パラダイス・ネクストのレビュー・感想・評価
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妻夫木と豊悦のプロモ
最初の食べるシーン。 長いなぁ~ そっか、この映画はそういう映画なんだな、と思えば、それに乗っちゃおう、という感じ。
自転車のはしゃぎっぷりとか、彼女をつつく感じとか、妻夫木君らしさ、彼の魅力を、最後まで、追及したかったんだろうな、と。
豊悦の、シミだらけの顔に似合わない、長くて白い爪、とか。
長回しのドライブの絵とか。
そうそう、私の大好きな「冒険者たち」を思い出さずにはいられませんでしたよ。
だったらなぁ、もうちょっと、彼女の魅力的なショットを研究してもらいたかった。
そこは、あまり凝ってないんだな。。
中国語教えるところも、回収がなかったから、ただのあるあるか、と残念。
どうせなら、もっともっと、キュンキュンさせてほしかったよ~~~
100分位だし、ちょっと映画観てみよう、と、オンデマンドで観たけど、
まぁ、そんなに、観て損をした、ってほどのこともなく、長めのイメージビデオ的な作品でした。
「俺はあんたの救世主なんだよ」
『物語の整合性だけ見ていけば、リアルなドラマとしては破綻している部分もあるが、半野監督によればそれは意図的狙いとか、この作品では物語主導ではなく、映像と音楽によってその瞬間に伝えられる心情、空気感を大事にしたいという。特に台北からシャオエンが暮らす花蓮に舞台を移してからの夕暮れから夜の描写は見事で』云々…
上記はある雑誌での監督のコメント抜粋である。確かにストーリーの状況説明は極端にそぎ落とされている。とにかくトヨエツが演じている役の余りにも寡黙振りが尋常ではない。高倉健よりも台詞がないんじゃないかと思ってしまう程だ。なので一体彼がどんな立場なのかは最後迄不明である。断片的には、どうも実力者の娘とおぼしき女と付合っているのか結婚しているのか(後で調べてみたらボディガードしているとのこと)、その女が殺されてしまい、守れなかった罰として暗殺されることを怖れたので、同僚のヤクザに紹介され台湾へと逃げたという設定で正しいのだろうか?実はその紹介したヤクザが、その女を薬物で無抵抗にして犯そうしたら効きすぎて中毒死してしまったという顛末で、トヨエツはそのことは知らなかった?。一方ブッキーはその娘にクスリを隠して酒に仕込んで提供した。同じく、ヤクザに消されることを怖れて同じように台湾に逃げた。そんな立場の男同士が、ひょんなことから死んだ女に面影が似ている女と知り合い、三人での奇妙な生活が始まる。しかしその実力者の刺客?が追い詰めていくという筋書きである。どんどん周りの関係者が殺され、そして一緒に生活していた女をも毒牙に掛けたのだが、あっさりとトヨエツがその刺客を殺す。ラストは死んだ女と一緒にボートで海へ繰り出したブッキーに、目をつぶってトヨエツは拳銃の引き金を引き、当然ながら命中する訳もなく、物語は終わるのである。刺客というのがハッキリしないのだが、何度もシーンに思わせ振りにヒットマンが、現実とも想像、夢の中に現れ、トヨエツを精神的に追い詰める描写はサスペンスフルである。一つ一つのカットやシーンはアート性が高く、情緒を揺さぶられるのだが繋ぎ合さると何故だかフワフワしてしまう味気のないものに落ちてしまう。音楽も、最初と最後のラテン音楽は絶妙で、台湾の影みたいなものを的確に表現している。まるで外郭は素晴らしいのに、肝心の話自体がぶつ切りになっているような印象なのである。ラスト前のブッキーの告白のシーン等、今までの集大成のような彼の演技力の深さに凄みを感じ、久しぶりのトヨエツのガチガチの硬派の演技は、充分スクリーンからオーラを感じる。しかし、バディもの特有の心の通い合いみたいなものは伝わらない。にもかかわらず、変に表面上気を遣ってあげている部分のちぐはぐさが奇妙。ヌルヌルした質感、生温い気持ち悪さに受け取ってしまうのである。これを意図的に作っているのならば、何を表現したかったのだろうかと訝しがってしまう。あくまでも女は“触媒”としての機能でしかないのは理解出来る。男二人を結びつける媒介者なのだが、それが不自然さを益々膨らませてしまっているのではないだろうか。どちらか、又は両方と肉体関係を持ってしまうとか、なにかしらの深みがあれば、シフトチェンジするのにそれも盛り込まれず…。台湾の匂い立つような暑苦しさ、豚の生肉の臭みや汚れ、そんなリアルな印象は充分感じられた。そして、行なわれていることの残酷さと、人間関係の希薄さと、結果だけが提示されその原因が覚束ない寄る辺無さ。“楽園”のその先のヒントが掴めなかったのは自分の解釈力の無さであろうか、かなり不思議な作品であったことは確かである。ただ、いわゆる“神の目”と喩えられる俯瞰での立場である観客を、登場人物と同じ目線に落下させた建付けであることは気付いた次第である。唐突感と疑問が満載というのは、現実世界では当たり前なのだからそこに目くじらをたてるのは野暮なのだろうw
Paradise Next
妻夫木聡と豊川悦司のダブル主演作ということで、勝手に期待値を高めて挑んだら、結果として肩透かしをくらってしまった。確かに台湾の風景や、撮影技法そのものに芸術性を感じた箇所はあったものの、全体的に余白の多い作品であった印象である。
半野監督が元々映画音楽畑出身であり、彼が「ストーリーを語るだけの映画は作りたくなかった」と言うように、脚本が完璧に筋立てられているかどうかよりは、音響や映像美に重きを置いた作品なのだと思う。アジアの熱気や湿度をそれらによって演出するのが狙いであったようだが、台湾原住民のボーカル入りの曲は私には安直なように思え、窮屈ささえ感じてしまった。台湾で撮影することを重要視するわりにはキューバの音楽を使っていたりと、私の美的感覚にはハマらなかった。
キャストに多くを語らせない手法は、観客に想像力を働かせる手段として有効であるし、提示された情報を繋いでいけば映画の持たせるテーマに焦点を当てながら観ることができるが、今作は削ぎ落としすぎな印象があった。あれほど島と牧野の過去を意味ありげにしておきながら、最後まで明らかにしないのは、完璧な筋立てを期待して観に来た人にとっては肩透かしをくらうのではないか。
しかしながら「楽園はあるのか?」「生きるとは何か?」という問いはきちんと提示されていたように思う。死後の世界にあるとされる楽園のように観念的な楽園の存在を問うているのではなく、現世においてその存在を感じられる楽園はあるのか?ということだ。過去の罪から逃れ、常に死と隣り合わせの島と牧野は、シャオエンと出会うことで楽園の存在を見出すことができたのかもしれない。「だって、わたしたちには今がある。それで充分でしょ?」生きている「今」こそが楽園なのであり、生きていく上での苦しみから逃れる者に、その楽園の存在は見出すことはできない。楽園へ向かっていたはずの車が地の果てで炎上する。島と牧野に残された「逃亡之途」は、現世で自分の罪と向き合う途しかないのではないだろうか。
疑問点もあるが、それ以上に人物を丁寧に描くことに徹した感。
裏社会で生きる日本人2人が台湾で逃げながらも台湾女子に出会い、そこで女子の優しさや無垢に触れて感情の変化をもたらす。
疑問点
・豪邸に住む女子はなぜ殺される必要があった?似ていたから?
・加藤の付き人がなぜ台湾女子を殺したのか。
・裏社会のそれぞれのポジションが不明確。
パーティで自分のミスで死んでしまった子を引きずりながら、寡黙に闇を抱える島と
そのパーティで居合わせ、その子の死のきっかけを作ってしまったという負い目を抱えながらも軽いタッチで人に接する牧野。
2人ともホントに対立すべきが誰なのか自身もよく分からないまま、お互いに探っていく迷いが全体のトーンを包み込む。
こういう説明を極力省いた抽象的な作品、嫌いではない。
妻夫木聡も良い役者になってきたが、映画選びをミスらないように…
はっきり言ってつまらない。物語の輪郭や登場人物の造形が最後までハッキリしないのは、フィルム・ノワールやハード・ボイルドの線を狙ったのか、「何かから解放されたい男たちの願望」の雰囲気を描きたかったのか、どちらにせよ脚本も演出も焦点が合っていないので、クライマックスで妻夫木聡が泣き叫んでも、ラストで突然「楽園て本当にあるんですかねぇ」と言われても、ピンと来なくて最早ついていけない。台湾のローカル色の分だけ(再来週台湾にいくので)オマケ。
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