「ラストシーンの意味」レ・ミゼラブル pontaさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストシーンの意味
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「子どもはいいもんだ」と前夜にいっていたステファン。
「あそこはやばい。盗んだだけで人を焼くんだぜ!」と故郷を笑っていたイッサ。
そのふたりが銃と火炎瓶をもって向かい合うラストシーン。
どちらか、いやどちらもが絶命しかねない瞬間に、映像は暗転して修羅場を離れる。いわば、観客を〝安全な場所に置く〟俯瞰映像をもたらしてくれるのだ。
とはいえ観客は、完全な意味での安全な場所にはいられない。結末はどうなるんだ?と気になり、発端は〝子どもらしい〟悪戯だったことを思い出し、猛獣のエサにされてしまう少年の恐怖を思い出し、自我ともいえるチップを奪われた少年の喪失感を思い出し、それぞれの家族の営みを思い出し、大人の事情で翌日にはなかったことのようになる名ばかりの正義を思い出す。ステファンが同僚にいう「やるべきことをやれ」という一言は、ラストシーンのステファン自身に必要な言葉だ。その瞬間、スクリーンの中の世界が自分たちの現実の象徴であることに観客は気付かされる。
ラストシーンの続きは観客それぞれの現実世界なのだ。
ヴィクトル・ユゴー作「レ・ミゼラブル」でも描かれた、些細なことから悲劇をもたらしてしまう人間の愚かさは、21世紀でも変わらない。本作でラジ・リ監督は、登場人物の誰にも肩入れしない。解決策は、俯瞰力ではないか。ドローンを効果的に使いながら、監督はそう言っている。アパートを上空から俯瞰した映像では、子どもたちの遊びも決定的な事件が起きてしまう瞬間も、どちらも戯れにみえる光景なのだから。
当事者にならずにその場を理解する力、俯瞰力を観客の手にじかに握らせてくれる作品だ。
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