「「常識と非常識は“非常識”」」マリッジ・ストーリー いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「常識と非常識は“非常識”」
一緒に住んでいて、互いにとんでもない相手と結婚してしまったと嘆き、骨肉の争いの後に離婚して始めて夫婦の意味を知る粗筋となっていて、よくある離婚怨恨ドラマを予想させるのだが、ラストの靴紐を結んで上げるカットで、“家族”という概念を過不足無く演出せしめたノア・バームバック監督の、優れた手腕を強く感じさせる内容である。
観客側は俯瞰でこの顛末を目で追っているので、それぞれ2人の言い分や言動の不一致を確認出来るのだが、登場人物達は当然ながら手の内は解らない。その攻防の最中も息子への“接待”も又、競争のような状態になってしまう悲しさも一際である。
とにかく細部への深い一寸した仕草や行為、行動が、演技としての技量を超えた自然なカットの連続で、感心させられることしきりである。夫の台所での引き戸棚の位置間違いの“天丼”は、これが演技なのかと驚く。アダム・ドライバーは、鑑賞日だけでも2作出演しているが、確かにこの人を起用したくなる制作側の思考は大いに理解出来る。思ってる以上に身長の低いスカ・ヨハも、この役にはぴったりで、潤んだ目を湛える演技は共感を覚えずにいられない。それと同時にプライドの高さ、気の強さも又全身を覆うオーラとして纏っていて、分かり易いハリウッドイメージを表現している。NYのスノッブイメージも又、アダムドライバー然りだ。2人の器用な演技と、きちんと受け応える子役の演技も又レベルが高い。アメリカの観覧型撮影式シチュエーションコメディのような、小気味よいスピード感も飽きさせない編集である。
離婚理由が、最近観た『ゴッドタン』の『かもめんたる』というコントコンビの不満に似ていて興味深い。結局、もっと大事にして欲しいという切実な願いをどう受け止めるかの一言なのであろう。もうこればかりは現状では全てが望む抜本的解決は皆無だ。一時的に関係の回帰は窺えても、元の木阿弥になるのは常である。であるならば、いわゆる“仮面夫婦”として、お互いを同居人という立場に納めるか、今作のように闘争を起こして全ての膿を出し切るかの荒療治に踏み込むかというどれも救えない、“解決策”という語彙とはかけ離れたイベントを用意しないと先に進まない。こんな無意味で非合理な壁を乗り越えなければ、関係性の前進に至らないとは、本当に人間とは難儀な動物である。未来永劫、出会った頃の新鮮な愛情のやりとりを続けられる事は不可能だ。だからこそ妥協、又は取捨選択が便利な道具として行使される。しかし、今作の夫婦は、他のレビューでも絶賛されているように、白眉である殺風景な部屋での壮絶な口喧嘩を図らずも勃発させることで、真摯に我をぶつける手段を取ったのである。傷付けるならいっそ深く沢山・・・ 表題の通り、常識と非常識ならば、非常識を取る事が、逆説的に正しい方向へ舵をとれることを結果的に示してくれる。そんな夫婦関係の劇薬を披露してくれた今作、大変参考になりましたw