「新宿で寄り添う、ひとりだったふたり」ミッドナイトスワン movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
新宿で寄り添う、ひとりだったふたり
健ニとして産まれたが、心が女性で性転換手術に向け貯金しながら、ゲイのショーをして暮らす凪沙。
従姉妹の子、一果を短期的に引き取る事になる。
最初は実家からの養育費を性転換のあてにするためだったが、一果の心の悲鳴に気付いた時、母親としての心に変わっていく。
もともと、真面目でしっかり者の凪沙。
一果とは生活時間すれ違いだし、最初は邪魔者扱いするが、一果そっちのけで飲むわ彼氏作るわの一果の実の親よりは自律しているし、一果の心に気付いてくれる。
一果も辛いし、凪沙も辛くて、2人が心を通わせ合うまでに既に何度も泣きかける。
「頼んでないし」
「なんで私だけ」
悲痛な叫びが響いてくる。
2人とも、自ら望んで、大切にしてくれない母親や性自認に理解のない環境を選んだ訳ではない!
そこしか生きていく場がないから。
それでも、自暴自棄になったりグレたりする訳ではなく、仕事をし真面目に暮らす凪沙もバレエという世界に出会い自力で稼ごうとする一果も必死に生きている。
前を向いて。
対比として、母親になれた身体でありながら子供の気持ちに向き合わず脅すように子供を育てる母親や、育児放棄する母親。裕福な家庭ながら、子供をうわべでしか見ていない母親。
凪沙からすれば、子供の悲痛な気持ちに痛いくらい共感し寄り添えるし、戸籍や性別が男性でなければ母親になれたかもしれないのにとより一層思うのだろう。
なのに、いざという時には、血の繋がりのある産みの親が子供からも実母の認識を持たれてしまう現実。
貯金しながら、高いホルモン注射を続け、性転換の手術に向けて準備をしながらも「何のために生きているのか」にどこか虚しさが漂っていた凪沙だが、感情すら湧かない無気力どうにでもなれな目をしていた一果のバレエでの可能性に気付くうち、一果のサポートが凪沙が女性になる理由になっていく。
「自分を大切に。強く生きる。」凪沙が一果のバレエの月謝のために身体を売る仕事に落ちようとしたり、昼の仕事の転職面接を受けたり、男性に戻ってまで力仕事をしようとしたり、性転換手術の決心をしてタイに飛び、女性になって一果を実母から取り戻しに迎えに来たり。
これはただの母親ごっこではなく、はっきりと心からの女性の母性だなと感じる。
服を破かれ、女性になった身体を見られ、バケモノと罵られてもそんな恥には揺らがず、ただ一果の母親として一果を守りたい一心に見えた。
が、中学生の一果をその場で広島から連れて帰れなかった時、新宿に戻ってから自身の身体のケアをする生きる気力が失せてしまったのだろうか。
手術した事で壊死や感染症や失明や貧困や更なる孤独に陥る事など、思いもよらなかっただろう。
何も悪いことをしていない凪沙が残酷な最期を迎えるが、一果が海外にバレエ留学する奨学金を勝ち取れた、ただそれだけが救いのお話。
海外に渡った一果は、凪沙との想い出の、白鳥の湖からオデットの曲で踊る。
夜だけオデットになり、朝には白鳥に戻ってしまう曲目は、戸籍上は健二でも凪沙でい続けたい凪沙にも、実母との環境が広島にありながらも愛に飢えている一果にも重なる。
そして、王子が愛を伝えてオデットが白鳥になる呪いを解こうとするが間に合わない展開は、愛が故に一果を迎えに来た凪沙にも、凪沙の性転換による不調からの生還に間に合わず、凪沙を失う一果にも重なる。
実母から適当にあしらわれて育ち、一縷の希望だった凪沙も失って、バレエで育ててくれた実花先生から自立して。一果はバレエで奨学金海外留学。亡き友人りんにとっては親が唯一期待してくれたバレエで。
海外でも奨学生として、コンクールが付き纏う競技者として、安心な実家がない一果が今後も経済的精神的に孤独を感じ続けることは容易く想像できる。
「自分を大切にしないと。私達みたいな人間は、ずっとひとりで生きていかないといけない。強くならなきゃいけない。」
凪沙がかけてくれて、命懸けで示してくれたこの言葉が、深く深く一果にも染み渡っているだろう。
作中の、親のしわ寄せを被る養育環境や、性別から傷付けられる事が多い社会的立場など、明らかな弱者でなくても、言えない想いに傷付いている人は沢山いると思う。
どんな人間も最後はひとりであり、経歴も人生も歳を重ねるほどばらけて、誰かと同じなどそうない。
それでも、
押し殺している感情を腕を噛んで堪えたり、
身体を売って心を消耗したり、
誰にも言えない痛み苦しみを抱えたり、
そういうのは自分でなくても辛いのが人間だと思うし、その痛みに気付けない/認知できない人の方が、よっぽどバケモノだと思う。
ハニージンジャーソテーを作ってくれた凪沙が、今度は一果に作って貰わないと口に出来ないまで衰弱しても、ご飯中に目にも見えていない金魚たちに気付き「ごめんね自分達だけ美味しい思いをして」と苔だらけのからの水槽に餌をやる場面が印象的でとても好き。
命や体力が自分の分すら足りない痛みの中でも、弱い者に気を配る凪沙の優しさが溢れている。
飾ってあるマリア像からも、自己犠牲しながらも救いを求める凪沙はまさにカトリックが言わんとするところだと思った。
言葉での表現が伸びる環境になく、もともと得意でなくても、一果には踊りが見つかったことが嬉しかった。
一果役の子は、バレエが先で女優が後なのだと徐々にわかってくる。バレエが絵画のように美しく完成されたもので驚いた。水川あさみが母親役なのがよくわかる、細い手足。
草薙剛は、親になっていく過程が、かなり昔の僕の生きる道と通じるものがある。一生懸命にオネエの仕草や話し方の表現を追求しているのが見ながら感じ取れるのだが、その所作よりもずっとずっと、心の演技の深みの方が伝わってきて、女性に見える女装でなくても異様さなど全く感じない。「どうして私だけ」「泣けばおさまるわ」と普段心の奥で流して堪える声が飛び出す場面で、私も泣いた。
広島の家族一同、もう少しなんとかならんのか?