羊飼いと風船のレビュー・感想・評価
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リアリズムとマジックリアリズムが邂逅する
『タルロ』では、近代化の波に翻弄されるチベットの姿を、朴訥した世間ズレしない男の悲喜劇として描いていたペマ・ツェテンが、今度はひとつの家族の肖像から似たテーマを描いているのだと思い込んでいいた。が、実際に観てみると、予想を遥かにこえてフェミニズム的な現代性のある、普遍的な社会と女性についての物語だった。
普遍的と言っても、この映画の時代設定である1990年代のチベット女性たちの現実と、他の地域や国々、別の時代の女性たちの境遇が同じであると言うつもりではない。ただ、まったく違う文化圏の物語を俯瞰で眺めようとしても、否応なしにわれわれを取り巻く現実のことも考えずにはいれないくらい、ここで描かれる登場人物それぞれの気持ちのズレはリアルなものとして響いた。
そしてそれらのテーマをあくまでも映像に落とし込み、最後にファンタジーなビジュアルで理屈をねじ伏せる辺り、久しぶりにモフセン・マフマルバフの映画を観たような感覚を堪能した。
伝統的価値観と現代的価値観の衝突
風船とコンドームは似ている、ということは多くの人が一度は思ったことがあるんじゃないだろうか。しかし、そんな思いつきからこんな崇高な作品が生まれるとは思ったこともなかった。本作にはチベットの人々の生命観と中国の支配に置かれた同国の苦難、近代的価値観と伝統の衝突が描かれている。
三人の子供がいる夫婦は性生活も盛んだ。子どもがコンドームを風船にして遊んで駄目にしてしまったせいで母親は妊娠する。貧しい羊飼いの家庭には4人目を養うお金もない上に、中国の政策上罰金も課せられる。しかし、チベットには死んだ家族が新しい命となって帰ってくるという伝統的考えがあり、新しい子供は祖父の生まれ変わりだと言う。伝統と政策、貧困の板挟みにされた母親は深く苦悩する。
女性の身体の権利の視点に立てば伝統を押し付け産ませることは良くないことだ。チベットという少数民族の弾圧という点からみると、堕ろすことは弾圧側の中国の政策に乗り、民族の伝統をないがしろにすることにもつながりかねない。あまりにも深い葛藤が本作にはある。
そこに風船が浮かぶという映像的な喜び
映画史を紐解くまでもなく、「赤い風船」('56)以来、映画と風船はスクリーン上で親密な関係性を育んできた。本作における最大の魅力が、独特の風土、伝統文化、三世代に及ぶ家族の相貌にあることは確かだが、そこに風船というアイコンがふわりと浮かぶことで、いつしかチベットの草原は我々にとって、すっかり「見知らぬ場所」ではなくなっている。一方、各シーンに長回しが多用されるのは新鮮な驚きだった。それも長閑で気の遠くなる長回しというよりは、思いのほか緻密で奥行きのあるものばかり。子役や動物がいる中でよく撮れたものだと感心する。巧みに練られた物語というわけではないし、まとまりいい結末が待ち構えるわけでもない。むしろ、伝統と近代化の波間に迸る表情、行動、感情をナチュラルに点描する感覚に近い。ふわり上昇していく風船のごとく、この草原に暮らす一人一人を照らし、俯瞰する。そんな柔らかいタッチが余韻を残す作品だった。
☆☆☆★★ 安く買い叩かれて不貞腐れるオヤジの顔。 だから雨の中を...
☆☆☆★★
安く買い叩かれて不貞腐れるオヤジの顔。
だから雨の中を、おそらくは安いパンらしき物を更に不貞腐れながら齧るオヤジの顔。
何も家族に買ってあげられるモノか無い。オヤジの落胆した顔…その時に後ろを振り返るオヤジの顔。
草原をバイクで走り、子供達に呼びかけるオヤジの顔。
オイ!オヤジ!泣かせるんじゃねえよこの野郎!
(ノ_<)
2021年 1月24日 シネスイッチ銀座1
【”コンドームは風船にはなりません!”でも、あんなに膨らむんだね!”チベットの社会が直面する様々な矛盾を映像化した作品。】
■チベットの大草原で牧畜をしながら暮らす3世代家族。
昔から変わらぬ慎ましくも穏やかな生活を送る彼らにも、中国の一人っ子政策の波が押し寄せていた。
そんなある日、母・ドルカルの妊娠が発覚。喜ぶ周囲をよそに、望まぬ妊娠に彼女の心は揺れ動くが…。
◆感想
・コミカルな映画かな、と思って観ると、現代のチベットに生きる人々の実情が良く分かる作品である。
・チベットの非科学的な伝統が伺えるシーンも興味深い。
ー そして、そのしわ寄せは女性に掛かっている事実・・。ー
<一家が抱えるジレンマをユーモアを交えて描き、厳しい土地で生きる人間のたくましさを圧倒的な映像美で映し出す。詩的な世界観と余韻を残すラストが深い印象を与える作品である。>
飛んでいく風船をみんなが見送るラスト
素朴なチベットの草原にも人はいて、人の数だけ物語があるものだ。
牧畜を生業とする人たちの暮らしは、「人間の生死」と 「家畜の生死」が ひとつの生活の中で同時平行に 隣り合わせにある。
種付け、妊娠、子供たち、夫と妻、老人と死。
ひとつの家族が人間社会を代表して象徴し、一家総出演で、命と死を謳っている。
カメラは人間と山羊を交互に写している。
ゴム越しの霞んで濁った撮影とか、
斬新ではあった(笑)
けれど
手持ちカメラ一台でよく撮ったものだ。
コンドームを膨らませて遊ぶ子供たちには苦笑してしまうが、案外この映画の見つめるものはギャグストーリーなどではなく、もっと深いところで心の障壁の厚さ0.02ミリを象徴しているのだろう。
輪廻転生の信仰と、それを妨げるゴムに象徴される掟(=中国政府による産制法、経済的理由)などなど。
人間の都合 vs. 自然のルールの、葛藤と軋み。観ている僕もいろいろ考えてしまうのだ。
囲われている山羊、
繋がれている山羊、
縛られている山羊、
そして解体されていく山羊。
山羊と人間の境遇はスクリーンの中で近しく重なるし、
囲いから出ていく妻ドルカルの姿には、糸の切れた赤い風船が重なる。
目標も人生の意味も考えることを留保して自分を縛り、這いつくばって低空飛行をしている我が身を、
あの青空に見透かされているようなエンディングだった。
ネオレアリズモ。
文芸作品。
・・・・・・・・・・・・
【画面が切れる】
そして面白いと思ったのはあのカメラワークの“下手糞”さだ、
・夫婦が家畜の柵の前で言葉を交わしているのだが、妻は数歩動くので仏塔の影に隠れてしまう。
ハンドカメラは揺れているが、カメラは妻を追わないので妻の姿は見えなくなる。
ちょっとイライラする。
・そこにバイクで訪ねて来たドクターは画面から切れている。声だけが聞こえる。
3人いるその場面で写っているのは夫だけ。
このカメラワークはなんだか変ではないか?と気になってみると、他にもあるわあるわ
・男性教師が自著をかつての恋人(尼僧)に手渡すが、その男の伸ばす腕は校庭の木の幹の向こう側に半分に切れる。
右と左に画面が千切れる。
・病院で女先生に避妊手術を相談する時の、廊下の二人もそうだ。
間に柱を挟んでおり、ドルカルの顔が隠れて切れている。
監督は、意図的に心の障壁や、思いの通じない人と人との溝を、スクリーンに「定パターンの構図」として、分割の絵として見せている。
あれは、どこまでも広がる長い地平線や、広大な牧草地にあっても、人間の営みの枠の狭さや限界を、なにか対照的に示しているようで面白い。
山羊の薬浴の水槽 を左右に挟んで村人が掴み合いの喧嘩をするシーンで、この推理は確信に変わった。
【青いシーン】
なんの脈絡もなく挟まれた印象的なシーンもある、
私たちも、誰だってふとひとりになる時がある。
・夫タルギュ
停電の雨の夜。ガラス越しの青い光を受けて壁の前に立っている夫タルギュの、じっと微動だにしない長いカット。固まって物思いにふける独りの男。
そして
・妻ドルカル
洗面器の真っ青な青空をバックに彼女の顔がくっきりと映る=自分の顔をじっと見つめている、これも長いカット。
他人の顔は映らない。
自分の顔だけがそこに映り、自分だけがそれを見ている。
・・夫がいて、妻がいて、結婚はしていても、たとえ自分に家族があって子供や義父がいたとしても、個々の若い男女として、また別々の独立した人間として、ハッとした瞬間に「個」になって自分自身をじっと見つめている。
・・そのような素晴らしい挿入画だった。
僧帽で顔を隠し通す妹も、うろたえる思春期の長男も 絶妙な味わい。
チベットの草原を撮りながら、まるで大都会の、ビル街の人間模様を見ているようでもあった。
タイトルが、映画を観た後だととても意味深い!
コンドームがなかなか手に入り辛いようで、病院に行ってこっそりもらう。でも奥さんは恥ずかしさゆえ、女医にしか話せない。お店でうってはいないのだろうか?売ってはいても高額なのか、その辺りはよくわからないが。
その貴重なコンドームを子供達は何かわからず風船と思って膨らませて遊んでしまう。奥さんが恥ずかしさを堪えてなんとか手に入れた貴重な一個も子供達に見つかり風船として。
奥さんから相談された女医が「種羊とおんなじね」と笑い飛ばすあたりは笑えたが、そんなこんなで結局また妊娠してしまう。4人目になる出産に奥さんは教育費とかの心配から産むのを躊躇う。夫は父親の生まれ変わりと信じて当然産んでほしい。いや〜産むのも育てるのも女。家系の心配もするでしょう。そうなる前に何故避妊をしないのだ、と夫を責めたくなる。
なかなか重みのある、映画でした。
チベットの暮らしを知る、私たちの暮らしを知る
今時のチベットの暮らし。
赤い風船と、こどもらが遊ぶコンドームの風船。
女医さんかいて、国家の戦略としてではなく、女性としての目線でアドバイスを求め与え知識と情報を共有する
親世代とは共通する部分も変わっていく部分もあり、
この土地でも、制度や偏見で辛い思いや嫌な目に遭うのはやはり女性でだからこそ先進的に前進的にまた防衛的に新しい考え、センス、生活、生き方に取り組める、取り組むしかないのも女性。
チベットという固有のものよりユニバーサルな共有を感じ全てのスタッフ、俳優に親しみと敬意を感じる。
実生活に近いのだろうか‼️❓
チベットの生活はなかなか観れないので、とても興味深く感じました。
でも、避妊とか異性関係と文化や生活レベルが釣り合わずとても違和感がありました。
中国映画とゆうことで、ある意味、なんらかの意図で、本当のチベットを歪曲させられているのではないか、そう危惧したからです。
ウィグルはどんな生活なのでしょうか?
チベットの文化や社会には馴染みがなかったので、興味深かった。離婚や...
チベットの文化や社会には馴染みがなかったので、興味深かった。離婚や小説やコンドームの話が出てくるかと思えば、家父長制の古い文化も残っている。
転生と避妊。フェミ的には馬鹿馬鹿しいと腹が立つ。
姉の妹への暴力もひどい。
無料のあれ。
"風船"とは、それのことか。はじめ、ちょっとクスリと笑った。しかし、切実な出産事情と、女性の社会的立ち位置が明らかになるにつれ、深刻な問題であることを痛感し、笑っていられなくなった。
中国に吞み込まれてこのかたのチベットは、どんどんチベットらしさをむしり取られ、いまや中国の極貧僻地と成り果ててる。僕はおととしチベットを訪れてその現状を目にしている。そんなチベットのそのまた地方で暮らす人々が、裕福であろうはずがない。ここに出てくる羊飼いも同様だ。だから、無料のあれがないと妊娠するおそれがあり、生活は困窮するのは当然の理なのだ。だけど、そこに"転生"という神聖なお告げが現れたら、どうするのか。悩ましいよなあ、チベットで生きてきた人間としては。産むか産まぬか、この結論は、どっちに転んでも苦しみが待っているのから始末に負えない。
文成公主の像を見上げるシーンが出てくるが、国のために他国に嫁した、犠牲となる女の象徴とでもいいたいのだろう。飛んでいった風船はなんのメタファなのか?自由になりたい女性の希望なのか。チベット映画は常に、重い何かを問いかけてくる。
予想に違わぬ素晴らしさ!
ラストシーンには、思わず久しぶりに「スゲエ」と唸ってしまった。
映画祭では、万来の大拍手だったに違いない。
とにかく冒頭から最後までカメラワークが本当に全て素晴らしい。
ダメなカットなど一つもない。
脚本も無駄で余計なシーンが一つもない。
役者もみんな素晴らしい。
間の取り方が全て完璧に自然だ。
しかし、あえて言うならば、音楽が如何にも有りがちで凡庸だったのが残念。
全編を通して、まるでドキュメンタリーでも見てるようなフィルムだったので
音楽は最後まで無くても良かったかもしれない。
この監督は初めて観たが全て見たくなってしまった。
今、岩波ホールで、チベット映画の特集が始まっている。
これは観に行かねば!
明るい家族計画。しかし子どもたちは知らない。
無邪気な兄弟が風船を靡かせて遊んでいるが、その風船の正体はコンドーム。父親は貴重な避妊具を使った兄弟を叱るが、子供たちはなぜ叱られたのかもわからないまま。父親タルギュ「今度町に行ったら赤い風船を買ってきてやるからな」と優しく接するのだった。しかし困ったことに配給の避妊具は少ない・・・どうすればいいんだ。
羊を飼って生活する一家。種羊を借りてきて繁殖に精を出すのだが、夫のタルギュも精力絶倫なので、妻のドルカルは困り果てる。ついに妊娠した。次に生まれてくれば政府から罰金を命じられるし、生活費も苦しいのだ。と、一人で悩んで人工中絶を決意・・・
一方、ドルカルの妹はある事件から尼になっていたが、その原因となっていた男から著書をもらってしまう。タイトル「風船」。しかし姉はその本を燃やしてしまおうとするのだった。
草原や砂漠の中で素朴に生きているチベット族の市井の人たちの生き生きとした描写と、ちょっとしたストーリーを見るとセミドキュメンタリーとでも言うべき“生活”をうかがうことができる。チベット仏教や亡くなった家族の魂が家族の誰かに転生するといったことを信じ、長く生きた祖父がポクリと逝ってしまった。これは中絶すべきではない。と、夫婦間にも亀裂が入る。
影の声「性欲も抑えなきゃいかんかな・・・」
根底にある中国の家族政策。信仰心の篤い家族。微笑ましい内容でもあったし、自然を大切にする民族の内側から見た平和が暖かく響いてくる。巨大モニュメントも印象に残るし、動物を使ったポスターも興味深い。そして、赤い風船が強烈なインパクトを与えてくれるのだ。もしかして中国共産党をイメージしてるのか??
残像が半端ない
余韻がすごい。
なんだろう…難しいな…。
広大な景色とは裏腹に、
慣習やその土地特有の秩序の中で、
大きく変わることなく、
小さな世界で生きてきた人たちに訪れた変化の波。
それが、女性によってもたらされたことに、
同性として、余計に深く考えされられた。
ただただ、この家族がこの波を乗り越えて、
一層強い絆で結ばれることを望むしかない。
広い空と大地、真っ赤な風船、
真っ直ぐに生きる人たちの瞳の強さ、残像が半端ないです。
羊飼いが伝統なら風船は現実
チベットに住む家族の日常と葛藤を描いた映画。
馬からバイクに変えたけど、父の生まれ変わりを信じてるお父さん。息子に学ばせたいけど、子供も産みたく無い訳じゃ無いお母さん。
伝統と現実の狭間で葛藤…どちらを選択しても悔いは残るだろう。
日常生活を描いている訳ですか、がっとしたセリフがある訳でなく…雄大な自然の景色と流れる音楽に身を任せると心地よく眠くなります。
チベットの祈り
不思議な現代に歴然として存在しているであろう未知の時空間を体験した。
そして、それは日本の歩んできた歴史をランダムに織り成した絨毯のように、美しく懐かしい郷愁を感じる。
現代の日本とほぼ同じように通じる携帯電話。
果てなき不毛の平原に辛うじて生活を支える羊達の牧草と貧しい羊との共存。
原始的な生産価値の交換。
教条的ながらも近代的社会政策面による懐かしいコンドームの啓発。
それを隠し恥じる村人。
生まれ変わりの転生輪廻を固く信じる人々。
僧への敬意と原始信仰。
不倫に対する現代的懲罰意識。
出家というシステム。
移動手段としてのバイク。
新旧混濁した価値の世界を現実に生きるチベットの人々の生活ぶりが浮き出される。
やっと息子達が手にした赤い風船。
一つは映画で描かれた幾つかの命のようにあっけなく儚く割れ、もう一つは伝統的な命の信仰の支えの如く、人々の思いを乗せるかのようにゆっくりと天へと昇っていく。
近代と伝統の日常が生き生きと、そして象徴的に、美しい見事なカメラワークにより語られる。
チベットを知る
チベットの大草原で羊飼いとして生計を立ててる家族の日常と悩みを描いた作品。
馬からオートバイへ、祖父の死、チベット仏教、転生、妊娠、避妊、一人っ子政策、などなど、家族の間に起きる日常を描いている。
貧乏なのに避妊もせずセックスする夫、妊娠しても中絶をさせてもらえない妻・母親の苦悩が描かれてる。
子供が風船を貰って喜ぶなんて、純朴だなぁ、って思えた。
チベットを知る機会を持てたことは良かった。
フェミニスト的に見てしまった。
伝統的生活様式、輪廻転生信仰、肉体的に優位な男性支配。こんなんじゃダメ、雌羊と同じ運命でいいのかいと義憤にかられながら見た。私には、悪気がないのに女を苦しめる男の鈍感さと純粋さがダメだった。女がいないと生活成り立たないのにさあ、、、と思っていたら最後に強い意志を通したのは、、、。姉妹も夫婦も、結局他人。価値観が自分と完全に一致する人間なんていないのだ。
モチーフとしての”風船”の使い方は白も赤もちょっとあざといような気がした。けれどもこれからも訪れる機会のないであろうチベットの大草原と大空の空気を感じさせてくれて、ちょっと羊やランプの臭さまで感じさせてくれて、旅したようなお得感があった。
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