テッド・バンディのレビュー・感想・評価
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予習しない方が楽しめるかも
公開劇場が少ないのですが
たまたま見つけた時間と場所に飛び込みで鑑賞
予習している時間はありませんでしたが
なんか聞いたことある名前だなと言う位で観てみましたが・・
それが却って良かったかもしれません
別居から失意のリズを友人が慰めに酒場に連れて行った
先でテッドと巡り合い、癒やすように幸せな日々を過ごす
スナップショットから入る導入部
そこからあたかもテッドが夜道の車で一歩的に嫌疑をかけられ
突然拘留されます
面白いのはなまじっか予習しなかったおかげで
テッド視点でストーリーを追いかけられ
または無実を信じるリズの側にたってあれ?
これ実は冤罪じゃないの?と思えてしまうような
描写で進んでいくのです
実際に殺害している「テッドにとって都合の悪い」
シーン等は出て来ないのです
でもだんだん州をまたぎ冤罪なわけがないペースで
罪状が重なっていくのですが
テッドは一貫して無罪冤罪を主張し続け
それを信じる周囲の協力者の女性も加担していきます
前述したように展開はテッド視点で
犯行時の記憶が一切無いかのような
言動でしらを切り続けます
女性の心のカギは簡単に開けてしまうのに
自分の心にはガッチリカギがかかっている
その様に異常性をジワジワ感じてきます
結局殺人を目的とし、その殺人を隠蔽することまで
勘定に入れてハナッから行動されたら
捜査しても目星が付かないんでしょうね
終盤は死刑執行前の段階で
心のカギを未だ外されたままのリズが
「自分のために」真実を突き止めに行きます
通報したリズがあたかもテッドを裏切ったかの
ような視点で描かれている事で、リズの抱えた
苦しみが観る側にも降りかかってくるのは
見事だと思いました
愚かなようで、うっかり心の隙間に入り込まれる
恐怖に関しては他人事とも思えない部分が
あるのでは無いでしょうか
こうした実録ものって
ネタバレといったものからは解放されていますが
描写や視点に工夫が必要になるので簡単ではないと思います
そのままやったらただのドキュメンタリーですからね
その点では非常に工夫の凝らされた作品でした
これは予習しない方が楽しめる気がします
公開劇場少ないようですがおすすめしたいです
クリスマスになんちゅう映画を観てるんやw
単なるサイコパスだったというだけ?
演出は淀みがなくラストまで緊張感を保って引っ張っていく。出演者も皆好演。一個の映画としては上手く出来ていると思う。しかしデッド・バンティの人生・事件をなぞっているだけという印象が拭い去れない。デッド・バンティの内面が描かれていない、というか描こうという姿勢が余り感じ取れない。勿論、「サイコパスの内面なんて描けない、私達とは違うし、共感など出来ない」という声もあるだろう。しかし、単なる精神病質者としてモンスターとして描くだけで良いのだろうか。100人に一人はサイコパスだと言われている(もちろん皆が皆殺人者というわけではない)。しかもそういう人ほど外面は善き市民、善き社会人として振る舞っているという。逆に人より魅力的だったり良い人と思われているかも知れない(残虐な事件の犯人について、回りの人が「何であの人が」「良いお父さん/あ母さんだと思っていたのに」とかよく言われるのはそういうことだろう)。また、皮肉なことにテッドを追い詰めていく検察・警察にサイコパスは多いともいう。そう、自分たちの回りにいるかも知れないのだ。そういう怖さ(映画では最後のテロップの一行で示されるだけ)を描いたり、サイコパスといった精神的疾患(欠損?)を持って生まれてきた人間の内面(テッドには実際に罪悪感すらなかったかも知れない)に迫ろうという姿勢があればもっと奥深い映画になっただろうと思う。ザック・エプロンは熱演だが、汚れ役として演ずるのではなく、いつものハンサムな好青年路線で行った方がより効果的だったかも。追記:リリー・コリンズがフィル・コリンズの娘だとは!
バンディの異常性
実話なので面白いと言ってはいけないのかもしれませんが、とても楽しめました。
主演のザックエフロンの演技が素晴らしくエンドロールに本人たちの映像が流れるのですが完璧にバンディをコピーしていました。
ただずっと無罪だと言い続けるバンディが最後彼女に告白しますが、その動機は明かされていませんよね(ちゃんと見てなかっただけかも)ただの殺人鬼で動機なんてないのかもしれませんが。リズに対しては「えっそんなに早く男作るの?」って思ってしまいました。あと最初図書館でバンディを尾行していた車は結局誰だったんでしょうか、警察?そこだけ疑問です
裏切られる苦しみ
テッド・バンディ演じるザックの演技、容姿が要素としてもちろんあるが、テッドの人としての魅力はこの作品を通して感じることはできた。エリザベスをはじめとした女性に対して優しくレディーファーストなところ、そしてなにより饒舌で頭の回転が早いところは人としての魅力は感じる。
ただ、この作品はエリザベスをはじめとした、被害に遭わずに済み彼を信じた恋人たちもまた被害者であるということに重きを置いてるように感じたため、テッドがどういう動機や手口で大量殺人に及んだのかは殆ど描かれておらず、終始テッドは裁判に挑み繰り返し無実を訴え、エリザベスは愛してしまった事を苦しむシーンが繰り返されるため、恥ずかしながら事件を知らない世代からすると少しだけ退屈に感じてしまった。
ただ、鑑賞前に事件のことをある程度調べてしまって結末はわかっていたが、ザックの演技に引き込まれ、分かっていっても本当はやってんじゃないかとほんの少し疑ってしまうような見方をしてしまった。その点は鑑賞していて楽しませてもらった。
犯罪にはもちろん被害にあった被害者、その遺族が苦しませてしまうのはもちろんだが、加害者の周囲も同時に苦しませてしまう。人を裏切るということはとても辛く、苦しませてしまうということを改めて実感させられた。
Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile 裁判の主文が題名に
”Ted Bundy's Girlfriend and Her Daughter to Speak Out In New Amazon Prime Docuseries” フランス語で「彼女」を意味するフランスのファッション雑誌ELLEの2019年10月の記事から、この映画の原作であるエリザベス・ケンドールの回顧録「The Phantom Prince: My Life with Ted Bundy(1988)」が一度は絶版したものが、amazon.comにより娘のモリーの章を加筆されて再度出版される運びになっていると....。 死刑執行30周年記念か?
この作品は、もともとはアメリカを含め海外では、大手動画配信会社が放映権を買い取った為にVOD形式で配信された媒体で、それ以外では、多くの映画フェスに招待された作品とされている。その中でもクリスマスシーズンにほかの配給会社は、夢のある映画を視聴者に提供しているのと比べると連続殺人犯の映画を取り上げている配給会社の意外性がうかがえる。
映画の冒頭、このような言葉も......
Few people have the imagination for reality. -Goethe それは、現実は見た目だけではなく、そのもの自体が、状況によって異なる可能性があるという意味合いからゲーテのフレーズを引用したのか?
この映画自体に問題があるので、これだけを見ればあたかもテッド・バンディが無実であるかのように錯覚し、映るのは自然の話で、何故なら告白書や宣誓書に書かれた克明な自白証言がこの映画には一切登場しない。しかも一説には30人以上を殺したとされる殺人犯の映画で犯行を犯すシーンが皆無でラストのたった数分間もない場面にしかないという盛り上がらない映画にどうしてなったのか?そして最後のシーンだけに女性を直接殺害する場面がなぜ出てくるのか? なぜゲーテの言葉を映画のオープニング・クレジットに載せたのか?
それは、あくまでもエリザベス・ケンドール(クレプファー通称:リズ)の回顧録「The Phantom Prince: My Life with Ted Bundy(1988)をもとに映画化がされているので彼女の”視点”からでしかバンディの人柄やそれに伴う出来事やまた殺人事件を描いていないために中途半端で訳の分からない映画になっている。死刑囚としての最後の願いが通じて、リズとの接見の場で彼女からの必死でしつこい程の質問にバンディが答えた面会用ガラスに”HACK SAW”と書く場面は、彼しか知らない秘密を吐露していて、リズの家の暖炉で起こった被害者であるドナ・メイソンのエピソードが原因とされる。
崇高という文字の存在しないこのような映画を盛り上げるには、刑務所内で起こったとされる性的凌辱などをエピソードにも加えてもよかったし、「バットマン」に登場するスーパーヴィランであるハーレイ・クイン自らがのたまうように「サイコパスでなくてソシオパスよ!」のソシオパスの観点から彼を描いてもよかったのではないかと...? 何故ならテッド・バンディの研究家が彼はソシオパスと断言している。
製作総指揮と監督のある意味、趣味の悪さが、マスコミを集めた前で彼に死刑を言い渡す場面の裁判長をジョン・マルコビッチにしたのは、ミスキャストと言え、もっと灰汁の抜けた俳優のほうが、バンディの一人芝居が目立つものとなり、裁判エンタティメントとして成立したかもしれない。ただ言えるのは、実際の映像を見る限り、マルコビッツがふんぞり返ってバンディに判決を言い渡すのではなく、その当時の裁判長は少し緊張気味に彼に自分の言いたいことを冷静に分かってもらいたい様子がうかがえるし、彼にその内容を理解してもらいたいという要求から丁寧に説明している姿勢が個人的には感じ取れた。
”California governor signs executive order stopping state's death penalty for now”CNNニュース”California death penalty: Governor Gavin Newsom halts executions”BBCニュースの2019年3月13日付のヘッドラインニュースで読み取れるところは、せっかくカルト教団の教祖マンソンのおかげで死刑制度が復活したのに、その50周年に合わせるように州知事がサインをしているのは、何故か? それは精神障害と人種差別による冤罪が原因とされる。この映画では、あまり関係ないと思われがちだが、実際に30人以上の犠牲者全員がテッド・バンディひとりの蛮行と言えるのか?事件の解決しか考えない地元警察は幕を閉じたくて、模倣犯の犯行もバンディの犯行としたのではないかと考えられないか?
この結末は、神のみぞ知る…。深い闇の衝撃的な真実!
これはなかなか、闇の深い映画を探り当ててしまった…。
この映画に隠された衝撃の真実に、脳天打ち付けられたかのような気分…。
今回は、監督が来日してのトークイベントということで、いろいろ裏話も聞けました。
この映画のターゲットは、猟奇殺人者のテッドを知らない20代の若者たちとの事。
甘い言葉で人を誘い、鋭利な刃物で斬殺し、死体を玩ぶという異常者の存在に、警笛を鳴らす為に作ったとのこと。
監督は、ドキュメンタリー映画が専門のジョーバーリンジャー氏。
今回なぜ、フィクションを手掛けたかというと、元々この事件題材にしたドキュメンタリー映画を作ったからとのこと。
その作品がとても素晴らしかったので、これを一つのフィクションとして、映画化できないかという話が持ち上がり、僅か4週間後には映画化する話で決定したというからビックリ!
それだけ、この事件は人々の心に深く突き刺さる何かを秘めているってことなのかもしれない。
また、この映画の面白い所は、主人公がテッドバンディではなく、彼の恋人のエリザベスの視点で描かれている所。
監督曰く、彼女のGoが無かったら、実話を映画化することはしなかったとのこと。
彼女の気持ちを第一にして作品を作ろうとした、監督の人としての在り方が素晴らしい。
そして、エリザベス自身が、彼女を演じるリリィさんと馬があったようで、2人の意気投合もあって作品のスタートが切れたとのこと。
そういった様々な経緯が、あって完成した作品だからこそ、監督自身がこの作品にかける想いがとても強く伝わってきました!
一見すると、優しそうで爽やかで、誰にでも愛想の良い好青年。
エリザベスと仲良く家族写真に写るテッドの姿を想像すると、彼が犯人だって微塵も感じない…。
実はこの人、無実なんじゃないかと、話が進めば進むほど疑問が湧いてくるから不思議。
最後の最後まで、彼を信じ続ける女性たちの悲しい顔が今でも、頭にこびりついて離れない。
そして、彼の親の悲しい表情も…。
こういうサイコパスな人って一体どうして、生まれてしまうのでしょう。
普通に息を吸うように嘘をつき、簡単に人を裏切り騙す、その精神状態の異常さが怖い。
こういう人に注意してと言われたけれど、どうやって注意すれば良いのかもわからないくらい自然な人柄。
私自身も、エリザベスのように簡単に騙されてしまう自信があります。
だから余計に、彼がなぜエリザベスを殺さずに、最後まで信じ続けたのか分かりませんでした。
彼の本当の姿は異常者?
それとも正常者?
その答えは、本人だけが知っているのでしょうか?
残虐なシーンがないだけに、深層心理を深く追求した今回の実話は、私の心に深く突き刺さる、非常に心に残る作品となりました。
興味深い作品をありがとうございました(´∀`)
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