“樹木希林”を生きるのレビュー・感想・評価
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そもそもヒトの人生は
カメラや編集なく見たとしたら素っ気なく淡々として見えるのではないだろうか。。。
他のレビューでも書かれているように、わたしも観終わってモヤっとしたものは残った。ただ、本作品は映画と称してはいるけどドキュメンタリー平たく言ってしまうなら人間ウォッチなわけで起承転結のついた脚本なんて用意されていないのだから、クッキリした結論とかドラマチックな要素が入る方が不自然なのかも、と今は思える。
終盤あたりで音楽ですこしドラマっぽく見せる部分とか、ラストで希林さんのある言葉を結論づけに持ってきているのも、個人的には木寺氏の視聴者への気遣いのような感じもして、思いきってそれすら外しちゃってもよかったかも。わかりやすい感動とかドラマチック感を期待しないで観る分には良作だとおもう。
いい子監督を通して自分を見つめ直す作品
初めて許された長期密着取材。希林さんの魅力あふれる作品かと思えば、前半の少し以外はなんとも息苦しく退屈な映像が続く。しかし「いい子」で生きてきてしまった現代人には必見。これは樹木希林を取材する「いい子代表」木寺監督を通して自分を見つめ直す映画。監督は「樹木希林を知りたい」のではなく「自分を知りたい」のだ。希林さんはそんな依存的で退屈な人間を相手に、残された命の時間を削って問いかける。「あなたはどうしたいの?」。“覚悟”とはこういうこと。そんな自分の弱さを作品として公表した監督にも感謝。そして希林さんはお節介でとことん優しい人だった。
料理できなかった鯛って感じ
初見後に友人と顔を見合わせて一言『なんだこれは……』と喫驚。死を目前にした不世出の女優樹木希林さんの捌き方としてはあんまりだろうと憤りすら感じました。
たとえは悪いかも知れませんが、せっかく釣った大物の鯛をあまり腕の立たぬ板前が調理したという感じを拭えませんでした。身は潰れ、触り過ぎて体温が刺し身に移り、分厚く切られた刺し身など食べる気がしません。まだまだ残った部位がたくさんあるだろうに……。
それでも前半が面白かったのは樹木希林さんの『サービス』があったゆえでしょう。樹木希林さんが『サービス』をやめてしまった後半は、監督の葛藤や逡巡のドキュメンタリーを見せられているようで一気に冷めてしまいました。最後は樹木希林さんの前で泣き出すような音声が入っています。奥さんとの確執の答えを樹木希林に接することで得ようと思われたのか。
他の方が書いてらっしゃるように、本作を世に出すことで確かに監督は大恥を世間に晒すのかも知れません。しかし、それでもお金を払ってまで観る価値があるかと問われれば、残念ながら甚だ疑問符を付けざるを得ません。
この監督がこの先いろいろな経験や学びを積み重ねられて再びこの映像を再加工することがあれば、もう一度拝見してみようと思います。しかし、現時点では他の監督にお願いしたかったなあというのが正直な感想です。
最後に……いかにもNHKといった感じの陳腐なラストシーン。最後に砂糖をまぶして誤魔化しましたという感じのエンディングで萎えました。
星は樹木希林さんに
他の方のレビューに著しく共感。
他の方が編集すれば、もっと全然違うものになったと思う。
あまりにも人としての熟し方が足りない…
樹木希林さんが途中で憤った事に共感。
樹木希林さんが言いたかったことは痛いほどわかる。
それでも、樹木希林さんが見込んで密着取材を許可したのだから、まずは撮りためたものを大事に保存してほしい。
そして、機が熟したら…
この撮影者が、人として成長し、自分と向き合い、樹木希林さんが言わんとしたことを理解できた時、もう一度編集しなおして世に出して欲しい。
正直、お金を取れるレベルのものではないと思う…
樹木希林さんの生き様を見たかったのであり、あなたの生き様を知りたかったわけではない。
あなたぐらいの生き様なら、私の方がよほどドラマチックに生きている。少なくとも、現時点では。悪いけど。
ディレクターは大恥をかく覚悟を決めた
日本における唯一無二の名優が亡くなって、その喪失感もなかなか癒えぬままドキュメンタリー映画が公開されたので観に行くことにした。希林さんの含蓄のある言葉や、皮肉の効いた風刺を聞いて、何かを得ようと思っていたのかもしれないな、と思う。そして希林さんに密着したディレクターさんも、それに近いような感覚を持っていたのではないかと思う。希林さんから何か面白い話を引き出せないか。希林さんから含蓄のある言葉を引き出せないか。希林さんから社会を斬り込む言葉を聞き出せやしないか。
前半部分は、紛れもなく希林さんの密着ドキュメンタリーである。希林さんはサービス精神をもってしてカメラの前で巣の状態を晒し、ディレクターさんにあれこれと話をして聞かせてみる。希林さんはこのドキュメンタリーのためにサービスをしている。しかしディレクターさんは希林さんにカメラを向けるばかりで、このドキュメンタリーをどうしたいかが分からない。映画の後半は、そんなディレクターに呆れ果てた希林さんに対するディレクターの攻防戦であり、半ばディレクターの自分探しの旅の映画になる。
確かに、これが希林さんのドキュメンタリーか?と問われれば疑問は残る。ただ、ディレクターさんの立場を思うと、カメラの前でここまで素を見せてくれた希林さんの前で、自分が素を晒さないのは筋が通らない、と考えたのも頷けるような気がするし、実際ディレクターさんは自分でもひどく気まずいであろうシーンを思い切って本編にぶち込んだ。格好悪い姿を本編にさらした。希林さんを前にして、あるがままの自分の姿を晒すよりほかないと腹をくくったのかもしれないと思った。それが希林さんのドキュメンタリーを撮る人間の最低限の条件であるかのように。そしてその背中を押したのも希林さんの「自分中心でいいのよ」という言葉だったのだろう。ディレクターさんはこの映画を希林さんのドキュメンタリーであると同時に、自分自身のドキュメンタリーにしようとその瞬間に思われたのではないか。そして全国の観客の前で大恥をかく覚悟を決めたのではないだろうか。でも潔くてそれも良いと思った。
と同時にそれを観ている私自身も、スクリーン越しに希林さんから「あなたは何を求めてこの映画を観に来たの?」と問い質されている気分になった。言い換えれば「お前は樹木希林に何を要求するつもりだ?」という問いである。もちろん答えに窮した。まさか「希林さんから含蓄のある言葉を聞きたくて・・・」なんて答えが成り立つはずもなかった。希林さんのドキュメンタリーを見て何かを得ようだのと思っていたこと自体が浅ましいことだと気づかされたし、そういう心根を見透かされたような気がして、バツが悪かった。
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