羊飼いと風船のレビュー・感想・評価
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種羊とコンドーム
「羊飼いと風船」、って牧歌的タイトルと見せかけてからの「一刺し」、な皮肉だったんですね。原題は「气球」。つまりはコンドム。やるじゃんw
産児制限政策への(割と緩い)批判。女性の不合理な立場。映画の軸になっているのは、後者です。
病院にダンナと長男が駆け込んできた時には、時すでに遅し。いや、妻からすれば間に合ったと言うべきか。「尼にならないでよ」と心配する長男。「いやいや、ならねーよ。大丈夫だよ」。
妹とメガネ男の関係が判らなかったんですが、この場面で推理可能になりました。未婚の妊娠・中絶・仏門に入る、って言う流れだったんかねぇ。
文芸的かったるさはあるものの、ドキュメンタリーを思わせるリアルな「小汚さ」が結構好き。
良かった。
でも、万人受けはしそうにないので、お勧めはしません。
羊飼いが伝統なら風船は現実
チベットに住む家族の日常と葛藤を描いた映画。
馬からバイクに変えたけど、父の生まれ変わりを信じてるお父さん。息子に学ばせたいけど、子供も産みたく無い訳じゃ無いお母さん。
伝統と現実の狭間で葛藤…どちらを選択しても悔いは残るだろう。
日常生活を描いている訳ですか、がっとしたセリフがある訳でなく…雄大な自然の景色と流れる音楽に身を任せると心地よく眠くなります。
チベットの祈り
不思議な現代に歴然として存在しているであろう未知の時空間を体験した。
そして、それは日本の歩んできた歴史をランダムに織り成した絨毯のように、美しく懐かしい郷愁を感じる。
現代の日本とほぼ同じように通じる携帯電話。
果てなき不毛の平原に辛うじて生活を支える羊達の牧草と貧しい羊との共存。
原始的な生産価値の交換。
教条的ながらも近代的社会政策面による懐かしいコンドームの啓発。
それを隠し恥じる村人。
生まれ変わりの転生輪廻を固く信じる人々。
僧への敬意と原始信仰。
不倫に対する現代的懲罰意識。
出家というシステム。
移動手段としてのバイク。
新旧混濁した価値の世界を現実に生きるチベットの人々の生活ぶりが浮き出される。
やっと息子達が手にした赤い風船。
一つは映画で描かれた幾つかの命のようにあっけなく儚く割れ、もう一つは伝統的な命の信仰の支えの如く、人々の思いを乗せるかのようにゆっくりと天へと昇っていく。
近代と伝統の日常が生き生きと、そして象徴的に、美しい見事なカメラワークにより語られる。
チベットを知る
チベットの大草原で羊飼いとして生計を立ててる家族の日常と悩みを描いた作品。
馬からオートバイへ、祖父の死、チベット仏教、転生、妊娠、避妊、一人っ子政策、などなど、家族の間に起きる日常を描いている。
貧乏なのに避妊もせずセックスする夫、妊娠しても中絶をさせてもらえない妻・母親の苦悩が描かれてる。
子供が風船を貰って喜ぶなんて、純朴だなぁ、って思えた。
チベットを知る機会を持てたことは良かった。
フェミニスト的に見てしまった。
伝統的生活様式、輪廻転生信仰、肉体的に優位な男性支配。こんなんじゃダメ、雌羊と同じ運命でいいのかいと義憤にかられながら見た。私には、悪気がないのに女を苦しめる男の鈍感さと純粋さがダメだった。女がいないと生活成り立たないのにさあ、、、と思っていたら最後に強い意志を通したのは、、、。姉妹も夫婦も、結局他人。価値観が自分と完全に一致する人間なんていないのだ。
モチーフとしての”風船”の使い方は白も赤もちょっとあざといような気がした。けれどもこれからも訪れる機会のないであろうチベットの大草原と大空の空気を感じさせてくれて、ちょっと羊やランプの臭さまで感じさせてくれて、旅したようなお得感があった。
遠くて身近な話
チベットの映画ということで、雄大な風景に浸る映画かと、期待して観に行きました。
その要素は確かにあったと思います。
チベットらしい風景に臨場感あふれる素晴らしいカメラワーク。
それら映像表現が映画の質を高めていると感じます。
しかしそれだけではなく意外にも身近なストーリーにとても感動させられました。
私はチベットのことはよく知りません。よって登場人物を俯瞰して眺めることになるだろうと考えていました。
しかしこの映画の構成要素は私にも分解可能であり、登場人物たちの姿は他人事と思うにはあまりにも身近なものだったのです。
種羊、人、風船、境遇。この映画におけるそれらの事は我々にもとても身近な事です。
それらを重ね合わせ見やすく伝える表現力。素晴らしかったと思います。
そこに社会制度や宗教哲学が加わり凄い展開を見せていました。
是非ご覧ください。
中華人民共和国の映画なので、もちろん検閲は経ているのでしょうが、このような宗教色の強い表現が特に弾圧されることもなく淡々と描かれ、日本にたどり着いたという事実に、ある意味、認識を改めさせられました。
草原で牧畜を行うチベット族の一家の生活を淡々と描いた作品です。
ストーリーは、あって無きがごとしでして、その点についての期待は早々に捨てるしかありませんでした。
この映画を通して現代のチベット事情を味わうという面でなら、意味のある作品だと思います。
西側報道では弾圧され尽くしているとされるチベット仏教が生活の中でまだまだ重要な役目を果たしていることや、そもそも映画がチベット語によって作られている、すなわち一定レベルでチベットの文化が尊重されているという事実を西側に訴えたいのかも知れません。
2014年に一人っ子政策は終わった中国ですが、やはり何人も子供を抱えることには罰則があるのだということや、コンドームは無料配布されるものだが、なかなか品薄で貴重な品物なのだということなどを伝えたいのかも知れません。
ま、それはそれとして、情報を捉えるための材料としてなら評価できるのですが、映画そのものとして捉えるなら、あんまり高い評価はできないな、というのが正直なところでした。
「国家政策」と「生物としての本能」や「信仰」
チベットの映画で、なかなかの異文化感でした。映画の作りとしては「イマイチ」かな😅とも思ったのですが、、、。
この様な映画は「通」ぶって、つい高評価になり易いとは思うのですが、そう言う事は除いても、よくよく考えたら「国家政策」「宗教」「本能」「女性の人権」などを描く攻めたテーマ性の映画で、後からジワジワときました👍
「羊」と「風船」は、中国「一人っ子政策」におけるアンチテーゼ的メタファー。「子どもを多く産むな」という国家政策と、生物としての「本能」。政策と本能を両立させる「避妊具」や、チベット仏教における輪廻転生。
感情移入はできにくいですが、チベットの日常生活などを垣間見ることができる作品でした😊
凡庸な作品です
チベットが舞台っていうのもイイよね
この物語早く観たいと思ってた
の、せいか、どうも面白くない
設定はいいし子供が純真で膨らませてた物とか面白い、ありそう
でも、どうも中国の人数制限政策とか出てくるけど
政治的な配慮か踏み込んでいかない
中国介入すんなよって昔から思ってる人間にとっては何か消化不良
チベットにとって中国の介入の問題は普通に考えたら避けて通れないよね
輪廻転生を信じるような死生観が出てきて
違った文化だなと理解したけど
それ以上に訴えかけるものがない
結局、状況を提示してるだけで考えさせたいのかもしれないが
この映画何を訴えかけたかったのか良くわからなかったな
物語的には普通で、綺麗な風景を期待したが映像もそこまで綺麗じゃない
何を観たらいいのかわからない感じだったな
何が原因かわからないが久しぶりに退屈で携帯をいじりたくなった映画だった
期待してたので残念な感じでした
悪くはない、でも、面白くもない映画
叙情詩の中の現実
映像が巧みである。
ことに最後、どこまでも青くて広ーい空に、赤い風船が飛ばされて流れていく‥
それを映画の登場人物等それぞれが、目をしぼめながら見上げるショット。風船は、それぞれの想いの象徴のようで、それを自分の手から離れていく、もしくは離していくイメージ。とても印象的だ。
種羊を返却して、酒を酌み交わすシーン、カメラは、座っている二人を下から撮りタルギュの手だけを映す。ギットリした脂身の細長い肉を握り、欠けた刃のナイフで削ぎ落として酒の肴として食うショット。
カメラワークが、時として新鮮なのだ。まるで、余韻ある叙情詩。そしてお経のリズム。ストーリー、映像のスケール感が大きい。
固定の価値観から抜け出せない、大地に生きる家族たちと、日々に生きている女、ドルカル自身に起きた思いがけない妊娠事実とのせめぎ合い。
チベットって鳥葬じゃないのか?とも思いながら、おじいさんは火葬され、その転生を信じている家族。
信心深いのはおじいさんだけだった様な気もするが、転生を信じているからこその、皆の想い、願いをドルカルに託す。
日々の労働、稼ぎなどを思案するドルカルの悩みに思い至らないタルギュ。一つの家族で、密接に生活しているのに分かり合えていない現実。
ドルカルに身を置いてみると、なんだかツライ映画である。それは同時にチベットが置かれている今の状況とも重なるのかもしれない。
けっこうよかった
スマホがあったのでかろうじて現代なのかと思うのだけど、凄まじい暮らしぶりで大昔みたい。バイクに羊を無理矢理載せて運搬していて、羊の具合が悪くならないのだろうか。転生を真剣に信じているのがファンタジーみたいだ。お母さんは帰って来るのか心配だ。
ドキュメンタリーかと思うほど。
チベット映画初めてです。興味津々で鑑賞しました。
まず、土地柄?景色のせい?
いやいや、雄大な作品でした。
ストーリーも映像も人物も大河のように緩やかだけど強い。大らかな空に抱かれて生活するその様は憧れすら感じるほどでした。
人間の生死の隣に生き物の生死があり、大きく流れる民族の歴史、文化の大河のながれはありますが、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。時代というものが大河に横たわりはじめます。
変わるもの変わらないもの。
変わる必要はある?ない?
日常を描きながら移りゆく生活やその背後にあるものを
切り取り、これは、これだけは変わっちゃいけない変わらないで欲しい、そんな作り手の魂を感じる作品でした。
ハンディカメラ多用だから?ワンカメショットが多いから?演者が素晴らしいから?
本作、ドキュメント見てる気がしました。
いやー。びっくりです。
特に、母親役の女優さん良かったなー。
ラストシーンは秀逸です。
オープニングからのうまい回収にもなってます。
(政策のシンボル的にうまく使ってますよね、アレを)
僕としては、どんな強い時代の風が吹こうがどこまでもどこまでも昇って行って欲しい。しなやかで強い魂として。
どこまでもたくましく。
赤い風船🎈
文成公主(唐時代)の巨大像は大乗仏教のチベット仏教では観音菩薩、多羅菩薩を表しているらしい。チベットの人にとって民族の誇りと信仰を忘れないためのものでもあるのだろう。現在の中国政府からの弾圧のもと、チベット映画人ができる最大限の抵抗なのかもしれない。ダライ・ラマを口にするだけで逮捕されてしまう現実。
避妊リングを子供がオモチャの指輪ににしているのを隣人にみられることや子供がスキンを風船にして遊んでいることを「恥」と感じる人々。民族性なのか。文化なのか。それとも、中国政府による出産制限政策に屈する現実に対する情けなさなのか? 主要な経済拠点は省に組み入れられ、伝統的放牧生活に頼らざるを得ないチベット自治区の生活。子供の教育問題と人手問題の葛藤。教師になった青年と恋が実らず、尼になることで、家族の経済的負担から外れることを選択した妹。精力絶倫の旦那を持ち、一見幸せそうな姉が苦しみ、妹を羨む現実。
青空にあがってゆく赤い風船🎈をすべてのキャストが見上げるラスト。
チベットの人がそれぞれの希望を風船に見立て、生まれ変わり(転生)を信じて、暮らして行こうとしているように感じた。
チベット頑張れ❗
子供がスキンを膨らます場面。すごい肺活量だなぁと思いました。結構力要りますよね。標高が高くて、空気が薄くて、気圧が低いから、膨らますの楽なのかなぁ?
子供の頃、デパートでもらったヘリウム入りの風船を空に飛ばしたら、母親に「もったいない」とえらく怒られたことがずっとトラウマになっています。タダで貰った風船にああまで固執する母親にすごく幻滅しました。ケチ野郎。狭い住宅地の路地から空にあがってゆく風船は自由で羨ましく思えました。萎んでしまう前に放してあげたかっただけ。あんなに青い広い空だったら、もっと気持ち良かったに違いありません。
国が違えば
24本目。
牧歌的な作品かと思ってたら、最初の風船で不意を突かれる。
あんなの紅白のモックン以来か。
日本じゃ当然見られない光景だけど、国が違えば日常だし、デリケートな部分まで土足で踏みにじられる感じが生々しい。
一瞬ドキュメンタリーを見てるかの様な錯覚に陥る。
異文化を見る
勝手にモンゴルの映画だと思ってみてましたが、なんの違和感もなく、終わってから映画館ロビーに掲示してある資料でチベットの話だと知りました。アメリカ人が中国と日本を混同することに文句言えないなと思った次第です。
映画自体は映像がとにかくきれい、輪廻が重要な位置をしめてそうだけど、意外とメロドラマっぽい、嫌いじゃないけど長く感じる2時間でした。
チベットの草原地帯。夫タルギェ(ジンバ)と妻ドルカル(ソナム・ワン...
チベットの草原地帯。夫タルギェ(ジンバ)と妻ドルカル(ソナム・ワンモ)の夫婦。
タルギェの父、ふたりの息子と羊飼いで生計を立てている。
夫婦には、もうひとり長男ジャムヤンがいるが、彼は寄宿生活で町の学校に通っている・・・
といったところから始まる物語で、牧歌的な雰囲気ではじまる映画。
冒頭の映像は白くぼやけた画面で、ふたりの息子が老いた祖父を風船を通して見ているようである。
が、風船と思われたものは、コンドームを膨らませたもので、幼いふたりの息子は、それを両親の枕の下から盗んできて、風船と思って膨らませていたわけ。
そんな避妊具など使うこともなかった祖父にとっても、ちょっと細長い風船にしか思っていなかったが、父親タルギェは息子から取り上げて、吸っていた煙草の火で割ってしまう。
ここで風船は「性」の象徴であることがわかる。
町の学校で寄宿生活をしていた長男ジャムヤンが休みを利用して帰宅することになる。
彼を迎えに学校を訪れるのがドルカルの妹・シャンチュ(ヤンシクツォ)。
彼女は過去の出来事からいまは出家の身。
迎えにいった学校でジャムヤンの担任教師タクブンジャと出会うが、彼はシャンチュの元恋人。
元恋人といっても、ふたりの恋愛は不倫関係だった。
これが原因でのシャンチュは出家、男の方は離婚し、現在の学校に左遷させられたようだ。
作家を目指していたタクブンジャは、過去のいきさつをもとに小説を書き、出版しており、それはなにがしかの賞も受賞した。
小説のタイトルは「風船」。
ここで風船は、「ひとの想い」「魂」の象徴であることがわかる。
ふたりの息子に最後のコンドームを使われてしまったタルギェとドルカルの夫婦は避妊することなく夫婦生活を営み、結果、ドルカルは妊娠。
4人目の子どもを産むことは法律で禁止されおり、女医師は堕胎を薦める。
産みたい思いはドルカルの中にもある。
しかし、長男ジャムヤンの進学費用の工面もある。
罰金を払って、その上、4人の子どもを育てるほど家計に余裕はない・・・
そんな中、祖父が急死してしまう。
タルギェが高僧から告げられたのは、祖父の魂はすぐにでも転生する、ということ。
タルギェも長男ジャムヤンも、妹シャンチュもドルカルに産むことを薦めるのだが・・・
と物語は、どこか原初的なシンプルさを持ちながら、力強く、それでいて、チベットの置かれた立場、伝統と近代化のせめぎ合いを感じさせます。
夫婦や家庭、男女の物語と並行して、一家の牧畜の様子が描かれるのが興味深く、種牛ならぬ種羊を借りてきての種付けや、羊を運ぶさま(オートバイの乗り手の腹に羊を結わえつける!)など目を引きます。
そして、もうひとつ驚かされるのは、ときおり挟み込まれる、驚くような画面。
冒頭のコンドーム越しの映像もそうなのですが、苦悩するドルカルの表情を水桶に映った像で捉えたショットや、移動シーンを草原にたまった水たまりに映った像で捉えたショット、去り行くシャンチュを見送るドルカルを窓ガラスに映った像で捉えたショットなど、リフレクションの効果を用いたショットがあります。
最後は天空に上る赤い風船が描かれるのですが、それは魂、そして見ている者全員の想い。
上っていく風船を見上げる人々の俯瞰ショットの連続も素晴らしいです。
この俯瞰ショットは伊丹十三監督の『大病人』を思い出し、このようなショットがあるかないかで、映画の印象が変わってくるのかもしれません。
映画全体としては、題材は異なりますが、アルベール・ラモリス監督の『赤い風船』『白い馬』の2本を思い出しました。
女性の視点から
先進国では、子供を沢山産む時代がとっくに終わりを告げていますが、本作の様な地域もあるんですよね。中国のひとりっ子政策も恐ろしいですが、本作の様な多産の文化も恐ろしいです。
羊がいないと子供達を養えないし、風船(コンドーム)がないと、ますます貧しくなる。このふたつが、彼らの生活を守っているんですね。
近代化して自然環境が破壊されてきて世界的に問題になってきていますが、仮にテクノロジーや都市化がなかったら、私も本作に出てきた苦しい女性になります。そう思ったら、複雑な気持ちになりました。
雲と、風と、空気と…。
草原を吹き渡る風、草の香り、オートバイの排気ガスのにおい、空気の肌ざわりが感じられるような、そんな映画だと思います。
一つの家族の姿から、チベットという地に生きる人たちの宗教観、生活感、日々の営みが手触りとして伝わってきます。
そして、中国共産党の支配が、まだ完全には及んでいないけれども、その影響は決して避けられないという姿がくっきりと描き出されています。
青い空、流れる雲、緑の草原、地平線、人の後ろに映し出されている背景に、流れゆく時間、人生の無常観を感じずにはいられません。
慌ただしい時間を止めて、ゆっくりと、異国の空気にひたってみてはいかがでしょうか。
時代が変わりゆくチベットで…
馬からバイクへ、一人っ子政策も始まった頃?のチベット?祖父の死とともに生まれてくる子供に宗教的に転生をしんじる夫、現実の経済的負担に中絶を考える妻、時代の変化に宗教感の変化も重なり家族関係に変化が…。宗教や時代背景を理解していたらもっと入り込めたかも…。
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