ソワレのレビュー・感想・評価
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もっと面白くできる…役者が良いだけに残念!
メインタイトルが出るのが圧倒的に遅い(おそらく映画史上最遅)。開始から30分くらいだろうか、もう話ほとんど終わってるやん、これからどうすんの?という感じ。私はどちらかというとタイトルフェチでタイミングと出し方がすごく気になる。最近では似た話に三池崇史の「初恋」がある。あれもストーリーの展開に合わせて、かなり遅れてタイトルが出たと記憶しているがここまででは無かった。「古い感じの日本映画」である。監督の外山文治は39歳と若いのだがAtg憧れ世代なのだろうか?「あらかじめ失われた恋人たちよ」とか「青春の殺人者」とか。私が16歳の時に原田美枝子を観てすっかりやられたのと同じように、今の若者も芋生悠の演技にコロリと騙されるのであろうか?その時代に青春期を過ごした我々(三池崇史)世代は恥ずかしくて絶対にこんな映画は撮らないであろう。「映画らしさ」「映画の熱気」というが、すでにフィルムじゃ無いし…と憎まれ口も吐いてみたくなるほど、村上虹郎と芋生悠が素晴らしいだけに…逃げてから後の脚本が物足りなくて残念。
逃げる気なら、大阪に出るけどな
御坊から和歌山市まで、結構苦労して逃げてくるけど、南部の梅農家の後、和歌山駅で降りてるから電車使ってる。電車賃くらいはあるんや。農家のバイト代か。なら、大阪まで行けば逃げられるのにな。和歌山なんか人少ないから、よそものがうろついてたら目立つし。
…というように、主人公たちの懐具合に整合性が感じられなくて、せっかくの幻想的なシーンも、あまり響いてこなかった。
なにより、どっちが主で話をまとめたいのかがイマイチ分からず。
DV被害者で施設の利用者さんに触られただけで過呼吸になるのに、スナックでは平気とか、何となくあちこち詰めが甘い。そして、逮捕されて山下さんのその後は?なんで何も描かないの。くずの翔太が山下さんが前から彼のことを知ってた(好きだった)ことに気づいて改心するのなら、ラストじゃなくもっと前に持ってこないとなあ。見てる方はもやもや。
(そして、和歌山市に入った後で白浜の円月島のショット挟むの、あれはアカン。関西の人なら知ってる名所。彼らがどこにいるのか混乱する)
主役の二人はとにかく好演。うまい。和歌山弁もうまかった。
キョンキョンプロデュース‼️
極めて良くできた脚本。主人公たちの演技も完璧。最初はめちゃくちゃ独立系のマイナー映画っぽいのだが、いつの間にかどんどん引き込まれる。最後の方ではすっかりこの映画の世界に浸かってしまう。一種のロードムービーだが心にじわりじわりと来る。亀梨くんの映画とは偉い違いだ(笑)。あと主人公を映画の中で走らせるのを邪道視する向きもあるが、今回の芋生さんの走りは最高😃⤴️⤴️。
女優は走りで見ろと言いたい。全力坂考えた人天才です。
作品を取り巻く様々な前評判や外部要因を通り抜けた先にあるもの
すべてを喪ってひとつのものを手に入れた人の物語。
人間の純粋な何かは決しておとぎ話や夢物語の中にあるのではなく、不条理で腐りきったこの世の中にあるのだと知らされる。
足は地面に着きながら目線は遥か彼方を見つめている。そんな気持ちにさせてくれる映画。
映像とお芝居はステキでしたが…
キャスト、特に芋生さん存在感、演技や、映像美はとてもステキでした…が…脚本が酷すぎる。あまりにご都合的すぎる展開で、ツッコミどころが多すぎます。翔太の動機が全く見えないし、結局タカラだけが犠牲になり続け、泣き寝入りじゃないですか。どうして一生懸命生きてる人が犠牲になるのか?って言う疑問が冒頭投げかけられましたが、オレオレ詐欺に加担している、お前が言うな!って思ったし、最後までお咎めなしときた…最後まで、女の子だけが犠牲になり続けるひどい展開です。カタルシスが全くない。え?なんで?どうして?って言う疑問だけが残り続ける映画でした。脚本だけなら、生涯ワースト級です。ごめんなさい。
良かった。
ラストが最高。ずきゅんときました。
完成度高いのであえていくつか突っ込みを。
介護施設の最初の方のシーン、おばあちゃんが消えたの何故?
色々と丁寧に布石を回収していたのにここは分からず。
実家。近いとは言ってもどうやって帰ったのかな。車がないときついと思うが。
ラストの映像。上映会やろうといってたのだと思うが、中身はメイキングレベル。何故?
人がやり直すには
予告映像で虹郎くんが言っていた「なんで必死な奴ばかりこんな目に遭うねん」というセリフ。
とても強い言葉で、どのような場面で、経緯で放たれるのか楽しみでした。
それがほとんど導入のパートで出て来たからビックリ…
まあ、世の中の不条理さを嘆く方より、やり直せるんだよと伝えたい映画なのかなと思ったので、仕方がないのかな。
それにしても、この言葉に対する背景が薄過ぎたよな…
昨日、テレビで犯罪者向けの求人雑誌を発行している人のドキュメンタリー番組を見ました。
「道を間違った人たちがやり直したいと思ってもやり直せないのはおかしい。チャンス、希望が必要だ。」
この様なことが取り上げられていた。僕もそうだと思う。
だけど、中には加害者よりやり直すのが難しい被害者がいるのかもしれない。
芋生悠さんを見てそうも思いました。
昨日のテレビと、今日の映画を見て、人がまた立ち上がるには、自分とは別の人の存在が不可欠なのだと強く刻まれました。
この人だけは悲しませてはいけない、この人が一緒にいてくれるなら、と。
やはり人は1人では生きていけないんですね。
他の皆さんからも上がっているように、脚本に少し無理矢理な箇所が見受けられましたが、演出は好きでした。
音が生々しくて良かったのに、隣のお爺さんがうるさくて勘弁して欲しかったです 笑
映画に魂は映ると思う
とても不思議な映画だと思う。ものすごく単純な話に様々な角度からのアプローチしながら大胆に省略している。ほとんど主役ふたりしか映らないが、決してドキュメンタリータッチなわけでなく、セリフは意外にドラマっぽいが、話す以外はほぼ風景と身体性で攻めている。風景の中のふたりの立ち姿に泣かされたと言っていい。
芋生悠は素晴らしい。日本映画女優の中で断トツの走りっぷり。からっぽでボロボロで何かが宿っていた。
小さな幸せ
不幸のてんこ盛りみたいな女の子がいた。でも自分の力で精一杯生きている。お年寄りに優しく接して誠実に暮らす毎日の中で、またとんでもない不幸が訪れてしまった。男は諦めたようなその子をほっとけなくて連れ出すけれど、中途半端野郎だから途中で放り出しそうになる。
けれど戻ってきた。不器用ながらもその子に寄り添おうとする。そんな逃避行の中で女の子は何を考えただろう。やっと自分を見てくれる人ができた。当たり散らされても嬉しかったに違いない。まして、その男の子はかつては光の中にいた彼だ。朝起きたらマニキュアを塗ってくれてるなんて、それだけで幸せだと思う。
この先も不幸かもしれないけれど、この小さな幸せが彼女の心をあっためてくれるといいなと思った。
村上虹郎はこういう影のある微妙な若者役がよく似合う。珍しいタイプのイケメンだ。
重く閉塞感が漂いますが、不器用な荒々しさがなんか気になる作品です。
以前から興味があったのと、観た方の評判が良かった事もあり、観賞しました。
で、感想はと言うと…重い…重いなぁ
全体的に終始付き纏う閉塞感に気持ちがなんだかどんより。
様々な境遇の中、思いを断ち切るかの様に逃げ出す二人に希望が見えない。
だからこそ、捕まる事でしか活路が見いだせないからか、虚無感が半端ないんですよね。
むか〜し見た「サーティーン・ボーイ」と言うテレビドラマをなんか思い出しました。
刑務所帰りの父親に乱暴され、思い余って刺してしまった介護士のタカラと、役者を目指しながらもオレオレ詐欺に加担し小銭を稼ぐ翔太との二人の逃避行なんですが、二人が現場から逃げて、和歌山市内をあてもなく彷徨い逃げるのは、なんと言うか虚しくやるせない感じなんですよね。
その分先々での出会いというかドラマがあるけど、ちょっと薄いし少ない。
梅農家に頼み込んでのアルバイトなんか、もっと膨らませて良かったのではないかな。
またタカラがアルバイトをするスナックなんかもいろんなドラマがあると思うし、ドラマが生まれると思うから勿体無いなあ。
行く先々での人との出会いに悪い人もいるかも知れないけど、良い人との出会いもあって、そこで少しだけで人としての成長が見えれば、物語に光明が見えるかなと思うのですが、如何でしょうか?
でも、ラスト辺りでの二人の幻の戯曲のやりとりは個人的には好きですね。
今までの鬱屈した雰囲気から光が見える様な感じで、小劇団っぽい演出ですが、良いんではないかと。
タイトルのソワレと言う名付け方は結構好きです。
タカラが父親に襲われたり、翔太がオレオレ詐欺の受け子をするのも昼間でありますが二人は身を隠す様に夜の街をさ迷い歩く。
ラストの戯曲のやり取りも含めて、ソワレな世界ですが、細かい事を言うと…そんなにソワレだは無いので、マチネ(昼)とソワレ(夜)的なバランスなので、どちらかと言うと「マチソワ」なんですが…マチソワでは題名ではあんまり締まんないですねw
なので、ソワレで正解かな。
閉塞感漂う重い作品ですが、その分役者の技量が問われる作品で、こう言う作品は個人的には嫌いじゃなんですが、タカラの設定はかなり重い。
タカラには同情と共感は出来ても、翔太には個人的には同情も共感も薄い。
タカラがムショ帰りの父親に乱暴されている所に駆けつけ、止めに入って、タカラと一緒に逃げる所ぐらいまでは“翔太、良い奴だなあ〜”と思えても、その後が頂けない。
アルバイトを頼み込んで引き受けた先の梅農家に泊めてもらったにも関わらず、夜中に金を盗もうとする。また金を稼ぐとしてもタカラはスナックで働いて稼いでも、翔太はギャンブルで金を稼ごうとする。あまつさえ、一緒に逃げても“お前のせいでこうなった”とタカラにぶちまけたら“翔太、カッコ悪いぞ”となりますわな。
最後にオレオレ詐欺の加担の罪で捕まらないのも、個人的にはなんか納得出来ないw
ただ、都会に翻弄されて、流される様に生きる若者が純粋で不幸な女の子に出会って、純粋な気持ちを思い出すと言うのなら、そこまでのバックボーンの説明や、東京から遠く関西の和歌山に老人ホームに施設慰問に来た説明があっても良かったのではないかな。
タカラの衝撃的なシーンまでが結構説明不足過ぎて、なかなか分かり難い。
不器用で純粋なタカラとの比較として、翔太をクズな感じで仕立て上げていると言うのは分かるんですが、翔太の生い立ちやバックボーンの説明や描写が薄くて、初っ端からオレオレ詐欺の「受け子」を担っているだけに、夢を語っていても、安易でその場凌ぎの軽い感じと言うイメージが拭えないんですよね。
翔太の扱いや描写は結構重要な筈なのに、個人的にはなんか軽い感じがします。
それがまた、タカラへのウェイトが大きく重くのしかかって、全体の閉塞感を重くしているんですよね。
タカラは…報われないなあ。父親に乱暴されていて、警察にも何度も相談しているのに、解決の糸口が見えないから殻にこもって引っ込み思案の自暴自棄な感じがしている。
この作品はそんなタカラの境遇と思いが全体の雰囲気を作っているからこそ、重くのし掛かるんですよね。
謳い文句にある「ふたりで逃げた。幸せだった。」と言うには個人的には感じられない。あくまでも結果論でそう感じるかも知れないけど、逃走中のタカラは行く先々で必要とされてお金を稼ぐことの嬉しさはあっても、翔太との間にそれを感じ取れなかった。
タカラ役の芋生悠さんは安藤サクラさんみたいな感じで、若いのにかなりのベテラン感が漂う感じ。翔太役の村上虹郎さんは目元がなんとなく菅田将暉さんみたい。でもどちらもピュアで不器用な感じがこの作品の荒々しさと世界観を構築していて気になる役者さんです。
不器用で重い作品ですが、なんかそれがクセになると言うか、目が離せないんですよね。
割と嫌いじゃない作品なのですが、もう少し光明が見える部分があっても良かったかなと。
気分が凹んでる時にはかなりヘビーな作品なので、精神的にフラットか前向きモードの時に観賞をお勧めしますw
ほら。辛い時はこうやって笑ったらええよ。
最後の最後にドンと胸を突かれた。
「逃げなくてもいいのに」の思いで観ていながらも、安珍を追う清姫の焦りや怨念が二人の姿にかぶさっていき、タカラが「新しい場所」を求めていることに気付く。それは土地ではなく、翔太なのだ。たまたま翔太なのではなく、それは翔太でなくてはいけなかった訳が最後に明かされるが、それゆえ、逃避行の間の彼女は、幸せだったのだろう。神様は「逃げ道」を用意してくれた、という喜びとともに。生きる気力を失くしていたタカラだったから、その感情もうまく隠していた。それでも走る姿は力強かった。ほんとうはそうやって人生も颯爽と走りたかったんじゃないのかな、と思ったら不憫さが増してきた。
この映画は、誰かと感じた思いを語りたい映画だ。なぜ、二人は逃げたのか。なぜ梅干し農家の主人は見逃したのか。捕まる時、彼女はなぜ立ち止まったのか。空き家の影絵、夜の公園の意味も。そして、あのあと二人はどんな人生を過ごしてきて、これから過ごしていくのか。
たしかに、この映画は我慢を強いる映画かも知れない。でもそれは観客側に想像の余白を残してくれているとも言える。だから、わからない部分は自分で埋めればいい。皆生きてきた人生が違うのだから、たぶん、その想像も皆違うだろう。
※ひとつだけ妄想を言わせてもらうと、そもそも今回の事件で微罪の翔太ははやく社会復帰でき(もしかしたらオレオレ詐欺の罪も含め)、過剰防衛と逃亡の罪状のタカラは情状酌量で減刑されるも実刑で服役中。そして、翔太は、彼女の出所を待っている。だから、物語のラストで彼女の姿はない。だって、これから戻ってくるのだから。再会したときたぶん翔太は、口元を指でなぞって、笑ってあげるんじゃないかなあ。
キョンキョンは?
観ていてイライラしっばなし。警察官も言ってたように逃げるなら必死で逃げろ。だらだら放浪してるだけにしか見えない。資金稼ぎかしらんがパチンコ、競輪、ホステスやってる場合か。で、タカラは情状酌量で軽い刑かな?
そして「小泉今日子出てないやん」と大ボケ勘違いをしたのは私だけでしょうか?
夜の海だけが膨らんでいる
しょうもなく駄目な若い男と、言葉にできないほど痛めつけられてきた若い女に寄り添って見る風景は知らん顔していて辛い。夜の海だけが膨らんでいる。
どうしようもなく重たくだるい生活から逃げようと走るのか。
それでも戻っていくのは自分しかない。
力強く美しい。
痛々しくて、切なくて、滑稽で、無責任で、どうしようもなくて、でも力強くて美しい。
私はこんな1本を待ってました!
和歌山。ある事件をきっかけに始まる逃避行。でも決して愛の逃避行ではない。出会って間もない2人。
なぜ翔太はタカラの手を取って走り出したのか。
現実から逃げたかったのは翔太も同じだったから。
辿り着いた海岸。静かな波の音を聴きながら遠くを見つめる。寄り添うわけでもなく。そして「ソワレ」のタイトルコール。これはラストまで一瞬も目が離せないな、そう思った。
いつか終わると知りながらも走り続ける。どこまでいっても半端者の翔太とその前に1歩踏み出そうとするタカラ。
苛立つ翔太に「私の気持ちなんて分からない」とぶつける。
離れる2人。
対峙する。自分自身と。
所詮他人に分かるわけがない。
自分に向き合えるのは自分しかいない。
自分の罪に向き合えるのも。
もう逃げてばかりいられない。
そこには翔太の寝顔。ささやかな贈り物。
心を決めたタカラがスマホの電源を入れる。涙が溢れた。
神様は乗り越えられない試練も与える。でも逃げ道はある。
ありきたりで押し付けがましいかもしれない。
でもめちゃめちゃいいラストだった。
そして何より、村上虹郎と芋生悠がとにかく素晴らしい!これからも映画館で会いたい俳優さん。注目していきたい。
号泣してしまいました
和歌山出身なので、映画館に観に行きました。
懐かしい景色をたのしんでましたが、そのうちストーリーにのめりこみました。
孤独な2人のやりようのない息苦しさが切なかったです。
フェリーのシーンと、ラストのシーンで涙が溢れてきました。
映画を観て滅多に泣いた事がないのですが、ツボにはまってしまいました。
村上虹郎さんの演技に泣かされました。
当方50歳になりますが、心を揺さぶる映画にであえ嬉しく思います。
映画としては高評価の難しい作品
村上虹郎という俳優のよさが未だによくわからない。顔がキリッとしすぎているせいなのか、表情があまり読み取れないのだ。ヒロイン山下タカラを芋生悠が表情豊かに演じていただけに、なんとも落差のある印象である。ただ、道を疾走する場面だけは若いエネルギーが弾けている感じで凄くよかった。
論理的にものを考える習慣がないと、咄嗟の場合に変な行動に出てしまうことがある。村上虹郎の翔太がその典型で、何かに驚いて道路に飛び出して自動車に轢かれる猫みたいだ。その癖ときどき説教がましいことを言う。暴走族上がりの警官と同じである。
物語はよくある設定で不幸な少女時代を過ごした女性とロクデナシの男が出会うのだが、逃避行のエピソードが底が浅い上に互いの会話が少ないから、二人の関係性の変化がわからない。終盤になってタカラは心境の変化を自覚したが、翔太は結局少しも成長していないことがわかる。
最後になって翔太があることに気付く場面も、伏線の置き方に印象がないから殆ど響いて来ない。それよりも翔太が過去の悪事から逃げ切ってしまった終わり方に納得がいかない。山下タカラが学校の黒板に書いた、おそらく彼女の本名と思われる「大久保タカラ」についても回収され仕舞いである。登場する刑事が「幼稚な鬼ごっこ」という意味の台詞を言うが、まさにこの言葉が本作品を言い得ている気がする。フランス語の「ソワレ」は「夜会」の意味であって「夜の学芸会」の意味ではない。
親による子供の人権蹂躙はまだまだ解決を見ていない。それどころか解決に向かおうとする社会の意思さえ感じられない。親が子供を支配しようとするのは、未だに続く封建主義の精神性に基づく根深い問題だ。そこに光を当てようとした志は評価するが、映画としては高評価の難しい作品であった。
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