アイたちの学校
劇場公開日:2019年6月15日
解説
朝鮮学校の歴史と現状を描いたドキュメンタリー。1910年の韓国併合から110余年。戦後、各地に国語講習所が設立されてから70余年。在日朝鮮人たちはさまざま差別と戦いながらも、アイ(子ども)たちの夢を育てるため、朝鮮学校という幼稚園から大学にいたる民族教育事業を続けてきた。しかし、2010年に日本政府は高校無償化制度から朝鮮学校を外し、地方自治体も次々に補助金を打ち切るなど、近年の朝鮮学校を取り巻く環境は厳しく、朝鮮学校は裁判闘争に立ち上がる。そんな朝鮮学校にまつわる知られざる歴史的資料や証言を発掘し、100年におよぶ差別との戦いを浮き彫りにする。朝鮮大学出身で、ジャーナリスト、ノンフィクション作家として在外朝鮮民族問題を専門にしてきた高賛侑が、初めて映画監督を務めた。
2018年製作/99分/日本
スタッフ・キャスト
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いろいろ歴史的な背景など書いておきたいこともあるのですが、そういった歴史や政治のことに詳しくない僕の率直な意見としては、朝鮮学校を無償化してもらえないことに不満があるなら母国に帰ればいいんじゃないかと思いました。あるいは普通の日本の公立学校に通えば解決するかと。仮に公立学校だと差別を受けるというのであればそれは日本人の差別意識そのものが問題であって、公立学校などでいじめや差別されるということを糾弾するのであればまだ理解できます。日本には日本の秩序や法律、様々なルールがあります。韓国人に限らずあらゆる人種や民族にそれをうけいれてもらえれば一番いいですが、不満をいだく人もいると思います。だったら僕はいつでも母国に帰ればいいと思います。もちろん理不尽な差別などは無くしていくべきなのは当然です。
このような感情的なドキュメンタリーが作られている時点で、いつまでも互いの溝は深まるだけかと
歴史の勉強になり、朝鮮学校を建てた在日1世の方々がどれだけ学校を大切に思っていたのかが、とても丁寧に描かれている、いい映画だと思いました。
たくさんの方々に観てもらえたなら、朝鮮学校への理解が深まると思いました。
2019年9月25日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
4度見る機会がありましたが、見るたびに新鮮でした。あれだけの歴史資料が良く見つかりましたね。関係者の皆様の尽力に頭が下がります。70数年愛しい子どもたちの笑顔を守ろうと戦ってこられた在日同胞の皆さんの深い想いが含蓄された映画でした。子どもたちの笑顔、学ぶ権利を誰も奪う事は出来ない!
2019年6月3日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。ここがこの作品のテーマであると思う。そしてそれを深く抉るドキュメンタリーを期待したのだが・・・
想像するに、今作品に匂う“活動費”目的みたいなものが、仕方がないのだがその作りに始終しているように思われてならない。高校無償化の対象外という状況に追いやられた学校がその窮状を訴えること、そしてその活動費の捻出の為という形での映画制作が容易に透けて見えてしまうのは、一映画ファンとしては寂しい限りである。勿論、その状況や、過去の歴史等を鑑みるに、訴えること自体は否定どころか応援をしたい気持である。但し、ドキュメンタリーもどんどん進化をしている。昔のような“某国営放送が制作した品行方正番組”という殻から脱皮して、モキュメンタリーを隠れ蓑に本当は裏の裏は表的アイデアで作られるモノや、一筋縄ではいかない印象の転換を随所に盛り込む構成、それこそマイケル・ムーアが得意とするフォーマットも用いられることができたのではないだろうか?鑑賞後の感想は正に免許センターで更新講習を受けた際のビデオ鑑賞そのものである。何よりもつまらなくさせたのは、都合の悪いところを隠したこと。お涙頂戴、子供には罪はない、勉強する権利の要求、そして何より歴史の引っ張り出しを重ねる毎に、彼らの世界では溜飲が下がるだろうが、益々日本人との溝は深くなるのではないだろうかと、些か心配さえ覚えてしまう。
ドキュメンタリー中に出演する、アイドルのような女優志望の女学生、東大に入った男の子、プロサッカー選手や、サッカー北朝鮮代表に選出された女学生。その他、映像で流れる華やかなクラブ活動等々。そんな学校紹介の合間に過去の悲惨な歴史をミルフィーユのように挟み込む作品構成は、唯々、観客を飽きさせる展開だ。前述のいう例として、“首領親子”の肖像画はなぜない? せっかく『パッチギ!』を制作した会社の紹介をするのならば、品行方正の方の学生だけではなく、不良連中のこともクローズアップすべきでは?そして一番の問題は、金の流れをきちんと表明すべきでは? と多分彼らにしてみれば耳の痛い話だし、そもそも自分たちで作る内容にわざわざ自分たちを陥れる要素をいれる必要もないのだろう。となると、どうエクスキューズしても今作品は体の良いプロパガンダ映画の類としてのレッテルがついて回ると思うのだが・・・戦後の差別問題の根源はGHQからとか、自分にとって新しい情報が得られたことは興味深かったのだが、ならばなぜアメリカはその方向に向かったのかの理由も組み入れる必要があったのではないだろうか。ヘイトスピーチの映像も、これこそスリリングな画だった筈なのに効果的に使われていない。学校宣伝のシークエンスがあれだけ多いと、これは想い出作りの一環?といらぬ勘ぐりまでしてしまう始末。
そもそも、冒頭で書いたように、今作に於けるキモは、“民族=アイデンティティ”を理解して欲しいという事なのではないだろうか?それとも本当に学校無償化問題をどうにかしたくて今作品を作ったのか?
多分、今作品の有り様そのものが現在日本人がなかなか寄り添いにくい問題点を現しているのではと感じざるを得ない。余りにも感情ばかりが先走りしていて、理性と論理を丁寧に紡ぎ出しながら、そして少しのウィットと自虐を放り込みながら観て欲しい観客に寄り添える作りでなければ、何一つ共有できないし、カタルシスもない。
観客は“にっくき日帝”なのではなく、喩え幻想だとしても世界平和を願う庶民一人一人である。自分たちの近所だけで家庭用ビデオカメラで作成した作品を上映してその後飲み会を開くなんてレベルではない筈。自分たちの不遇の歴史は、今の日本人には分らないし殊更押しつけることでもない。大事なのは一緒に共生する“未来”なのではないのか?少なくても“民族=首領様”だと大人達がその世界観を守ろうとするならば、良い答えは得られにくい。一応、自分は募金のつもりで鑑賞したけどね。
PS:自分の感じたアンデンティティはひとえに“母国語”獲得。もうこれ以外に、サッカーや舞踊、その他の才能を得ることなどない一般の人間の唯一の主体なのではないだろうか。そこはキチンと盛り込んであったことは非常に納得出来た。