隣の影のレビュー・感想・評価
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【”疑心暗鬼。そして真の鬼が出る。”夫婦間のトラブルと、隣家との小さなトラブルが積もり積もって、大きな悲劇に繋がるシニカルユーモアテイスト満載の北欧サスペンス。】
■元恋人とのセックス動画を見ていた事が原因で妻アグネスから家を追い出されたアトリ。
彼は仕方なく、両親のもとに身を寄せるが、両親と隣人夫婦の木の影をめぐる争いに巻き込まれてしまう。
アトリが娘のアウサの親権を求めて妻と戦う一方、両親と隣人夫婦とのトラブルもエスカレートしていく。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・私の勤める会社では、北欧の子会社への赴任は禁止している。理由は明確である。北欧は住みよい国ランクで常に上位にあるが、実は日照時間が短い。故に、基本的に日照時間が長い国、日本から赴任すると精神が参ってしまう社員がいたからである。
今作のアトリの両親が、臨家の中年夫婦からの”日が差さないから木を剪定してくれ”と言う言い分は北欧だと、より説得力があり身近な問題であるのである。
・一方、その申し出に対し、アトリの母は反対し、逆に中年夫婦の妻に臨家の夫婦が飼っているいつも苦情を言っている犬の糞を投げつけるのである。
ー 後半に明らかになるのだが、アトリの良心の長男は失踪後に自殺している事が語られる。その事がアトリの母の心を蝕んでいた遠因であろう。ー
■トラブルは徐々に陰湿になっていく。アトリの父の車の車輪が4本ともパンクさせられていたり、アトリの両親が飼っていた猫が行方不明になったり・・。
一番ゾッとするのは、臨家の中年夫婦が飼っていた犬を、アトリの母が連れ出し、はく製にして中年夫婦の玄関前に置いておくシーンである。
実に気味が悪い。
<そして、中年夫婦の夫は或る夜に、決然とチェーンソウでアトリの両親の庭の木を切るのである。それに気づいたアトリの父はそれを止めようとして、木は倒れ庭にテントを張って監視していたアトリのテントを直撃し、彼は死亡。
その後、中年夫婦の夫とアトリの父はナイフで戦い、お互いに血の池の中で息絶えるのである。
今作が秀でているのは、些細な出来事の積み重ねで、事が徐々に大きくなり最悪の結末を迎えるまでを、シニカルな笑いを漂わせながらも描き切っている点である。>
不協和の音楽がジェリー・ゴールドスミス見たい♥
この映画を隣とのいさかいの顛末と見てもよいが、社会制度と人口密度の低いアイスランドで起こる事件と仮定すると、ほぼ無い話だと思う。つまり、教訓的な話ではない。このパーターンを日本で作れば、現実の方がリアル。ありきたりな話だと思う。
さて、ではこの話のテーマは。
欧州共同体EUの事を行っているのだと思う。
相変わらず国粋主義の復活が目立つ欧州共同体の各国。ヒトラー没後(?そう表現して良いのか?)100年をまたずして、ファシズムは復活する。ファシズムを利用してファシズムが復活しているのだ。どちらが悪いではなく、どっちも悪いのである。
グローバル経済って言っていたのは何年前の事だろうか?寧ろ、国境に壁を建ててお互い干渉し合わないそんな世界を構築すべきなのかもしれない。
IKEAはスウェーデンの会社でこの映画の舞台はレイキャビク近郊である。
地球は『猿の惑星』になりつつある。従って、ジェリー・ゴールドスミスなのである。
予想できない結末へと ゆっくりとじっくりと物語は進んでいく。 緊迫感が途切れない。 サスペンスものとして秀逸な脚本だと思う。
動画配信で映画「隣の影」を見た。。
劇場公開日:2019年7月27日
2017年製作/89分/アイスランド・デンマーク・ポーランド・ドイツ合作
原題:Under the Tree
配給:ブロードウェイ
聞いたことのない言語。
少しドイツ語っぽいがドイツ語ではない。
アイスランド語らしい。
アイスランド語は、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派北ゲルマン語群に属する言語。使用範囲はアイスランドのみで、使用人口は約30万人。
夫は以前の彼女とのセックスビデオをパソコンに保存していた。
ときどきそれを見て楽しんでいた。
その光景を妻に見られた。
嫌悪した妻は怒りが収まらない。
夫を家から追い出した。
居場所がない夫は両親の家にいることにした。
両親は隣家の住人夫婦から
自宅庭の木の葉が影になって
日光浴の妨げになっているとクレームを受けている。
夫の母親はイヌのフンのことで逆に隣家にクレームを言う。
両親の車のタイヤ4本がパンクさせられる。
両親の飼っているネコがいなくなる。
誰の仕業なのか定かではないが、
隣家の夫婦の嫌がらせだと決めつけ、
お互いの応酬が止まらなくなる。
そして予想できない結末へと
ゆっくりとじっくりと物語は進んでいく。
緊迫感が途切れない。
サスペンスものとして秀逸な脚本だと思う。
アイスランドのアカデミー賞にあたる第20回エッダ賞で、
作品賞や監督賞など主要7部門を受賞した。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です
理解に苦しむ
とりあえず全員が全員人の話を聞かず自分のことばかり考えている。それぞれが関係を良くしようとするのではなく、やられたらやり返そうと無駄な行動力を発揮している人達にえっ、、となった。巻き込まれて犠牲となった子どもと犬と木がかわいそう。
少しでも話し合いを行えば、相手への思いやりがあれば、心に余裕があれば、、と自分は気をつけようと思える作品だった。
どうしてそんなにバカ息子?
スタートから息子がアホすぎておいおいおーい!と思ってたらあそこの息子と両親は現地では有名なコメディアンだそうで、そういう一面を知ったうえで見ると笑える配役なのだろうか。
あれリアクションがもっと大袈裟ならコメディでいけるんだけど、あの静かに不信感と怒りが沈殿していく感じは怖いよね。
2つの家族の間に起こるトラブルだけど、全てがお互いに対しての嫌がらせでは無さそう。あの静かな住宅地に他にこっそり嫌がらせしている人がいると思うとそれもまあ怖い怖い。
個人主義の悪い部分がよく描かれている。
オチは予想通りだった。北欧の映画はくらいものが多く暗い展開を予想していたがここまでとは思わなかったが。北欧の行き過ぎた個人主義の悪い部分がリアルに描かれた作品。長男を亡くした老婆がとにかく不気味。
僅かな歪みがすべてを壊していく
疑い出したらどんどん細かいことまで気になりさらにエスカレートしていく負の連鎖の怖さを描いている。
そして最後には最悪の結末が…
いかに相手を信じられるか。本当に大切なものは失ってからしか気づかない。
IKEAが全然和まない。
初めは隣の家の木が伸びているのを少し注意する小さなことから始まるご近所トラブルがあらぬ方へと向かうサスペンス。
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このご近所トラブルと並行に気を注意される家の息子が元恋人との行為中の動画で自慰をしていたことを奥さんにバレて別居中というストーリーが進行するのだけど、このご近所トラブルと夫婦の問題、どっちも話し合いがちゃんと出来ていない。
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しかも息子はご近所問題に割と冷静に物事をみれるのに、自分のこととなるとできないし、息子の奥さんの話をちゃんと聞きに行って間に入れるお父さんも隣の家にはそれをしない。
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私は気が小さいので家族とか知り合いに注意されるより全く知らない人に注意される方がビビって結構譲っちゃうけど、この2軒の家の住民お互い気が強すぎて笑う。
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娘に合せてくれないから勝手に幼稚園から連れ出してピクニックに行ってたら昼寝しちゃって戻ると言っていた時間に遅れて責められて、「IKEAに行ってただけだ!」ってキレてたのなんだかんだまだ平和だった(笑).
隣人という異世界
犯罪の報道では、近隣住民が、取材される。
そのとき、かならず出てくるのが(その犯人が)挨拶をしたか・しなかったか、である。
「きさくに挨拶をしてくれるひとで、(ニュースをきいて)びっくりしている」とか。
「たまに会っても、ろくに挨拶もしないようなひとでした」とか・・・。
これが何を意味しているかというと──それほど知らない人、隣人のような者たちにとって、その人の価値は、挨拶をするか・しないかに集約される、ということだ。
個人主義な傾向のある現代人の暮らしは、ごくせまい家族・知友たちとの立脚地を抜け出せば、厖大な他人に囲まれている。
現代は長屋のような相識性もないし、都市部なら自治体もない。
──ならば、挨拶をするか・しないかは、ほぼ社会における、わたし/あなたの価値と言えるもの──ではなかろうか。
その判定に不満を言えるだろうか?
しかしこれには大きな矛盾がある。
アパートで、隣人とうかつに会話を交わすのは、適切ではないからだ。きょうび隣人だからといって、男が女に、いきなりこんにちはと言ったら通報されるおそれだってある。常識である。
わたしのアパートの両隣にも、階上下にも、知らないひとが住んでいる。
わたしは、挨拶を(ほとんど)交わしたことがなく、挨拶をしそうな接近があれば、避けたり逃げたりする。
きっと、わたしが何かで捕まれば、近隣住民は記者にたいして「なんか人目をさけるような感じで、ろくに挨拶もしないひとでした」と答える、にちがいない。
しかし、じぶんは、フレンドリーではないが、偏屈というわけでもない。
わたしは中産よりも低い階級で、住宅地や、高級マンションのコミュニティとか──のことは解らないが、低層階級で賃貸に暮らす庶民ならば「なんか人目をさけるような感じで、ろくに挨拶もしない」態度は、すこしも珍しい態度でははない。
たいていのアパート生活者にとって隣人と仲良くなるなんて絵空事である。面識することさえ、億劫なものだ。
それゆえ犯罪の報道で、近隣住民が、挨拶したとか、しなかったとか、言っているのを見るたび、わたしは「ああ、おれ犯罪者だわ」と思うのである。
ところでアパートや賃貸ならば、まだ逃げ道がある。隣人が嫌なら、最終的には引っ越せばいいからだ。
しかし持ち家となれば、そうそう動けない。まして建てたなら、もう動けない。近隣は、その資性しだいでは、生涯の動かざる厄災になりうる。
そんな映画。
隣人トラブルが、殺し合いに発展する様子が描かれている。
じぶんにそれは起こりえない、としても、そういうことがある──のは理解できる。
概説としてはブラックコメディとなっているが、映画にコメディ要素はない。
コメディ要素はないが、過剰はある。たとえば、昔の浮気相手とやっているところを撮影した動画でぬいている夫──が出てくる。そのぬいているところを、妻に見つかって、別居→離婚へ発展する。コミカルというよりバカっぽいが、なんとなくこんな奴もいるだろうという感じはあった。
他人がやることが全く理解不能なばあいがある。とくに隣人のやることは、全く理解不能である。人より引っ越しをしてきたわたしはよく知っている。隣人というものは、かならず、まったく予想もつかないことをする。なんていうか、そういうもの──なのである。
映画では、その断絶が描かれている。隣人のトラブルは、人種とも、人間の気性にも関係がない。「となりはなにをするひとぞ」は、その環境を持っている生活者の消えない命題である。
消えた猫に吠えない犬(フライヤーより)
アイスランド・デンマーク・ポーランド・ドイツ合作
合作でなんてゆう作品作ってるの~💦💦💦
後味悪いわ~(´д`|||)
いやいや💧
人間関係、気を付けないとね(^_^;)
タイトルなし
🌲🐈️🌲🌳🌲🌳🌲
こんな隣人は嫌だ
🌲🌳🌲🌳🌲🐕🦺🌲
ありがちな
隣人とのトラブルから始まる負の連鎖
これは
シュール…ブラックコメディ…サスペンス
人が怖い映画です🧟♂️
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SKIPシティ国際Dシネマ映画祭
「あの木が邪魔で」のタイトルで出品
監督賞受賞作
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⚠️ペットを飼ってる方は鑑賞注意
どこにでもある日常
何となく結末は分かっていたが、後味は悪い。この映画は小さな歪みがやがて大きな不幸へ変貌していく様を描いている。長男失踪で心に闇を抱える母親、不妊治療でストレスを抱える隣家の妻。互いのストレスが隣家に向かい、次第にエスカレートしていく。最初は隣家から庭の大木のせいで日光浴ができないから切ってくれと依頼されたことが切っ掛け。片や、庭に隣家の犬が糞するのが気に食わない。どこにでもある些細なことだけど、隣の家にされたら困ることだ。初めは妻同士がいがみ合うが、次第に夫同士もいがみ合う。しかしながら、飼い猫の失踪を隣家の仕業と勘違いし、隣家の犬を剥製にしてしまうって、この母親かなり怖い。これが引き金だろう。結果殺し合いまで発展してしまう。全く映画だけの世界とは思えない。また、昔の恋人とのいちゃつくビデオを見られ、追い出された夫=次男はかなり情けない。しかも、妻に謝らない。まぁ今リアルに浮気されたわけではないから、そこまでしなくてもとわからんではないが、積もり積もったのだろう。この夫婦も些細な事の積み重ねが不幸を招いている。
隣人トラブルがここまでエスカレートするとホラーだ。 元々の原因は婆...
隣人トラブルがここまでエスカレートするとホラーだ。
元々の原因は婆さんの狂気だが、周りの人間も巻き込まれていく。
広い家で暮らしている海外では騒音トラブルは少ないと思っていたがそうでもないのか。
恐い!
ホラー的な怖さとは違う、猟奇的な怖さとも違う。社会生活の中に潜む恐怖。近隣トラブルは何処にでも起こりうる事であり、この映画のように木であったり落ち葉であったり、ペット、音、、、ホントに色々ある。腹の立つこともあるし、自分たちは気をつけているつもりでもひょっとして気付かず迷惑かけている事があるかもしれない。揉めるのは嫌だし、やはり出来ることならご近所さんと穏やかに過ごしたいから我慢もします。
この2件、ここまで言いたい事言ってしまったらもう修復不可能。家に勝手に入ることも怖いけど、犬の件は恐ろしい。もう超えてしまった。狂気そのもの、そりゃ木を切りたくもなるでしょう。パンクの犯人は結局誰だったのかは気になるが💦
親世代の近隣トラブルと息子の離婚問題とそれぞれ別の話が同時進行。息子も奥さんの職場に押し掛けたり、勝手に幼稚園から子供連れ出したり、呆れることばかり。
ぞ〜っとする恐い映画だった😱
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