すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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古き良き映画
骨太である。古き良き日本映画の正統なる後継者と言う感じがした。これほど骨太の作品を作るのが女性監督であるとは驚きだなどと今時口にしようものなら袋叩き似合うのだが、小説の世界ではこの位の世界構築は今や男より女性の方が素晴らしい作品を提供しているらしい。その上でなお僕は映像の眼差しに女性的な温かみを感じる。安心感があるのだ。これは女性監督だらではなく、健全なインテリジェンスに裏打ちされた安らぎのような感じがする。いい作品であった。
この世界は生きづらくあたたかい
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映画『すばらしき世界』
役所広司の演技が好きなので観てきました。
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刑期を終えた主人公が、久しぶりに社会に戻って今度こそはと堅気に生きようとするが、そこは偏見や差別に満ちた世の中で…
誠実で不器用ながらも真っ直ぐに生きる主人公の物語。
「社会で生きること=我慢の連続だ」というセリフがあったように、理不尽や間違っていることに対して、目を背けたり自分に嘘をついたり、逆らうことを諦めたり、休憩時間の誰かの悪口にも同調しないと生き残っていけない。
でも大概の人がそうやって我慢して何かを押し殺しながら生きている。それがいわゆる"普通の人"。そんな世界は、本当にすばらしき世界なのか...。
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物語のラストで、やっと見つけた自分の居場所で起こった障害者に対するいじめ。しかし、自分を押し殺して見て見ぬふりをする主人公。その後、いじめられていた子から貰ったコスモスの花束を握りしめ、そして…
なんか思い出すだけで泣けてくる...
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見終わってから虚無感でしばらく呆然。。
普通って何だろう、正義って、正しさって何だろう。
まっすぐな人間ほど生きづらい世界って何なのか。
タイトルの「すばらしい」の語源を辿ると「みずぼらしい、肩身が狭い」という意味らしい。
このタイトルがこの映画の全てを物語っている。
なんか今の自分に共感できる所が多くて、良い映画だった。
はたして「すばらしい世界」なのか…?
簡単に言ってしまえば、刑務所から出所した男が悪戦苦闘しながら色々な人と交流し、助けられながら社会復帰を目指していく。という物語だから、ストーリーとしてはそれほど目新しいとは言えないし、一筋縄ではいかないんだろうな。と観ている方も容易に予想出来てしまう。が、監督の演出と役所広司を筆頭とする俳優の名演技で素晴らしい作品に出来上がっている。普段は温厚そうに見えるが短気でキレやすく、すぐに暴力で物事を解決しようとする三上。だが正義感は人一倍強くて困っている人は見過ごせない。この人間味溢れる三上に少なからず共感した人は自分を含めているのではないのか?色々な事を我慢や無視できているだけ、困っている人を見て見ぬ振りをしているからトラブルや犯罪に巻き込まれていないだけなのではないのか?という気持ちになってくる…そして三上の様な人間が罪を犯さなければいけなくなる世界、三上の様な人間が社会復帰するのが難しい世界ははたして「すばらしい世界」なのだろうか…?
観てもらいたい
巷の評価がかなり分かれていたので観るのを躊躇していたが、師匠から是非観るべきと連絡が入りみに行く。 結果、観に行ってよかった。 少なくとも自分はそう感じた。 自分の心に刺さる何かを感じられる映画だった。 タイトルがいい。 どうしようもなく生きづらくて、頑張ったわりに報われなくて面白くないことばかりで、たいていは他人に厳しく無関心。 でも、それでも、他人を助けたいと思う気持ちに嘘はなくて、壁を超えてその個人を知ることで優しく出来るすばらしき世界。 優しくされるシーンに涙が出た。 そしてキャストがよい。 役所広司は期待通り言うまでもないが、他もみんなよかった。 誰かもう一人ということで挙げるなら、キムラ緑子。 もの凄く素敵だ。 賛否両論、好みも分かれるだろうが 観てもらいたい映画。
何がすばらしき世界だーー!!!
映画終わった瞬間『何がすばらしき世界だーーー!!!』とカップ麺ブン投げそうになりました!!! 8ヶ所くらいで泣きました。キャラクターのコミカルなやりとりに笑いました。 生きづらい世の中と人の優しさ。 この映画を見て自分に思ったこと。 『命懸けで私を生み育ててくれた母親になんで自分はこんなに興味ないんだろう』と 母に会えたら何を話す?について三上の「自分を産んだ時の気持ちを聞きたいね」と。 それ聞いた瞬間号泣。 そんな発想がない私はなんて親不孝者なのだと。 その発想があったからって母が喜ぶわけじゃ無いけど、当たり前過ぎる存在だからこそ有り難みを実感しずらい人間の儚さに涙でた。 社会で生きるってなんだろう?個を捨て周りに従うべき?器用が正義?私も毎日生きてて苦しいもん。楽しいけど。真っ直ぐ生きたい。
役所さんすごい
途中、この映画はどこに向かっているのかわからなくなったけど、そうか〜そうなるのねという感じ。社会で生きていくのは本当に難しい。 やっぱり役所さんはすごい俳優さんだ。長澤まさみさんも出番は少ないけど、印象深い役柄をとても印象的に演じてくれたと思います。太賀くんもよかった。
観終わった後ずっしりきたし疲れたけれど、観てよかったと思える映画で...
観終わった後ずっしりきたし疲れたけれど、観てよかったと思える映画でした。 たった2時間の間に、とても温かい気持ちになって、自分の心の孤独な部分をつつかれて、また温かい気持ちになって、最後は虚無感に襲われました。 こんなに祈るような気持ちで映画を見たのは久しぶりかもしれません。 前科者だとかマイノリティだとかあまり関係なく、人は人に支えられて生きているんだなぁと、綺麗事のようだけれど、とても納得しました。 そして、これが現実なんだなぁとも。 社会全体にとっての「すばらしき」は、必ずしもその社会を構成する個人にとっての「すばらしき」である訳じゃないし、どちらが正しいと明確に決めることは誰にもできなくて。 だからこうするべきなんだ!という強い考えを持てているわけではないのだけど、それを知っているだけでも何か違ってくると私は信じたいし、少なくとも自分はどちらかに偏ってしまわないで生きたいなぁなんて考えていました。 上手く言葉にできない感情で胸がいっぱいになっていて、レビューというかただの感想文というか、もはや感想文にすらなっていないかもしれないけれど、とにかく今はこういう気持ちです。 参考にはならないかもしれないけれど笑、映画を観た人は少しだけでも共感してくださる...かな?😅 あと、太賀さんがすごくよかったです!!!
空の広さ
普通に生きることの難しさ。 自分の感情をコントロールして見ないふり、逃げる勇気も必要。 教習所での三上の運転する車には乗りたく無い(>_<) 施設でのシーンや職場でのシーンに涙 カッとなる感情を一生懸命に抑えようとしている三上に《ダメダメ、あばれないで!頑張れ!》となりました。
全ての概念を捨て去った先に「多様性」は存在する
いきなり自分語りになってしまうが、私は物心ついた頃には既に「変わり者」と呼ばれていた。20年以上前の話である。個性を肯定する風潮などなく、その言葉は主に嘲りの意味で用いられた。
抑圧されることが日常であり、その経験から「ただ生きるのではなく善く生きる」ことを高校の倫理の授業で教わったその日から己の信条としている。
だから、鑑賞直後はタイトルの意味がわからなかった。
主人公の三上は強い信念を持つ男で、それははっきり「正義」と呼ぶに相応しく、本来は広く世間から賞賛されるべき人物である。しかし、彼は生まれ育った環境の影響から表現手段に乏しかった。暴力や大声以外の自己主張の方法を知らなかった。すると、善良な市民は当然彼を忌避する。三上の表面的な態度からでは彼の善良性を知るのは難しいだろうから、仕方のないことだ。
護りたいのに護れなかった人物から贈られた花を見つめながら独り静かに生涯を閉じた三上に、生への執着は感じられない。彼が求める「まともな人生」「普通の生活」は、正義感が強く情の深い彼にはあまりに理不尽が多かった。世話になった人々には絶対に迷惑をかけたくない。でも、そうするには己の信念を曲げ続けなければならない。なぜなら、穏便な表現手段を知らないから。
そんな彼の死を描いた直後によりによって「すばらしき世界」などというタイトルコールが映るのだから、こちらとしては納得がいかない。表現からしてどうやら皮肉ではないようだし、では一体誰の視点から「すばらしき」などと謳っているのだろう。しばらく考えた。
結論はこうだ。「世界には様々な人間が存在し、それぞれに受け入れ場所がある。それこそが〝すばらしい〟」。
鑑賞中は終始三上に感情移入し、彼が理不尽にぶつかっては憤りを覚えていたが、思えばそんな一見「悪」に見える者達にも彼らなりの信条は持っているはずなのだ。そして、彼らは自身を受け入れてくれる場所で身を寄せあいながら生きている。そこに三上との違いはない。
振り返れば、「居場所」の描写が多かったように思う。バカ騒ぎする若者が集うアパートの一室、極道の屋敷、チームワークを必要とする職場、後見人やかつての恋人の家庭など。素行の悪い者もいる。倫理観に欠ける行動を取る者もいる。しかし、それを「悪」と切り捨てては三上のような人間も生きやすくなる「多様性の受容」は実現しない。多様性とは「全」だからだ。
この結論に辿り着いた時、私は自身の未熟さを恥じた。そして、ただ広く青いだけの空に浮かんだタイトルコールに制作側から人間への温かな目線を感じた。同じ空の下、とはまさにこのことだ。
前述の通り三上に感情移入しまくっていたので印象深いシーンは数え切れないほどあるのだが、特筆するならば育った児童養護施設で三上がかつての職員と歌を口ずさむシーンを挙げたい。するりと幼少のみぎりに時が巻き戻る彼に、津乃田と同じく驚愕し、目を離すことができず、ただただ涙が溢れて止まらなかった。
東京タワーの夜景のせつなさ
キムラ緑子の素晴らしさ、役所広司と六角精児のやりとりの迫力。 東京タワーを上空から眺める切なさやりきれなさ、、、。美しくも意地悪に見る側をじわじわと追い詰める映画でした(でももう一度観たい)。
脳に傷
これはああいう生き方しかできない男の物語であり、それを「不器用だが愛すべき正義感の持ち主」などという陳腐な言葉で表現すべきではないと思いました。 原作は未読ですが、監督は幼少期のネグレクトと愛着障害などの後遺症、延いては本人の自助努力や心掛けだけではどうにもならないという問題を、新たに加えようとしているように観えました。介護施設で虐げられていた自閉症の男性、その生い立ちを職員の噂話という形で提示したのも、そういう意図があったのではないかと思います。 ただそこの部分は、後半腰砕けになってしまったのが残念でしたが、その一方それも仕方がないのかなという思いもあります。虐待はキレイな話ではありません。正確に描いたら感情移入は難しいでしょう。そういう判断のもとに、例えば是枝監督の「誰も知らない」も、その部分はバッサリ切り捨てられ、母親を信じ続ける健気な子供たちという描き方がされています。 …その辺のことを監督は実際どう考えていたのか、興味があったのでパンフレット買って読んでみたら、そんなこと一言も書かれてなくてビビりました(笑)いや~、でも確実に監督はそういう要素も入れようとしていたと思うんですよねー。 とにかく良い映画でした。満足度は高かったです。
痩せてもう若くない役所広司
役所広司
仲野太賀
長澤まさみ
安田成美
キムラ緑子
白竜
梶芽衣子
橋爪功
北村有起哉
六角精児
旭川刑務所、東京下町の安アパート、博多
物語全体では、男の一生を語り尽くそうとする気構えは感じられる。もちろんわずか二時間で全てを語りつくすことなんてできやしない。
塀の中と外では、毎日の自分の食いぶちを稼がねばならないことと、刑務所の刑務官によって全ての生活が見張られているわけではないということが異なる。
彼は、少年院から数えて計28年もの歳月を塀の中で過ごしたという設定。母親に捨てられたことが彼の性格に暗い影を落としている。それは刑務所生活で更生できない部分。
劇場で見れて良かったです。
地味ではあるけれど、暴力的な部分、コミカルな部分、ストイックな部分、正義感に火がついてしまう部分など俳優役所広司の魅力が詰まっています。
正義とは何か
主人公は自らの正義に従って生き、殺人を犯したことで十数年におよぶ懲役刑を受ける しかし出所後も犯行を反省はしていない、という 刑期を終えてもなんら変わらない姿勢を見せる主人公 一方で暖かい隣人に恵まれ、今までの歩みを少し俯瞰出来たのだろうか 刑務所の生活も気に入っていた訳でもないし 「行動」を改めようとする主人公 そんなとき介護施設でとある出来事が起こる いままでであれば躊躇なく暴力で正義を主張していたであろう主人公 しかし躊躇したことで自分が先ほどまで見えていた事実と別の事実を知ることとなる そして障碍者を嘲笑うような職員の態度を正すこともできなくなった主人公 いままで信じていた正義が壊れた瞬間なのだろうか 世の中は完全なる正義も完全なる悪も存在しない だからこそどこで線を引けばよいのか
「普通」という世界の歪さ
視聴前は出所したやくざの更生物語かと思い、鑑賞した。しかし見ていく中でこれは「反社の人間から見た社会の不寛容さ」に焦点があてられたと気づいた。
役所広司演じる三上は13年の刑期を終え、ようやく娑婆に出た元やくざだ。そんな彼は俗にいう「浦島太郎」状態であり捕まる前の価値観でいきなり現代に放り込まれる。しかし彼自身の人間性はとてもまっすぐで純粋だ。ルールにのっとり、規則正しく、それでいて困っている人を見過ごさない。例えば劇中で不良に絡まれているおじさんがいる。手には子供にプレゼントする贈り物を持って。
その光景を見たら普通の人は見て見ぬふりをするだろう。しかしこの三上はそのおじさんを助け、代わりにそのチンピラにお灸をすえる。
また、ゴミ出しを守らない若者に怒鳴り込んだり、自身が生活保護を受けている状況を何とか切り抜けようと必死に努力する。資格を取るために教習所に通ったり家ではコツコツ勉学に励む。決して現状に甘えることなく自立しようとする彼の姿は愚直なまでに真っすぐであり、眩しい。
困っている人がいたら助ける、人には礼儀正しく接する。子供のころには当たり前に教えられてきたことが現代においてどこか他人に対して冷めた対応をすることが「正しい行動」になる。それは一種の機能不全であり正しいことが正しくないこととして求められ、他人と必要以上に接しない空気が社会を覆う。現代社会において三上の真っすぐさがもはやタブーになってしまってるのがなんとも見ていて苦い。
また、この作品は親に見捨てられた被害者としての子供の悲しみの後遺症としても同時に描いている。三上は幼少期母親に見捨てられ親がいないまま育った。そんな彼はぶっきらぼうに周りとぶつかり言葉よりも行動が目立つ。それが親に見捨てられた子供がまるで母親を求めるがごとくもがいているようにも見えるのだ。きっと彼にはそれが他人と接するときの唯一のコミュニケーションの方法なのだと思う。
そんな不器用ながらも必死にもがいていく姿を見た周りの人々は徐々に集まり、支えようと懸命になる。他人を認めて言葉を通い合わせる。面と向かい言葉をかける。それこそがどこか冷めた現代には必要なことであり、それは人と人の間にいつまでも求められるものではないか。
原作のタイトルと映画のタイトルはまるで違う。がそれは最後まで見るとその意味がようやく分かる。どこにも居場所はなかったが、徐々に周りの理解者を得た彼が最後に見た風景は何だろうか。
持病をこらえながら周りに合わせて感情をなくしていく彼を見ていくときにやはりこの最後は彼にとっては救いだったのではないだろうかと思わずにはいられない。
殺人の罪で13年間、旭川刑務所に服役してきた三上正夫(役所広司)。...
殺人の罪で13年間、旭川刑務所に服役してきた三上正夫(役所広司)。
懲役10年の判決だったが、刑務所内での問題行動により、服役期間が延びたのだった。
身元引受人は東京の弁護士の庄司(橋爪功)。
幼い頃、生き別れた母親の行方を知りたかった三上は、その捜索を助けてもらいたく、刑務所内で書き写した「身分帳」をテレビ局に送付していた。
それに目をとめたのが女性プロデューサーの吉澤(長澤まさみ)で、彼女は「身分帳」を、映像ディレクターの津乃田(仲野太賀)に渡して、三上の取材をすることを企画する。
小説家に転向を考えていた津乃田だったが、元殺人犯への取材ということで乗り気になり、三上に向けてカメラを回すことになった・・・
というところからはじまる物語で、このように書くと、なんともヘヴィな社会派映画を連想するが、映画自体から受ける印象はそれほど重くはない。
(といって、かなり重いテーマが含まれているのですが)
映画自体を重苦しさから救っているのが、役所広司演じる三上のキャラクター。
4歳で母親に捨てられ、14歳でヤクザの組に出入りするようになり、すぐさま少年院に収監。
その後、何度も塀の中で過ごし、人生の大半がムショ暮らしだった三上は、
「真っ直ぐ」で「曲がったことが嫌い」、「思いやりもある」が「癇癪持ち」、つまり、裏表のない性格。
たしかに、怖いことは怖いが、どことなく人好きのする憎めない性格でもある。
このキャラクター、かつて観たような・・・
そう、車寅次郎、寅さんだ。
そうみると、周囲の人物配置も『男はつらいよ』に似ている。
身元引受人の弁護士夫婦(妻役は梶芽衣子)は、団子屋・くるまやのオイちゃん、オバちゃん。
映像ディレクターとしての正念場のいざという時に逃げてしまう津乃田は、甥の満男(彼は、寅さんとは表裏の関係で、その内面は実はよく似ている)。
口喧嘩のような言い争いまでして親身になってくれるスーパー店長(六角精児)は、タコ社長。
役所のソーシャルワーカー(北村有起哉)は、公的立場であるので御前様。
そして結ばれることのない永遠のヒロイン妹・さくらは、別れた妻(安田成美)といった具合。
(念の入ったことに、寅さんの母親と同様、三上を棄てた母親も、元芸者!)
三上をとりまくひとびとは親身になって、彼が堅気になることを願っている。
しかしながら、世間はそれほどやさしくない。
元ヤクザ、元殺人犯を簡単に認め、赦すようにはできていない。
まさに、三上はつらいよ、である。
そんな優しいひとびとがいても、生きづらい三上は、世間から逃げ出してしまう。
もと居た世界、兄弟分(白竜)を頼って九州へ逃げてしまう。
(とらやで喧嘩した寅さんが、旅の空へ戻っていくのと似ている)
けれども、元の世界はもっと生きづらい。
姐さん(キムラ緑子)が言う台詞が、この映画の肝だろう。
「世間で生きていくのは我慢の連続だ。けど、空は広く見えるっていうよ。それを、ふいにするのかい」と。
ここで、三上は、生きづらい世間へ戻っていく。
我慢の連続、逃げるのも恥ずかしいことじゃない、自分のいちばん大事なところだけを曲げなければいいんだ、と諭されて。
介護施設でのパートタイム仕事を得た三上は、その現場で嫌なものをみてしまう。
施設で働く知的障がいの若者を、施設の正職員が詰っているのを。
若者に非はあるが、若者の行為をなじるのではなく、彼の存在を哂う世間を・・・
その哂いの底では、自分と同じ立場の者をわらっているのを知りながら、黙ってこらえ、自分自身を欺いてしまう・・・
自分を欺いてまで、この世間で生きているのだろうか?
自分を欺て生きているこの世界は、「すばらしき世界」なのだろうか?
その言葉を掲げるように、映画は「広く見える空」を写して出して終わります。
「すばらしき世界」、映画のタイトルは願いなのだろう、と感じました。
惜しい。作品
恐縮ですが、主人公の周りの人間のストーリーをもう少し描いて欲しかった。惜しい、という印象が否めない。 同時に「ヤクザと家族」も放映されていました。そちらも観ましたが、テイストが全く違うものなので、悩んでいる方は2つ観ても良いかも。
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