「ジョージア舞踊家としてのアイデンティティが全く描かれず」ダンサー そして私たちは踊った マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
ジョージア舞踊家としてのアイデンティティが全く描かれず
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先ずは、日本人として、南オセチアとアブハジア対ジョージア どちらが善悪かは語るべからず。
ジョージアの舞踊に付いては全く知らない。
従って、舞踊の良し悪しに付いては何一つ分からない。しかし、映画に残すからには、基礎のしっかりした舞踊家の役者を使うべきなんじゃないだろうか?
映画もカットが多すぎる。舞踊の連続した美しさがかき消されている。
主旨は別にあるようなので、僕には最初から分からない。共感しようがない。しかし、自虐的LGBTの映画に見えてしまう。主人公のジョージア舞踊家としてのアイデンティティが全く描かれていない。
何をどうして悩んで、どうして貧困なのかが分からない。携帯電話の金も払えない者がタバコをバカバカ吸って、飲みに行くとは思えない。そう言った若者が伝統芸能って、安っぽくみえるが、それで良いのだろうか?
イエヴァン・ポルッカ見たいな踊り?
因みに、ジョージアってヨシフ・スターリンの故郷。
また、アブハジアや南オセチアはジョージアから独立が出来ず、いつ内戦が再発するか分からない場所である。現在はアブハジアと南オセチアがロシアの援助を受けているので、一方的にジョージアのナショナリズムを新しい価値観(LGBT)で描いたつもりだろうが、リサーチが足らない。
男女の恋愛として、南オセチアの女性とジョージアの男性とかの悲恋であったほうが、良かったと僕は感じた。
二年くらい前に『みかんの丘』と言う映画を見たが、ウクライナの影響できな臭い。
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