「メディア学の視点から見る」サヨナラまでの30分 Reo yuukiさんの映画レビュー(感想・評価)
メディア学の視点から見る
映画のストーリーとしては、「過去につらいことがあっても希望を見出して、前に進もう」という感じで、強いメッセージ性は感じられなかった。しかしそうたとアキに芽生えた友情が見られる場面や、最後のライブの、そうたがアキの意志を継いで歌う場面にはウルっと来た。
真剣佑の演技は、一番最近見た『るろうに剣心』の縁の演技が印象強かったので、今回のアキのようなポジティブな好青年みたいな演技もできるのかと驚いた。
しかしそれ以上に、北村匠海の陰キャと陽キャを交互にスイッチする演技には、ふり幅があって驚いた。相反するようなキャラを演じ分けるのは大変なはずなのに、違和感がなくて素晴らしいなと思った。
僕は大学でメディア学を学んだことがあるのだが、そのメディア学の観点からしてもこの映画はとても面白い作品だと思った。
まずこの作品の設定ともに、キーアイテムであったカセットテープについて考えたい。カセットテープは音声、また今作では思い出を記録する「メディア」であった。
この作品の設定は主人公の人格が入れ替わる、バディもののようで一見ありがちに感じられた。
しかし新しい思い出で上書きすることでアキの存在が薄くなっていくという設定は、カセットテープの「記録メディア」としての性質を上手に利用した面白い設定であるなと思った。
そして今度はメディアの媒体としての側面を利用して、アキはかなに好きな音楽を手渡ししていた。本来手に持てるはずのない音楽を、「カセットテープ」というメディアを利用して手渡しすることはとても面白いし、素敵なことだと思った。
次にアキがそうたの「身体」を借りてバンド仲間やかなに接する点に注目したい。「身体」もまたメディアという媒体である。人が人に接するとき、相手の「心」より先に「身体」を知ることになる。つまりは心と心の間には「身体」という媒体、障壁がある。
心はアキ自身だとしても「身体」はそうたのものであるため、アキはかなへのキスもはばかられた。そして本当の自分自身は見られていないように感じて、アキは皆に正体、真実を教えたくなった。
映画としても、研究に対する文化作品としてもとても素晴らしいもので、もっとメディア学の知識を身に着けてから改めて鑑賞したいと思える作品だった。