「イーストウッド監督の残酷な視点と説得力」リチャード・ジュエル 村山章さんの映画レビュー(感想・評価)
イーストウッド監督の残酷な視点と説得力
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主人公のリチャードは、母親想いでマジメな愛国者だが、ある理由で爆弾テロの犯人だと疑われてしまう。端的に言えば「デブでキモいから」。イーストウッドはその映画に必要な本質的な要素以外を削ぎ落とすタイプの監督でなので「デブでキモい」という周囲の偏見を、補強して説明しようとしたりはしない。リチャード役のポール・ウォルター・ハウザーも、確かに多少奇矯な人物を演じているが、ムリにオタクっぽさを強調したり、常識外れなふるまいをしたりはしない。メディア側や捜査側はリチャードの経歴や行動から反抗理由を探し出そうとはするものの、結局は「デブでキモい」という偏見だけが彼らの背中を押しているのだ。酷い話である。
実話をベースにしたなんとも恐ろしい物語であり、世の中の偏見に火をつけた女性記者が、自分の過ちに気づくというくだりにはハッとさせられる。その女性記者を、実際の人物よりもステレオタイプに描いたという批判が本人を知る人たち(新聞社)から出たことはとても残念だが、あの女性が自分の間違いに気づいたところでもはや何かができるわけではないという冷徹な事実を描いていることは、この映画の長所であるとも思っている。
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