劇場公開日 2020年6月26日

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「変わってはいない。蓋をしているだけだ。」ランボー ラスト・ブラッド kazzさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5変わってはいない。蓋をしているだけだ。

2020年7月11日
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鑑賞方法:映画館

前作から11年、戦場にしか生きる場所がなかった人間兵器ランボーが、故郷に帰ってどんな生活を送れたのだろうか。
父親が残した牧場を引き継ぎ、旧友の孫娘の父親代わりとなって安らかな日々を送っていたようだ。
映画の冒頭、ランボーは災害の地でボランティアとして人命救助に携わっていた。一人の女性を救出しながらも一人の男性を助けられなかったことで、無力感に苛まれる。

年老いたランボーもひと度怒れば残忍な殺戮兵器に戻る。
本作も、前作と変わらず惨い暴力と殺戮シーンが連発する。
とにかく、人が殺されるということは惨いことなのだ。それをキレイには見せないというスタローンの決意は揺るいでいない。
そしてまた、興行的成功の裏で批判的な評価を浴びている。

朝一番の上映回だったからか、劇場は年配の男性で占められていた。自分の同世代から上の人たちだ。
我々は、ジャッキー・チェンとシルヴェスター・スタローンがアイドルだった世代。
ジェット・リーやシュワルツェネッガーに浮気した時期があったとしても、それは若気のいたり。
スライが何をしでかそうと、応援し続けることは最早我々の義務なのだ。

さて、メキシコの人身売買組織に拉致された少女を救いに行く物語は、「ランボー」の「96時間」化かと予想させたが、スタローンの非情なリアリズムは予想を裏切った。
リーアム父さんは娘の友人が薬漬けにされて死に至る横で、娘を純潔のまま救い出す。
だが、あんな組織に囚われて純潔が保たれるはずもなく、スライ叔父は娘同然に育ててきた少女を蹂躙されたあげく喪うのだった。
ランボーが売春窟に乗り込んだとき、女たちに逃げろと言っても誰一人逃げ出さない。恐怖心が刷り込まれているからだ。
女ジャーナリストの妹の話も含めて、組織に拉致された女の子たちの悲惨さをちゃんと説明するところが、スタローンの作劇の卒がないところ。
リュック・ベッソンとはここが違う。

救出劇は復讐劇へと転換し、ランボーの逆鱗に触れたメキシコやくざは殲滅させられる。
やはり、「96時間」化などではなく紛れもない「ランボー」だった。
敵はどんなに惨い殺され方をしても仕方のない悪なのだと徹底的に説明するのは、前作と同じだ。
その惨さに目を覆いたくなるのも、前作と同じ。
女ジャーナリストがもっと物語に絡むのかと思ったが、割りと関与は薄かった。
もし、彼女が少女の救出や組織殲滅の現場を見ていたなら、前作の金髪美人同様にランボーの残虐性に戦慄しただろう。

映画の見せ場は、罠を駆使した自宅に組織をおびき寄せて展開される決死の戦闘だ。
ランボーが独りで罠を準備する場面が描かれ、それらがどういう動作で敵を仕留めるのかが実戦で次々に展開されいくのが面白い。
罠はランボーの得意技だが、過去作品では仕掛けている場面はほとんどなかったので、新しい見せ方が嬉しい。
正直、あの罠をどのくらいの時間で仕掛けたのか気になるところだが、野暮はやめておこう。

戦い終わって傷ついたランボーの胸に去来するものは何か。
達成感か、虚しさか、徒労感か、あるいは自ら蓋を開けてしまった自身の凶暴性への絶望感か。
ロッキングチェアに腰かけたランボーはあのまま息絶えて、殺戮の世界から解放されたのだと思いたかった。
だが、エンドロールの最後に、馬にまたがって旅立って行ったと思わせる映像が挿入されていたので、まだ彼に安息は訪れないのかもしれない。

kazz
everglazeさんのコメント
2022年12月25日

ベッソンとの比較、なるほど!と思いました!

everglaze