「マスゴミのフェイクニュースの影で、血と涙を流す人たちがいること。」リチャード・ジュエル お水汲み当番さんの映画レビュー(感想・評価)
マスゴミのフェイクニュースの影で、血と涙を流す人たちがいること。
マスゴミが誰からの批判も受けず、のうのうとフェイクを垂れ流すことができていた時代。
特権階級として言葉の暴力を揮いつづけ、批判を浴びることもなかった時代の一つの悲劇を、丁寧に描いたエンターテイメント映画です。
内容は観ての通りとしか言いようがありませんが、マスゴミがまだマスコミと呼ばれていた時代の暗黒に立ち向かった英雄二人の物語で、特ダネを取るためなら女の武器を平気で使う記者とか、さもありなんという感じであり、どこからがノンフィクションで、どれがフィクションなのかわからないという点が弱点と言えば弱点なのかも知れません。
ただ、思うのですが、この映画も該当するハリウッド映画の一つの系統のことです。
すなわち、日が当たらない縁の下の英雄や、虐げられた人々に対して、キチンとスポットライトを当てる映画を作ることによって、しかも多くの人が観るようにエンタメとして完成した作品を作ることによって、鎮魂し、国家としての反省の意志を示すという姿勢を示す一連の映画作りについて、羨ましいなと思うのです。
それらを受け入れ、エンタメとして成立させることを許容する度量の広いアメリカ人の国民性。
ひるがえってわが日本はどうでしょうか。
リチャード・ジュェルの冤罪に対比できるのは、オウム真理教の松本テロで犯人と目された河野義行氏の冤罪事件がまず頭に浮かびますが、たしかに映画化されたものの、ごくわずかの目にしか触れていません。
制作者の肝っ玉の据わらなさを象徴するように、そもそも河野氏をはじめ、みんなを仮名にしている始末です。
日本とハリウッドの間に存在する、この絶望的な「志(こころざし)」や肝っ玉の差について、あれこれ想いながら、私はこの映画を観ていました。