あのこは貴族のレビュー・感想・評価
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皆んなまぼろし
「東京とはみんなの憧れで出来ている」
冒頭でタクシー運転手が
「お客さんをホテルへたくさん運んだことがあるけど、一度も中に入ったことがないです」というセリフがあった。確かに丸の内に立ち並ぶビル群なんか通り過ぎるだけで入ったこともない。
そんな丸の内の住人達にも上には上がいる。
松濤のお嬢様もしがない開業医の娘として青木家の前では格が落ちる。
その青木家も海運業で財をなしたと言っていたが、
つまるところ商人の出なので出るところに出れば、成り上がり者として後ろ指を刺されるのだろう。
人の欲望は饕餮で足ることを知らない。
東京の憧れは、外から眺めているくらいが距離感としては丁度いいのかもしれない。
この映画は幸せをテーマとして扱っているので
登場人物が出てくるたびに「この人は幸せなのか?」という目で観てしまう。
居場所と幸せは相関する。その自分の居場所は誰かに与えられても意味がない。
幸せも与えられるものではないという点において貴賤はなく、平等なのかと映画を観ながら思った次第。
しかしああいう層ともなると、絶対amazonとか利用したこと無さそうだな(笑)
美しい所作=上品なだけではない
実在する隠れた格差
とても面白い点をテーマとした映画です。
”格差”というのは一般的な生活をしているとあまり感じない。
普通に自分の生活を生きていると感じない。
ただ異なる世界に一歩入ると、こんな世界があるんだということがわかる。
美紀が富山から慶應に入ると違和感を感じる、、というのは私も感じることがありました。
でも、そこでしか生きていない華子はそれを感じない。
美紀と出会い、だんだん気づいていく、自分の世界の特別感を。
これらを秀逸に描いた部分はとても素晴らしいと思います。
友人や恋人、パートナーに感じる違和感はないでしょうか?
それはきっとこれまで生きている場所もそうですが、その人の環境も人生に形作っている。
そういった違和感を感じる映画でもあります。
特に結婚前の方や、友人や恋人、パートナーとの関係がよくない方向にいっていると思った方、
ぜひともこの映画を観てみて下さい。
自分の世界と他人の世界を考えるいいきっかけになると思います。
お勧めします。
映像と演出もすごい
「今の日本で階級差を描くのは難しい」って言われてるんだけど、描けるね。すごい。
演出がいいんだよね。門脇麦の箱入り娘の感じとか、石橋静河が語る感じとか。映像もすごい。石橋静河が河川敷で語るところは特に良かった。
予告編観てるから、門脇麦と水原希子のダブル主演だって分かってるんだよね。でも水原希子がなかなか出てこない。「いつ出てくるんだろう?」と思いながら観させておいて、登場させるシーンはキレがあって良かった。
キャストも良かったな。門脇麦のお姉さんに石橋けいと篠原ゆき子を使ってくるとか。篠原ゆき子は《ミセス・ノイズィ》よりいい演技だったよ。
途中まで「幸せな人が誰も出て来ない」と思ったのね。門脇麦も水原希子も高良健吾もみんな不幸そうなの。「この窮屈な状況で女性が割りを食っている」っていう感じかなとも思ったけど、それより、家に縛られるとみんな不幸になるってことだね。
ラストに向けては、女の人が家から解放されていって、そこそこ幸せそうに見えてきたな。
作品のテーマと違うかもだけど、観てて、「階級の固定」は思った。世代を超えて階級が固定される社会になってるね。そして上の階級に生まれたからって幸せとも限らなそう。
あと慶応大学は恐ろしいね。そんなに格差を感じながら過ごす大学なのか。
深いテーマを最低限の説明に押さえて、いい演出と映像と観せてくる岨手由貴子監督はすごいと思ったし、観たほうが良いと思うよ。
誰も不幸にならない映画は後味が良い。
予告編を初めて見たときに、とても映像の雰囲気が良くて惹かれた記憶があり評判も上々だったので鑑賞。
やはり映像は良かったし、一人ひとりの登場人物が実在するかのようなリアリティ、というか、わざとらしさが全く無いなという映画だった。
あまり良くない邦画を見ると、演者の演技が暑苦しかったり、演技が良くても音楽が大袈裟だったりと何かと映画を構成するあらゆる要素が上手く噛み合った作品ってなかなか出会えないのだけど、これは何もかも上手い具合に噛み合っているなという印象を受けた。
東京に憧れて背伸びして生きる話はよくあるけど、こういう一人ひとりが自分の生きる場所で懸命に希望を見出だしながら生きている様子は案外珍しいかもしれない。でも、そこがかえって現実味があった。
お嬢様の華子ちゃんと富山の田舎出身の美紀ちゃんがどうやって噛み合うのか、鑑賞前は疑問だったけど終盤の二人でベランダで会話するシーンでとても府に落ちた。
一生田舎で暮らす人も都会の裕福な暮らしをしている人も本質的なものは同じに近いのかな。
あのこは貴族。自分は…?
キャストの方々の演技がとても素晴らしかったです!
途中、気付けば美紀(水原希子)のことを応援している自分がいて、時に見せる華子(門脇麦)の箱入り娘感というか、お嬢さま感というか、ふとした一言が微妙に鼻につく感じがして、時々イラッとしていました。笑
でも最後は、登場人物それぞれが自分の意思で自分の人生を歩んでいる感じになっていて、前向きな終わり方だなと感じました。
親や家庭環境は自分で選べませんが、自分の価値観は自分自身が後天的に作り上げていくものであって、自分がどう生きていきたいかという判断の源になっていくのだと思います。
自分は周りからどう見えているんだろう?とか、自分の価値観だけで人に接していなかったかな?とか、ベクトルを自分自身に向けて、客観的に考えるきっかけとなる作品でした。
描写がとても良い
良かったけども・・・。
音楽・衣装 大変良し
東京って棲み分けされているから。違う階層の人とは出会わないようにできてるから。
東京の、無機質なビル群の風景を見ているだけで、なんでこんなに悲しいのだろう?
街を行き交う人の姿が、なんでこんなに愛しいのだろう?
自分とははるかに階層の違う華子の生き方が、なんでこんなに共感するのだろう?
社会にはミルフィーユのように階層がいくつもあって、例えば幸一郎は最上部の階層で、華子はそのすぐ下の階層で、美紀はといえば下は下でも真ん中くらいで。だけど幸一郎と華子の階層差より、華子と美紀の階層差は著しくかけ離れていて。そんな美紀より下の階層さえも、まだいくつもあって。たぶん、無限に。
同じ東京にもいくつもの階層の人間が生きている。「みんなの憧れでつくられていく、幻の東京」、そうまさに。そうなのだよ、ほんとに。だけど、みんなそれに寄り縋って生きている。それを本物だと信じることで、自分の存在を確かめている。地方民である自分でさえ、外部は外部なりの階層がある。
そう意識していた時、「事情は分からないけど・・最高の日もあればそうでのない日もあるよ。それを話す相手がいれば十分じゃない?」の言葉に、滝に打たれるような感覚を覚えて泣いた。たぶん、かつて勤めていたオフィスが、二人が見上げている東京タワーとほぼ同じアングルだったせいもあったのかもしれない。孤独を感じていた華子にとって金言であったように、僕にも響いた。
嫌味なく押し寄せるさざ波のような悲しみに襲われる気分に満たされながら映画館を出て、誰一人知り合いのいない新宿の街にたたずんだ。華子が最後の手にした解放感を味わいながら、この映画が、公開してずいぶん経っていながらも武蔵野館の客席が満席になる理由がわかったような気がした。
よかったぁ私、貴族じゃなくて。自由に選択できる人生で。
階層が違うと決して交わることがない東京というところ。私は地方民(大阪)ですがそれは関西ではそれほどには無い感覚で東京の友人と話していて(ん?)となる違和感がこの映画の中にはしっかり存在していてそこを上手く表現しているなぁと思いました。
庶民の私からすれば松濤のお嬢様というだけで十分に「貴族」ですが、さらに上の貴族層なのですね、幸一郎さんは。
あ、そう言えば幸一郎さんタイプの人、私達の学生時代に関西にもいましたねぇ。大会社の御曹司で私大の内部生、振る舞いもお上品でしたが女性関係はこっそりとあんな感じでしたw
内部生と外部生、都民と地方民、タクシーと自転車。これらの対比には誰もが(そうそう!)と共感できるはず。そして男性陣が覇気をあまり感じられない生き方をしている中、時岡美紀は友人の里英とともに逞しく、お嬢様側である逸子の清々しさも本当に魅力的。その男女の対比もよく計算されていてお見事でした。
ある年齢になると結婚するのが当たり前、と何の疑問もなく思って育ってきた華子のあの決断、選択に心からエールを送ります。
章立ての構成は映画には合いません
この映画、なぜ一章、二章、三章……と章立てにして作ったのでしょうか。その構成いらなかったなー。
たぶんストーリーの都合なんですよ。序盤に華子と美紀の接点があまりにもなさすぎるから、華子の章と美紀の章に分けたんだと思います。読んでいないので知りませんが、たぶん原作がそういう構成なんじゃないでしょうか。
だから序盤、水原希子が全然出てこないのが気になって仕方なかったです。チラシ見て出演しているのは分かっていたので。良い役っぽいのに何で?って思っていました。
でも普通、映画って章に分けないんですよね。分けている作品もなくはないですけど、少ないです。それには当然、理由があって、基本的に映画というメディアに章立ての構成は合わないんです。
もちろん他のメディアだとこの構成が効果的な場合もあります。例えば本は、必ずしも一気読みするとは限らないから章で区切る構成が生きるんです。テレビも連続ドラマは週に1話ずつに分けて放送されるので、章に分かれているようなものですね。1話の中にもCMが挟まれるので、その前後で章に分けることもできます。
映画はスクリーンの前に釘づけにされるので、少しでも観客の気持ちを途切れさせない構成をとるべきです。しかし章で分割されると観客の気持ちも途切れてしまいます。
ただ、この構成をとった気持ちは理解できます。この作品のテーマは、『東京生まれのお嬢様と地方から出てきた庶民の女性とでは、同じ東京でも見ている景色が違う』というものです。前者の代表が華子で後者の代表が美紀という構図になっています。
東京出身者×地方出身者 = 富裕層×一般層 = 華子×美紀
ってことですね。華子と美紀を対比させたい。だから華子の章と美紀の章を分けて対比させたら良いんじゃないかって思うのは自然なことです。
でも残念ながら、表現ってメディアに依存するんですよ。描きたい内容は同じでも、映画と本のようにメディアが違うなら描き方を変えるのが正解だと思います。
章立ては映画には合わないので、章に分けずに描く方法を考えるべきだったのではないでしょうか。
分断でもなく、連帯でもない。
圧倒的な身分差、住む世界の違いを、なにげない仕草や話し方や身につけるものなどで表現していて、彼らの間の溝はかなり深い。「身分なんて関係ない!」みたいな言葉はきれいごとに思える。
だけど、分断や対立の物語ではなかった。あらすじを見た時は、もっとドロドロした展開になるのかもと思っていたけど、中盤で石橋静河が清々しく宣言したように立場が違うからって憎み合う必要はない。
かといって、立場を越えて連帯しよう!というメッセージでもない。主人公は離婚したし、美紀さんとも人生の中でたまたますれ違っただけで、そこから親友になるわけでもなく、それぞれがそれぞれの幸せを求めていく。
分断でもなく連帯でもなく、それぞれの生き方がある。格差を描きながら、とても優しい気持ちにしてくれるところが好きでした。
女性の生き方 選び方。
階層型社会から解放された女子4人
東京でそれなりの家庭で育った華子と地方から上京してきた美紀。
「東京は棲み分けがされている」
東京の街で全く違う世界(階層)を生きている本来交わることのないはずの2人。
しかし、青木幸一郎という1人の男性を窓口のようにして二つの世界が交わっていきます。
本当だったら修羅場となり得る(と思ってしまう)幸一郎を介した2人の邂逅ですが、お互いを攻めず、寧ろそこから交流が生まれる。
なんと優しい世界でしょう。
この場面もそうですが、逸子のセリフが何かと胸に刺さりました。
人はどうしても自分とは違う世界のことは無関心だし、軽蔑しがちだと思います。
しかし本作はそういった見えない隔たりを描きながらも、他の世界を認め、憧れを抱く華子のような優しさで包まれた映画でした。
(これこそ皮肉に聞こえてしまうかもしれませんが、)上流階級だからこその余裕から生まれる優しさなのかもしれません。
細かい演出も素晴らしかったです。
一つ一つの所作であったり、飲食物、それぞれが存在する場所等々。
そういった細かい部分がよく作られていたので、「これは庶民的だ」とか「これは貴族っぽい」とかスクリーンの中に探すのも楽しかったですね。
また、章ごとに分かれていることもあって、居酒屋を一つ例に取ってみても、華子パートと美紀パートでは全く違って見えました。
2人のキャスティングも逆じゃないの⁉︎と最初は思いましたが、納得です。
鳥籠から自由な世界に
映像の素敵な色合いがゆったりと流れる上品さを醸し出しています。
箱入り娘が鳥籠の外の自由な世界に憧れて飛び立つ話。
どんな環境に生まれたとて、なにかしらの不自由や悩みはつきもの…
「置かれた場所で咲きなさい」って言葉は、その場所に感謝をするって事だと解釈してる私としては、資産家でなに不自由ない暮らしの世界では親の決めたレールから外れる事は許されないし、そこには感謝や満足するという欲も膨らむ一方な気がする。
その点、庶民は自由だし小さな事でも満足するし感謝も喜びもあります♬何事も一長一短ですね。
ホテルのアフタヌーンティー、女子の憧れなのか娘も大学時代からバイトのお金で愉しんでました。親のお金じゃなくバイト代ってのが、つくづく庶民な我が家であります…ってか、あの上流階級はほんの一握りでしょう。
そして、なぜに居酒屋シーンにわざわざ大阪弁を持ってくる…関西って住めば分かるけど穏やかで上品な方々を沢山見かけます。作られた吉本のイメージが腹立たしい…あそこは普通に江戸っ子弁でいいでしょう。
東京ヒエラルキー
女性には生きづらい世の中、分断された社会に翻弄されるといった感じか。それにしてもまた富山である。今年としてはもっとも自然な富山弁を聞くことができた。しかも頑張って慶応に受かり、自分の力を試すスタートラインに立ったのに、内部生と外部生という貧富の差を見せつけられれ、自分の夢さえも見失ってしまった。
一人の男に対する「結婚」という概念。開業医の娘でもあるお嬢様育ちの華子にとっては周囲の言葉に流されるように良家同士の結びつきに流されてしまう。しかし、弁護士の幸一郎はその時ミキティと付き合っていたのだ。
恋愛に対して抱くことの違いもあったけれど、結婚に対する考えも違う。富山に帰省したときに弟が「セフレ」という言葉を発したときに内心自分のことも考えたのだろうミキティ。幸一郎にしてもその程度の相手だと思っていたのだろうか・・・
東京は上流社会と底辺の社会が交わらないようにできている。これは衝撃的な言葉だった。住んでみないとわからないだろうけど、田舎者にはわからなかったことだ。搾取されていても、その相手が見えないと、憤りをぶつけようにも相手が見つからない。そんな分断された世の中で手探り状態で生きていくしかないのだろう。
大きな事件があるわけでもなく、ありがちな物語なんだろうけど、東京という複雑なヒエラルキーも見えてくる作品でした。そして、政治家の息子には“太郎”、“一郎”という覚えられやすい名前が付けられていること・・・いるいる。いっぱいいるよ!2世議員。
あるある
義兄が足をバタバタと行儀が悪いと思ったら、間髪おかずに飛んでくる姉の注意。対して、取り皿使えよ!とこっちは思ってても、ノー突っ込みの富山県民。現実を考えれば、階層云々のテーマ表現は効きすぎているが、一概には否定はできぬネタが各所に散りばめられ、全編ニヤニヤ、社会派ドラマ以前にオフビートなコメディとして秀逸である。
門脇麦の楚々とした仕草がさらに笑いをさそう。一方、アップを捉えた時の表情は幾層もの想いが秘めているようでもあり、しがらみに捉われる良家の子女の苦悩を示している。VIO脱毛を雑談する水原希子と山下リオのバディ感が良い。この二人を中心においたドラマにも興味を持ってしまう。
石橋静河が門脇と水原を呼びつけるシーン。ニュートラルなスタンスを語る石橋の言葉は、それでも優越する立場の言でしかない。それを受け取る水原の表情は微妙、上から手を差し出す石橋に忖度するような相槌。そんな緊張感に現れる門脇の無頓着さと唐突に切り出される封筒…素晴らしい演出。白眉のシーン。
水原の部屋を経た最後の決断にはエールを送るが、それがいばらのみちであっても良い訳で、幕の引き方には違和感を感じた。
貴族は貴族なりに
全243件中、101~120件目を表示













