アメリカで現在のホットヨガの原形となるヨガスタジオを始めたビクラム・チョードリー。
人気を集めてフランチャイズのスタジオを作り、セレブのような暮らしを手に入れるビクラム。
彼の元には認定講座を受けるために、世界中からヨガ講師が集まってくる。
話がうまく、人の心を掴む話術とすぐれたヨガのプロトコルで業界に大きな影響を与えたビクラム。その足元で起きていたことを告発するドキュメンタリー。
彼の成り上がりストーリーを描くパートと影の部分を描くパートでざっくりわけると、前半のノリノリ感に対する後半の種明かしのガッカリ感、凡庸さは明白。
現実の悪はしばしば凡庸で、映画好き、フィクション好きが期待する奇想天外な悪というのはそれ自体幻想なんじゃないかと思う。
思うにこういう詐欺師的に話のうまい人間というのは、なんらかの病理なんじゃないだろうか。
公判でのビクラムを見ていると、「帝国」で思うままに振る舞っていた自分と、現実に行動を問われている自分とをうまく辻褄合わせられてないんじゃないかと思う。
その誇大妄想的な傾向を象徴する言葉が「遮るな」。どこかの財務大臣を彷彿とさせるさまは、ずっと自分の思う通りに振る舞ってきたために、自分が実像の何倍にも膨らんで収集つかなくなってしまったんではないだろうか。
そのせいで他者という異物のいる現実との間に齟齬と摩擦が生じるが、昇り調子の時には相手を封殺するので表面化しにくく、被害者は黙らざるを得ない。
しかしそういう責任や落とし前をつけられない人間だからこそ、あれだけ人の心にうまく入り込むことができたんではないかと。
そう考えると、現在の彼の行いも理解できるような気がする。
結局、彼が天才的だったのは肝心のヨガではなく、自分を売り込むセールスマン的な部分だったんだろうけど、そんな俗物でもうまくアピールすることで偉大な導師のように見せかけられてしまう。
それでも才能があるぶんだけ偉い、価値あるものを広めたと評価することこそが悪行を温存し、被害者の苦しみに追い討ちをかけることになる。
それが「地に足のついた現実的な態度」だと信じ、加害者側に加わっている自覚もなく。。
なお海パン一丁で人々を指導するビクラムの姿は麻原彰晃を彷彿とさせる。