ミッドナイトスワンのレビュー・感想・評価
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薄いかなー
日本アカデミー賞の作品賞と主演男優賞受賞作品って事だし、映画評も良いし、「やっぱり観ておくか!」
うーん。
草なぎ剛君の頑張りは認めるし新人の女の子も良いけどさ、私にはごめん!どうしても草なぎ君の女装がダメ。後ろ姿やロングショットのサングラス姿はただ「草なぎ君って頭でかすぎだなぁ」位で済むけど、アップはごめん!最後まで素敵には見えなかったよ。
そして何より全体的に薄っぺらく感じられて、トランスジェンダーの痛みが胸に刺さってこなかった。
体を売るつもりでそういう店に行ったのなら逃げ出さずにきっちり売って欲しかった。(中学生の女子は逃げ出して良いよ。)
「リトルダンサー」と比較したら悪いけど、薄っぺらく感じるのは新宿って街の薄っぺらさのせいかしらね。
劇場で観られて、良かったです
トランスジェンダー、その苦しみ。
心身の性別が合致して、異性に恋愛感情を抱く私には、一生かかっても分からない。
ホルモン注射の費用負担、副作用のリスク、お店に来るお客さんですら持っている、世間からの容赦ない偏見。
従姉妹からのバケモノという言葉、お母さんから病気だと言われる辛さ、その全てが悲しかった。
被虐待児であること、その苦しみ。
自分で勝手に産んでおいて、あんたのためとか、あんたのせいと言っては当たられ、叩かれ、清潔な部屋も、栄養ある食事も、愛情も与えられない、声も、自分勝手にしか掛けてもらえない、その悲しみと、結果死んだような表情で、挨拶すらしない一果が、哀れだった。
でも2人は出会い、支え合うようになり、いつの間にか母娘のようになっていく。
しかしかつて、映画「彼らが本気で編むときは、」でもそうであったように、りんこさんも母になれず、今作でもまた、なぎさも一果を傷付けていた実母によって暮らしを壊されてしまった。
日本では、産んだらただそれだけで、愛よりも強い保証があるという事実が残酷だった。
何より腹立たしいシーンは、男がなぎさに奮った暴力とも言える行為で服がはだけたとき。
もしもあれが女性であれば、周りは傍観など絶対にしないのに。
でもそんなにも腹立たしく悲しいのに、希望と優しさが全編に、凪のように漂っていた。
もう公開している劇場はないと、DVD化を待っていたが、遅ればせながら観ることができて、本当に良かった。
つよぽんがつよぽんでなく、なぎさだった。
そして新人と思えぬ一果役の子が素晴らしかった。
昼も夜も白鳥であれ
頭で考える前に感じることは本能と言うのかもしれませんね
それは理屈ではなくどうしようも無いことなのでしょう
私に置き換えて考えてみても何になるのか皆目検討がつかない
真剣に考えたことなどないですがもしも自分に「ホントは違うんじゃないかな?」なんて疑問が生まれても、きっと勘違いなんだろうな、そんなわけないさって思いながら過ごすように思います
きっと性格なんでしょうね、違う違う違うと何度も何度も思ううちに確信へなるのではないでしょうか
私ね、思うんですよ、男と女の違いってなんなのだろうって
身体はわかります、出るものは出てるし引っ込んでるとこは引っ込んでるでしょ、でもね、心ってわからないじゃないですか
他人の心だけで男か女か判断なんてできませんよ、いろんな人がいるんだからとてもその二つに分けられないですもの
昔見た映画に『転校生』だのがあってね、男子と女子が入れ替わっちゃうんですよ
入れ替わった男子の役者さんは元の女子よりねもっともっと女の子らしくてね女子の役者さんはより男の子っぽく演じてるんです、そうすれば私達に伝わりやすいからでしょうしね
でもどうだろう、元の男子がなよっとしてて女子は男勝りだったら入れ替わってそのままの性格だと入れ替わった感が無いと思うんですよ
そうやって考えるとね、じゃいったい男女の違いってなんだろうってね思うんです
そんな方がトランスジェンダーだとしたら「まっ、いっかな〜このままで」なんて思うんでしょうかね
凪沙さんのように深く深く思う方は苦しいでしょうね辛いでしょうね、もうひとくくりに男とか女とかではないんでしょうね
我慢せずに声に出して言える時代になったことは良いことなのか悪いことなのかはわかりません、でも私のように何も知らない人ではなく世の中にはいろいろな苦しみや悩みがあることを知る事が大切なのかもと思うようになりました。
感情に駆られて賭けに出ること
草なぎ剛の違和感のなさは文句なしの前評判通りだったが、主人公の少女の言葉少なさもよかった。自分を理解して饒舌に話せる子供はそんなにいるものではない。
私が目に焼き付いて離れないくらい衝撃だったのは、一果が卒業後に凪沙の変わり果てた姿に対峙するシーンで、ここで思ったのは、悩みや葛藤は尽きることがなくても、健康で実直な選択ができている限りはささやかでも幸せを感じる瞬間はあるはずだが、無茶をして体を壊してはいけない、ということ。でも、感情に駆られて賭けに出ることは悪いことではないし、リスクを取らなければ変わらないこともある。現実の大多数の人は賭けに敗れ、成功を託す人すらない。だからこそ成功を託す人がいるという物語は希望があり、希望がある映画はいい、と、こんな時代だからこそ思った。
奇跡の子ども
切なくなる映画でした。
イチカは奇跡の子どもなのでしょう。
バレエに本格的に取り組んだのは、中学生になってから。にもかかわらず、才能・センスを見いだされ開花させます。
体つきも手足が長くバレエ向きです。
また、あんな毒母の元で育ちながらグレることなく育ちました。
余談
八村塁のCMを思い出しました
「ありがとう」
「なにが?」
「バスケ止めんでくれて」
↓
「ありがとう」
「なにが?」
「バレエ止めんでくれて」
一方で、ナギサは不運な人生でした。
幼い頃から性同一性障害に悩んでます。スクール水着を着られず、体つきも男性のまま。ホルモン注射をうち、性転換手術に踏み切れません。
やっと手に入れた「母性」は毒母の登場で瓦解していきます。
やっと手に入れた女性の体でイチカを迎えに行きますが、(観ているこちらも切なくなるくらい
)予想通りに撃沈してしまいます。
余談
泉谷しげるの「春夏秋冬」を思い出しました。
やっとみつけたやさしさは、いともたやすくしなびた。
ナギサはイチカと出会わなければ堕ちていくことはなかったのだろうか?
出会わなければ、イチカはバレエをすることもなかったし、ナギサは母性に目覚めることもなかったような気がします。
イチカがバレエを続けててよかった。
物語に感動
トランスジェンダーとLGBTQを分けて考えることができない人は多い。
今までは良くても、今はダメ。
そんな事も言えないなんて、息苦しい。
それがダメなら何も言えないわ。
と言う人は多い。
その小さな笑い、ごまかし、投げやりな思いやりが、今までどれだけの物言わぬ人の心を擦り減らし疲弊させてきたのかを、少し考えて欲しいだけなのに。
正直、演技は拙い人が多いし、演出もありがちなドラマみたいな場面が多かった。
この作品が「何故、私はこんなに生きづらいのか?」と苦しんでいる人に、少しでも希望が持てるきっかけになれば良いなぁと思います。
彼女は初登場から歩き方がバレリーナでした。
バレエが下手なフリは大変だっただろうなぁ。
愛されたい気持ち
まずは知ること
前情報なしで観ました。
草なぎくん演じるなぎさがバレエのシーンが多いのかと思いきや、新人女優のバレエ姿が多く、
とても魅せられました。
いちかとなぎさが2人で階段で踊るシーンがとても美しかったのが印象的です。
草なぎくんはほぼ女性にしか見えず、男性の姿をしたシーンも女性に見えました。
性転換手術って危険なの?映画を見終わってから調べました。
日本でも手術を行っているそう、保険適用されたのは2018年って最近なんですね。
ただし、保険適用されるのはホルモン治療を受けていないこと。
安価で医者からの説明不足だったり情報が少なかったりして、ホルモン治療をすぐ受けてしまう人が多いみたいですね。
監督さんのコメントもまずは知ってほしいとの願いで映画を作られたそうで、
多様性のありかたが広がって、偏見や差別が少なくなるといいですね。
まずは知ることが大事だと思いました。
浅い描写と冗長な展開
普段は邦画(アニメーションを除く)を敬遠しがちなのだが、話題の映画ということで。
主役の演技は総じて悪くないと思う。しかし、凪沙(草彅剛)が一果の前で初めて涙を見せる場面には少し違和感があった。感情を堪えきれずに涙するという場面のはずが、台詞から妙に説明臭さを感じる。そもそも、小学生の頃から性同一性障害を自覚して生きる凪沙がそれだけを理由に号泣すること自体、少し考えにくい。失恋など何かきっかけがあれば話は別だが。「性的マイノリティの苦しみを描く」というコンセプトばかりが先行して、説得力を欠いてしまったシーンだと思う。
(その他にも、凪沙の面接のシーンなどは「性的マイノリティへのハラスメント」を描きたかったのだろうが、意図が見え見えで白ける。あのような台詞も現実には見られない。)
ストーリーがやや冗長に感じたのは、テーマを絞り切れていないことが原因だと思う。凪沙の性的マイノリティとしての葛藤、「母親」としての葛藤、一果の内面とバレエの成長、実親からの虐待、友人の死など、プロットが余りにも煩雑である。よって例えば、友人(恋人?)の自殺という重要な出来事も浅い描写に限られてしまっている。もう少し凪沙に焦点を絞って脚本作りをした方が内容も濃く、物語の軸が定まったのではないかと思う。脚本が役者の努力を殺してしまった、と言っても過言ではない。
ところで、タイの性転換手術に言及したレビューを見かけた。あれは手術の失敗というよりは凪沙の自暴自棄が原因ではと解釈した。手術後に一果を迎えに行くも、取り戻すことができず、生きる希望を見失ってしまったのだろう。もちろん一果には本当の理由を話さず「油断」と誤魔化したが。そう解釈すれば、あの時凪沙は絶望の中で病に伏していることになるが、それが予期せず一果と再会でき、一緒に最期を過ごすことができたのは、母として本望だっただろう。
少女の成長物語
ナギサで映画は始まるけど、この話の主人公は少女の一果であると思う。
草彅くんの熱演は認めるけれども、歩き方は明らかに変やし、バーのお客さんに「キレイ〜!」と言われるシーンがあるが、誰のこと?って感じで決して美人にはなってない。草彅くんが女装した、って域から出ない。そう、女装なんだよー。これには考えさせられるものがあって、これが露出の少ない俳優さんだったら違ったのではないか、と思う。草彅くんはもう、テレビで我々にありとあらゆる面を見せていて、ちょっとやそっとではそれが剥がれないのだ。テレビに出続けていて私生活も露出しているような人を使うことは、ファンを呼び込めるかもしれないが、マイナスもあるということである。
しかし水川あさみは終盤まで彼女とわからんかった。佐藤江梨子は最後までわからんかった。やっぱSMAPは別格ということかも。そういう人があの役を演じること自体が褒めるに値するってことか?…問題が循環している。
草彅くんが気になり過ぎて、内容が十分入ってこなかったというのが正直なところ。しかし改めて、悲しい話だった。自分ではどうしようもないことで、生きる上で苛烈な苦労を強いられるということは、性の問題に限らない。バレエ教室が一果の救いになったように、周囲や社会が差別せず、変わることで、彼らの痛みが少しでも軽減されれば…
ネームバリュー
お話はとても面白かったです。ただイマイチ映画の世界に入り込めなかったのは
やはり「草彅剛」演じる凪沙さんが女装した草彅剛以上のものを感じなかったからだと思う
演技力というのは「その人」がそこに本当に存在してるかのように観客に感じさせることだと思っているので
「草彅剛」のようなネームバリューのある人であればあるほどやっぱりそこが問われるのではと
娘役の女優さんは新人さんということで、ここでしか見た事がないだからそういう意味では楽なわけです
だからお話としてもバレエダンサーを目指す娘のお話になってました
凪沙さんの役を新人のおっさん俳優にやらせろとまでは言いませんが、、
良い映画だっただけにそこだけちょい残念でした
余韻にどっぷり
多くを語らずも伝わるのか
表題通り。全てのことを明らかにせずに、ひたすら一果のバレエを描いていたように思えた。りんや凪沙のことを示すことがなかったのが残念。
りんが一果にどんどんと差をつけられていき、りんが怪我でバレエができなくなる場面が辛かった。最初は自らよりも劣っていたのに、いつからか一果が上になっていく。中学生ながら、彼女はどう受け止めたのだろう。そういった嫉妬心もありつつ接吻をしたり、一果の出番になった時間に、彼女と同じものを踊ったりする辺り、彼女たちの絆の強さを感じた。彼女はあの後死んでしまったのだろうか。
そして凪沙。女になりたいと言う葛藤が、一果にバレエをさせたいという気持ちに変わるところが素敵。自らが生まれ持っていて、同時に醜く感じている男という性を使ってまで。仕事場で局部を触られる場面や、風俗のようなところのくだりは観ていられなかった。一果の実母とは違う、真の母性を感じた。実母は最後には少しは改心するようだが、凪沙には劣る。
凪沙は一果のバレエ関連が片付くと、タイにて去勢手術を行う。その場面やミズキのくだりの生々しい表現に耐えられなかった。
個人的に一番好きな場面は、凪沙が一果を抱き締め、「私たちみたいなのは一人で生きていくしかないの。強くなりなさい」と話し、その後「一人にさせたくないから」と仕事場に連れていく場面。重い過去を持つ人間は、恋愛でそれを癒すことは間違っている。一人で、自分で、慰めて励ますしかない。そう感じた。
自らの性、己の強さ、母性、様々なことに対し考えさせられる作品。しかし、終わりがあまりにぼんやりとしていた上に、考えさせられ過ぎる。それらを踏まえてのこの評価である。
アカデミー賞が好きそうな作品
不幸を乗り越えて
124分あっという間でした
トランスジェンダーと母性
強く印象に残ったのは凪沙の美しさだ。
初めのお店のシーンで「スクール水着が着たかった」と話していた時は違和感があったが、一果がお店のステージで初めて踊った時に見とれる凪沙は美しいと思った。
草なぎがこんな名優だと知らなかった。
そして虐げられて育った無口な少女が凪沙と出会うことにより、しっかり自分を見つめる女性に変化していく。そんな演技ができる服部は素晴らしかった。
それでも、この映画の最大のテーマは「母性」ではないだろうか?
一果がコンクールの舞台で動けなくなった時、あれほど虐げられた母親を頼ってしまった。
母親の持つ母性とはかくも強力なのだ。
それを見た凪沙は、母性を持つために女性の身体を持つことを決意した。
また、一果は女性の身体になった凪沙を見て、自分にとって母親より重要な存在に気づいた。
昔「トランスアメリカ」と言う映画を見たが、トランスジェンダーになって実家に帰った時の親の反応が余りにも対照的だ。
また「トランスアメリカ」を見たくなった。
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