「課題は個人に託される」山中静夫氏の尊厳死 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
課題は個人に託される
主演の津田寛治の芝居が素晴らしい。テレビドラマのイメージが強い俳優だが、こういうナイーブな演技もできると知って感心した。自ら監督もするようなので、この人の監督主演作品を観てみたい。
本作品では生真面目な医師今井俊行を演じた。随分と痩せて見えたのは、もしかしたらこの役のためかもしれない。今井医師に似て、津田寛治も生真面目でストイックな役者だと思う。
オランダをはじめ安楽死が合法とされている国はいくつかあるが、殆どの国では安楽死は認められていない。無論日本でも非合法だ。これを扱った映画では周防正行監督の「終の信託」が有名である。
安楽死と尊厳死。ただ生かすだけの延命治療をせずに、患者の苦しみと痛みを取り除くところまでは同じだが、その先が違う。しかしその違いは実に微妙である。安楽死と尊厳死が違うことは誰もが解っているのだが、個々の医師によって解釈が異なる場合がある。また患者個別の事情によっても異なるだろう。
本作品のタイトルが単に「尊厳死」ではなく「山中静夫氏の尊厳死」であることに深い意味がある。山中静夫の死を山中静夫以外の人間が死ぬことは出来ない。他の誰の尊厳死でもない、山中静夫の尊厳死についての物語なのである。
日本国憲法第十三条には「すべて国民は、個人として尊重される」と書かれている。「尊重されなければならない」ではなく、敢えて「尊重される」と言い切ったところに、作成者たちの並々ならぬ覚悟が窺える。
個人の人格や生き方が尊重されるなら、同じように個人の死に方も尊重される筈だ。日本国憲法の精神からすれば当然のことだが、これを解っている医者は少ないと思う。人間の身体について医学で解っていることは1パーセントもないことは医学界の常識であり、どの医師も解っているはずなのだが、医療の現場にはまったく活かされない。つまり医者は他人の疾病に対して謙虚さを欠いているのだ。下手な料理人が食材をやっつけるように、医学で患者の身体をやっつけるのが医療だと思っているフシがある。
今井医師は、個人の死に方を尊重する数少ない医師のひとりである。個人の人格を重んじる姿勢は、息子とのシーンに如実に現れる。息子との禅問答のような会話は、父と息子の会話であると同時に、人と人の本音のやり取りである。今井医師の言葉はかつて自身も小説を書いた過去があることを示唆し、文学青年の息子はそれを敏感に感じ取ったに違いない。以降の息子の言葉には、父に対する尊敬の念が込められるようになった。
理解できない妻には、仕事で疲れ切っているから仕事を離れたときまで他人に気を遣うエネルギーが残っていないと話す。息子を他人と想定するのは、息子の人格を認めているからだ。それに、解らないからと言って妻を否定することはない。その妻役の田中美里も好演。夫を気遣う素直な妻の姿に癒やされる。
難しいテーマをひとりの人間の死に落とし込んで、現実の治療法や、患者の死が医師に及ぼす影響まで表現した意欲的な作品である。日本は世界史上、類を見ない超高齢化社会に突入している。今後どうなっていくのかは誰にも解らない。誕生よりも死亡が身近となった時代に、人はどのようにして死と向き合えばいいのか。課題は個人に託される。
ちなみに日本では高齢者の入院が90日を超えると、病院に支払われる金額が極端に減少する。石丸謙二郎演じる事務長の言葉の意味はそこにある。病院も商売なのだ。