気狂いピエロのレビュー・感想・評価
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“ヌーヴェル・ヴァーグの傑作”はツマラナイ
『勝手にしやがれ』と連続で観たけれど、これまたつまらない映画だった。
スチールや予告編からは刺激的で惹かれるものを感じたのだが、本編はやっぱり退屈だった。
マリアンヌが「ピエロ」と呼ぶたびにフェルディナンが自分の名前をいちいち言い返すところと、終盤登場する頭のおかしな男に「具合でも悪いのか?」と訊くところは笑ったけれど、あとは楽しめるところはほとんどなかった。
本作にも『勝手にしやがれ』と同様、ピカソの作品が何度も登場するが、ゴダールはピカソのファンだったんだろうな。キュビスムにも刺激を受けたのかもしれない――って、そんなことはどうでもいいや。
とにかく“ヌーヴェル・ヴァーグの傑作”は、心躍るものも、胸に迫るものも僕に与えず、映画館の暗闇に消えていったのでありました。
1965年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️⭐️✨
この作品を初めて観たのは大学時代。
もちろん、リバイバル上映だった。
それ以来の鑑賞…。
当時初めて観た時の感想…
感想なんてものは湧き上がって来なかった…
ただただ、戸惑いと焦りだけ。
インターネットも何もない時代、何の予備知事もなく、この作品を観た…。
スターウォーズの新作でも観るように(笑)
今はせいぜい、鑑賞前にちょっとした心構えが出来るぐらいかも知れない…。
でも、
ただ昔と違うのは、また観てみたいと思わされたことかな…。
惹きつけられるものが確かにある。
*ヌーベル・バーグ作品って、公開当時に観てこそ、面白かったんでしょうね。
*今回4Kにレストアされたことによる記念上映にて鑑賞。この作品と『勝手にしゃがれ!』の2本立てで見たけど、我ながらよく観たよな(笑)…もちろん、途中で寝落ちすること数回…ゴダールを正しく鑑賞出来たようです(笑)
これは、エグすぎる。
なんだよ、これ。
ヌーベルバーグ侮ってたよ!
35でこれ作っちゃうとかさー、怖いよ
ただ、後半のだれ具合も半端じゃなくて
90分くらいで良かったのでは?
とこの作品に関しては思う
間延びしていた。
ラストの音楽が聞こえ続けてしまう男とか
秀逸だよなー
ジャン=ポール・ベルモンドの
佇まいってなんなの!
反則級の無感情
にも見えて
病んでるようにも見えるからずるいよなあ。
やっぱり、永遠…
39年ぶりに観た。
あの当時の劣化が酷かったフィルムにも今思えば独特の味わいがあったとも言えなくもないが、やはり綺麗に修復されたレストアは嬉しい。特にハイキーな画面で消えかかってていた字幕はデジタル化で格段に読みやすくなったし。
おそらく、これで本来の光、本来の色彩に限りなく近づいたのだろう。
アンナ・カリーナのアノ瞳やアノ唇に、あの肌の色合い、60年代のアルファ・ロメオに、ベルモンドのペンキ顔、南仏の眩しい太陽!あの海や空の青さ!
今さら言うまでもないが本当に凄い映画を作ったものだ。
もちろんゴダールが本当に凄いのだが、彼の無茶振りなディレクションに見事に反応して駆け抜けて行ったベルモンドやアンナ。
そして、なんと言っても撮影のラウル・クタール!
本物のスタッフとキャストが、然るべきタイミングで、然るべく出会って、然るべき作品が出来上がっていくエポックな素晴らしさ。
こんなの観てしまって、すっかり撮る気なくしてしまった当時の映画作家たちも結構いたんでは?
あるいは、逆に中途半端なフォロワーを世界中で生んでしまったか?
しかしゴダールの映画は本当にゴダールにしか撮れない。
あのコラージュと多彩な引用とギャグで独自のフィクションを疾走していく飄々としたカッコ良さ!
映像作品なのに、どこか音楽作品を体感しているような気分。
つまり一貫して詩的で、しかも数学的。
編集のセンスが本当に突出している。
あのラスト、ダイナマイトを括り付けるシーン、記憶の中では、もっと突然アレよアレよとういう間に一気にテンポ良く爆発にまで至った気がしていたが、記憶なんて結構いい加減なものだ。
もちろん顛末を知っている以上、初めて観た時の衝撃は、もはや体感できようもなかったが、やはり多感な10代の頃に観ていて本当に良かったと思う。
でもなあ。やっぱり字幕は昔の山田宏一版が良かったような…
39年前じゃ殆ど覚えてないが…
最後のランボーの翻訳、
やっぱり、あの爆発の後、
アンナの声で囁いて欲しいのは、
「海と溶けあう太陽が…」
じゃない?
P.S.
後日、今回のパンフレットの寺尾次郎氏の解説を読んだら、ラストのアノ詩、実はあの有名な『地獄の季節』からの引用ではなく、その『地獄の季節』の発表の前に試作されていた『永遠』(確か中原中也が訳していた)からの引用だった。
『地獄の季節』だと
C’est la mer mêlée
Au soleil.
になるが、
実際に引用された『永遠』の方だと
C’est la mer allée
avec le soleil.
となるのであった。
よって、なんと、公開50年以上も経過して、やっと本来の正しい翻訳となっていたようだ。
いやあ… これはチョット驚いた。
殆どの日本人は気付いてなかったのでは?
映画の後半では、何度か「地獄の季節」とフレーズがインサートされてたから、これまでの訳者は皆んな小林秀雄が翻訳していたアレだと思い込んでいた訳だ。
たぶん、おそらく(というか他には考えられないが)敢えてゴダールが、試作であった「la mer allée」の方を選んだのは、きっとアンナとの別れに対する万感の思いだったのかもしれない。
今回のリバイバルの宣伝コピーにあった「息苦しいほどのロマンチスム」とは、まさにこのことだったようだ。
しかし、でもなあ…
やっぱり「la mer mêlée」の方が圧倒的にいいと思うんだよなあ。
ランボーだって結局は、そう思って試作からアップデートさせたんだろうし。
詩それ自体もそうだけど、あのラストにも、ありえないくらい奇跡的にピッタリだったと思う。
まあ、こればっかりは、好みの問題か。
Elle est retrouvée !
— Quoi ? — l’Éternité.
C’est la mer allée
avec le soleil.
Elle est retrouvée !
— Quoi ? — l’Éternité.
C’est la mer mêlée
Au soleil.
「ピエロォ」「フェルディナンだよ」
女友達と観に行く。映画館を出た後に感想なんて一切いらない。歩きながら女友達は僕に笑顔で話しかける。
「ねぇ、ピエロォ」
「えっ?…フェルディナンだよ」
と僕も笑いながら応える。
そんな映画です。
映画が「七番目の芸術」と呼ばれるゆえん。
今年139本目(合計413本目/今月(2022年5月度)16本目)。
大阪市ではだいぶ遅く、今週(13日)の週から。
かなり古く、50年近く前からある映画のリマスター版という扱いです。もっともリマスター版なので、ストーリー「それ自体」にあることないこと書けないし、基本的には誤字脱字などを除けば当時のままなのでしょう。
まぁ、良くも悪くもフランス映画なので、(さらに50年以上前という作品という事情もあって)「よくわからない展開」が続きます。さらに視聴者に問いかけるように哲学や文学の話題をどんどん出してくるので(ただし、ストーリー上関係はしても、理解しないとわからない、ということはほぼない)、俗に「映画が7番目の芸術」と呼ばれるゆえんなのかな…という印象です。
ストーリーというストーリーはちゃんとありますが、なにせ50年以上前の作品という事情おあるので、あっちこっち展開が飛んだりすることはない一方、上記通り、突如哲学・文学の話をしてきたりと妙に理解難易度は高いです。フランス映画って何らかの意味で視聴者の理解力を試すような映画が多いのですが、この映画(リマスター版ですが、元作品から大きく変わってはいないはず)の時代からもそうだったのね、というところです。
まぁ、ある意味(現在の視点でいえば)珍妙なストーリーでやることすること変(支離滅裂というのではない)というのはありますが、今と50年前とでは国も違えば、そもそも「年が違いすぎて常識論がそもそも論じられないのだろう」というところはあります。
アマゾンプライム等で(リマスターではない)ものは観ることができるようで、結局そうするとネタバレになりかねないところもあるので、あまり書かないようにします(といっても、この映画も結構「変」なので(「支離滅裂」ではない)、ストーリーというストーリーを説明しろ、というほうが無理じゃないかな…と思える点はあります。
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(減点なし/他事考慮(映画館の配慮不足))
・ 過剰な「言葉狩り」には私も賛成はしませんが、この映画は当時の復刻版だから出せたという事情もあり、タイトル名がやや「特殊」な一面もあります。しかも公式サイトや色々な映画のレビューサイト(ここ以外)やなどを見ると、この映画の「公式の想定する「ただしい読み方」」は、購入する前からわかってしまいます(そして50年前でもあるまいし、スマホで映画館に行く前でも調べることは可能)。
ただ、この映画は…まぁあえて書かないことにしますが…とある「このタイトルそれ自体ですね」…に一部やはり不穏当な部分があり、ミニシアターで観たのですが、指をさして「このピエロのお願いします」っていったら「正式名称でお願いします」って言われるんですよね…。
そりゃ、それこそ(2022年)、ちゃんと言わせないと後から言った言わないのトラブルが発生しうる点(つまり、映画館とお客のトラブルの論点)もわかるのですが、ミニシアターに行く人ほど顔なじみの人が多くて、「あ、あの方また来てる」っていうのは多分あるんじゃないかな…と思うんですよね…。
そうすると、こちらも「取り巻く諸般の事情」を鑑みて配慮しているのに(当時は身体障害者手帳しかありませでした)、待っている方にも「当事者」はいるともいないともわからず、そこを配慮したらそう言われるのなら、どうしろというのが正直なところです(正直、特殊な論点。極論、スマホで「これと同じのをください」とでも言えばいいのか…?)
※ 実は、いつも行くミニシアターの予約サイトがメンテか何か、先にすすむことができなかったのです。
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ベルモンドの八方破れ逃避行
ゴダールの初期の作品だけど、さすがヌーベルバーグ、映画の文法を無視したような作り方でとってもわかりにくいです。男女の逃避行を映像イメージやセリフ重視で描いているけど、なんかとっ散らかった印象です。とは言え、若い男女の行き当たりばったりで八方破れの感じは良く出ていて、ここらへんは主演のジャン=ポール・ベルモンドのキャラに負うところが大きいです。ファム・ファタルのアンナ・カリーナもインパクトがありました。
革新性を求めた評論家が映画を撮るとこうなるといった作品
30年以上前に鑑賞して以来だが、2Kリマスターというものだと映像が美しすぎて作品との相性はどうかと思ったが、海、空、洋服、ペンキ、ダイナマイトなどの原色が鮮やかに映え、古いテレビとレンタルVHSでの初見とはまた違った印象だったため、改めていま劇場鑑賞して良かったと思った。
終始、詩的で哲学的な会話が繰り返されることから、登場人物達がシチュエーションに見合ったリアクションを取ってくれず、観ている側が当たり前のこととして期待するやり取りにはならないため、意味がわからんという人がいるのは仕方がなく、映画を難しく考え始めた時代の代表作であり、当時としては最先端でシャレオツで極めてアーティスティックな作りであった事は理解した上での鑑賞がマストな作品かなと思う。
本作は世界中の数多の評論家や先生達が批評し論じていることから、作品の本質や作り方などついて何かを言う事は控えるが、現代においても色褪せず誰もが面白く鑑賞できる作品かというとそうではなく、その時代であったからこそその時代の知識層に評価される類の最高峰の作品であった事は間違いないのではないかと思う。
しかしながら作家性が前面に出過ぎて鑑賞者に寄り添うようなエンタメ性が全く見られないところや役者の個性を活かしきれていない印象があり自分には合わない映画である事を再認識した。
ジャン=ポール・ベルモンドはゴダールと共に世に出たと言っても良い役者だが、きっちりとスーツを着て、髪型もこざっぱりとしているにもかかわらずちょい悪感を醸し出しているところがカッコいい。
拗ねた顔立ちとタバコがそう見せるのかはわからないが、この作品を機にゴダールと決別したというのは何となくわかるような気がした。
余談だが、
ピエロと呼ばれ必ずフェルディナンだと言い返すのは「児島だよ」的で好きなシーンだが、楽屋落ちか何かと思うのは単なる深読みだろうか。
これが金字塔の作品か? う〜ん。
私は名ばかり有名なこの作品を一度も鑑賞していなかった。たまたま、NHKBSで「勝ってしやがれ」放送された時、初めてゴダール作品を観てその新鮮さにえらく感動したことを覚えている。数年前だったと思う。
「気違いピエロ」が2Kレストア上映されると聞き、待ち遠しかった。見終わって、これがヌーベルバーグの金字塔作品とは思えませんでした。「勝手にしやがれ」の方が相応しいと感じる。
60年前の初回上映時、この映画が若者たちに支持された理由は分かる。現状に満足できず、生きている今この時に生の充実感があれば、過去も未来もどうでもいいと気持ちを代弁しているからです。
プロの映画作家にとっては、こんな演出方法もあるのかと、目から鱗が取れたような気持ちでしょう。
役者自身にたぶん即興的な演技をさせる。台本もあるにはあるが、現場で書き換えているような感じがします。
有名な画家や文学者の名前がたくさん出てきます。知的スノッブ達に、この映画の良さがあなたは理解できるのかとエサを与えているようにも思えます。
60年経過しても、カメラアングルやカメラワークは色あせていません。音楽も素敵です。ベルモントは適役ですし、カリーナも美しい。感性だけで作られた映画に思えます。ですが、私に肝心な感動を与えてくれない。金字塔作品には私には思えませんでした。
若い時に観たら、違っていたかもしれない。
66歳のおじいさんには、難しすぎたかも。でも映画館には、高齢の方も多かった。若い時に観たのをもう一度観て観ようと懐かしさもあったでしょう。
【35歳のゴダール監督がシナリオなしで、即興演出で撮影したアヴァンギャルドな一品。】
ー 今作は日本では1967年に公開されている。つまりは50年以上前の作品である。
だが、今作の色彩や演じるのアンナ・カリーナ、ジャン=ポール・ベルモンドの、無軌道な若さ、愚かさが見事に描かれている・
35歳のゴダール監督がシナリオなしで、即興演出で撮影した作品だそうであるが、故に映画のストーリー展開は粗いが、爆発的な魅力がある。
特に、ラストシーンの破滅的なフェルディナンの行い・・。
憶測だが、2022年、今作が劇場公開されたら、ここまでの評価は得られないと思う。
だが、50年以上前の作品として、今作を鑑賞すると、そのインパクトは凄いと思った作品である。
■妻との生活に退屈し、逃げ出したい衝動に駆られていたフェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)。
ある夜、彼の家にベビーシッターとして現れたのは、かつての恋人・マリアンヌ(アンナ・カリーナ)だった。
フェルディナンは彼女を車で送り、そのまま一夜を共にする。
翌朝、彼女の部屋には男の死体があり…。
<2022年4月29日 2Kレストア版として劇場にて鑑賞>
哲学書の見出しっぽい語り
哲学書の見出しっぽいことをセリフで語ったり手帳といいこれがスノッブなカッコよさなのかな。映画的に楽しめたのは、ボーリングと車奪取の音ネタ。ベトナム人ネタはきつい。アジア人差別描写は巨匠だろうが忘れないようにしないと。差別されて喜ぶような馬鹿じゃないんだから。フランスではこういった表現をアジア人に対してしていたことを覚えておこう。古い映画を観ると勉強になります。ベトナム戦争には反対しますが、民族に対する目線は黄色塗りでヤーヤーですか。
今観ると面白い
50周年2kレストア版。
学生の頃に有楽町シネマで鑑賞していて(今回観たヒューマントラストと同じ場所にあった)その時は退屈で眠気ばかりだった印象だったけど、今見るとすごく面白い
多様化して変な作品ばかり見ていた目には音楽や映像のゴダールっぽい挿入は今見るとスタイリッシュで
ちゃんとピカレスクで無軌道な逃避行アクションになっていて、アンナカリーナがおしゃれで可愛い。
久しぶりに「私の運命線」の歌聴いたけどアンナの動きが超絶可愛いぃ
レストアされた画面は鮮明で美しい。今観れてよかった
アンナ・カリーナの腰のライン
うーん、これがヌーベルバーグの金字塔か。
56年前の映画にしてはオシャレ。
小難しいセリフはわかりませんでしたが、どうしても自分のペースに持ち込みたい二人の駆け引きで進んで行くシュールでアナーキーな雰囲気は70年代以降のドラマなどにずいぶん影響を与えた気がします。
ジャン・ポール・ベルモントが好きになったので、勝手にしやがれも観ようっと。
白人の黄禍論にしか見えない。
やっと見終わった。疲れた。
何が傑作なのか僕の感性では理解できない。
マルセイユの軍港に浮かぶ軍艦が背後に視えるので、多分、ベトナム戦争に抗議しているのだろうと思ったが、ホーチミンをディスったり、ベトナム解放戦線をベトコンと差別したり、黄色い顔の女性に訳の分からない言葉を喋らせたりして、白人の黄禍論にしか見えない。よくよく考えてみたら『勝手にしやがれ』と話の流れが一緒だと思う。映画館に行かないで、1500円のディスクを買って、3時間かけて睡魔と戦いながらやっと見た。もう二度と見ないと思う。
僕の感性が些か異常なのかもしれないが、この作品も手放しで大傑作とは言えないと思う。
2回観てみたら違って見えた
1度目は字幕を追うだけで意味不明。複雑なストーリーは見当たらなくて混乱したけど嫌いじゃなかった。
2度目は字幕を気にせずにフランス人が観ているであろうこの映画は美しく揺らめく映像と声と刹那的な男女の物語。全体に悲惨と明るさが同時に流れる、フランス人だったらどれほど憧れたろうかと想像する。見応えがあったし、常識が破壊されて心地良い。
監督の自己陶酔型映画
原題の直訳に近い差別用語を使ったタイトル、テレビだったら確実に放送禁止用語だ。この時代だったらOKだったのか?
一般的には名作と言われているらしいが、残念ながら私にはこの映画の良さが全く理解できなかった。他の映画もそうだったが、どうもゴダールは私の感性に合わないようだ。
本を読むように流れる頭の中が遊び
詩を考えるように、本を読むように遊ぶ本気
頭の中を出し切るとこのようになる
まだ、知らない世界が、たくさんあると期待しながら、いらついたフランスの人の自虐
遊びたい、世を制覇したい、欲望が鮮やか
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