「欺瞞ゆえにまだ救いがある」ミッドサマー とらいふぉーすさんの映画レビュー(感想・評価)
欺瞞ゆえにまだ救いがある
内容の話じゃなく、観る側の心持ちにおいて。
生贄を得るために自分たちに都合のいい嘘をついて都合のいい癒しに浸る人間臭さが伺えるから、きわめて真っ当な怒りと不快感を持つことができる。クリスチャンが序盤で「カルチャーなんだ。歩み寄る努力をしなくちゃ」と言うようなことを言うがモラルがあればあるほどこれを抱えてると苦しい。価値観の差ってことは理解できるけど感情が受け入れてくれない、こんなコミュニティは燃やせって気持ちになるから。でもよくよく考えるとこいつらは外の人間にも中の人間にも平気で嘘をついていて、あたかも生と死は平等、等しく愛おしいというような態度でいるけれど最後焼死が間近に迫って喚き散らす住民によって「やっぱそんなん欺瞞じゃねーか」って滑稽なネタばらしを食らう。そうするとコミュニティの捉え方がまるきり変わる。唯一祝祭を文字や画の形にすることが許されている障がいを持った男(の子?)。障がい者だから余計な価値観を持たない、ありのままを捉える無垢な存在なんだって決めつけ、ある種責任の押しつけがものすごく胸糞悪い。そしてその理屈だと同じく無垢な存在と言える赤ちゃん。でもみんな知ってる通り赤ちゃんに愛とか利他なんて感情はない。我儘の限り。究極の利己。無垢とはむしろ共同体を守るそういう社会的な感覚から最も遠いもの。だからあのコミュニティが言ってることは都合の良い嘘で、赤ちゃんはずっと泣いてたし、ありのままを描いた画はきちんと気味が悪かった(なんなら警告では?)。
でもそういう納得のいく不愉快さがあるからあの特殊空間に引っ張られずに済むという感じ。向き不向き好き嫌いを抜きにすれば作品の出来は間違いなく良かったし、それも「これはよく出来たフィクションでエンタメだ」という感情の逃げ場になった。
観終わってすぐは「こいつらを理解してやらなきゃいけないのか……? 無理だろ、無理だごめん。私は私のためにこの村を焼いて消滅させなきゃ」とげんなりしたけれど、冷静になれば上記の通り不愉快で当たり前だ!と大義名分を得られるのでわりと平気。
あらゆる本人たちが良いと思ってればそれで良いもの(御守りとか幽霊とか)は内側で守っている間は正当な力を持つけど、外に出した時点で変質する、秩序を失う。外の人間を嘘ついて取り込んだ時点であのコミュニティの文化はただの欺瞞に成り下がった。