同体のパラダイムに屈して、職業に貴賎の差をつけ、貧しい人を軽んずる社会になっていることに、根本的な原因がある。貧しい人が貧しいままに死んでいくことを「可哀想」と思うことが、既に共同体のパラダイムに精神を侵されている証左である。襤褸を纏った乞食も錦を着た富豪も、本来的に同じ人間として対等であり、等しく尊重されなければならない筈だ。
ところが我々は乞食を足蹴にし、富豪に阿る。そして子供たちもそれに倣い、他人に優劣をつけていじめる。子供たちのいじめの精神は共同体の差別的なパラダイムに担保されているのだ。大人と同じことをしているだけなのである。本作品に登場しているような不幸な子供たちを量産しているのは、共同体の歪んだパラダイムに蹂躙され、結果としてそれを支えている我々自身にほかならない。
子供を守れない国は、滅びる。そして、大人になりきれない大人も守れない国も滅びる
この映画は、私の知らない、味わった事もない狭い世界。
私が大人になって、社会に出た時、別世界を見た。そして、さらに深い世界には、
人の弱さがあると感じた。
この映画では 1年間で3万人前後の自殺者を出すこの国、日本。子供は、親を頼りにしていると感じた映画です。
是非、皆さんの立ち位置を そして 友人と夫婦で 見てほしい。
社会全体への重い宿題としての映画
見ていると辛くなる映画だった。子どものいじめ、親の貧困、ギャンブル依存、性的虐待・・など、どれも他人事とみなして自分は関わりたくないし、見て見ぬふりをしてしまうことばかりだ。そんなつらい現実がリアルに描写されるので全編にわたって暗い。
貧しい人やいじめられている人を描く映画には、そんな人たちを救おうとする優しい人や、勇気のある人が現れることを期待してしまうが、この映画ではドラマ金八先生のような頼れる人は現れず、なすすべもなく最後に悲劇を迎えてしまう。それに、中学生のいじめを取り上げながら、学校も先生も出てこない。企画者の寺脇氏によれば、いじめの問題を学校だけの責任にするのではなく、親とか地域とか社会全体で解決していくべきであり、観客一人一人にあなたならどうするという問いかけであるという。
ただ、そこまで深読みできる観客がどれだけいるか疑問である。いじめに関して言えば、むしろ学校も登場させて、例えば先生が「学校だけに責任を負わせないでください」とか率直に語らせれば、企画者と監督の真意が観客にストレートに伝わったのではないかと思う。
ちなみに群馬県桐生市で撮影されたそうだが、桐生市の地理を知っている私には、なじみ深い場面が多かった。街角のシーン、上毛電鉄の西桐生駅、渡良瀬川の橋、動物園、高台から見下ろす町並みなど、桐生の特徴をうまくとらえており、とても好ましい絵作りだった。
ステレオタイプの複雑な家族
複雑な家族関係。自分が知らないだけで、リアルにあることなんだろうけど、これは映画。観衆に「観せる」ための表現はもっと工夫があって良いと思う。
日本ドラマにありがちな、極端な固定観念とご都合主義。これを観るなら日曜のお昼のドキュメンタリー番組を観ることをオススメします。
また元文科省の役人が製作に参加しているとのこと。映画が好きで論評も書いている寺脇研ならまだしも、出会い系前川喜平が参加してことが何よりも解せない。
消毒にならないからマネしないでね
暴力オヤジ&イジメ加害者の中2の息子と、男に依存で自分を持たない母親&デリヘル嬢の娘の再婚家族のゴタゴタと、嫁に逃げられたギャンブル依存借金まれのデリヘル運転手とイジメ被害者の父子のゴタゴタの話。
イジメ被害者と加害者の二人の関係を軸に、だらしないデリヘル運転手の父親と横柄だけど弟思いなデリヘル嬢という関係や、やさぐれたその家族達をみせていくストーリー。
イジメられるタイプでもイジメるタイプでもなかった自分には、何となくは理解出来るけれど、ちょっと開き直ればとか、ちょっと覚悟をすればと感じるところが多い…自分のメンタルが強すぎたのかも!?
イマイチしっくりこない、というか子供たちにモヤモヤを感じる流れもあったし、親達には嫌悪感しかなかったけど、姉ちゃんがこの家に居た理由は何だろうと感じていた違和感の回収の仕方は劇的だし、カタギでまともな大人はおらず、鬱屈とした状態で生きる悲しさややるせなさが募る感じはなかなか良かった。
ところで、ラストのオヤジは下劣さを現しているってことで良いのだよね?
それまでの扱いに賢さを感じないとはいえ、まさか素の体じゃないと信じたい。
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