失くした体のレビュー・感想・評価
全23件中、21~23件目を表示
ハエだけが時間を超えて飛んでいる
一体、この映画は何がやりたかったのか?
現在、少し前、子供時代の、3つの“時間”が意味もなく入り乱れる。
「手は、何かに触れるたびに記憶がよみがえっていき」だそうだが、その3つの時間で描かれるストーリーに関連性はない。また、記憶がよみがえったところで、後続の展開に何の影響もない。
“女”とのいきさつと“手の切断”も、実質的に関係がない。
表面的にいろいろと観客を攪乱するだけで、関連性や内容に乏しいのだ。
結局、「切断された“手”が、自身の身体を求めてさまよう」というアイデアに、無理やり背景として、いろいろ尾ひれを付けてみただけの作品なのだろう。
ずっと“手”の視点から描かれていたはずだが、突然何か変わったようなラストは、自分にはよく分からなかった。
現代フランスの生きづらい社会を映し撮っているのかもしれないが、自分には合わなかった。
冒険と記憶
手首が思い出を追い、自分を追う。
まず手首を喪った描写が描かれ、何故か目覚めた手首は一心にある場所を目指す。手首の冒険と共に、主人公の青年が負ってきた「運命」が描かれる。
子ども時代の幸福な思い出と、カセットに録音された記録。
両親を事故で喪った少年が、幼い頃の夢を叶えられぬまま、社会の底で生きている。漂うのは無常。空。これが青年の序盤である。
観客は彼が手首を喪うことを知りながら、彼の思い出を追うことになる。ささやかな出会いと恋、仕事に巡り合う幸せ。前向きと見えた物語の裏側で、手首は悪戦苦闘を続ける。
主人公はある意味自己中心的な青年である。本質的にはとても優しく、愛を知っていて感受性も強いけれども、恐らくいくつかの経験が彼を走らせてしまう。思い込みは活力にもなるが、ひとを傷つけ、結局は自分をも傷つける。
走り続けた果てに喪った右手、それが彼の元に辿り着いたとき、過去の一片が明かされ、奇跡を起こす。
何ともいえぬ終わり方だった。逃げ続けるしかないけれど、喪った代わりに何かを得たはずの青年はどこに行ったのか。そこには絶望ではなく儚い希望が感じられる。
最初から最後まで蠅の羽音が頭に残った。音は重要な要素。
「失くした体」は本人を探し続ける。失くしたものに残った記憶を伝える為に。切れそうな絆を結ぶために。だから右手なのかもしれない。まあ、足とかに比べたら、目立たなくて指が使えて動かしやすいのもあるけど。
不可思議なリアリティあるアニメ描写だった。
ガープの世界
ガープの世界は、映画で初めて知って、その後、本を読んでみた。村上春樹さんが、熊を放つを翻訳してるので、作家のジョン・アーヴィングを知ってる人は多いのではないかと思う。
物語は、映画を観るか本を読んで欲しいのだが、マジかと思うようなところから始まる。そして、不条理とも違う、人間の欲望と、それにともなう愚かな行動や、当然、良い結果など生まれないのだが、でも、どこか滑稽な感じが、僕達の生きる世界と重なって、本当に面白い(人によるとは思うけど)。
前置きが長くなりましたが、この作品も、そういう意味では、ガープの世界の影響を、プチ、受けてる気がする。
「失くした体」を探して必死に持ち主(?)のところに帰ろうとする「手」。
回想も、ちょっとした独りよがりの行動で引き起こされる事故や事件など、自分の体験を重ねて慎重に振り返ると、誰にでもあり得るかもしれないような出来事を、大切に描いてる。
「手」の冒険もなかなかイケてる。
僕の後輩で、ロスでジャズピアノを習ってたのがいて、ピアノは訓練に次ぐ訓練だと言っていた。
確かに、ギターも、PCのキーボードのブラインドタッチも訓練といえばそうだが、たまに自分の手が意識より先に行動してるような時があって、エッと思うことがある。
そういう意味で「手」というものについても考えさせられる。
そして、この映画の「手」には、もしかしたら、作中で語られるように、運命を信じていて、奇跡があるのではとの期待がプチ、高まる。
しかし、手が「失くした体」は、過去の苦い記憶を振り払い、新しい未来にジャンプするのだ。
「手」は少し寂しかったのではないか。
象徴的に「手」を使って描いた、なんか、ちょっとイカした映画だった。
アニメだが、アニメを観て育った世代には、面白く観れるのではないかと、そんな気がします。
これも、アイリッシュマンに続いてNetflixか。
日本の映画製作会社も、メディアも、ソニーも頑張んないと、ねえ。
全23件中、21~23件目を表示