「「おいしい」は伊達じゃない、食べ物描写が極めて優れた作品。」劇場版 おいしい給食 Final Battle yuiさんの映画レビュー(感想・評価)
「おいしい」は伊達じゃない、食べ物描写が極めて優れた作品。
本作はテレビドラマの映画版ですが、ドラマは未見のまま鑑賞に臨みました。
ドラマ未見のため、冒頭から展開する怒濤の給食堪能場面、特に市原隼人さん扮する教師、甘利田の振る舞いに面食らい、これはどこまで現実の場面で、どこからが甘利田の心象世界なのか解釈に戸惑いました。すぐにそんな線引きをする必要はないことに気が付いたんですが。
本作はほぼ教室を舞台としていますが、窓から差し込む光が人物や給食の食材を浮かび上がらせて、非常に美しく、かつおいしそうな映像となっています。また音楽の使い方も面白くて、当時のラジカセのように、音楽に入る前に再生ボタンの音が挿入される凝りようだったりします。
前半の甘利田の幸せな給食マニア生活と、同じクラスの男子学生、神野(佐藤大志)とのバトル(といっても甘利田の一方的な対抗心)は、後半にさしかかって変化を生じます。ドラマが深まる度に、甘利田の怒濤の独白は静まり、彼は理想と職場の現実との乖離に直面することになります。ではドラマ部分が陰鬱で冗長かというと決してそうではなく、それまであまり目立たなかった神野の存在感が増すに連れ、物語も一気に加速がかかります。
本作では明らかに物語上の重要人物を絞り込んでいました。甘利田、神野、御園(武田玲奈)が物語を引っ張り、それ以外の登場人物は、部分的に見せ場があるだけで基本的に背景に徹しています。
こうした思い切った描き分けのため、ドラマ未見であっても物語の筋を楽しく追うことができたのですが、ただ少々省略が過ぎたように思える部分もありました。特に折角登場した三人の教育実習生、中でも水野勝さん扮する佐野は、登場早々に甘利田の教育方針に逆らうなどドラマへの絡みを匂わせていたのですが、結果的に狂言回しとしても少々惜しい使い方だったな、と感じました。
他方でわずかな場面しか登場しない、直江喜一さん扮する教育委員の鏑木は非常に存在感があり、かつ良い意味で異物感が出ていました。あのようにたたみかける大人の理屈と傲慢極まりない態度で迫られると、甘利田でなくとも絶句すると思います。鏑木は、本作において珍しい、甘利田の価値観を相対化する役割を持った登場人物ですが、もう少し同じような役割の登場人物がいても良かったかな、とも思いました。例えばクラスメイトの中に数人でも給食嫌いの生徒が混じっていれば、学生の「背景感」が弱まって、人間ドラマとしての立体感が増したと思います。ただ短い上映時間の中で、このように複数の価値観を交錯させた上で一つの物語として収斂させることは非常に難しかっただろうとも思います。
もう一つ非常に微細な問題点なのですが、本作の舞台である1980年代当時にはあり得ないものが教室の本棚に置かれていたため、「もしかして現代なのか?」と鑑賞中に若干混乱してしまいました。時代設定を前知識として持っていた人は軽く流せるんでしょうが…。この点だけ、惜しい!と思いました。