パラサイト 半地下の家族のレビュー・感想・評価
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助けて
雨の降りしきる美しい庭に張られたテントの中、地下からの「助けて」という信号に気づくダソン。
彼のバースデーパーティーで起こる惨劇。
まるで地下の住民だったあの男を救い出したかのように思えた。男はそれまで自らと妻を寛大に、あるいは愚鈍に迎え入れてくれたこの家に住む家族たちへお礼するかのように寄生生物を駆除してみせた。妻を亡き者にされた復讐もやや果たし家主への愛を叫んで死んでいく。男は本物の寄生生物だ。
男は最下層である地下での暮らしが永遠に続くことを望んでいた。現状を打破する行動も計画もなく地上での生活に憧れるでもなく冷たく汚れた地下での暮らしに幸せを感じていた。時折訪れる住人の不在時には地上へ出て妻と太陽を浴び踊ったがそれすらもその生活を謳歌しているように見えた。
そして現れる暖かい太陽の指す美しい場所に憧れる半地下の住人たち。綿密な計画と行動力を持ってあっという間に寄生したかのように思えた。しかし寄生以上の生活を夢見ていた。「この家に住むならどの部屋がいい?」
地下に住む寄生生物の幸せな日々が壊れた。
最後、半地下の人間であったキムギテクは本能から最下層の地下に生きる寄生生物となった。
半地下に暮らす息子はまたあの明るい陽の差す美しい庭で父を抱きしめるという途方もない夢を見て。
もっと色々なことを感じ取りたい。
製作者の意図と合っているかどうかは知らんが。
この映画を見た日から、私もまだ夢を見ているよう。
今の自分からはどんな匂いがするんだろうな。
期待以上...!
ドストエフスキーは嫉妬していると思う
いやー、とにかく凄いものを見てしまった。この映画の凄さを自分の言葉で説明できるのだろうか。
数日前に整骨院で治療を受けている時に、隣のベッドで整体師と患者さんがこの映画の感想を話し出すという最悪な環境に置かれてしまった。うつ伏せで治療を受けているため、なすがままネタバレを耳にしてしまった。
面白さも半減だろうなと思いながらも見始めたのだが、ネタバレしていようがしていまいが関係なかったね。例えば、ドストエフスキーの罪と罰のあらすじを聞いてから小説を読んでも受ける衝撃は、変わることはない。圧倒的な筆力で描かれる人間の性、登場人物が吐き出すセリフに懊悩する。
この映画パラサイトも同じで、人間の欲、ずるさ、哀れさ、滑稽さが見事に表現されていて、その後の展開を知っているにもかかわらず心をえぐり取られそうだった。格差社会の歪みを題材にしていながらも、押し付けがましいメッセージ性は全く感じない。また、あちこちに埋め込まれている寓話、メタファーも味付けに徹していて、本筋のストーリーの凄みに脳天を直撃されてしまった。
それだけでなく、映像美がいいよね、アングル、光の使い方、場面の切り替えの絶妙な感じ。音楽も場面場面ですごくマッチしていたし、効果音は心理描写をうまく補完していて、いやーな不安感が増幅されてしまった。
ちょっとだけ、芥川龍之介の蜘蛛の糸を思い出したが、寓話としては、蜘蛛の糸をはるかに超えてます。
これから、この映画のフォロワーが出てくるんだろうけど、この頂を超えることは出来ないんじゃないの。
点滅するセンサーライトと幽霊
トントン拍子からの
無職一家があの手この手でトントン拍子に寄生計画を進めてゆくコミカルな前半から、不穏な急展開に怒濤のクライマックスまで、どうなるかと目が離せませんでした。
俳優陣もそれぞれに良かったと思います。
父親役のソン・ガンホの、普通の調子のいいオッサン感からのクライマックスの緊迫感、やはり良いです。
主人公達が雨の中、夜の街をひたすらひたすら階段を下りて自宅に帰る場面は、富裕層との距離感、格差を象徴するようで、とても印象的でした。
冒頭にも主人公達の半地下の家と高級住宅との対比が示されていましたが、後半での富裕層と貧困層の対比、断絶、無関心を示すような描写は、やはり根強い格差社会の問題を意識させられます。
日本も他人事ではない社会情勢かと思いますが。
コミカルに描写されていた半地下の家が悲惨な描写に変わる喜劇と悲劇の表裏一体感、不穏な場面や暴力的な場面でも漂う妙な滑稽感など秀逸です。
バーベキューの肉を食べる犬とか、やはり適度にブラックなテイストも素晴らしいと思います。
父親の台詞で計画云々とありますが、計画を「希望」という言葉に置き換えられそうで、切なくなります。
ラストは、一応、息子に希望が感じられましたが。
上層から下層に流れ落ちる濁流が象徴
韓国社会の歪みを視覚的に描いた洪水のシーンが見事。上流階級の住む高級住宅街から、ひたすら下へ下へと階段を降りていく引きのカットに、韓国社会の経済格差が一目でみてとれました。陰惨なシーンのある映画は苦手ですが、社会派映画として記憶に残る映画でした。
楽しめました。
話題の映画、情報をほとんどいれずに観ました。
面白かった。
ただ、キャンプに行けず帰ってきてからの話は嫌い。
妹が死んじゃうのも嫌い。
ラストもあまり良くない。
そして、ちょっと話が長い。
拭いきれないにおい 宿主からの脱却
ヒトは望みを抱かなければ、失望も芽吹かない。
計画も立てなければ、失策して焦ることもない。
日々移り変わる景色にただ、身を任せ
自然の流れに乗って、その都度立ち回ればいい…
だが、はたしてそうなのだろうか?
名匠、ポン・ジュノ監督が
なぜ、自国韓国を舞台に選んだのか?
そこには日本より顕著な学歴社会があり
就職難の憂き目に合うヒトたちもいたり
(それなのにサービス業など一部の業種が
人手不足に陥るという皮肉じみた現状は
日本にも通じる)
労働格差、貧困格差が強まる社会と併せ
隣国・北朝鮮の存在があったからに
ほかなりません。
そして、それらの要因を見事に作品に
落とし込んだ作劇をみせていました。
フィクションだから、他国の出来事だからといって
自国にとってよそ事には済ませない強度があり、
切実な社会問題と人間社会の〈寄生 = 依存〉の関係性を
巧みに織り込んだ作品だと思いました。
必ずしも〈寄生 = 依存〉が悪いとはわたしは思いません。
会社だったり、施設だったり、家族だったりと
少なからずわたしたちは何かに頼って
生活しているのだから…
宿主たる拠り所の存在の裏には
必ず努力したヒトがいるのだから…
そういうヒトたちに
〈リスペクト〉を忘れてはいけない。
息子は父親をリスペクトしていたのに
父親は宿主をリスペクトしていなかったから
悲劇は起きてしまった…
水石、雨、景色を写し出すそれぞれの窓など
〈象徴的〉な使い方が巧い!
有能なのに職に就けず雑多な街の半地下に住む家族が
成功して財をなしデザイナー住宅に住む家族に見た理想は、
なりたくてもなれなかった家族の肖像…
生きる手段として寄生した、裕福な家族への憧れが
いつしか裕福な生活の象徴としてのデザイナー住宅への
存在依存にすり代わり、父親を助けたい想いも手伝って
住宅所有の目標という望みが芽生える
やはりヒトは望みがなければ、生きていけない。
語るべき理想もなければ、ヒトは強くなれない。
…と、思いました。
韓国の闇と狂気
絶対観たほうが良い作品
物凄くエンタメ、なのに生々しく重く感情を揺さぶる
なんちゅう映画を作るんだ!ポン・ジュノと言う人は!
沢山の映画賞を受賞して注目度が上がり、
中にはヘイトっぽいレビューを書いてる人もいるので
レビューを書いている人の名前をクリックして
映画鑑賞履歴や好みの傾向を確認してから
レビューを読まれた方が良いかもしれないです。
老婆心ながら注意を追記しておきますね〜
ポン・ジュノ監督の名前はよく知っていたけど、
韓国映画の容赦の無いバイオレンス描写が苦手なので
ポン・ジュノ作品をちゃんと観たのは今回が初です。
下町の更に建物の半地下に住む貧しい家族が
丘の上のお金持ちの生活に寄生して
ちょっとマシな暮らしを手に入れる話、
と書いてしまえばドッて事ない話に思えるけど
中身はとてつもない社会風刺がブチ込まれてる。
そんな社会風刺の詰まった話を
取っ付きはコメディーとして笑わせて、
途中からは一種サスペンスとして観る者を惹きつけ
やがては本質に迫るある感覚からの大団円!
これはもう、黙って観とけ!!
しか言葉が無いわ!
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
半地下の最低家賃の家にしか住めない貧しい家族だけど
決して無能で怠惰な一家では無い事がミソ!
劇中にもそこのところは
いくつかのエピソードを上げて伝えてくれている。
ちゃんと普通に仕事が出来る人達が
過剰過ぎる競争社会の弊害や
世界的な経済危機の煽りで仕事を失った事が伝わって来る。
能力や意欲があっても不運が重なってしまったら
観客の私たちも彼らの様な半地下生活者になってしまう。
そんな不条理な現実と
貧しい人々から搾取することで豊かな生活を営んでいながら、
心の底では貧しい人々を軽蔑している
一握りの金持ち達への怒りがもう怒涛の様に溢れている。
今作のキーになるある感覚は正直、私も感じた事がある。
その感覚って誤魔化せないんだよね〜〜
だからこそ、ポン・ジュノ監督、お見事!
@お勧めの鑑賞方法は?
とにかく黙って映画館へ行っとけ!!
なんとかタダで観られないかな〜とか、
そんなさもしい事を思ってるから
私ら貧乏人は富裕層から虫けら扱いされるんだよ!!
出すべきものにはちゃんとお金出そうよ!!
「格差」は世界共通のテーマになった。
一時期、社会的テーマを取り上げた映画は、人種や民族、性的な差別を題材にしたものが多かったが、ここ数年は完全に「格差」を描いた作品が目立つ様になった。
それもかなり重い内容であるのに、世界中でどの作品も客が入っているというからその深刻さはより身近なものになっていると言えるんだろう。
この作品も(私が思いつくだけでも)「ジョーカー」「天気の子」「万引き家族」「アス」などとオーバーラップする箇所が多い。
階段や坂の上り下りで格差を視覚的に表現していることはご覧になった方は皆感じられたことと思う。
そして「水」。
そもそもは皆に等しく空から降ってくる雨が、高い階層においてはボトル入りの飲料水や優雅なバスタブなど「富」の象徴であるのに対し、それが下層へ流れていく中で淀み、ついにはその生活をも奪っていく。
避難所でケビンは「僕が責任をとります。」
そう言って誕生パーティーでの凶行に向かう。
家族がこんなに辛い思いをしなくてはならないのは、学歴社会で負けてしまった自分のせいだと責めていたのかも知れない。
描かれているとおり、決して彼ら兄妹は無学な訳ではない。むしろ優秀な若者だし、学校に行けないのは経済的理由による所が大きいのは明らかなのに。
パーティーではゲストを招いて華やかなひと時が繰り広げられる中、自宅は水に沈んでしまった主人公たち兄妹が、ここではおしゃれをし、父にいたってはインディアンのかぶり物を着けている。
現実でありながら、まるでジョーク。
凄惨な殺し合いが幕を開けるが、そのどれもが夢の中の様でもある。
物語の要素すべてがすんなり飲み込めるかいうとそういう訳でも無いものの、流れは非常にわかり易く興味深くそのメッセージは十分過ぎるほどに伝わってくる。
そして出演者全員のキャラクターがひとりひとり立っていて素晴らしい。
現在あまりにも上映館が少ないが、今回のアカデミー賞ノミネートでもう少し多くの人たちの眼に触れることになることを期待したい。
ソウル大学に書類偽造科があったら、首席だ!
予想もつかない展開。
コメディーとしてもサスペンスとしても見応えがあった。
半地下の自宅から外を見るのは、横に細長い窓越しだ。
セレブ宅のリビングから庭を見る、あるいは邸宅の外からリビングを窺うのも、リビング一面のガラスの壁越しだ。
この両方とも、スクリーンの中に二重のフレームを形成している。
我々観客が主人公一家を見つめるその先で、彼らはスクリーンのような窓枠越しに外界あるいは異なる世界を見つめている。
主人公一家にとって、セレブの生活はもちろん、自宅の目の前ですら別の世界、リアリティーとは一線を画す世界なのだろうか。
この演出の極め付きは、立ち小便をする酔っぱらいを兄と父親が追い払いに出ていったとき、半地下の家の中で妹がその様子をスマートフォンのスローモーションアプリで見て笑う場面だ。
そこに展開されるのは自分達の生活圏で起きている紛れもない実際の出来事なのだが、窓越し、さらにはスマホ越しで、コントを見るかのように楽しむのが彼らの生き抜く方法だったのかもしれない。
韓国は日本以上に狭い国土に住宅が密集していて、貧しい者たちのすぐ近くに富裕層の豪邸がある。
アメリカ映画だとこれらは完全に別の区域に存在していて、お互い遠くからやっと眺められるような距離感がある。
日本でさえ、「天国と地獄」の貧しい誘拐犯が高台の金持ちの豪邸を見上げて生活していたように、一定の距離感はある。
本作で具体的に主人公家族の家とセレブ家族の家の位置関係は示されていないが、狭い坂道の途中に豪邸がある韓国独特の風景が、貧富の差はあっても生活圏は然程離れていない印象を与える。
だから、セレブ一家の生活に入り込んで 平然と振る舞える主人公一家にある程度の納得感はある。
彼らの悪巧みはトントン拍子に進む。
そのまま幸せに時が経つのでは物語にならず、当然に危機が訪れる。
前半のコミカルな展開も独創的で面白いが、やがて訪れる危機が凄まじい。
そして大事件へと雪崩れ込むところは容赦がない。
日本人ではなかなかこの発想には行き着かないだろう。
生活臭とでもいうのか、匂いをキーアイテムにしているところも容赦ないと感じる。
石鹸を変えても消せない、宿命のようにつきまとう匂い。
だんだんとスクリーン越しに匂いが伝わってきそうなソン・ガンホの演技。
自分達が貧しいのは金持ちのせいではない。
金持ちの優雅な暮しは、彼らが勝ち得たもの。資本主義の原理。
だが、割りきれない。
貧しい生活は心をも貧しくし、被害妄想を増殖させる。
主人公の行動は、まぁまぁヒドイ。
仕事をまわしてくれた友人を平然と裏切っている。
運転手や家政婦はセレブではないはずで、その彼らを陥れる。
この主人公一家こそ、自己中心的でまっとうな努力をしない怠け者たちだ。
なんの罪もない被害者はセレブ一家なのだ。
貧富の差を背景に、貧しい側を主人公にしてこんな描きかたをした映画がかつてあっただろうか。
しかし、主人公の最後の決意こそが、反骨精神で成り上がるためのエネルギーかもしれない。
こんなヒドイ主人公に、頑張って豪邸を買い取れるようになって欲しいという思いを抱かせる不思議さも、この映画にはある。
すごいものを見た
生きることは計画通りに行かない。
格差社会を生み出したのは人間なのだ。
少し前に「国家が破産するとき」を観た。
その影響もあるのだろう。この映画を見ることにした。
しかし、見事だ。
映画としてのエンタメ性はグンを抜き、ハラドキの連続。安心ばかりを売り物にする何処かの国の映画監督はこの映画を観て何を語るのだろう。
結末にコレを持ってくるのか…。韓国ならではの表現だ。だって、自殺率26.6%。世界で第3位の社会なのだ。そしてこの社会を作ることに躍起になった奴が存在したのだ。
半地下家族全員が優れた能力を持つ人間で、仕事に対して当然の報酬を得る。金持の家庭に寄生した訳ではない。採用されるタメの工夫に嘘が酷かった。しかし
仕事の評価は高い。そしてヒエラルキーを象徴するアルものに設定されているところがこの監督の凄さだろう。
見事と言うしかない。
社会的状況は日本が遥かに悪いと言うのに、万引き家族ぐらいの映画しか作られていない。
思いやりが足りないのだろう。
特異な感想("半"の意味)
あくまで主観でしかないレビュー
まず作品について
リズムと構図で全てが美しく構成されている映画
これはどのプロな方々の論評を見ても書かれていること。
だからこれは言わずもがな。
なにより素晴らしいのは半地下という物凄く曖昧な言葉と
終盤にやってくるセリフ「ここに似合ってるか?」
生活ができない、という地下ではなく
生活できるのだが、目の前に金があると求めるという部分。
それが地上のきらびやかな所だし、地下はその名の通り、汚くて底。
ちょっと思い出話。
昔、あるひょんな出来事、というよりある人から言われた言葉で「格差」を感じ、幼き時に本当に悔しくて悔しくて涙が止まらなかったことがあった。
もちろん誰にも言えなかったし、なぜ生まれてきたのかということをずっと考えていた時期があった。
いわば多感な時期というやつ。
その時、まさに感じたのが「自分はここに似合ってるのか?」という問い。
偽りだけで簡単にカモフラージュでき、それを微塵も感じさせない"技"を身につけた。
間違った"技"。
でもそれは取り返しがつかなくなるもの。
チェ・ウシクの笑い、なにか名状できないのだが
笑う理由が少なからずわかる気がする。
いつまでも半地下なままのような感じというか…
ソン・ガンホがナイフを手に取った瞬間
あの時を思い出し、消せないという現実がとても悔しかった
映画の感想に戻すと
これが映画だなと
現実になってはならない、しかし現実にしたい
そんな思いを表現する
人間味、まさに「臭さ」
ポン・ジュノ さすがパルム。
オスカー向きじゃないかな。笑
なによりキム・ギウ、パク・ソダムが可愛い!
以上!
エンドロールから涙腺が崩壊しました。
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