リチャード・ジュエルのレビュー・感想・評価
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FBIと弁護士と99.9%
アメリカの男の正義感の映画。
レビューしにくいが、見て損はしない映画。
子供の頃から、洋画を見て感じること。
犯人逮捕の際、
必ず、警官や、FBI捜査官が言うセリフが
「あなたには黙秘権があります」
人権が尊重されてるんだな、凄いな!
FBIカッコいい!正義の味方!
日本人でさえ、こんな感想にしてしまう映画な、ドラマの影響力。
そんな正義の味方から、逆に自分が疑われ、
尋問を受ける立場になってしまう。
当然、真実を話せば、理解してくれて、証拠に基づき判断してくれるはずだ。
だけれど、そんな事は無かった!
訳もわからず、犯人にされ、追い込められる恐怖。
マスコミの容赦ない過激な取材。
それらに対し、対抗していく弁護士の姿がカッコイイ!
しかし、この事件で、このように弁護士が対抗しなかったら、犯人にされてしまってるんだろう。多分。
逆に言えば、このような冤罪事件が数多くあり、
そのために弁護士がいるようなものなのかも。
そういえば、JFKだって、まだ真相はわからない?
わかってる?
日本では、逮捕起訴されると、99.9%有罪だってさ。
ドラマにもなってたよね。だから、
もし逮捕されたら、松潤に依頼しないとほとんど有罪確定だ。裁判いらないじゃん説もあるし。
間違っても逮捕されないように生活しなきゃ。
でも、アメリカの警官で太った人ってなんなの?
まともに走れないだろ!
そんな、自己管理も出来なくて、何が正義の味方なのか!と言いたい気もする。
素っ頓狂な純朴さが清々しい地味ながらずっしり重いドラマ
1996年のアトランタ五輪、イベント開催中の公園で警備員のリチャードは不審なバッグを発見する。すぐに通報し周囲の観客を避難させたところでバッグは爆発、死者2名を出したもののそこにいた多くの観客の命を救ったとして一躍時の人となるリチャード。出版社から自伝を出さないかと請われたリチャードはかつて一緒に仕事をしたことのある弁護士ワトソンに連絡を取り代理人になってもらうことにする。しかしそんな喧騒の裏でFBIはリチャードを容疑者として捜査を開始、その事実を新聞社がスクープしたことからリチャードは一転疑惑の人に、ワトソンとリチャードは無実を証明するべく戦うことになる。
ここ数年実話の映画化ばかりを手掛けている巨匠クリント・イーストウッド監督による本作、奇を衒ったところが一切ない地味なドラマ。細かいところに気がつく繊細さを持ちながら並外れた正義感ゆえに暴走し周囲から疎まれるリチャードと彼の優しさを信じて弁護を引き受ける熱血感ワトソンが立ち向かう敵は決定的な物証がないのをいいことにあらゆる手で状況証拠を積み上げようとするFBI。強引にも程がある捜査にもかかわらず自身の無実を証明しようとFBIに全面協力しようとするリチャードの素っ頓狂な純朴さが物語全体に清々しい明るさを与えています。ワトソンもまた自身の正義感ゆえに不遇な立場に追い込まれていることが暗に匂わされていて、リチャードを守ることに静かな執念を燃やす様に胸が熱くなります。一見粗暴だが惜しみない慈愛を滲ませるワトソンを演じるサム・ロックウェルの名演が光ります。またリチャードを心から信じているがゆえに周囲の不寛容に胸を痛めて傷つく母ボビを演じるキャシー・ベイツの繊細な演技も実に見事。個人的にはワトソンを支えるロシア訛りの助手ナディアを演じるニナ・アリアンダがさりげなく滲ませる母性にグッときました。
前作『運び屋』では自身の贖罪を滲ませていましたが、本作ではよりキリスト教的な寓話として本作を捉えているのではないかと思いました。すなわち「善きサマリア人のたとえ」でしょうか。作品を重ねながら毎度手を替え品を替え新しい作風を持ち込み、静かに世に問う巨匠が恐らくは物凄い早撮りで仕上げたであろう本作、人としてどう生きるべきかを問うずっしり重い傑作でした。
ある種のホラー映画
メディアとFBIの力がすごい怖かった。
ジュエルが「なぜそんなに捜査に協力してしまうんだ!」と言われたり、FBIから都合の良い供述等を取られそうになるシーンは、「自分だったらうまく回避できるかなぁ……。無理な気がする……」と考えてしまいました。
少し頭が弱い描写をされることが多かったジュエルが、本当に駄目なところは全て回避できていてよかったです。
尊厳を取り戻したひとりの人間に対して、素直に祝福できる立場の人間になりたいものだ
1996年、米国アトランタ。
高齢の母とふたり暮らしのリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)。
彼独特の正義感からか、その行き過ぎた行動から、法律事務所のオフィス清掃員、大学の警備員など職を転々としている、いわゆるプアホワイトに属する一人だ。
オリンピックの関連音楽イベントの野外会場で警備員をしている際、不審なリュックを発見し、過敏な(けれども手順に則った)セキュリティ行動を取るが、果たしてリュックは爆発。
死者ふたり、多数の負傷者が出たが、行動が早かったため、被害は最小限にとどまった。
このことで、リチャードは一躍「英雄」として注目を集めるようになったが、第一発見者=犯人、および犯人のプロファイル像にあてはまることから、FBIはリチャードを第一容疑者として捜査を進めることとなった。
そして、捜査状況がリークされ、新聞報道された結果、リチャードは「英雄」から一転、「犯人?」と疑いの目で見られてしまう・・・
といった物語だが、爆破予告を電話で告げる犯人のショットがあることから、観客には「彼が犯人でないこと」は事件が起こった時点からわかるように作られている。
そうすると、彼が犯人なのかどうか、は焦点ではなく(実際の出来事なので、彼が犯人でないことは米国では知られている)、「どのようにして」犯人でないことを立証するのか、というサスペンス映画かしらん、と思って観つづけていくのだが、そういうタイプの映画でもない。
そこのところは、爆発現場から爆破予告がされた公衆電話までの距離や、爆破予告の電話の録音などという物理的証拠は、この映画の後半ではあまり重要視されない。
(『科捜研の女』や『CSI』などのサスペンスミステリ映画ではないということ)
ならば、この映画の中心となるのは・・・
タイトルに立ち返ると、はたと気づく。
リチャード・ジュエルが関わった「事件」ではなく、リチャード・ジュエルそのもの。
彼の行動そのものなのだ。
彼は常に本当のことしか言わない、行動しない。
爆破事件で取った行動はマニュアルに沿ったものだし、ハンティングが趣味で多数の銃器を所持していることも隠さない。
この正直さが、終盤に描かれる、FBIを前にしてリチャードの心情告白に活きてくる。
愚鈍であるが、無知蒙昧ではない。
彼と対比して描かれるのがFBI捜査官(ジョン・ハム)と、容疑者説を第一報した女性新聞記者(オリヴィア・ワイルド)。
彼らは、鋭敏であるが、無知蒙昧である。
さらに彼らは、自分たちの過ち・誤りに対して、謝らない(権力側は、いつだって謝らない)。
あまつさえ、女性記者はリチャードの母親(キャシー・ベイツ)の記者会見のスピーチを聞いて涙を流すだけなので、質(たち)が悪い。
この中間に位置するのが、リチャードの弁護士で、映画のビリングトップは演じたサム・ロックウェルである。
出演料やネームバリューの関係もあるだろうが、観客にも彼の立場を求めているのかもしれない。
名誉、というか人間の尊厳を取り戻したリチャードに対して、素直に祝福できる立場の人間として。
明日は我が身
人の命を助けたのに犯人扱いされ主人公が
追い詰められて行くさまを描いた映画
日本の報道でもあることだが
とにかく他の社よりも早く記事にして
自分の名声を得たいがために実名報道する様は
そのことで名前をあげられたものの気持ちなど
全く無視である
何かを成すときに時に人は悪魔に代わることがある
特に権力を持つものは誰も止めることが出来ない
それに立ち向かうには物凄い意志が必要になる
主人公ジュエルと弁護士の二人が
無罪を勝ち取るべく戦う姿はみるものに勇気を与える
ジュエルの無実を信じる母を演じるキャシーベイツにも
心を打たれる 大きな瞳で涙をボロボロ流す姿は
私も共に泣いていた
クライマックス FBIの輩に思いのたけをぶつける
ジュエルに心の中で拍手喝采だった
イーストウッド監督の作品は大好きだ!
第一発見者は容疑者か?冤罪か?
1996年のアトランタ爆破テロ事件の実話をもとに描いたサスペンスドラマ。1996年、五輪開催中のアトランタが舞台。監督はクリントン・イーストウッド。
警備員のリチャード・ジュエルが、公園で不審なバッグを発見する。その中身は、無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾だった。
警備員の仕事を一生懸命に行い、不審物発見で爆弾テロを未然に防ぎ、一躍英雄視されたのもつかの間、FBIによる、第一発見者が怪しいという無根拠かつ強引な捜査と、メディアによる犯人であるかのような報道。前日まで英雄だと持て囃していたテレビコメンテーターが、今日はあっさり「怪しいと思っていた」と手のひらを返した。そしてアメリカ全国民がメディアに踊らされ虚偽の報道を鵜呑みにしてしまう。
これは、まさに現代社会の負の連鎖。
マスメディアとSNSによって、出来事が虚偽でも事実でも関係なく、驚異的な速度で拡散されてしまう。この意味を上手く取り入れ巧みな技でメッセージ性も高い。90歳のイーストウッド監督の恐るべき時代感覚には脱帽だ。
「第一発見者が疑われるなら、警備員の誰もが不審物を見つけても通報せずに、自分だけの身を守り逃去るのが得策、ということになってしまう」というジュエルの言葉が胸に突き刺さった。
事件のことを全く知らずに鑑賞
今日は、川崎で映画
「リチャード・ジュエル」を観ました。
アトランタ五輪の時のコンサートでの爆発テロの犯人にされそうになった男の物語です。
若い太った警備員の話で、冤罪を晴らしてゆく弁護士がサム・ロックウェル。警備員リチャード・ジュエルに、ボール・ウォルター・ハウザー。リチャードの母親に、キャシー・ベイツ。
監督はクリント・イーストウッド。実話の映画化で、なかなか見応えがあります。
事件のことは、全く知らずに鑑賞したので、この、1996年の実話の成り行きに、同時進行で感情移入しました。
やはり、なんと言ってもすごいのは、監督のクリント・イーストウッドでしょう。
20数年前の事件ではありますが、どこまで脚色しているのかはともかく、この短い時間のなかで、ミスリードしたFBI捜査官と、記事を書いた新聞社記者の内面にまで踏み込んで描いています。
クリント・イーストウッドのすごさもありますが、これを製作、公開したアメリカの映画界も大したものです。ありとあらゆる権力とメディアの記事をただ純真に信じてはいけないというメッセージが込められています。
すごく怖さを感じる映画でした
リチャードにかけられた誤解、FBIの真実を曲げた強引な捜査、そしてメディアに流され負の感情に飲み込まれていく世論。
どれも自分自身に起こりえることで、気がついたらリチャードの立場になっているかもしれないし、情報に流され無意識に誰かを追い詰める側になっているかもしれない。
他人事とは思えず怖くなります。
それがフィクションでなく実話だから。
【感想ブログ】 https://toomilog.com/richard-jewelljp
怒れよジュエル
恐怖
クリントイーストウッドだったか!
アトランタ五輪の時に起きた事件を映画した、と。
いわゆる冤罪的な物語、と。メディアがこぞって
容疑者を追い詰める話は、現代ではSNSがそれに
変わりつつあって、社会問題だなぁと感じでいた
ので、ちょっと観に行きました。
人物描写が丁寧で、リチャードの人となりも
よく分かる展開で最後まで集中して観られました。
最後のエンドロールにクリントイーストウッドの
名前を見つけ、あ〜なるほど納得!と思いました。
確かに彼の作品に通じる人物描写だなぁ、と。
人の人生って人間関係によるところが大きいですが
リチャードは良き友人を持ちました。それも
彼の素直な気持ちがその関係性を築いたと言えますね。
報道記者や彼を吊し上げたFBI捜査官のその後が
語られませんでしたが、それもクリントイーストウッド
なりの視聴者への問いかけなのでしょう。
あまり注目されている映画とは思えませんが、
今年の推したい一本でした。
アメリカじゃあ白人デブはバカにされる変態が多いんじゃないかな
2020年 6本目 ★★★ 「権力は必ず腐敗する」
リチャード・ジュエル見た。まず、松本サリン事件を思い出した。警察やメディアが作り出す冤罪の恐ろしさ。
映画評論家の町山智浩さんの「良い脚本は、必ず主人公が成長する」という言葉を思い出した。リチャード・ジュエルはホント軽くムカつくとあるけど、自分が信じたもの憧れたものに裏切られる事で成長するのが悲しかった。
この映画みてると、イーストウッドは、自分が過去に演じていたマッチョなアメリカを本当に危ないと考えてるのだろうか。権力は必ず腐敗してしまう。
リチャード・ジュエルは、あの悪役をいってに引き受けた女性記者が実際は「お前の記事が冤罪の原因を作った」と責められて自殺してる。
それを知ったら、嘘でもいいから彼女が「新聞に謝罪記事だしましょう」とかで彼の無罪を訴えるとかあっても良かったのになと思った。
現代だからこそ意味のあるメッセージ
明確な偏りを感じる、しかしそれが事実と思わせる表現力
起こった事実を淡々と描きながら、時に音楽などで効果的な劇的表現─。正直、悲しみの涙が止まりませんでした。
表現が過剰にも感じましたが、不思議と違和感を感じることなく、素直に事実として受け入れることができたような気がします。
偏見に満ちた表現も数多く出てきて、嫌悪感もありましたが、それが全て感動に持っていかれて、実に巧みだなぁと思ってしまったので、いやらしさを感じる人が多いかもしれません、自分は単純にボロボロ泣いてしまいましたが…。
役者のパフォーマンスが特に素晴らしく観じたのは、展開がシンプルためだったのか、あるいは役者の演技を生かすためのこの展開だったのか─。とにかく酷すぎるこの事実を単純明快に伝えることだけに注力したようにも感じました。確かにステレオタイプ的な人物像や表現があまりに多いようにも思いましたが、実際にあったこの事実があまりに単純で偏見に満ちた“暴力”であると感じる上では効果的だったようにも思います。
英雄で変わり者のリチャード・ジュエルを最強に肯定的に描き、彼を貶めようとする輩すべてを徹底的に糾弾している─単純なこの視点を受け入れるか否か、それによってこの作品の感じ方が全く違ったものになるような気がします。
個人的には、この一方的で安直な表現が実に爽快に感じたし、それがむしろ意図的であり知的にもところがありました、攻撃している者の力を借りて、徹底的にやり返すような─。
誰にでも起こりうる現実
1996年アトランタオリンピックの時に実際に起こった爆破テロ事件を本作
爆弾の第一発見者となったリチャード・ジュエルは瞬く間に人々の英雄となるがその後、操作の指揮を指揮するFBIに疑惑の目を向けられ・・・
『正義』とは一体何なのか?
それを考えさせられました。
良かれと思って言ったことや行動したことが裏目に出てしまうことって誰にでも起こりうることなんだと、大なり小なり。
ジュエル自身、過去に(他者から見て)歪んだ正義によって問題視されたことが発端となり英雄から容疑者へと叩き落とされるわけですがそれって我々の生活においても起こり得ることではないのでしょうか?
ただキャシーベイツが報道陣に対して息子の無実を訴えるシーン、そしてラストの捜査対象から外れたという案内を受け取りポールウォルターハウザーが涙を流すシーン、恥ずかしながら涙が止まらなかった。
『自分にとっての正義』が必ずしも相手にとっての正義ではないのだ。
本当のヒーローの名を映画タイトルにする事で永遠に刻む
同監督による「ハドソン河の奇跡」と同様に、本来多数の人命を数ったヒーローとして人々に記憶されるべき人物が歪められ、逆に糾弾される対象に追い込まれてしまった実話を元にした作品。
類似したその他の事件と同様に、マスコミや人々は、糾弾している最中にはエキサイトして騒ぎ立てるが、その後、疑惑晴れたあとの後始末はどうなんだろうか?
この映画の主人公も、後の真犯人の逮捕で完全に疑惑は晴れて復権したとは言え、結果的にその後亡くなっており、早死と言える。
恐らく、世間は「真犯人逮捕」の方には報道も過熱するだろうが、誤認された被害者のその後についての関心度はそれほど高くは無かっただろうと想像できる。
そうした、本来アメリカのヒーローとして永く記憶に刻まれるべき人物だったにも関わらず、人々の記憶が薄れて行きかけている人物に対し、クリント・イーストウッドの眼差しは優しい。
主人公の名前そのものを映画タイトルに冠する事で、彼の名前は人々の記憶に永遠に刻み込まれる事になる。
弁護士役のサム・ロックウェル、すごく良いです。
「ジョジョ・ラビット」でお気に入りとなったことも手伝って、今作鑑賞の動機にも貢献してまス。
キャシー・ベイツの演技もよかったですね。
主人公の彼は、実際のリチャード氏にソックリとか?
色々あるけど好き
地味なテーマ。淡白なストーリー。お間抜けなFBI。頑固な主人公。
Netflixの「殺人者への道」のように、主人公が何年も刑務所に放り込まれるわけでも、新たな証拠が見つかって劇的な裁判が始まるわけでもない。
イーストウッドの代表作ではまったくないし、色々ツッコミ所は多いけど、それでもなぜか好きなタイプの映画です。面倒くさいんだけど、嫌いになれないんだよなあ、リチャードみたいな不器用な男。
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