「赦す事の美しさ」赦しのちから KZKさんの映画レビュー(感想・評価)
赦す事の美しさ
劇場公開数が少ない事もあり、あまり大きな期待をせずに鑑賞した事もあってか中々見応えのある作品だった。
この作品はタイトルの通りやはりキリストの教えを大切にするいわゆる宗教色が強めの作品ではあるが、無宗教の僕にとってもその辺りは他に置き換えてみる事ができる為普通に楽しめる。
「赦す」という言葉は中々日常生活で生活のある、馴染みのある言葉行為ではないが、自分自身に置き換えてみると人の過ちだったり納得のいかない出来事運命に逆らわず受け入れて次のステップに進む事だと置きかえながら鑑賞していると非常に見やすく楽しめた。
自分自身含め人は誰しもが長い人生の中過ちを犯し、時としては過ちを受けるのではないか。
その時に大切なのは赦しを受け入れる、受け入れてもらう事だとこの作品で実感させられる。
もちろんその赦しを与える、与えてもらう中には愛がないとダメだ。そこに愛があるから赦しを与え、与えられ次のステップに進めるわけだ。
この作品では15年前に娘を捨てるように逃げた父トーマスとその娘のハナーの関係をいわゆる「赦し」の関係としてストーリーは進む。
赦しが与えられるまでもちろんスムーズにはいかないものだが、クロスカントリーいわゆるマラソンといった人生に比喩しやすいスポーツと重ね合わせてストーリーは進む為とても見やすい。
主人公のジョンも不景気から自分の生活がうまくいかずいわゆる気持ちが下降気味であるが、そんな状況、運命を赦し受け入れることで前に進んでいく。
赦すという言葉、行為を決して簡単に語るつもりはないが、赦すという行為は非常に勇気がいる事ではある。
ましては自分が被害にああいその加害者を赦すという事はとても勇気がいる決断である。
ただこの作品を見て改めて思うのは赦すということは相手に豊かさを与えるものではなく、自分の今後の人生の豊かさに繋がるということでもある。
この作品でいえば捨てれたハナーが父を赦す事で、寂しやさ孤独さといった枷から解放されるのである。
その枷から解放された時、人は今までとは違う新しい価値観や視野から物事を見る事ができるようになり豊かな人生へのきっかけに繋がるように思えた。
もちろん何でもかんでも赦す事が自分の豊かさとして返ってくるわけではない。
上でも書いた通りそこには強い愛や信頼があって初めて意味をなすと思う。
非常に美しい作品を見る事ができ、心が豊かな気持ちになり劇場を後にする事ができた。