家族を想うときのレビュー・感想・評価
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「家族を想う」が故に…。
医療の無償化など福祉国家とも形容されるイギリスだけど、本作や前作『私はダニエル・ブレイク』が示すように、制度的には崩壊の危機に立たされています。
イギリスの社会制度の危機に深く関わっているのは、新自由主義的な経済構造の浸透です。劇中でその影は、主人公一家を苦境に追いやった米国発のサブプライムローン問題(作中では示唆されている程度だったけれども)、そして名ばかり個人事業主として奴隷的な労働に従事させられる状況として現れています。
新自由主義的経済は地球規模で進行しているため、日本でも同様の状況が生じています。結末の主人公の行動に胸塞がれる思いをしつつも、仕方ないことなんだ、と自分に言い聞かせた人も多いでしょう。
あの非情な上司も、もしかすると家に帰ると家族を思いやる一人の父親かも知れない、仕事を失わないため職務を懸命に果たしているだけなのかも知れない、と思うと、一層やるせなさが募ります。
脚色ドキュメンタリー
重い、重すぎる。
これでもかと、次々叩きつけられる絶望的現実。
一瞬光が見えたかと思えて、、
奇跡などありはしない、自己の選択が敷いたレール通りに、変わらない現実がやってきて、そして物語は終わる。
この作品に、ツクリモノの喜びや悲しみはない。
過剰なBGMもなければ、派手な展開もない。
データやコストで測れるものばかりじゃない、なんて綺麗事もいらない。
重すぎる、素晴らしく。
時はもう遅い
観ているのが辛くなる大変に苦しい映画である。主人公は教育程度は高くないが、真面目で勤勉な夫だ。独善的で愚かではあるが、家族の幸せを願っている。妻は良妻賢母だが子供たちはそこそこだ。よくある家族の一例である。ケン・ローチ監督らしく、主人公にも容赦がない。
日本における偽装請負はキヤノンの事例が有名である。経団連会長の会社による違法行為として大きく報道されたが、オテアライが時の安倍晋三政権と仲よしだったおかげで何のペナルティも課せられなかった。2006年の話である。桜を見る会と同じ構図がずっと前から続いているということだ。
同じようなことは世界中で起きていて、イギリスも例外ではない。権力は必ず腐敗する。長期政権になればなるほど腐敗の度合いは強くなる。安倍政権がいい例だ。官僚は政権が代わっても同じように仕事を続けるのが普通だが、政権に人事権を握られていては従うしかない。官僚も勤め人である。昇格降格昇給降給異動で脅されれば従うしかない。国民に奉仕する前に自分の生活が大事なのである。やむを得ない話だ。そんな官僚の弱みにつけこめば、政権はやりたい放題にできる。憲法を無視して戦争だってやろうとしているくらいだ。
ケン・ローチ監督の前作「私はダニエル・ブレイク」では役人が自分の保身を第一に、税金が自分たちの金であるみたいな勘違いをしていることで、体を壊して失業したダニエル・ブレイクをとことん苦しめた。
本作品は民間の話であるが、構造的にはあまり変わらない。金を持っている人間が弱者から労働力を搾取して太っていく。近江商人の三方良しではないが、客よし労働者よし会社よしみたいな企業は滅多にない。寧ろ逆の企業、つまりブラックな企業が多い。本作品に出てくる運送会社は典型的である。
立場の弱い主人公は、偽装請負の契約を受けざるを得ず、その条件の中で懸命に頑張る。配達先の客の中には嫌な奴もいるが、そんなことは気にしていられない。なんとしても金を稼いで借金生活から脱出しなければならないのだ。しかし契約には落とし穴があって、様々な罰金制度が主人公をがんじがらめに縛り付ける。そして家族にはいろいろなことが起きるから、契約を履行できない場面もおとずれる。
契約を完璧に履行して目論見通り稼ぐことができるのは、独身で超人的な体力の持ち主だけだ。それともうひとり、現場を取り仕切るボスである。会社が絶対に損しないように出来ているから、この男も損をしない。損をするのは常に労働者だけだ。被害者になっても尚、会社からたかられる。弱者にとって世の中は理不尽すぎる。
あまりの不条理に耐えかねた主人公だが、どのような道があるのか。リアリズムの映画だからウルトラCはない。ダニエル・ブレイクは体を壊して職を失った貧しい老人として社会に抗議するささやかな行為を行なった。本作品の主人公リッキーはどうするのだろうか。
令和の年号になって、岡林信康の「山谷ブルース」を知らない人も増えただろう。つまり知っている人がたくさん死んでいったということだ。その「山谷ブルース」の歌詞は次のようにはじまる。
今日の仕事はつらかった
あとは焼酎をあおるだけ
どうせどうせ山谷のドヤずまい
ほかにやる事ありゃしねえ
仕事が終わって一杯飲んで、仕事のことや仲間のこと、その他よしなしごとをつらつらと意味もなく語り合う。酔ったら寝て明日はまた仕事だ。なんだかんだ、ここまで生きてきた。後悔はたくさんあるが言っても仕方がない。将来のことなどわかりもしないし考えたくもない。
「山谷ブルース」が発表されたのが1968年。それから52年。ITが急速に進み、スマホも普及したが、労働者の環境は何か変わっただろうか。
ケン・ローチが告発するのは政治家でも役人でも資本家でもない。時代というやつだ。世の中の理不尽を勝ち組、負け組という言葉で両断し、勝ち組に入ることを人生の目標とする世の中。取りも直さずそういう世の中を作ったのは、人々自身である。自分だけは勝ち組に入ると信じて疑わない人々、負け組に冷たい人々が自分たちに似た政治家に投票し、格差社会を作り上げてきた。いざ自分が負け組に入ったことを思い知らされたとき、すべての間違いに気が付くが、時はもう遅い。
頑張り過ぎるな!と言いたいが・・・
父親だから頑張る、男だから頑張る、家を買うために頑張る。頑張らざるを得ないような社会も問題だが、その社会に囚われすぎてもいないか?
そういう私も同じように頑張ってきた一人だけど。
主人公は、作中で「あと半年」というけれど、そんな訳はなく、モノと我に囚われている限りずっと頑張ってしまう。頑張ることを頑張るようになってしまう。
どうすりゃいい?見る人皆に投げかける。
便利さが世界中のゆとり、寛容性を失って行く。
今回初めてのケン.ローチ監督作品を観て来ました。
最初から最後まで、今の世界中で起きている問題がありのままに描かれていて、フランチャイズサービス、公共サービス、介護、教育、環境問題等が取り上げられています。
奨学金問題、トラブルを起こすとペナルティの科料を課せられる、全てが自己責任で片付けられてしまう、廃棄物が回収されず放置されている、医療機関の要員不足で患者が充分な診察を受けられない事、ネットで学習する事や、スマホ依存症候群等、身近にある問題が作品に反映されています。
インターネット、スマホの普及でが身近になった所で、SNSによる炎上、ネット通販でのトラブル、格差、環境問題が世界中で身近になった今、本当のゆとり、寛容性等が問われています。
お勧めします。
希望
希望を与えてくれない映画である。
最近目にする映画は希望をくれない。
でも、そういう時代になっていたんだと思う。
ずっと前から
目を閉じていただけだった。
家族の幸せは、掴み取るものだと思う。
でも掴めない家族も居る。
そこに光を当てた。
希望だけではない人生。
現実。
生きていくのって大変
悪いときってどうやっても上手く行かなかったりするよなぁ
家族を持つことが必ずしも幸せに繋がるとは言えない時代になっちゃったな
足るを知る、身の丈で生きることも大事だよな
GORE-TEXの上着じゃなくても、ワークマンのでも暖かかったんじゃないのかなぁ
きっとうまくいくと信じて生きて行くしかないよなぁ
まったく感情移入できない
あれだけ頻繁にfour letter word 言ってればそりゃああんな感じの生活になるわいなとしか思えない。
そしてラストが中途半端すぎて、結局何がメッセージなのかよくわからない。
社会の不条理に渾身の怒りを持て
83歳の労働者の味方、庶民の代弁者、ケン ローチが社会の不条理に怒りを込めて作った作品。フイルムの端々から彼の怒りが、ふつふつと煮えたぎっているのが見える。
題名は「不在通知」。配達先が不在だったときに、配達人が置いていく通知書のこと。
映画は、真面目に働いて、真面目に家庭を持ち、きちんと税金を払い公共料金の支払いも滞りなく、働き詰めてきた労働者が、なぜ家庭を維持してやっていけないのか。貧しいものはどうして働いても、働いても楽になれないのか。虐げられているものは、真面目に生きて正直でいるのに、どうして騙されるばかりなのか。なぜささやかな家さえも買うことができないのかを問う。
社会のシステムが、壊れている。公共サービスが、利権中心の企業に切り売りされて内実を失い、福祉政策が形だけ残して無くなってしまった。市場原理の資本主義の構造が、むきだしになって、人々の上に襲い掛かる。人々は働いても働いても、生活ができないようになっている。これで良いのか。と、引退したはずのケン ローチは問いかけている。
ストーリーは
労働者の街マンチェスターで生まれたリッキーは、家族をもって今はニューカッスルに住んでいる。妻のアビーは、訪問看護師を勤め、長男セブは16歳で高校生、長女ライザは12歳、ジュニアスクールのに通う。2008年のリーマンショックに端を発した金融不況のあおりを受けてリッキーは、建設業の定職を失い、ローンを組んで家を手にする夢を失った。少しでも良い収入を望んで、いまフランチャイズの宅配業者のもとで運転手として働くことになった。契約では個人事業主となったリッキーは、配達用のバンを自分で買わなければならない。そのために古い自分の車も、妻のアビーが訪問看護に使っている車まで売り飛ばさなければならなかった。おまけに1000ポンド(14万円ほど)会社にフランチャイズの登録のために預け金を置かなければならない。いざ、働き始めてみると配達には厳しいノルマが課せられており、休日も、病気の時の保険もなかった。日々ノルマをこなすために、いったん運転席に座るとトイレに行く時間もなく、ユーリンボトルを持たされるはめに。荷物を持って配達先に行くあいだ、車を離れられるのは、3分間に限られている。急いで相手先に荷物を手渡して、走って3分で車に戻って、また移動だ。それでも仕事に少しでも楽しみを見つけようと、12歳の娘が望むまま助手席に乗せて、一緒に配達をしてみると、どこから知ったのかすぐにボスから忠告を受けて、止めさせられる。
一方、妻のアビーは日に何軒もの訪問先を移動するのに、車を夫に売られてしまったので、バスで移動しなければならない。効率が悪いので家に帰るのも毎日遅くなる。二人の子供たちに夕食を作ってやることも出来ず、冷凍のマカロニを温めて食べるように指示したり、子供たちはシリアルで空腹を満たしたりしている。息子がスプレー缶を持って、仲間たちと公共建物に落書きをして、警察に連行されても、リッキーは、ノルマを果たすために、警察に息子を引き取りに行くことができない。学校から呼び出されても、リッキーは配達の手を休めることができない。すべてのしわ寄せがアビーの肩にかかってくる。リッキーは疲れ切って家に帰って来る。彼には問題を起こした息子の話をきいてやるだけの余裕がない。怒りに任せて、息子の携帯電話を取り上げてしまう。息子は、自分の命の様に大事にしている携帯電話を取られて、逆上して家を出て行ってしまう。
翌日家に帰ると家に飾ってあった家族写真のすべてに、スプレーで罰点が描かれてぬりつぶされている。おまけに朝リッキーが出勤しようとすると車のキーがない。セブの仕業に決まっている。父親は息子を殺しかねない勢いで探す。でもキーを隠したのは、息子ではなかった。12歳の娘が、その車が家に来てから父親の人が変わってしまった。車が亡くなったら、以前の様に家族みんなで仲良く暮らせるだろう、そう思ってキーを隠していたのだった。リッキーは涙にくれる。それでも働きに行かなければならない。
その日、リッキーは、配達で車を離れた隙に二人の暴漢に襲われる。大事な配達物を奪われ、リッキーは、殴る蹴るの暴行を受け、病院に運ばれる。そこでボスに事情を説明すると、盗まれた荷物は保険でカバーされるが、配達できなくなった荷物のペナルテイーとして1000ポンド支払わなければならない、と通告される。病院に駆けつけて来た妻のアビーは、それを聞くと、夫の携帯を奪い取り、夫のボスに怒りをぶつけてるのを止められなかった。あなたのために今まで休日返上で家庭を犠牲にしてリッキーは働き続けてきた。いま仕事中に暴漢に襲われて大怪我をしているのに、どうしてペナルテイーを払わなければならないのか。夫のボスを怒鳴り散らしてしまったアビは、冷静になってみると、自分のしたことが、夫の失業を意味することを知って、あわてて夫に謝罪する。いや、いいんだ。いいんだよ。と妻を抱きしめるリッキーの折れた腕、痛む両足、切れた顔、満身創痍のリッキー。 翌朝、ごめん ぼくはもうここに居られない。SORRY WE MISSED YOU.不在通知を残してリッキーは家を出ていく。
というお話。
リッキーの話は、いま普通にどこにでも転がっている話だ。それほど社会は破綻している。フランチャイズ組織は、リッキーの配送会社に限らず、マクドナルドであり、ケンタッキーフライドチキンであり、スタバであり、セブンイレブンであり、ローソンであり、クロネコヤマトだ。それぞれの店長さんは、決められた本社のノルマを達成することに追われ、おおもとの江戸将軍のところに、多額の上納金を収めに参勤交代しなければならない。上部組織は肥え太るが、末端の労働者はたまらない。このようにして搾取に搾取を重ねて富に膨れ上がった大企業を、市場経済は作って来た。特に、サッシャ―首相以降の英国の新自由経済は、完全に福祉型の資本主義社会を破壊した。
仕事に追われるお父さんでなく、昔のような優しいお父さんに戻って欲しい、と願って父親の車のキーを隠した娘の泣き顔には泣かされる。家出したはずなのに、父親が暴漢に襲われたと知るや否や、病院から帰って横たわる父親のベッドに跪く息子の姿にも泣かされる。怪我をした夫が会社のボスから罰金を言い渡されて、妻がボスを怒鳴りつける姿も、自分だってそうするだろうと自分の姿に重ねて泣ける。この家族に降りかかっている事態は、明日の自分のことでもある。だれも他人の話だなどと言うことができない。骨折した腕で、もうどうにもなれ、と車に飛び乗って家を出ようとするリッキーに、自分の体を投げ出して、体を張って車を止めようとする息子、妻、娘。それでも振り切って出ていくリッキーの行く先には死しかないのか。それとも思い直して借金に借金を重ねながら家族ともども生きていくのか。
彼ら、ごく普通の家族を取り巻く環境は、酷い。公共サービスが民間企業に取って代わられて、公立病院は、貧しい移民と老人とこどもで溢れかえっている。大怪我をしていても緊急処置をしてもらえずに、長い待ち時間を待たなければならない。街には収集されないゴミがあふれて悪臭が漂っている。ゴミ収集が、利潤優先の会社に代わったために充分収集されずにいるからだ。さりげなくフイルムはこうした町の様子を映し出す。
仕事が終われば家で子供達と温かい食事をとり、親は子供達の学校の話を聞き、子供たちは親の話を聞いて、ゲームをしたりテレビを見て過ごす。朝は食卓でそろって家族で食事をとる、といった家庭の姿が、すでに昔話になってしまった。おかしいではないか。
これからさらに、私達には、IT企業が生み出すツールによって大量の失業が発生する時代を迎える。史上最大の大失業時代が来ることになる。それで良いのか。
トマ ピケテイが、「21世紀の資本」で言うように、こういった新自由主義的資本主義の行き詰まりには、国家が介入して「資本税」を徴収することでしか解決できない。GAFAといったグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルなどの巨大企業が世界の富の半分を独占しているが、そのような独占による富を人々に、公平に配分しようとするならば、暴力装置を持った国家が強制的に「資本税」を直接課税して、税を奪取しない限り不可能だ。
ケン ローチは2017年に、「私はダニエル ブレイク」を製作して、英国の福祉政策が死に絶え、老人に年金はなく、母子家庭の母親に育児手当が配給中止になって、体を売らないと食べていけないような冷酷な現状を告発した。ダニエル ブレイクは生涯、良質な家具を手造りし、よく働き税金を納め、年を取って働けなくなって年金などの社会保障を求めたが、何一つ得られずに死んでいくしかなかった。ケン ローチは、渾身の怒りを込めてこの映画を作った。今回もケン ローチが怒っている。私たちは怒らなければならない。私達にはケン ローチが必要だ。おかしいことをおかしいという。間違っていることを間違っていると告発する人。83歳、まだ引退は早い。
現代の情報化社会の炙り出し
便利なスマホなどの情報機器に頼り、束縛されつつ、懸命に生きる様を描いた秀悦で心に染み入る作品でした。細部に至るまで、現代社会であればいずれもがあり得るシチュエーションばかりで、よくぞここまで盛り込んだものと感心します。人生において絶えず揺れ動くマインドを最小限の一つの家族のごく一時期の一面に限って描き切ってto be continued・・・。皆、多かれ少なかれ心が折れそうなギリギリの立場で踏ん張っていることを再認識できます。
家族を想うとは
非常にリアルで、現実を突きつけられる話
全体的に重たい話で、重たいまま終わる
リアルを突きつけてずしっと背負わせる映画
そういうものとして素晴らしい作品とは思うけど
見た結果悩んじゃうかもなぁ。。
家族を想うとはなんなのか
やはりお金があって不自由なく暮らせることが
なによりも大前提で、それがない限りは色々な
犠牲が出てくるんだろな
誰も喧嘩したいわけでもないけど、考える余裕も
なくなって、少しずつ壊れていく家族が妙に
リアルで、どこにでも起こりそうで、怖かった
なにが幸せか
そのためになにをするのか
ちゃんと考えて生きないとな
人の温もり
どんな便利になった世の中になろうとも、いつの時代だって温もりが大事ということ。
今の世の中、あのような労働環境と家族模様は、世界中至るところに存在するように思います。
長年共に働いてくれた奥さんをなくし、営業時間を24時間から時間を短縮したことに対し、セブンイレブン本社から規約違反だと1700万もの制裁金を課された問題と全く同じことです。
市場原理主義のしわ寄せが、我々国民にも多くのしかかり、そこらじゅうで陰惨な形で溢れ出ています。
それでも、資本主義をひた走る世の中は、便利さや利益ばかりを求め続け、人と人とのつながりを軽薄にし、さらに自ら破滅へと向かっていっています。
片目が腫れながらも必死に運送車を運転するラストが物語っています。
もうこの流れは止まらないんだと。
でも、その中で我々は何をすべきなのか。
我々は、今ある常識に疑いを持たなければならないんだと思います。
あの家族のようにバンを止めないとダメだということです。
人の痛みが分かり、温もりを与えられる人間でありたいとそう思いました。
人と人がぬくもりを少しでも感じ、その温もりをまた分かち合える世の中であって欲しい、そう願います。
生活とは
生きる活きる 生きることを活かす…生活の語源は知らないが その生活が家族を壊していく
ケンローチ新作と聞いてすぐ観ようと思っていて ようやく観れた。驚いたのは 結構混んでいたこと 色んな映画を選べるシネコンで土曜日に スターウォーズでもフォードvsでもジュマンジでもなくこれを選んだということが世の中の深刻さを改めて感じた
英国でもアメリカでも韓国でも日本でも同じ状況が拡がっている…じわりじわりと追い詰められていく。自営 フランチャイズという「奴隷制」いや奴隷は奴隷主が養わなければならない。
そして 遂に養う必要のない奴隷制にたどり着いた。
そういえば バブルの終わる90年代から大学では「経営学」が流行り 将来「経営」がしたいという若者が増えた 何の経営ではなく もはや 職種ではない 奴隷か奴隷主かの選択になっている
家族は崩壊し 家族を作るという夢も見れない それでも オリンピックだとか 夢とか感謝とか生きるって素晴らしいとか歌ってるテレビに白けるのも当たり前のことだろう。
ケン ローチっぽい
ケン ローチの作品あまり好きじゃないけど、こういうテーマに敏感に反応して引退を辞めてまで作るところがすごい。というかこのテーマ選んだ時点で成功だ。ローチは映画としての演出がイマイチだけどこれが真摯さの現れなのか。
役者もとてもよかった。本当にいそうな善良そうな雰囲気もとてもいい。何よりファミリー全員の声や話し方が印象的だった。
イギリス同様日本もこの雇用形態は問題だけど、誰も取りあげようとしない。残念。
今を乗り切ればこの家族は幸せになれる
と想う。
大逆転なんて起きない現実の映画
2020年一本目
前情報一切なし邦題見て決定。
温かなヒューマンものだろうと勝手に思っていたが、そんな生温いものではなかった。
過酷で惨めで大逆転なんて起きない現実の映画だった。
特にラストシーン。これが終わりなんて信じたくなかった。がつんと殴られたような消化しきれない想いが残る。
イギリスもこんなに酷いのかと驚いたが日本も同じである。
昔は学がなくとも腕っ節が強く真面目に一生懸命働けばそれなりの生活が出来ていたはずだ。
そんな時代は終わり、頭を使えないものはただ消費されていく。
父と息子が言い争うシーンはリアルですすり泣きがあちこちから。
親世代ならやりきれない父の気持ちが痛いほど分かるのだろう。
この映画に救いを見出すとしたら、どんなに最悪な状況でも家族が側にいること。
まだこの家族は壊れていない。
観賞後に思うことは原題が秀逸。
これに込められたメッセージは邦題では伝わらない。
相変わらずのローチ節
社会派監督ケンローチはまだまだ健在でした。
イギリスってこんなにハラスメントが横行している国なんだろうか?コンプライアンスは何処に?との疑問もあるが
徹底して、家族が社会の中でどう生き、もがいているか
に焦点が当てられている。
今回の批判対象は国や制度よりも、Amazonを含んだ
GAFAを盲目に受け入れている社会そのものなのかもしれない。
ドラマの構成として、ほんの少し陳腐な演出部分は
あったものの、鑑賞後に内容を反芻し咀嚼しないと
自分の中で消化しきれない。
どうしたって自分の家族、日本社会と比較してしまう
いつものケンローチ映画でした。
これからも、彼の新作を見せて欲しい!
邦題が今ひとつで
原題に込められている意図とのズレがちょっと残念。
現実を突きつけられた!
やりきれないな~がまず思ったこと。
ある意味、こんなに切羽詰まった状況にある人はこんな映画を見る余裕はないわけで、きっと昔なら寅さん、今なら釣りバカ日記なんかの一時的に気を紛らわせてくれる映画を見るのかな?と思った。まあ、こんな映画を見る比較的恵まれた人に訴える映画であって、そういう意味では的を得ている訳だけと。
まあ、そんなことはどうでもよい訳で、凄い!ケン・ローチ!としか言いようがない。描き方がリアルで、細部までよく詰められていて、社会の矛盾が否応なく炙り出されてきて、さすが巨匠。
登場人物はみんな真面目なのに悪い方へ悪い方へ転がっていく。最後の父親の鬼気迫る顔が忘れられない。切羽詰まると冷静に考えることも出来なくなるのが悲しい。はい、ちゃんと受け止めました、としか言いようがない。
もうひとつだけ。自分でトイレにもいけないのに独り暮らしを保障出来るイギリス!羨ましい。
俺なら大丈夫だ。アビー、愛しているよ。
貧乏人が兵隊のようにこき使われ続ける世の中。古今東西、それは変わらず。疲弊した生活の中でも、家族を愛する気持ちは持ち続ける健気さ。
ただ、もうこの手のテーマはあふれている。批判はないが、新しさも感じない。それにマヒしてしまっていてはいけないが、だからその先何が言いたい?と感じる。配送所の所長を悪のように扱うが、休みなく働く親に「今日必ず来い!」という学校もどうかと思う。学校関係者なら、そういう家庭環境だからこそ、子供がそっちに道を外していくことに気付くべきではなきのか?と気になった。親父は、よく頑張ってるよ。もっと褒めてやれよ。追い詰めるなよ、破裂するぞ。
昨今のフランス製社会派映画のような、結論の見つからない暗い映画。
どこにもある光景だが重い
家族を思ってお父さんもお母さんも一生懸命働くものの、反抗する高校生の息子。お父さんはフランチャイズ契約という名の宅配ドライバー。休むに休めず長時間労働による家族のすれ違い。
フランチャイズ契約の言えば今問題のコンビニオーナーと本部との確執がすぐに浮かぶ。
最後まで光明が見えない終わり方には??
こういう社会派映画をやってくれるテアトルシネマに拍手👏
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