「【祈り】」ミッドナイトスワン ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【祈り】
多様性とはなんだろうか。
「LGBTって流行りなんでしょ」
と作品中で採用担当が話すように、言葉やカテゴリーが先走って、逆に窮屈になったり、取りこぼされている人が多くいるのではないのか。
凪沙は母性に目覚めたのだと、僕達は簡単に言って良いのだろうか。
僕達は、至る所で、無意識に男女を分けて考え過ぎてはいないか。
凪沙は当初、単に親になりたかっただけではないのか。
踊りとバレエという共通項を見出して、窮屈なジェンダーというカテゴリーに縛られ、水槽の中で生きることを運命づけられたような自分とは違う、自由な可能性を一果に見出し、その可能性を「親」として後押ししたかっただけではないのか。
そんな親になりたかっただけではなかったのか。
しかし、一果と引き裂かれ、自身のジェンダーを追い詰められるように考えた時、書面上・登録上の父親という選択肢には耐えられず、手続きなど容易なタイで性転換をしてしまって、母親にもなれるのだと一歩踏み出してしまったのではないのか。
性転換に葛藤を抱えていたように見えていた凪沙には大きな決断だったのだろう。
多様性とはなんだろうか。
ジェンダーとはなんだろうか。
LGBTQとはなんだろうか。
親であるとは、
母親であるとは、
父親であるとはなんだろうか。
元々ある区別に加え、選択肢が増えたからといって、僕達が人であることに違いはないだろう。
多様性を云々する前に僕達はみんな人なのだ。
僕は、僕達の生きる社会が、心と身体の性が一致しないのであれば性転換しなさいと強制するような社会であって欲しくはない。
また、性転換しないのだったら、身体の性のままだと決めつけるような不寛容な社会でもあって欲しくはない。
うわべで多様性を論じても、僕達の社会には、実は、そんな不寛容さが至る所に潜んでいる。
凪沙と一果を繋ぐのはバレエだ。
2人が公園で踊るシーンは秀逸だ。
凪沙は、ジェンダーを意識することなく、夢や目標を持って、それに向かって努力出来るはずの一果に、窮屈なカテゴリーの中で、水槽の中だけで生きることを運命付けられた金魚のような自分にはない自由な可能性を見たのだ。
これを後押ししたいと思うのは、ジェンダーでは括れない愛情ではないのか。
だから、親であるだけで実は良かったのではないかと思うのだ。
スクール水着を着る身体的男子がいたって良いのだ。
同様に主人公ぎバレエにひたすら向き合う映画「Girl」のように強く性転換を願うこともあるだろう。
しかし、心と身体の性とは関係なく、「親」であるだけで、別の更なる一歩を踏み出す人もいるのではないのか。
僕達はカテゴリーを多様化して、いつの間にか、それで満足してはいないか。
細かい窮屈が増えただけになってはいないか。
凪沙の期待と共に白鳥のように羽ばたく一果。
社会の不寛容に押しつぶされるように去る凪沙。
これは皮肉のようだが切ない対比だ。
人として、不寛容が少ない社会であれば良いと願いたい。
そんな社会になることを祈りたい。
ワンコさん 素晴らしいレビューですね!本当におっしゃる通りだと思います。私は半世紀以上生きてきましたが、この所十数年の間に日本は不寛容な窮屈な社会になって来ているように感じます。昔も確かに偏見は有りましたし、自由な社会であったとは言いませんが 今より寛容な見方ができる社会だったように感じます。今の寛容さは本当に上辺だけだと私も思います。凪沙の選択は 確かに不寛容な社会に追い詰められた結果ですよね。哀しかった。