「ひたすら主人公ランボーを観る映画」ランボー ラスト・ブラッド 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
ひたすら主人公ランボーを観る映画
クリント・イーストウッド、アーノルド・シュワルツェネッガーなど、ハリウッド俳優は老人になってもカッコいい。若いときのスマートな感じも悪くないが、年齢を重ねた味がある。人生に求めるものは何もないが、やるべきことはやらねばならぬという骨太な哲学が垣間見えるのだ。本作品の主演であるシルベスター・スタローンも歳を取ってなおカッコいい俳優のひとりである。
本作品はランボー第1作を踏まえているから、本作品を観る前に第1作を観るか、第1作の知識を頭に入れておくべきである。若いときのランボーは怒りとエネルギーに満ち満ちていたが、本作品では歳月を経た哀愁がそこはかとなく漂っている。喜びも悲しみも罪の意識もすべて胸の裡に秘めて、日常の仕事に紛らわすとともに、日々の小さなことにささやかな喜びを得て、人生の最後を淡々と過ごしている。
冒頭のシーンがいい。本筋とは無関係だが、田舎で平穏に暮らすランボーが、実はいつ死んでもいい覚悟で毎日を送っていることがわかる。彼の精神にとって死が身近にあることも同時に理解できる。そして暴力。ベトナム戦争の悪夢は、何十年経ってもPTSDの薬を飲み続けなければならないほど深くランボーの心に傷をつけている。人間の本質に絶望し、道を踏み外した人間の更生など信じない。悪い人間はどこまで行っても悪い人間で、関わり合いにならないか、関わってしまったら殺すしかないと思っている。暴力によって傷つけられた心は、結局暴力によってしか癒やしきれないのだろうか。
究極のニヒリストとなったランボーだが、平凡な日常のために薬を飲んで怒りにブレーキをかけていた。しかし守るべきものがなくなってしまった結果、薬を捨てて怒りを解き放つ。そのエネルギーは凄まじいが、怒りと痛みを冷静にコントロールする訓練された軍人としてのポテンシャルがやみくもな暴発を防ぎ、緻密に計算された容赦のない暴力へと突き進む。ランボーの心の中では戦争はまだ終わっていないのだ。
映画としてのストーリーは一本調子で平板で、人間関係の機微などはないし悪人も没個性のステレオタイプだが、ランボーの心の背景にあるベトナム戦争の悲惨な影が見え隠れしていて、それだけで作品としての奥行きを感じることができる。この作品はひたすら主人公ランボーを観る映画なのだ。
戦いすんで日が暮れて、ランボーはこれから何を探しに行くのか。ハリウッド映画にしては余韻のあるラストシーンだと思う。往年の西部劇「シェーン」を思い出した。