「カタルシスという名の「浄化」」ソワレ R41さんの映画レビュー(感想・評価)
カタルシスという名の「浄化」
作品を見終えた後で、このタイトルを検索した。
フランス語で「夜公演」
どうやらプロデューサーが「誰もが心の底に秘めた癒えることのない痛みや大切な思いを、夜会に封じ込めて、次の朝にまた新たな一歩を迎えて歩き始める」というメッセージを込めたと語っていたのを発見した。
2020年という時代とこの逃避行物語の設定には若干疑問点が覗いてしまうものの、基本的なプロットとその向かう先が普遍的なテーマを持っていて良かったと思う。
また、物語が進行するにつれて新しい情報が挿入されるのも悪くない。
さて、
廃校に忍び込む二人
黒板に書いてあった「卒業おめでとう」という文字の脇に書いた自分の本名
彼女は何故「大久保タカラ」と記載したのだろう?
そこには高校を卒業できなかった彼女の思いがあるのは間違いない。
しかし、彼女にとって忌まわしい姓を何故書いたのだろう?
逆にそう書いたのは、今までのすべてを捨ててしまいたかったのかもしれない。
それでいながらしかし本当は、彼女はありのままの自分でいたかったのかもしれない。
黒板を見て沸き上がった負の感情は明確でありつつ、その中に隠しきれない無抵抗な意識が表現してしまった描写で、その両方が半々に混ざり合っていたはずだと解釈した。
冒頭のシーンでタカラが老女の髪の毛を整えるシーンがあるが、一瞬で老女が消えてしまう。
あれはいったい何を意味したのだろうか?
タカラは介護施設で働いているが、老人たちはやがて死んでしまう。
発作で倒れた女性と徘徊した老人のセリフにも表れている。
「あんたも死ぬのを待っているだけじゃないか」
タカラの生き方に対する「天からの声」
椅子に座っていた老女は、現在の延長線上にある未来のタカラだったのではないだろうか?
また、、
この作品の至る所にある「水」
いくつものシーンに水が使われている。
この物語の中の水は何を意味するのだろう?
この水は何かの象徴だろうが、その意味は深いことがわかるものの、もう少し明確に1点を突いてほしかった。
例えば半月のシーンと満月のシーンがあるが、それは期の熟度を表現しているのがわかる。
つまり逃避行に溺れている時期の半月と、気づきが起きたときの満月だ。
水をモチーフにした明確な意味をどこかに挿入してほしかった。
それにしても、タカラの心の動きは大変良く理解できた。
さて、、
ショウタ
冒頭から彼が何者なのかがはっきりと描かれている。
俳優を目指す若者が、あんなことに手を染めながら平然としているのが現代社会なのだろうか。
老人が彼を見て「どこかで会った」というのも、また「天の声」なのだろう。
世話になったバイト先で盗みを働いたとき「逃げられんぞ、自分からは」と再び天の声
彼が自分で言ったセリフ「天は乗り越えられない試練は与えない」
おそらくお芝居の中で覚えた言葉なのだろうが、これもまた天の声で、これはタカラの胸の奥に届いてその意味を考えさせることになる。
ショウタは、その中途半端な生き方をタカラとの出会いによって矯正される運命だったのだろうか?
しかしその伏線は高校時代に仕込まれていた。
これがこの物語を作る上で最初に思い付いたことなのではないかと感じた。
劇団が合宿に選んだ場所はショウタの地元だった。
そこの介護施設職員タカラ
逮捕された時、ショウタはタカラが最後に示した言動の意味がよくわからないままだった。
しかし、まじめに働き始めたショウタは、演劇にも端然と向き合い始めた。
最後のシーン 高校時代の演技を再確認している場面で、あの表現をする自分を発見した。
おそらくタカラは、彼と同じ高校の後輩、または先輩だったのだろう。
ショウタをショウタくんと呼んでいたので、先輩かもしれない。
父の所為で退学することになった彼女は、自分とは対照的に教室で楽しそうにしていたショウタのワンシーンが脳裏にしっかりと刻み付けられていたのだ。
ホテルのシーンは、彼女がそのことを憶えていて、同時にそれがショウタだったこと気にづいた。
それに気づいたのがいつのタイミングだったのかはわからないが、その事も彼女にとっては天の声だったに違いない。
そうやって彼女の中の天の声のパズルのピースが徐々に埋められていく。
そしてこのタイトルを示す神社の中の舞台 この場面を幻想的に演出している水
彼女の幻覚 あのお芝居の再現 幻想 両親…
幻覚の少女は、当時最初に傷ついたタカラだったのだろう。
その傷ついたはずの少女が笑っている。
あの舞台は赦しを意味していたのだろう。
そして妊娠したタカラは、未来の暗示だろう。
そう、
赦しと認識の変化によって、認知症の老婆という未来が変化したのだ。
しかし、それでもまだ当惑状態は続く。
橋の欄干を乗り越える勇気もなく、ひれ伏すように崩れ落ちたところに登場したショウタ
彼を見て「ひとりは嫌」と本心を叫ぶ
同時にショウタも自分自身を告白した。
逮捕される直前、タカラが言った「また見つけてよ」という言葉は、このシーンで最初に発した言葉だった。
つまり、意味的にはそれはショウタに自分自身を再発見して役者を目指せと言っているが、その根底にある彼女の望みは、「もう一度私を見つけてほしい」ということだろう。
それが彼女の願いだ。
そして最後のシーンでショウタはタカラを発見した。
あの日、あの時、廊下に彼女がいたのを認識した。
天の声
天の導き
天は乗り越えられない試練は与えない。
同時に別の道を示してくれる。
ショウタはこの世の中の不思議さを改めて感じたことで、タカラの心の声を読み取ったに違いない。
彼はこの先、もう一度彼女を見つけることになるのだろう。
いい作品だった。
しかし、ここでまで思考しなければたどり着けない難しさがある。
あくまで個人的な妄想でしかないのだが。
ただそれもまた楽しみかな。
もしかしたら「水」は、ここにたどり着いた時に得られるカタルシスの元々の意味である「浄化」だったのかもしれない。