さよならテレビのレビュー・感想・評価
全47件中、1~20件目を表示
タイトルの意味?
どうしても深読みさせるタイトル。狙いはどこにあったのだろう。セシウムさん騒動で有名かつドキュメンタリーの秀作を多発する東海テレビが「これまでのテレビのあり方ではもうダメだ、変わらなければ」という意気込みを世に問う、という意味かと思ったが、そこまで追い込んだ作品ではなかった。このタイトルであるがゆえにハードルを上げてしまい、ラスト近くのシークエンスもまだなにかあるのではと期待してしまったが何も起きなかった。作品が自分にとって高評価でなかっただけに、スポットライトを浴びる3人が皆いい人間であったことで救われた。
ドキュメンタリーとはなんなのか
結局、ドキュメンタリーも現実の一部を切り取ったもの。 それは現実なのか?!制作者の意図に従って「真実」として見せられる怖さを痛感する作品だった。 澤村記者の「ドキュメンタリーは現実ですか?」の問い、ラストシーンへの導入も同じ問い。この作品は、この問いに集約されるのだな。 そしてラストの編集シーン。編集マンの雑談にドキュメンタリーも受けを狙った作品と気付かされる。これが現実だと見せられたが、それも編集されたもの。もう何が正しいのかわからなくなる。 局の事故、不祥事の件にも触れる中、また大きな事故が起こる。混乱、蒼白のアナウンサー。仕込みかと思うような展開も。 日本映画専門チャンネルで観たので土方監督のインタビューが観れたのはよかった。一部、ネタばらしもあり納得できた。 面白かった。観てよかった。
この自虐的なタイトルにはどんな想いが込められたか・・・。
テレビ局が制作した、テレビ局の裏側を実録したドキュメンタリー。
この自虐的なタイトルには一体どんな想いが反映されているのだろうか・・・。
ドキュメンタリー番組とは何か?カメラが回っている時点で、そこで話されていること、行われていることは、果たして”現実”と言えるのか?…これは、報道部の澤村氏がカメラマンに向かって放つ言葉だ。いや、台詞かもしれない。
結局、画面を通してみているものが、事実なのか虚構なのかは、本当のところは分からない。ラスト5分の種明かし的な展開に、この真実だけが浮かびあがる。自分の中でも、答えは出ない。
しかし少なくとも、このドキュメンタリー番組を撮り、テレビの現状を伝えようとした人々は実在する。この映像を見ていて、そういえば、テレビとは唯一、ニュースを伝える人の顔が見えるメディアだったな…と、テレビを殆ど見なくなって久しい自分は、改めて感じた。新聞やネットニュースは名前こそ出るものの、顔は見えないメディアだ。
こういった所謂マスメディアに対して正直幻滅している自分を否定できないし、決してそれらがこの映画をみて払拭された訳ではないが、少なからず自分自身のメディアとの向き合い方を振り返り自問するいい機会になったと思っている。そして、映像の中で繰り返し語られる、報道の役割やメディアの特性というものを、自分も含めた視聴者は忘れていなかっただろうか・・・。
特に、メディアは弱者の見方である、という点だ。ここでメディアの立場が多くの局面で逆転するのは、一貫性が無い、という事ではない。逆に、貫き通すメディアは脅威かもしれない。しかしまた一方で、東海テレビは過去の問題に囚われすぎて、余りにもその役割に愚直になりすぎているのかもしれない、とも感じた。
「マスゴミ」と揶揄するのは簡単だ。しかし、その現場には、我々となんら変わらないサラリーマンとして、数字を追い求め、残業時間を削られ、失敗と成功を繰り返し、戦っている人がいるのだと思うと、一括りにして馬鹿にしたり糾弾したりはできないだろう。
この作品を制作し、放送し、映画化までした東海テレビと制作関係者のチャレンジには賞賛を送りたい。
テレビ局の日常を描いた良作
現職のテレビ局社員がテレビ局の闇に迫るというタブーを犯して撮影しただけでも一見の価値あり。監督が身内という安心感からか、かなり深部にまで食い込んでいる。この映画にエンタメ要素を期待して低評価をつけているレビュアーの意見には惑わされないように。そもそもこの作品はそういう人に見せるために製作されたものではない。ただひたすら、テレビ局の内情を淡々と暴露する…そういうことに興味を持てる人だけが観るべき作品。制作に関わった全ての人に敬意を表したい。
テレビは終わるのか?
見る前はもっとジャーナリズムとは? みたいな骨太の自己批判映画なのかと思いました。 前半は焦点が合わないような、 新入社員としてこの職場にやって来て、 右も左も分かりません、 みたいな感じでしたが、 少しずつ部内の様子が分かってきて、 メインキャラが3人に絞られてきて、 グッと話しが引き締まって行きます。 福島アナと渡辺君の話は、 私にとっては意外なテレビ局の内実として、 面白く見ました。 ジャーナリズム云々の前に、 テレビ局で働く人も色々だなあと、 私の中にあった勝手な「テレビマン」像が 崩れました。 一番の見どころは、最もジャーナリスト的な 澤村さんのシーンではないでしょうか。 理想と現実。 メディアの責任と営利追及。 にしても、東海テレビかこの映画を撮れたのは、 すごいと思いますよ。 他にやるテレビ局ありますか? ラストのネタバレにあるように、 どこまで本当か分からない。 監督にストーリーを誘導されている部分は あるでしょう。 東海テレビにしても自社ブランディングに有利と 踏んだのかもしれません。 それでもこんなチャレンジができるのは、 いい局だと思いますよ。 最後のネタばらしは、 ほんとのこと言ってるか分からないぞという 警告であり、誠意でもあり、 最後にどんでん返しするサスペンスのような エンターテインメントでもあり、 やっぱり東海テレビシリーズ好きです!
自浄作用は働かない
はい、分かってますよ。テレビは今、批判に晒されていることを。それでも批判は真摯に受け止めます。一生懸命やってます。常にジャーナリズム精神は持っているつもりです。弱者に寄り添って権力監視してますよ。 そういう気持ちを持って(腹の中で舌を出しながら)製作に取り組んでいることは伝わってきました。 でも影響力が増すごとに特権意識が芽生えて、結局自分たちも第4の権力という座に胡座かいちゃってるんじゃないの?だからなにも変わらないのでは? もう構造的な問題なんだろうな、不祥事を繰り返してしまうのは。予算削られ少ない人員で時間に追われて番組作って、そりゃ色んなミスは出ますよ。で、現場のせいにしちゃってるんでしょ? だから本当にこうした体質変えたかったら、このドキュメンタリーに出て来なかった上層部の人たちを取材した方が良かったんじゃない? 最後マスコミが報道してくれたおかげで無罪になったとか、MCの最後を和気藹々と送り出しているとこ見せられると、俺たち頑張ってんだぜぇ〜アピールしてるみたいで興醒めするよ。 だから良くも悪くもこのドキュメンタリーはテレビ批判でもないし自画自賛でもないわけだ。 みんなこれがテレビの裏側の実態だけどどう思う?って言う問題提起にはなってるから製作した甲斐はあったのではないのでしょうか。 でも結局何も変わらないよ。
まんまと誘導させられる
あなたはこれを観てどう思いましたか?と制作側に問いかけられている気がしました。 観ているうちに主な登場人物3人に感情移入したりするのですが、最後に「あなたこういう風に見てましたよね、こういう風に思いましたよね」って言われた感じでなんかすごく恥ずかしいです。 私たちは気づかないうちにまんまと誘導させられているんだな、テレビ局側の意向に乗っかってしまってるんだな、というのがよく分かります。 途中まではなんてことない話なのですが、その辺の部分もしっかり色々考えてあーでもないこーでもないって観てると最後のビンタがより効いてくると思います。
タイトルなし
最後のおちでどこまで本当でどこから仕込みか分からなくなる。これが、放送の了解を偉い人からもらえた言い訳にもなっているという側面もあるのでは。2重にも3重にも考えられている。膨大な取材量と練られた構成とに素直にすごいなと思った。
彼我の立場のどちら側にいるのか
いかんせん監督の土方さんが「持つ側」。新卒入社のまあ給与がいい妬まれる側なんですよね。それがすべてというか、別に部署長に問題を訴えるとかそういう摩擦はないし、嘱託の弱者に話聞いて終わりという感が拭えない。要は自分より立場の弱い人間に安全地帯から話きいてるだけとも感じた。
澤村記者はそれを踏まえてときどき敵意をカメラに(土方に)向けてきていたけど、あそこには雄一の真実というか熱がこもっていたように思いました。ただしそれもたくまざる演出であって、やはり安全地帯の土方監督が結果的におちょくっているだけのようにも映りました。
テレビが終わりとかそういう感想を抱くまでの話ではないかな。
澤村さん推し
予告編での中学生が「権力を監視」とか言ってたのに驚き、絶対に観なければならないと思っていた。しかし、そのシーンはほんの僅か。期待していたものが飛んでしまった気がした。また、小学生たちにも報道の使命とは「事件・事故・政治・災難を知らせる」「困っている人(弱者)を助ける」「権力を監視する」とレクチャーしていたので、かなり広まっていたのかもしれませんね。 このドキュメンタリー作品はおおまかに分けて、看板アナウンサーの福島智之氏、契約社員である渡辺正之記者、ベテラン記者の澤村慎太郎氏の3パート構成。福島パートでは過去に起こった「セシウムさん」放送事故やモザイクかけ忘れ事故の自己反省が描かれ、渡辺パートは新人らしく契約打ち切りの不安、澤村パートでは共謀罪について描かれる。 共謀罪については、マンション建設を一人で抗議していた男性が逮捕されたことに憤りを感じる澤村さん。「テロ等準備罪」という正式名称ではあるが、これらの法案をまとめて「共謀罪」と呼ぶ。しかし、メディアによってはこの「共謀罪」という言葉を使っていない。使うのはむしろ少数派という現状。そして、この法案が通った際の東海テレビでの報道にまさしく「テロ等準備罪」というテロップが入り、澤村さんは愕然とするのだ。悲嘆にくれる彼の表情が忘れられない。 モザイク事故などかなり深刻な出来事も包み隠さず猛省し、、ある意味自虐的になっている姿勢には共感できた。特に冤罪事件のドキュメンタリーで素晴らしい作品を世に送り出している東海テレビさんだけに、今後もいいドキュメンタリー作品を作ってくれることを期待しています。
さよならといえるあいだに
かつて絶大な権力を監視するために絶大な権力を誇ったテレビが、絶大な権力を誇るだけの組織になってしまって久しい。 そんなテレビが、こんな映画を作れるいまのあいだに「さよなら」と言ってあげたい。 この映画が単なる「映画」ではなく「ジャンル」としてそれなりに波及したらいいなーと、個人的には思う。 人々が右往左往する様というのは、こんなに滑稽でおもしろく、ほんのちょっとだけ愛おしい。
面白くはあるけど軽いとこで止まってる
楽しく拝見した。面白くはあったけど、それは最後に種明かしされてしまう契約社員とキャスター人たちのキャラクターによるもので、それは単に地方テレビ局の実態の中の悲哀でしかない。 テレビ局の本体、まさに「闇」の巣窟にもなりそうなのは現場ではなく、その後ろにあるもほなのかもしれないが、とにかく、いよいよそこへ、と思うとそこには踏み込まずヒューマンで終わる。 これは序章、というか、プロローグというか、予告編というか、要するにさわりでしかない。 いま、確かにテレビは面白い現場だと思う。 見たかったものはなかった。
観終わった瞬間イラッとする
「テレビ局の中でドキュメンタリー撮ります!」ってやったら、みんな怒るのね。その怒り方が、権力者にカメラを向けたときとそっくりなの。マスコミは第四権力で、もう監視しなきゃいけないんだと思った。
それでも話をつけて、東海テレビ報道部を撮ってくんだけど、テレビの人たちはみんな笑いながら話をするの。報道現場は怒声が飛び交うイメージあったから意外だった。
色んな場面が撮られるんだけどさ、この人たち報道してないんだわ。東海テレビが番組作る理由に「権力の監視」を謳ってるんだけど、名古屋市政の話も愛知県政の話も出てこないの。
「『共謀罪』について企画しなきゃ」ってときも一次資料は中日新聞なのね。独自取材はどうしたよ。
キャスターの人が「独自の意見を述べなきゃ」って言われてるんだけど、素人の意見なんてただの感想だからね。なんらかのジャーナリスティックな視点を持てるキャスターの意見でないと意味ないよ。
そもそもテレビ局全体が報道できないのに、その中の一人のキャスターにジャーナリスティックな視点を持てって無理でしょ。
東海テレビがやってんのは、報道じゃなくて、報道ごっこなの。それで、色んなところに拙さがある。だから「セシウムさん騒動」を起こしちゃう。
それでも、拙くても一生懸命やってたからね、そのなかで「セシウムさん騒動」が起きて、色々言われちゃうのは『みんな懸命にやってるのに』とちょっと可哀想だった。
観ていくと最後に「これは全部演出つけてました」みたいなのが出てくんのね。そんな訳ないね。東海テレビの社員は演劇の訓練でも受けてんのかよっていう。でも、ここでフィクションですっていう言い訳を作ることで放送にこぎつけたんだな。
「局内を撮る!」といきり立ってやって、最後に腰が砕けた感じだけど、それでもまとめて放映にもってったのは力量あるなと思うよ。
そこに「ドキュメンタリーとは何か?」「カメラを通した真実はあるのか?」みたいな話とか、虚実ないまぜな話を強引に入れ込んで煙に巻いてるのはイラツイた。そういう話じゃなくて、御社の事情ですよね。
総じてテレビ局はエンターテイメントを提供する機関で、報道機関じゃないな。歴史的にそうだよね。なんかCNNが報道やったから「日本のテレビも」ってやってるだけで「ジャーナリズムとは何か」みたいなの真剣に考えてないもんな。
ラスト3分
めちゃおもしろかった!
取材目的がふにゃふにゃ過ぎて、ずっとこのインタビュアーはなんなんだー??て思ってたけどラストで計画的に作られてた!ことがわかってマンマと鳥肌たった。ドキュメンタリーも結局切り取られてるからテレビ番組と同じなんだけど、これこそテレビの実態を伝えるドキュメンタリーそのものなのか??
あと単純に、福島キャスター素敵でしたー!真っ直ぐさになんか泣いちゃった🤣
よかった
主だった3人の登場人物の内訳が、派遣社員、契約社員、局アナで正社員が一人だけ。立場の弱い人を狙い撃ちしている感じがする。特に派遣のアイドルヲタのレポーターは、顔が引きつった感じの笑顔が見ていてつらい。人前で何かする仕事は向いてないのではないだろうか。局アナがレポーターに格下げされて悲しい。記者の人の自宅が本棚の割に本が少なくてかっこ悪い本はカメラが入る前に大量処分した感じがする。
自らにカメラを向けた東海テレビの勇気と覚悟
テレビは世の中のあらゆるものを批判するが、 スポンサーと自分のテレビ局だけは批判しない。 そんなタブーを打ち破って自らにカメラを向けたのがこの「さよならテレビ」。 普通なら絶対に隠したいであろうテレビ制作現場の嫌な裏側にこそスポットを当て、これでもかと内状をさらけ出していく。 報われない登場人物たちに観客が共感したその先に、この映画はテレビの身も蓋もない本性を告白する。 東海テレビはマジだ。 本気で既存のテレビという枠組みから脱却して、あらたなテレビの姿を模索している。 東海テレビの開局60周年記念番組として制作され放送された今作。作り手と東海テレビの勇気と覚悟がどれほどのものなのかが嫌というほど伝わってくる。 自己批判と自己反省のその先に希望を見出して闘うその姿勢は、本当にすごいし格好いい。
本当のことってなんだ
何かを伝えようとすると、なんらかのパッケージ化をしないといけないんだけど、どこまでが正しくてどこまでが捏造になるんだろう。大なり小なり伝える仕事をしている人なら、自分が嘘つきなんじゃないかという後ろめたさはついて回る。それにしても圡方監督は曲者だ。その後ろめたさをみずからに内包しつつ、ニヤニヤ笑いながら突きつけてくる。しかし渡辺くんの使えなさはすごい。
全47件中、1~20件目を表示