ジョナサン ふたつの顔の男のレビュー・感想・評価
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NYらしさを感じさせないNY映画
舞台はNYなのだが、主人公ジョナサンは可能な限り世間との繋がりを持とうとせず、自宅と職場で世界がほぼ完結している。だからこの映画にはNYのランドマークや名所みたいな風景はまったく登場しない。ただ、夜になるともうひとりの自分に身体を明け渡すので、そっちのバージョンだと『タクシードライバー』みたいな映画ができるのかも知れない。 ジョナサンのマンションがあるのはルーズベルト島で、マンハッタンの脇、イーストリバーに浮かぶ細長い小さな島で、これまでも映画の中で見てきたフォトジェニックな場所だが、これまた無記名かつ没個性な場所として映し出されているのが面白い。 場所の無記名性という意味では、セリフの中に「JFK空港」という言葉がなければ、NYという設定すら気づかなかったほど。つまり、ジョナサンの「自分を世間から切り離したい」という想いがそのまま街の描写に繋がっているのだなあ。あの浜辺の現実感のなさも含めて、すべてを心象風景だと捉えて観直すもの面白そうだ。
派手さはないが、巧さとセンスが光る
これらのドッペルゲンガー的な筋書きは小説や映画などで何度も消費されてきたものだが、しかし本作はその路線をただ繰り返す凡庸な作品のように見えて、しかし自ずと光の角度を変え、ミニマムな世界観の外へと連れ出してくれる。 派手さはないが、旨さとセンスはある。恐れ多くもそれほど高い期待値ではなかった私などは、このじわりと洗練されていく展開に「なかなかやるな」と感心させられもした。それゆえ最初の期待は低ければ低いほどいいし、事前に過度な情報や先入観を持つことは厳禁とも言える。 この手の作品はキャスティングでつまずくパターンも多いかと思う。繰り返しの描写によって基調トーンが形成されるので、この「繰り返し」に耐えうるだけの透明感と、癖のない柔らかさは不可欠。その点、アンセル・エルゴートは最適のチョイスだと言える。彼の素の魅力を味わう上では「ベイビー・ドライバー」以上に名刺代わりとなりうる作品である。
スリラー?
私がこの作品をカテゴライズするならヒューマンドラマかな。 殺人が起こるわけでもなく、犯罪を犯すわけでもない。 先天性の多重人格の青年の人格ジョナサンとジョンの対話の物語。 印象的には「五番目のサリー」に近い。 だが、本作は自らの領分と存在に関わる物語ながらも驚くべき静かさを維持してエンディングまで迎えるのが大きく異なる。 開始直後、映し出される2人がまず同一人物とは分からないくらい見事。 髪型などの差異はささいなことで所作がまるで違う。 ビデオレターも彼らの仕組みを理解するまでは、さながらカメラ通話かのよう。 この作品で不確かなのは「ジョン」「ミナ博士」が信用しきれないことと、「3人目の人格」の経緯が不明なこと。 ジョンの生活は彼の報告と町で出会う彼の知り合いの話で非常に断片的。 しかも些細なものではあるが、嘘や申告しないことも多く、強かに羽目を外すタイプ。 2人が母親のように慕い、頼りにする博士はジョナサンの視点ではジョンに傾倒した感触があり、2人の思慕と対称的とは言い難い印象を受ける。 これらをどう判断するかであの静かな物語の結末の感触は変わるのかも。
まるでフランス映画のような静けさと
二つの人格を丁寧に丁寧に描く手法は、一人の演者がやってるとは思えないくらいで、まるで別人にしか見えない。 ここまで違うと、彼女が、 顔は全く同じだが違う人間だろうと感じるのではないかと思う程、ヘアスタイルだけでなく仕草も趣向も生活スタイルも全くの別人。 多重人格 とは言え よくある虐待から起こる後天的なものと違い、赤ん坊の時からの先天性の多重人格。 しかも、それを精神科医が脳をコントロールすべく耳の後ろに昼と夜の棲み分けのための機械を埋め込んで、そしてそれはもう一人のかつていた誰かを消した過去にも繋がる。 昼間しか知らない男と 夜しか知らない男 この部分は非常にSFなのにも関わらず、予告など一切の情報なしに見た私はSFだった事すら、あまり印象に残らないくらいに ひと の精神面を深く描くもののように感じて見終えた。 精神科の女医は、彼をコントロールする機器を埋め、夜の彼の声を聞くために睡眠時間を削り続けた。 彼女にとって彼らは言わば治験者であり、ジョナサンは(たぶんジョンも)彼女を母と慕い感謝し更に医師として完全に身を委ねているが、事実としては実験材料であるのは間違いない。 そしてそれは彼女の子どもが彼女のそういう所業を許されざるもの と感じている事からも 見て取れる。 そういう点は非常に宗教的と言っていい。 映画の素材として昼夜に分けた事が面白いのだが 出来れば日にち単位にしてあげたら良かったのに、と思ってしまう(そうするとジョナサンは会社に毎日出勤出来ないけれど) ジョンに別れを強要したジョナサンがその彼女と付き合う ってこれはもう 別人格なんだからめちゃくちゃ怒るのはジョナサンも御承知 だからこそ言い出せないんだけれど 彼女と会ってる時に、彼が突然 やって来てドアをノックし見つかってしまうのではないかと 思うくらいに 別の彼は確固として存在した。ベッドが二つ必要なほどに。 ジョナサンが存在している時にジョンは存在しない。 ビデオ越しに時間差でする言い争いは 見てる者には臨場感を持って編集されまるで二人存在するかのようだ。 お互いの自我が 成長とともに範囲を広げ 女医が たぶん ジョンの人間性のほうにより惹かれている。 それを感じ取るジョナサンの不安 そしてラスト 交互に激しく入れ替わり 運転手はもはや 何がなんだかわかるはずもなくとまどう その姿を見る側も混乱し 戸惑い 迷いなく立つ彼の口から出る名前に 驚愕し 第三の人物ではないか? いやいや ジョナサンをも取り込んだのか? かつて消された彼か? と素直に 結末の衝撃をすら 受け入れ難いのである。
思ってたのと違うような…
何か観たことあるような…「水曜日が消えた」っぽい。このような一人の中に人格が複数ある作品は双方の間で大きな争いになるようなイメージがある。また予告を見た印象からネガティブな内容の映画かと思ったが、思ったよりそんなことはなく。むしろお互いの愛を強く感じる映画だった。 メインは日中の方のジョナサンであるが、夜のジョンの方が活発でそちらメインのシーンなども観てみたかった。しかしビデオカメラで撮ったシーン以外一切なく、徹底されていてそれもまた面白い。 主役のアンセル・エルゴートの二役演じ分ける難しい役をこなし今後注目したい俳優。
どんなスリリングな展開になるんだろうと期待して見ていたらいつの間に...
どんなスリリングな展開になるんだろうと期待して見ていたらいつの間にか静かに終わってしまった…。
本当はジョンが計画的に乗っ取ったんじゃないか、ドクターはジョンに手を貸してたんじゃないか、最後に残ったのは本当にジョンなのか、いろいろ想像が広がるけど真実はわからないから結局消化不良。
マットボマーがちょい役すぎて驚いた。
見終わった後に不思議な余韻が残る
観客は常に昼の人格目線で夜の人格のジョンの事を知れるのは昼のジョナサンの見るビデオメッセージと第三者からの言葉がほとんど、お互いに顔を合わせる事はないが誰よりも近い関係の兄弟。この視点を絞った見せ方のお陰で、ジョナサンにより近い感覚で物語に入っていける。
私ジョンの感じけっこう好きだったので、彼の生活も見たかったwただこの知りたいけど知れないヤキモキ感とアイツ良い奴なんだろなって想像させるところも話の肝なんでしょう。
自分が認知出来ない自分がいる時間て恐怖もありつつ常に1人じゃない安心感もあるのかも。愛情や競争心や悩みだったり全ての感情に常に相手に居て欲しい気持ちと邪魔に思う気持ちの両側面が同居してしまう感じを体験できて不思議な気分になりました。
ビデオ越しのアンセルの演技が別人で演じ分けが上手いせいで二重人格の説得力が半端なかった。浮世離れした話なのにこの切替の見事さでありそうな事に思えてきてしまう。
全体通して無機質で地味で静かな印象の映画だけれど、この静かに物事が進んで行く感じが常に自分の知らない時間を抱えている主人公の世間から浮いている感じにに合っていて妙にしっくりきて良かったです。
ありそうでなさそうな…
結末がどうなるのだろうと思いながら見ました。双子の兄弟や大親友の恋人を奪ってしまい、後々トラブルになってしまう、それが自分の二面性、もう一人の自分達同士で起きてしまっている。そりゃ、怒るだろうし、もう一人の自分が惹かれる人物なら、もう一人の自分も惹かれて不思議じゃない。しかし、一日を半分分け合って生きていたら、現実に起きていたら、体は持たないな。掛かりつけの医者も当然体は持たない。昼の生活を送る自分の方が色んな面で有利だけど、こんな規則正しい生活はかえって支障をきたしかねない。アンセルはナイーブで壊れそう、やがてトラブルに発展する役はハマり役。ラスト、結局夜の自分が昼の自分を追いやり勝ってしまうのは残念。共存してほしかった。フランス語を話せるのは昼の方なので譲ったとする見方もあるのかな。恋人を昼と夜で分け合うなんて考え方は最低だろうけど、うまく行くにはと一瞬考えてしまった。
昼のジョナサンが好き
ビデオメッセージによるやり取りは面白い設定だと思ったし、昼と夜とで分けてあるのでわかりやすい。しかし、展開がちょっと眠気を誘うようなもので、せめて設計事務所に侵入する様子なんかを描いてくれていたら・・・と。
ドラマなんかで「自分に嘘はつくな!」という台詞はよくあるが、この別人格に対して嘘つき合戦になるなんてのは面白い。まぁ、相手が必要となるので秘密さえ打ち明けられれば、別人格について訊くことこともできよう。また、人格だけが死ぬなんてことは普通の人には考え付かないと思うのですが、喧嘩したり議論するのもビデオを通しての1日おき。かなり辛そうだった。
この手のサスペンスにはやはり大事件が必要かな?淡々としすぎているし、夜のジョンが鬱になるなんてのも博士の台詞だけだし、ラストのタクシー運転手が理解しすぎているのも納得いかなかった・・・
自分が消える
自分の存在が消えることを怯えて、抗っていたジョナサンが、自分が消えていくことを受け容れる。その心情のグラデーションというか、変化をするすると伝える演技がとても自然で、違和感なく見られたのがよかった。エルゴート君の演技力、だと思いますが凄いですね。
ハッピーエンド、なのかしらと考えさせられる奥行きもあります。
崩壊と侵食
WOWOWシネマで鑑賞。
正反対な性格のふたつの人格が、昼夜の決まった時間に入れ替わる。入れ替わっている間は他方に記憶が引き継がれないので、その時の出来事をビデオレターに残す…
様々なルールを定め、ルーティンをこなす日々。しかし、日常はひとつの嘘が呼んだすれ違いによって崩れ去り、次第にジョンの人格がジョナサンを侵食し始める…
生まれた時から体を共有して来たジョナサンとジョン。
なんでも語り合える親友と云うか、お互いのことを心底から理解している家族と云うか…。そんな関係性のふたりに、互いに知らない秘密の部分が生じてしまったことで、歯車が狂ってしまいました。あとはガラガラと音を立てて崩壊…
相手の苦しみが痛いほど分かるのに、直接話を聞いてやれないし、抱き締めることも出来ない…。いちばん近くにいるのに、と云うもどかしい感じが切なかったです…
最終的にどちらの人格となったのか?―ジョンだと名乗っていたけど、フランス語のラジオを理解している風だったし、結局はジョナサンが残ってジョンが消滅したのか…?
[余談]
主にジョナサンの視点から描かれていたので、B面みたいにジョン視点の物語も観てみたいなと思いました。
人を理解することの難しさ
WOWOWにてあらすじのみ見ての視聴。 楽しみポイントは主演の方の演技。 あとは映像(ビデオ)の使い方がおもしろい。 テーマは「人を真に理解することは難しい」かな…。 ながら観だったので詳細を追えていない部分もあるかま、この先観ることはないと思う。 脳内タイマーの設定は斬新かつ絶対やられたくない。 主治医の先生は、きちんと診てくれているのか、彼女自身何をしたいのか分からない。やけにジョンの肩を持つなと思ったら後半の伏線になっているが、理解しづらい。 二つの人格があったとき、どちらも「人」として扱うべきだろうが、弱い方(作品内の言葉を借りれば)だけを特別視するのはおかしいのでは。 人の秘密を勝手に話す行為は信じられない。 物語の進め方としてジョナサンに感情移入させるようななっているからか、人の職場を荒らすジョンに対しては良い感情を持てない。 主演以外はみな淡々と進み、まるで世界から切り離されたかのような感覚になる。同一人物の中に複数の人格があっても、それはどこまでいっても「他人」なのかな。 印象的なセリフは特に無し。
【「スプリット」ミニマル・ノーマルバージョン】
今作品の物語設定は、"似たような作品が多い"が捻り方が、良い。 もう少し、しっかり描いてくれたらなあ、と思ったのは、 ・ジョンとジョナサンを幼い頃から診療しているミナ博士と、二人の関係性。 ・二人の過去と、もう一人いた筈の人格がどうなったのか?そして、そこから今の二人の生き方がどのように形成されたのか? 哀愁漂う作品の世界観はとても良いし、相手を思い合うジョンとジョナサンの苦悩する姿も良い。 "サイレントSF"としても面白みはあるが、如何せん、作品にもう一つ深みがなかったかなあ。 何となく"映画館で観たら、印象が随分変わったのではないかなあ"、と思った作品でもある。 〈"余計なお世話なのは、重々承知の上で" アンセル・エルゴートさん 「ベイビー・ドライバー」以来、作品に恵まれていない気がする。少し心配である。〉
遊び心のあるクラシック曲を聴いているような感覚の作品
まずアンセル・エルゴートが巧い。ここまでの嵌まり役はいないんじゃないかって思わせるほどだが、なぜか危うく魅せられるのもまんまと演出に乗せられているのかもしれない。
「サーチ」「ギルティ」と並ぶ魅せる映画として評価が高かったので、すこし期待して観ましたが、たしかに面白い!と感じた。
主人公ジョナサンは透明感があり神秘的な印象を与えるが、規則正しくきれい好きでテーブルの配置や食事もそつがない。しかしラストへ向けてそれがどことなくぎこちなく歪に見えてくる。ジョンとジョナサンを外見で分けるのが髪型だが、ジョンのときはボサボサで乱雑、ジョナサンのときはきれいに整い、しっかりブラシのかかった状態だ。しかしここも整っていれば整っているほどに不自然さにあふれ、最初はきれいな感覚を抱くが、観ているうちにそれが苦しくなってくる。ジョンのボサボサ頭の方が自然体に見える。ラストではジョナサンが「消えて」しまうわけだが、不自然さからの解放としての捉え方をすれば、それでよかったように思う。
人間はどこかズルくていい加減で時にウソをつくのだが、だから人間のよさも同時に併せ持つことができる。それを正直に実行していたのがジョンで、それを隠すためにルールと規則正しさに自分を見出していたのだが、本当はただ蓋をしていただけだったのはジョナサン自身が一番わかっていた。だからこそ、エレナへほんとうの気持ちを言えた時の感慨深さは言い知れぬものだったのではないだろうか。
また一方ジョンは自然体で自由奔放に生きているように見えるが、その実心の奥底では苦しみや葛藤に悩み、鬱になっていく。しかしながら、それは人間であればこその悩みだとするメッセージが心に響いた。それこそが自然な姿と言っているように聞こえてきたのはぼくだけなのか。
本当のことを話すのは案外大変だな
映画「ジョナサン ふたつの顔の男」(ビル・オリバー監督)から。
二重人格、多重人間をテーマにした作品はいくつもあるが、
ふたりがお互いの存在を認識し、情報交換しあう設定は、
意外と新鮮な感覚で観終わった。
予告編で見つけたキャッチコピーは、
「もうひとりの僕は 12時間のあいだ 一体何をしているのか」
この作品をワンフレーズで表現していた気がする。
作品の中で見つけた台詞から選ぶとすれば、
「本当のことを話すのは案外大変だな」だった。
私たちの人生、全て正直に話すことが良いとは限らない。
「自分史」だからといって「浮気・不倫」のことまで
文字に残して、大騒ぎになった人も知っている。
誰にだって、一つや二つくらい、秘密があって当然だし、
それを、隠し事はしないって約束だろう、と責められても
息苦しくなることは主人公も理解していただろうに。
「1つの体に複数の意識が存在する」ことは、
映画のように、人格が入れ替わる極端な設定でなくても、
「性同一性障害」の人をはじめ「LGBT」の人たちは、
常に意識していることかもしれないな、と感じた作品。
「午前7時と午後7時の12時間ごとに切り替わる生活」
意識的に試してみたら、どんな生活が待っているだろうか。
2つの人格が次第に対立していく様は緊張感があってどうなるのか読めな...
2つの人格が次第に対立していく様は緊張感があってどうなるのか読めないサスペンスフルな展開だったが、ある意味予想を裏切るラストだった。
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