フェアウェルのレビュー・感想・評価
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思いの外、一筋縄ではいかない人情噺
オークワフィナという人は、どの映画で見てもすごくいいのだが、ひとりで主演を張った本作の、寄る辺のなさそうな佇まいが素晴らしい。監督の実体験がベースだというが、物語としては「お祖母ちゃんのために家族みんなでウソをつく」というヒューマン・コメディの定番のようなところがあり、定番的展開の中でさりげない、そして割り切れない心情が時折浮かび上がる。知的で抑制の効いた作りだと思う。
ところが、だ。抑えて抑えてきたエモーションが、クライマックスの別れに凝縮されて名場面が生まれた!と思っていたところに、最後のタネ明かし的な仰天のオチが明かされる。こちらが勝手に思い込んでいた「感動作の定番」って何なんだろうと、軽いゲシュタルト崩壊を起こす。これが監督の計算通りだとしたら、本当に気持ちよく手のひらで転がされてしまったのだろう。
2回見るともっとよさが味わえる
最近、改めて観たブラジル映画『ぶあいそうな手紙』があまりにもよかったので、少々印象が薄かったのだけど、やっぱりいい映画です。
思えばがんの告知は、私が子どもの頃、まだ一般的ではありませんでした。
今では知ることは当然の権利ですが、果たしてそれがよいことなのかどうか。
劇中では、アメリカと中国、東洋と西洋の考え方の違いを対比させ、色々なエピソードが紹介されます。日本人にとっては「当たり前」に思えることも、アメリカ人は新鮮な驚きを持ってこの映画を観たのではないのでしょうか。
おりしも各国の映画賞で、多様性や公正さを重んじる動きが出てきて、ちょうどアメリカ人でありながらアジア系の女性が主人公のこの映画は、その機運に乗ってゴールデングローブ賞を手にしたのでしょう。これからますますアジアからの視点で見た物語や、役者、監督、脚本家が活躍の場を広げるチャンスが広がるのはうれしいことです。これまでの映画界は、あまりにも「白人男性」中心でありすぎましたものね。
そして、決して中国的な価値観礼賛と言うわけではなく、アメリカ的なよいところも紹介しているし、日本人にとっても、距離的には近くても心理的には遠い国、中国の、さまざまな慣習や価値観を知ることができて、興味深いです。食事会や結婚式での豪快さ、年長のおばあさんが取り仕切る冠婚葬祭、欲望丸出しでご先祖にお願いする様子など、ユーモラスでした。
中国人から見た日本人女性もちくりと批判していて、そんな風に見えているのか、と面白かったです。あちらでは年長、年少、男、女にかかわらず、はっきり意見するのですね。
結婚式で披露される韓国人ソプラノ歌手による「Caro mio bien」、厳かな美しい歌声に耳を奪われ、うっとりしてしまいました。
チャーミングなラストも好きです。
日本でも30年前なら多数派、
アメリカでも60年前なら主流だったのでは? 文化差もあるだろうが、どちらかというと、世代差とか癌という病気への認識度の違い、治療法の進歩も影響していると思う。
水原さんは全く知らなかったので、流暢な日本語を喋り出して、びっくりした。なんかハオハオを尻に敷くというかうま〜く操縦しそう。
シリアス過ぎずおちゃらけ過ぎずのいい塩梅だった。
まあでもオチには苦笑い。そんなこともあるから人生って…。
ラストで出る声「ハッ!」
告知に関してだけじゃなく、文化や価値観の違いが各所で面白く、意外だったのは、中国は最悪ではない、というくらいの客観視した感覚で捉えていること。
パスポートの国がどこでも私は中国人、という台詞にあるように、中国人はそのことをすごい誇りに思い、面倒なほど自国を評価していると思っていたから。
ナイナイの「人生は何を成し遂げたかではない、どう生きるかが大事なの」といった感じの言葉、とっても感動しました。
郷に入りては郷に従えを、不満を顔じゅうに滲ませながらも何とか堪えた主人公が、最後に放つ、鳥が飛び立つほどの「ハッ!」からの、すごいやられた感。
同じくらいの声が出たことは言うまでもありません。
ナイナイの思い出
開幕の文字が不思議。
“実際にあったウソに基づく”。
普通だったら、“実話に基づく”。
でも、見て納得。最後の最後。何て心温まる“ウソ”。
幼い頃に両親とアメリカに渡った中国人女性のビリー。
以来ずっとアメリカで暮らしているが、中国のナイナイ(おばあちゃん)が大好き。よく電話で話している。
そんなある日…
ナイナイがステージ4の肺がん。余命僅か。
最後にどうしてもナイナイと会いたい。両親の反対を押し切って、間もなく結婚する従兄の式出席を口実に、久し振りに中国へ。ナイナイに会いに…。
これだけなら最後に悲しい別れがあるのは分かってても、ひと時だけでもナイナイや中国の親族との交流を描いたハートフル・ドラマなのだが…、
困った問題が。
勿論、ナイナイとの再会は心底嬉しい。
が、ビリーは思ってる事がすぐ表情に出てしまう。終始、優れない表情。
長旅の疲れか、それとも今アメリカで仕事の事で悩んでいるそれか。
本当はこっちが心配してあげなきゃいけないのに、逆に心労掛けてる。何してるんだろう、私…。
でも、やっぱり優しいナイナイ。
で、困った問題というのが親族との意見の対立。
余命宣告。
ビリーは言うべきだと主張。アメリカではそれが当たり前。寧ろ、言わない方が違法さえにもなるという(!)。
しかし親族は頑なに隠し通すと主張。中国では助からない病は相手に教えない伝統があるという。言って、ショックを受けて、もし病がさらに進行でもしたら…。
どちらの意見も分かる気がする。
ちなみにまた自分の実体験になるが…、
母は死期が迫った時、宣告して欲しいと言った。その方が身の回りの整理や覚悟も出来るから。
分かった…と言いつつ、その時が来たら、結局出来なかった。医師に止められたからもあるけれど、やはり口が開かなくて。それに母の場合、急な事でもあったし。
東洋人はそうなのかなぁ…。
本作はファミリー・ドラマだけど、東洋/西洋の価値観について深くも考えさせされる。
今、広くグローバル化されている世界。
間違いなくいい事だ。異なる文化同士、交流を深める事は。
でもその時どうしても価値観の違いも出てくる。
それがちょっとした生活レベルならまだしも、国際問題レベルならとんでもない事に成りかねない。
だからこそ、話し合う事、相手を寛容に受け入れる事が何よりも大事になってくる。
この家族はまるで縮図だ。
中国の親族を中心に、アメリカで暮らす孫娘、日本人女性と結婚する従兄…と、実にグローバル。
でもそこで、それぞれの国事情がチクチクと。
「中国には戻って来ないの?」
「アメリカの何処がいいの?」
ある会食での事なのだが、会食というより国際問答みたい。
同時にこれは、誰もが必ず経験ある親族が集った一場面でもある。
「○○には戻って来ないの?」
「東京の何処がいいの?」
東洋/西洋の価値観の違い、グローバル…なんて言うとちと小難しそうだが、これを親族間に置き換えると、何だ、とても身近に感じるではないか。
仕事やプライベート事情については共通してるけど。
よくある親戚のおじさん/おばさんが言う、「結婚は?」「いい人はいるのか?」。
監督のルル・ワンと主演のオークワフィナ。
この2人には共通点が。
共に中国で生まれ、アメリカに渡って育った、中国系アメリカ人。
東洋人でもあり、西洋人でもある、二つの文化に挟まれた悩み。
端から見れば“異邦人”。さらに、女性。アメリカ社会で生きる厳しさ。
そのリアリティー、体現。
ルル・ワンは実体験に基づき、家族ドラマの十八番である笑い、辛口、感動、ハートフルを巧みに、そこに文化の違いを絡ませつつ、演出や映像面でも印象に残るものを魅せている。また同じアジア人として、是枝裕和監督の『歩いても 歩いても』を彷彿させるようなものを感じた。
オークワフィナも新境地! いつものハイテンション・コメディ演技は抑え、悩みを抱えた孫娘を繊細に、絶品の演技派の面を披露。こりゃいずれオスカーノミネートも…いや、本作でもゴールデン・グローブ賞を受賞し、オスカーノミネートされても良かった。
家族を演じた面々も適材適所。見た事ある顔もあれば、お初の顔も。リアル家族にしか見えない!
そんな中で、大黒柱は言うまでもないだろう。
ナイナイ。
演じたのは、チャオ・シュウチェン。
全く知らない。が、中国では有名な大女優だとか。
納得だ。
登場した時から作品をずっと締める存在感。
何もそれは圧倒的、堂々たるだけじゃない。
時にユーモラス。時に温かく。
時に病魔が忍び寄り、影も持って…。
ナイナイの一言一言が為になる。
そして、何よりラストシーン。本当はナイナイは自分の病気の事を知っていたのではなかろうか。知っていて、家族の“嘘”に騙されたフリをしていたのではないだろうか。
ビリーを見送って涙するシーンで、そう感じた。
皆々、ナイナイの大きな大きな、温かい温かい、愛に包まれて。
本作の“嘘”というのは、ナイナイに会う為親族が集い、悟られないよう、従兄の結婚を繰り上げでっち上げる…というもの。(人の良さそうな従兄、気の毒…)
でも自分的には、レビュー始め。先述した通り。
おそらく、“劇中”のナイナイは亡くなったろう。
が、監督ルル・ワンの“実際”のナイナイは…。
余命宣告を受けてからも…。
あ~良かった。
本当にこれは、“実際にあったウソ”。
とっても素敵な、心温まる。
今中国と言えば、何かと国際事情やコロナの事で問題に上げられる。
でも、一人一人は、我々と同じ。
私と家族とナイナイの思い出。
あふれる涙を止められない 胸が苦しいのに心はあたたかい、誰もが必見の傑作
6年前のある日の深夜、ふとラジオからこんな言葉が聞こえてきた。「あなたはあと何回、家族に会えますか?」。仕事の手を止めて、ひたすら泣いたのを覚えているます。
進学のために親元を離れ、就職のために東京で暮らすことを決め、若い志と希望だけで邁進できた時期を少し過ぎた当時の私には、刺さり過ぎるフレーズでした。そして本作を見たとき、同じように涙があふれました。
生まれも育ちも日本の私が、どうしてこんなにビリーに共感するのか不思議でしたが、2つのことに気が付きました。1つは、親族が集まった中国で、ビリーが「孫」「娘」「遠くに住む姪」「ひとりの女性」としての顔を無意識に使い分けていたこと。
寡黙すぎる父、平気でナイナイの愚痴を言う母、クセの強いおばたち、そして労わるべき存在となった祖母。家族が集まれば、面倒な揉めごとも起こります。私もビリーと同じように、いつの間にか庇護者だった家族たちとの関係が変化し、“大人としての関係”を築いていると感じていました。
そしてもう1つは、そんなビリーとナイナイの関係が、ナイナイの“死”を目前に巻き戻ったように見えたことです。ビリーだけではなく、父はただの息子のように、母はその恋人のように見えました。そして小さな子どものように泣いたビリーの姿に、「その時がきたら、私もきっとこうなる」と思わされました。
私の祖母は、今年で86歳になります。本作を見終わったとき、「あと何回おばあちゃんに会えるだろう」と考えて、胸が苦しく、そしてなぜか心があたたかくなりました。この物語は、自分のなかに想像以上の家族愛を見つけられる、ルル・ワン監督からの贈り物なのだと思います。ぜひたくさんの人に受け取ってほしいです。
改めて考えさせられる人と人のつながりと価値観の共有。
最初から最後までの場面は、ジンとくる所やほっとする所、嬉しさや悲しくなる所をバランス良く仕上げています。
このコロナ禍で、世界中では色々な問題=格差、高齢化、核家族化、単身世帯化等が目に見える形で出てきました。
生死観、人生観、親戚との繋がり、家族の在り方、価値観の大切さ等を改めて問う非常にまとまった作品です。
おすすめします。
東洋と西洋の価値観の違いに着目した、「嘘」が織りなす家族模様。
アジア系アメリカ人のビリーが経験する西洋と東洋の命に関する価値観の違いを、彼女とその一族との交流により描き出したホームドラマ・コメディ。
主人公ビリー・ワンを演じるのは『オーシャンズ8』『クレイジー・リッチ!』の、名優オークワフィナ。
第77回 ゴールデングローブ賞において、オークワフィナが主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞!
第36回 インディペンデント・スピリット賞において、作品賞を受賞!
実績と信頼のA24作品!数ある名作の中でも、本作が最高傑作なのではっ!?
……まぁこの映画合わせて4つくらいしか観てないんだけど💦
アメリカと中国の対立が深まる中、このような両国間の架け橋になるような作品が注目を集めるのは良いことだと思う!
本作は監督であるルル・ワンの実体験を基にした作品。
さらに主人公ビリーを演じるオークワフィナも、母親を早くに亡くした為お婆ちゃんに育ててもらったという過去があり、本作への気の入れようは相当なものだったらしい。
製作陣が強い気持ちで挑んだからこそ、高い評価を得ることが出来たのだろう。
本作の白眉はなんと言ってもオークワフィナの演技!というか存在感!!本作が初主演映画であるにも拘らず、アジア人初となるゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞!凄すぎィ!!
いやはや、評価されるのも納得の素晴らしい演技でしたねぇ。アメリカと中国の価値観の違いに揺れる女性を見事に演じきってます。
お世辞にもアジアン・ビューティーとは言えないルックスなのですが、それが良い。それがリアリティを醸し出してる。ふと見せる何気ない表情とか仕草が魅力的な女優さんです✨
あとあのハスキーボイスが良い!ちょっと女優の伊藤沙莉に声が似てる。
今作で初めて彼女を知ったのですが一発でファンになりました!
今後もっと高いところに登っていく女優さんでしょう!
アメリカ🇺🇸と中国🇨🇳の命に対する価値観の違いというのは非常に良い着眼点。
これは中国からの移民であるルル・ワン監督でしか作れない物語だったのでしょう。
戦後教育により西洋の価値観を植え付けられた日本人🇯🇵の視点からすると、アメリカ🇺🇸の持つ「命は個人のもの」であるという考えも、中国🇨🇳の持つ「命は家族と共有するもの」という考えも、どちらも理解できる。
中国🇨🇳とアメリカ🇺🇸の関係を描いた映画だから、日本は関係な〜い、と思う人もいるかもしれないが、むしろ日本人が一番この映画を楽しむことが出来るのではないだろうか?
西洋思想と東洋思想、どちらが優れているとか正しいとか明確な答えを出していないフェアーな姿勢に好感が持てます🙂
一つの家族の物語に終始しているので、非常に地味な映画。この地味さが、映画のテーマとピタッとハマっていて心地よかった。
シリアスな問題を扱っているが、基本的にはコメディタッチで凄く見やすい。
中国🇨🇳独自の文化を面白おかしく描いているが、決してバカにしているのではなく、リスペクトして描いているというのが伝わってくるので不快感などは一切ない。
あのお墓での「一礼、二礼、三礼」の件とか普通にコントみたいで面白かった🤣
嘘を突き通した一族が、疲弊した顔で『レザボア・ドックス』歩きをするところ、最高👍
「嘘」がテーマの作品なので、冒頭からキャラクター間の会話は小さな嘘だらけ。
「ピアスしてない」とか「今大叔母さんの家にいる」とか「もうピアノは弾いてない」とか「お酒は殆ど飲んでない」とかとか。
大きなものから小さなものまで、嘘だらけの物語だからこそ、最後の最後にビリーが祖母(ナイナイ)に自分の挫折を打ち明けるシーンが心を打ちます…。
ビリーがアメリカ🇺🇸から中国🇨🇳へ降り立った時、画一的なデザインをした建設中の高層ビル群やアパートが異界的なものとして表現されていたのに対して、ラストシーンでビリーがアメリカ🇺🇸へ帰国する時、タクシーの車中から見える景色が前者と同じものでありながら全く違う意味合いで観客に迫ってくる。
この撮り方の上手さ、ルル・ワン監督只者じゃあねぇっ!!
描かれる家族の感じとか、古き良き日本映画のかほりがするので、邦画ファンにもおすすめ出来る。
身近な人がガンを宣告される、こんなこと誰の身にも降りかかる可能性があること。そんな時、その当事者にどのように接するのか、この映画を観て考えるのも良いのではないでしょうか?
とにかく、個人的には大傑作だと思う!全人類に見てほしい作品です!
※
製作費:300万ドル(約3億3,000万円)
興行収入:2,300万ドル(約25億3,000万円)
…大ヒット!
自画自賛
結局のところ…中国国万歳な映画なのかと思う。
お国柄というか、異文化には異文化故の常識があり、それは他文化からは疑問視されるのは当然でもあるのだが…なかなかに中国って国は理解に苦しむ。
大筋は「癌の告知の是非」みたいな事ではあるのだが…コレを主軸に展開される脚本が巧妙というか複雑というか。主人公はアメリカに移住した中国人なのだ。
彼女は他国の常識を有する存在で、それにより中国の常識に疑問を問いかける存在でもある。
どちらかと言うと僕らは彼女の視点に近い。なもので全編に渡り中国の常識を異質な存在として捉えてしまう。家族の在り方とか、体裁の繕い方とか、魂の捉え方とか、死後の世界とか。
「プロの泣き屋」とかバカげた職業まで存在し、その理由が泣いてる人が多い方が故人の人望が高いからなのだとか。見栄以外の何物でもないよな…。
先祖の霊を供養するのは理解できるのだけど、あんなに願い事をするのは厚かましいのではなかろうか?
どおやら大陸では死後の世界への明確なビジョンがあって、存在自体への疑念があまりないようだ。
劇中では東洋文化なんてくくってはいるが、いやいや待ってくれ。あんたんとこだけだよと注釈を入れたい。
一路一帯政策とか絡めた表現とは思いたくはないが、それぐらいやってのけそうな図々しさが全編に渡り溢れでてたりするから困りもんだ。
そもそも嘘だった結婚式を実際挙げちゃうのはいかがなもんなんだろか?
そんな事が許される国民性なのかしら。
確かに家族の絆は強い。
そう描かれてもいる。
ただ、かなり排他的にも見える。
その家族達も、冷徹に没後の話をしてもいる。結婚式の真っ最中に。とんだ茶番劇もいいとこなのだけど、アレはなんなんだろ?結局のトコ夫婦になったのだろうか?
物語の最後は、アメリカに戻る彼女達で終わる。
余命幾ばくもない母を残し、自分達の生活に戻っていく罪悪感というかやるせなさというか…。
アメリカでは違法とされる癌患者への非告知。
それが横行する中国への否定的な目線で終わる。
のだが…
その癌のステージ4である母は6年経った今でもご存命なのだ。本人の元気な映像が映し出される。
ここに来て、全肯定の様相を見せる大どんでん返し…ポカーン…開いた口が塞がらない。
なんつうマウントの仕方をしやがるんだ。
「病は気から」って言葉には、そこはかとなく説得力を感じもするが…物凄い勢いで足元を掬われた感じだ。
中国側からすれば、してやったりな感じなんだろうか?結局持論が肯定されたような終幕。
最後の最後まで自己主張の激しい作品だった。
まあまあだった
おばあちゃんが死ぬと思うと切ないのは共感するのだけど、話が一本調子でひねりがなくてけっこう退屈。このところ一般人の自伝的な話が多くて飽きてきた。就職に悩む主人公が30歳と聞いた時はびっくりした。
竹田の子守唄が聞けるとは(笑)
いまの中国の典型、家族の在り方が分かる作品。
ドキュメンタリー映画を見ているよう。
年老いて一人暮らしを続ける母。
舞台となっている長春は、中国東北部の
中堅都市(日本なら大都市)。
二人の息子は、日本とアメリカで立派に生きてる。
母ががんと診断されたことを機に、
日本に住む長男の息子の結婚(相手は日本人)を
長春で執り行うことに急遽決定し、
家族全員が25年ぶりに実家(長春)に集合する。
そこでの悲喜劇を
アメリカに住む次男の娘の視点から、
いまの中国を描き出す。
ステージ4の肺ガンと診断された母をめぐって、
・本人に告知すべきか否か
で、家族全体が揺れ動く。
何も知らない母は、ひたすら精力的で
結婚式を仕切ることに余念がない。
・太極拳?で、奇声を上げる
・披露宴のメイン料理を勝手に変更するなとクレーム
・亡き夫の墓前で家族に対する願いを延々と続ける
・孫の結婚相手である日本人をディスる
どれも、可愛らしく微笑ましくさえ感じる。
キャスティングの勝利だろう。
本人へのガン告知を否定する中国古来の考え方
(日本もつい最近まで同じだったと思う)と、
個人を尊重する思想が染み付いたアメリカ育ちの
2世代目(孫世代)の葛藤、
見た目は中国人でも、しゃべりは明らかに外人な
孫世代は見るもの、聞くものすべてに戸惑う。
・新築ホテルのエレベータが故障
・好奇心まるだしのホテルマン
・葬式に登場する「哭き女」
個人的には、本レビューのタイトルにした
「竹田の子守唄」を新郎新婦がデュエットする
シーンが面白すぎた。
原曲がどんなものか、誰もわからないほどの
音痴っぷりが、有り得なさすぎてかえって
笑えた。
中国人、中国に関心ある方には是非おすすめします。
そうでない方には、辛いかも。
色々感情移入してしまう
センチメンタルで私的なストーリーなのに、登場人物に普遍性があって、たぶん見た人みんな誰かに感情移入してしまうと思う。個人的にはビリーのお母さんの愚痴やら優しさやらが「わかるわかる!」という感じ。
年の割に子供っぽくて不器用なビリーが、お婆ちゃんや親戚との関わりの中でどんどん大人になっていく様子が頼もしい。結婚式を抜け出して街を駆けるシーンの、画面の饒舌なこと。(関係ないけど「ROMA」の街のシーンがよぎりました)
あちこちにユーモラスなシーンがあり、重くなりすぎない演出は素晴らしい。そして、ラストの健康体操するおばあちゃんには笑って泣かされました。
優しい嘘の結末は、、、
余命宣告を本人に伝えるべきか否かがこの映画のひとつのテーマになっていますが、これは難しい選択ですね。僕個人としては宣告してほしい気がしますがその時になってみなければきっとわからないことでしょう。
また、アメリカと中国の考え方の違いが浮きあがるのも面白い。
もうひとつのテーマは家族の絆。久しく会っていない家族がいる方はこの映画を観たらきっと家族に会いたくなると思いますし、同居している方も家族を大切にしようと思えるはずです。あとどれくらいいっしょに過ごせるのか誰にもわからないのですもんね。
さてラストは衝撃的で大笑いでした。
嘘で騙されていたのは結局ビリーの方だったという解釈でいいのでしょうか?僕もいっしょにナイナイにすっかり騙されてしまいました。
想像と違った(笑)
予告編を見て、勝手に想像したストーリーは…
余命僅かな祖母の元に親戚が集まる。
でも、そのことは本人に教えない。
主人公は教えるべきと葛藤する。
(ここまでは同じ)
主人公の不注意で祖母に余命僅かと知られてしまう。
それで親戚一同大騒ぎになるが、そこで祖母の病状が悪化し、主人公と家族の関係が悪くなってしまう。
祖母が亡くなる直前、「余命僅かと知っていた。教えてくれてありがとう」旨を言う。
葬式で主人公と家族が和解する。
みたいな展開だと思っていた。
(ありがちな展開だなぁ)
で、見終わると、
「生きてるのかよ!!!!」
ってツッコんだのは、私だけでないハズ。
映画の感想としては、
主人公と祖母がいい味出してたな。
特に主人公は難しい役柄。
祖母に教えるか葛藤するだけでなく、
中国人としてのアイデンティティとか、文化的な差に戸惑う。
作品全体としても、移民とか、中国国内の貧富・教育の格差
(特に祖母の家は特別セレブでもないが、家政婦がいて、しかもその家政婦は教育を受けておらず、文盲である)
現代中国の抱える問題を描くとともに、中国に限らず普遍的なテーマでもある。
【”おばあちゃんは屋根に上った・・” 癌患者に対する米中の考え方の違いを、若き女性がカルチャーギャップに悩む姿を通して表現した作品。中国のゴッドマザーの生き方、気合にも敬服した作品でもある。】
ー 米中の、癌患者への余命宣告方法 ー
・米国:医者から余命宣告をキチンと行い、患者自身が残りの人生を悔いなく過ごすように考えさせる。それが、米国風の思い遣り。
・中国:余生を心穏やかに過ごしてもらうために、癌患者には告知しない。それが、中国風の思い遣り。
■印象的な事
・ビリー(オークワフィナ)は幼き頃、家族と共に中国を離れて米国で育った。当然、思想は米国風。だが、中国に居るナイナイ(チャオ・シュウチェン)の事は大好き。
目指していた奨学金支給対象から外れたことを知らされ、意気消沈する中、そのナイナイが、肺癌で、余命僅かと診断されたという事実が電話で伝えられる・・。
息子二人を含めた親族で考えた事は・・、従兄ハオハオとアイコ(日本人らしい・・)との結婚式を口実に一族を中国に集める事であった。
だが、ビリーは“貴女は表情に出るから・・”と米国に残されるが、ナイナイが心配で中国に独りで帰国してしまう・・。
ーここからの、ビリーの米中の考え方に悩む姿(食欲がない)、ナイナイを気遣う姿をオークワフィナが絶妙に演じている・・。-
・ハオハオとアイコの結婚式の祝辞で、ナイナイの息子が母親での溢れんばかりの気持ちを吐露して、泣いてしまうシーン。
ー嘘を付くのは難しいよな・・。その相手が、母親ならば尚更であろう・・。-
・咳が止まらないというナイナイを病院で診察した医者のコメント
中国語では”軽い風邪ですよ・・”
英語で尋ねるビリーには英語で、”末期癌で・・・”
ー不謹慎であるが、笑えるシーン。又、米中の余命告知の考え方の違いが良く分かるシーンでもある。ー
・ナイナイの診断書をコピー機で”偽造”する家族の姿。
ー嘘を付くのは大変だなあ・・。-
・理由はどうあれ、中国、日本、米国で暮らしていた大家族が25年ぶりに集合し、交流し、ナイナイを想い、一つになっていく様。
ーナイナイは、矢張りゴッドマザーだなあ・・。-
<ナイナイの”何を成し遂げたかではなく、どう生きたかが大切”と言う言葉と、一向に衰えぬ食欲と気力。
ビリーは逆にナイナイから生きる気力、気合を貰い、悩んでいた心を切り離すかのように気合を込めて”ハッ!!”と自ら活を入れるのである・・。
エンドロールで流れた”事実”にも、(この話は実話ベースである)ゴッドマザーは偉大なり!と感じった作品。>
泣き屋って本当にいるのね~ッ? 中国こぼれ話
あくまでも相手の利益・幸せに繋がる...つまり相手のことを思って、やんわりと嘘を肯定している言い回し...." 嘘も方便 " を題材に、それを通じて中国のしきたりや風習・慣習をサラッと表現しているアットホームなドラマ...しかしそこに疑問を持つビリーを中心にお話が進む過度にコメディ色を無理に出さない良い塩梅の映画...
Isn't it wrong to lie?
I mean, if it' for good, it's not really a lie.
I mean, it's still a lie.
It's a good lie.
親族が英語が分からないと思ってアメリカに留学経験のあるハンサムな若き担当医師に英語で押し問答のような展開に...留学したからって中国人は中国人...そこは中国にいる中国人は実にコンサバな回答をしている。この映画、見ている側つまり中国が舞台で中国人を描いているのはもちろん、ビリーのように幼くして両親と共にアメリカに渡ったことで、彼女の両親はまだ中国式の常識をわきまえて行動できるが、ビリーのように外見は中国人でも中身とくればアメリカ人の気質になってしまっていて中国人からすればただの異邦人としてしか映らないギャップ感をコミカルにビリーという女性に投影して外国人にもシナリオを分かり易く飲み込みやすくしている。
Chinese people have saying, when people get cancer they die.
It's not cancer that kills them, it's the fear.
この映画のルル・ワン監督。始めオークワフィナをモチーフにしたような映画作りが成されていると思っていたけど、ようように考えてみると彼女のバイオなんかを拝見すると何故か主人公のビリーとどこか似通った経歴であり、最初のオークワフィナをモデルにした意見ではなくむしろルル・ワン監督自身の回想録的意味合いの方が納得いくものと見えてきた。それを裏付けるのが、2019年12月30日のエンタメサイト ” Deadline.com ” にもそのことは載っていた。
父親方の祖母の愛称のナイナイ。はっきり物事を言い、その割には人を傷つけない人に好かれるタイプで永遠に愛される女性。その一番に愛される女性が可愛がっているのが主人公のビリー。彼女もまたスカラーシップが不合格にもかかわらず両親の援助を拒み、自立心旺盛な女性。この二人模様を心優しく映像化した映画として万人から好まれるのは当たり前のことか...?
”お前は、おばあちゃんの前でもろに感情を見せるから連れていけない。”
”お前は、おばあちゃんの前でもろに感情を見せるから連れていけない。”
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