音楽のレビュー・感想・評価
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若き日の衝動に心がざわつく
7年以上かけてすべて手描きしたというアニメーション。
地方のヤンキーな3人の男子高校生。リーダー格の研二の気まぐれでバンドを始める。ギターとベースの違いが分からない。チューニングを知らない。ベース2本とドラムでひたすら単調なリズムを刻むだけ。ただそれだけで十分だった。それだけでロックだった。
まったく音楽を知らない彼らのバンド(=音楽)への初期衝動に鈍い感動を覚えた。青春時代の訳も分からない衝動そのもの。この衝動は間違いなく世界標準。
心がざわつく作品だった。近所迷惑かえりみず爆音を出してた頃を思い出した。
まさに音楽
アニメである意味
この特殊なアニメである意味をしっかりと感じました。
シンプルなストーリーですが、アニメの解像度を上げ下げすることで感情や臨場感が伝わってきます。
月並みな感想ですが青春における音楽の美しさを感じました。コメディもちゃんとハマっていました。バンド名を決めるところのくだりが面白かったです。リコーダーの音色が素晴らしかった!
アヤちゃんが本当に良かった。
この映画を観て感じた事ですが、学生生活や青春を描くのにアニメはとても向いていると思います。
実写では、どうしても美男美女が登場してくるのでかえってリアリティを欠いてしまうのだと思います。その点アニメでは抽象化された背景に完璧な演技をこなす登場人物。鑑賞者は存分に映像を補正し、感情移入するでしょう。そもそも青春映画のほとんどはあまりに荒唐無稽なストーリーなのではないでしょうか。フィクションなので、何が起こっても良いわけではありますが、絶対に起こり得ない事を描きすぎている気がします。
そういうストーリーだから実写では違和感がうまれ、アニメではしっくりきてしまう、のではないかとも感じました。
原子心母-タルカス-マインドゲームス-ZEP-チューブラーベルズ-宮殿-Jマクラフリンにヤンハマーもあるでよ!
斜め上から次々と
研二の色気に圧倒された。
彼らにとってのそれは音楽だった。
物語的な意味で最も奇跡を感じたのは研二が音楽室から楽器を拝借するときにギターとベースを間違えたところ。
もしあの時、間違えずにギターを持って行ってたら、鳴らした音を彼ら自身はどう感じただろうか?おそらく気持ち良さよりもそれぞれが抱くバンドサウンドとの程遠さによる失望が上回り、その後、彼らは古武術になることは出来なかったと思う。
彼らが初めて鳴らした音が偶然にもリズムの本質に肉迫したことで、彼らは感動を覚えたし、それは観てる我々にも欠損なしでダイレクトに伝わってくる。
そこに作品的としての奇跡が融合される。絵を観た時、思い浮かんだのはちびまる子ちゃんだ。さらに笑いの部分も「緊張と緩和」的なものが多く、さくらももこ風味を感じた。しかし、彼らの体の動きはそれとは違う。妙にリアルで若干の不気味さを感じる程であるが、それが演奏する彼らにダイナミズムを与えており、日常とのギャップが鮮やかに表現されていて素晴らしい。
ラストのフェスシーンは若干理解不能なことがあったが、原作を読んで確認したい。それでもこみ上げてくる熱いものは何だ?傑作であることは間違いないだろう。
個人的には研二達を見守るアヤの存在感が最高だ。
キング・クリムゾンは聴いたのかな?
カウントなし。「せーのっ!」でいきなり始めるバンド演奏。楽器の何たるかもわかってない3人はツイン・ベースとドラムというファンキーな編成で音楽するのだ。『けいおん』が流行り始めた頃には、こうした何も知らない中高生が楽器を持ち寄り「せーのっ!」で始めるバンドが多かったそうだ。
しかし、彼らの無情な奏でる音楽は不気味ではあるが、70年代パンクをも想起させ、ぶっとんだ単音のみを延々と続けるストイックさが際立つ。和音?メロディ?ボーカル?そんなもん要らない!内に秘めたる鬱憤を楽器を使って爆発させるのみなのだ。「古武道」というバンド名も笑ったが、「古美術」というバンド名はもっとウケる!彼らに自分たちの音楽を聴かせると、森田くんの頭の中はピンクフロイドやツェッペリンもぶっ飛ぶ妄想世界へ・・・
7年もかけたという、特殊な手法を使ったアニメばかりが話題になるが、音楽的にも凄いものがあった。何も知らない者の強味でもあるのだけど、ソレが森田を動かした。町内会レベルのフェスではあるけど、誘わずにはいられないほどだったのかもしれません。そんな森田もビラ配りでのパフォーマンスが最高潮に達するのです。
バンドものにはありがちな、時間が迫っているのにリーダーが来ないパターン。しかも「飽きた」と言ってベースを止めてしまった研二。波乱を予感させるが、彼の次なる興味はリコーダーに移行していたのだ!もう、不良ライバルの大場なんて目じゃない。クライマックスのフェスは想定外の展開となる・・・あぁ、これは実写化しても楽しそう~♪
昔のロック小僧にはジワります。
お腹いっぱい&仕事疲れ&劇場暖かすぎ、によりちょくちょく寝落ちしま...
意味と『音楽』と。
もしも僕に音楽の才能があって、音楽を作ったり演ったりするとしたら、
作る音楽や、その活動に対しても、とにかく「意味」を込めたり乗せたりするんだろうなと思う。
僕が映画を好きなのも、映画の中からメッセージなり社会批評性なり教訓なりの「意味」を見つけ出して、それを言語化して、自分の思想や生き方にフィードバックしていこうという「下心」というか「貧乏性」があるからだ。思えば自分の仕事や人間関係や、日々の幸運不運にまで「意味」づけをせずにはいられないでいる。なんだか少し窮屈だな、という自覚もある。
映画『音楽』は、
「ある若者が音楽に出会い、音楽を介して仲間とつながり、その仲間との音楽活動が進んでいき、途中で挫折や諍いなどの障害がありながらも、最後はライブなりコンテストなりで最高のパフォーマンスを成し遂げる」
という、「音楽モノ映画」としてはテッパン中のテッパンな物語だ。
でも、そのテッパンな要素のひとつひとつに、「意味」を込めたり乗せたりしていないのが、映画を観る側にとっては心地いい。
主人公にとって音楽とは自己開放や自己実現だとか、
バンド活動することが、友情の証だとか夢の共有だとか、
途中の挫折は主人公が音楽を純粋に愛せているか否かの葛藤だとか、
クライマックスのパフォーマンスシーンの感動は、それら友情や夢や自己実現の素晴らしさだとか。
そういう「意味」に感動して僕は、『はじまりのうた』や『パティケイクス』や『グレイテストショーマン』に泣いた。
しかし『音楽』では、主人公が音楽を始めるのも「なんとなく」だし、仲間たちが音楽を続けるのも「なんか気持ちイイから」だし、主人公がいったんバンドから離れるのも「もう飽きた」からだ。その登場人物と音楽との距離感は、観客に感動のカタルシスを約束しないけど、それに代わる「何か」を教えてくれる。
その「何か」が何なのかと、また意味を見つけ出そうとしてしまうけれど、それを必要としないのが音楽の良さであり、また『音楽』の良さなのかもしれない。
観た。原始音楽の凄さ。
めっちゃ笑えて、ちょっと泣きました。
ポチっとな。
太古の音楽
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