「悲鳴」パラサイト 半地下の家族 U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
悲鳴
自虐にしようか悲鳴にしようか迷った。
一言で言うなら胸糞悪い映画だ。
ただ、傍らにおいた缶コーヒーに一口も口をつけなかった。そおいう引力を有した作品だった。
のっけからエゲツない描写が続く。韓国の貧困層って設定なのだけれど、どれくらい現実が投影されているのか、日本に住む俺には分からない。ただ、この家族はこの暮らしのスペシャリストなのだと言う事は伝わってきた。
物語は些細なキッカケでゴロゴロと転がり出すのだけれど、不思議な陰と陽を感じてた。
どちらが勝者なんだろう、と。
社会的成功を収めた富裕層。
彼らを騙し、まんまと報酬をせしめる者達。題名の「パラサイト」が分かりやすい形で説明されていく。
もうこの辺りでは、何が正しいのか分からなくなってくる。寄生していく家族達に嫌悪感を抱いてるのは間違いないのだけれど、騙される方にも問題はあるとも思う。むしろ、こいつら強いなぁと感心までしてしまう。
寄生というと聞こえは悪いが、人は皆何かには依存してる。彼らは人ん家の財布に依存してる稀有な例だと思われる。
そうなのだ。寄生出来てる事に感謝はするものの、全く悪びれないのだ。
自分達の立場を分かってるというか、達観してるというか…身の丈に有り余るこの幸運な出来事に感謝すらしているようにも見えて、更なる強欲を発揮する事もなかった。
妬みや嫉みを抱くこともない。
かわりに、自分達よりも下層の人間達に出会った。自分達よりも醜い人間に。
この出来事に前後して「匂い」って言う要素がピックアップされる。
自分から発せられもの、まとわりつくもの、拭いきれないものって意味あいだろうか?
結果、それに関連した事で宿主を衝動的に殺害してしまう。
彼らより下層の者と出会った事でもたらされたものは蔑みというようなもので、それを自分達が抱いた事で、自分達に向けられていた視線や状況を克明に認識したかのようだった。
ホント強烈な作品でよく出来た脚本だと思う。「金があったら私も優しくなれるよ」とか痛烈な嫌味にも思う。
このレビューのタイトルを「自虐」にしようかと思ったのは、こんな話を韓国の監督が韓国の話として創作した点だ。
どこまでが現実なのかは分からないけれど、最下層から見た視点をここまであけすけになのか、赤裸々になのか、大胆になのかはさておき、こんな話に仕立ててしまえるのだ。
年頃の娘が、大雨によって便器から噴出する汚水を浴びながら開き直って、便座に座ってたり出来るか?もう許容量を超えてる。まともな神経でいたら発狂するような環境だ。
ある意味狂わされてはいるのだろうけど、自分の力ではどおしようも出来ない。
よくぞここまで、自国の事をこき下ろせたなと思うのだけど、終盤になるにつれ「悲鳴」という言葉が過ぎる。
別に韓国の話でもない。
声を上げれない人達からの悲鳴にも似た訴えに思えてきた。作中にとてつもなく長い階段が出てくる。地の底まで続いてるんじゃなかろうかと思える程、長く1人分の幅しかないような階段だ。彼らはそこを降りて逃げてくる。そこを通る他ないのだろうと思う。逃げた先には廃棄物が山をなす場所で、帰路には電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされ囚われたなら抜け出すのは困難に思える。その場所の更に下にある半地下の我が家には汚水が溢れ返ってる。
…なんて凄惨なメッセージなのだろうか?
どこまで行っても違う地獄が待ってるかのようだ。
物語のラストは、息子が社会的に成功を収め父親が隠れ住む地下室があるあの家を購入し、何年も会えなかった父親と再会するって幕引きだった。
ああ、そおいう希望を残すのかと。
到底実現できるような境遇でもないのだけど、人生何が起こるかは分からないしな、と。
成功した息子は垢抜けてて、これが同じ役者なのかと韓国の俳優達の底力を垣間見たりするのだけれど、それは息子が半地下の家で漠然と描いた空想だった。
希望など欠片もない。
胸糞悪い映画だった。
だけどパルムドールも納得の見事な作品であった。