「「正しい」は力なり」リチャード・ジュエル shintaroniさんの映画レビュー(感想・評価)
「正しい」は力なり
どんなに納得が行かなくても、
どんなに信じてもらえなくても、
どんなに時間がかかっても、
正しい事をしている事が、お守りなんだなぁ。
カッコいいなぁ。
イーストウッドの人間を見る眼は、
静かで、優しくて、淡々と戦い続け、
コツコツと鍛錬し、どんな仕事にも、
手を抜く事をしない人を見つめる。
主人公ジョエルは、そんな人だが、
校長の心なさから焦るFBIに真犯人にでっち上げられ、
ハゲタカの様なマスコミに煽りまくられ、
ほとんどの人がジョエルを犯人と疑う中、
弁護人ワトソンは「俺は信じる」と言う。
お母さんも、当然ながら息子を信じる
誹謗中傷が連日続き、プライバシーも奪われ
忍び難きを忍びながら、記者会見を行う。
悲しい事件の死傷者を悼む
人を守る仕事をした息子を誇りに思う
でも、なぜ疑われるのか?
地獄を味わされる不条理を、
切々と訴える。
(大統領助けて!は皮肉だろう)
ワトソンの秘書ナディアも、信じる。
関係者で最初にいい仕事をするのは、彼女だ。
ワトソンに必要な仕事をさせる!
彼女もまた「見る眼がある」
男にすべき事をさせる態度は、気持ちがいい。
この映画は、
本人以上に、周りが本人に詳しいという恐ろしさが
テーマかもしれない。
それは、今の時代の
データ社会への警鐘を鳴らしているかの様だ。
「気を付けろ、情報は人の見方を変える」
「次から次へとお前の情報は雄弁に出てくるぞ」
説明出来ても否定出来ない。言い訳しにしか聞こえない怖さ。
そんな時、「普段の姿」と「それを観ている人がいる」が頼りだと。「正しいは、お守りだ。人間と人間の絆が頼りだ」と。
そして流石なのは、
映画として無駄な場面がない。
予告編から含めて、
全てがきちんと計算されている。
いつ爆弾が悲劇を起こすのか?
疑いはどうやって晴らせるのか?
予告編を通じて、起きる事(爆発)ことがわかっているので、逆にはらはらするように仕掛けられている。
英雄が真犯人?と展開がどんどん悪くなるので、イライラして不安になる。そんな展開だ。その力が最高潮に働くころ、母の切切とした訴えが、観客の共感を呼び、反撃が開始される。
身の潔白を晴らす大事な場面でさえ、
ゲイじゃないと友人を助ける。
そして、最後は、後に続けるのか?
人を守れるのか?と言い、
司法を助ける。
「じゃ、帰ろう」と淡々と立ち上がり捜査室を出るジュエルに、「あっぱれ」とニヤリと得意な顔で続くワトソンの顔がいい。
流石だ。
映画としての完成度が高い。
いい映画だ。